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街角挿話集  作者:
番外集2
28/29

恋の始まり

書き下ろしのようなもの。

『私のことを思って』に出たキャラで、拙作『(腐的)恋愛のススメ』の主人公・村瀬瑞希の妹である柚希のお話です。

 恋という字は『変』に似ている。

 だから恋をすると変な気持ちになってしまうのですよ。理にかなっていますよね――と、彼氏持ちの姉が以前言っていた。それはどうやら彼女の経験則らしい。人生の先輩として、これほど頼れない人もいないなと思う。

 かくいう私――村瀬柚希は、まだ恋というものを知らぬ。

 ……なんてカッコよく取り繕ってはみたけれど、簡単に言えばそういうことをまだ経験したことは一度もない。

 もちろん恋というものがどのようなものであるか、どういった駆け引きをするべきなのか、知識としてならかなりの量を持っている。数々の恋愛小説、漫画、ドラマ、そして周りの実体験……などなど情報源は様々だ。

 男女同士のオーソドックスな恋愛から、年齢の壁、身分の壁、性別の壁、果てには種族の壁までも余すところなく網羅している。普段から人間観察・動物観察までも怠らず、些細な空気の変化にまでもいちいち敏感でいる、そんな私を嘗めてはいけない。

 正直、このあたりは姉より詳しい自信があるし、実際に私のアドバイスで告白できて無事に付き合うことになった……なんていう友達もいるくらいだ。

 御堂なずなもそのうちの一人で、最近は四つ年上の彼氏についての話を私に対して平気で吹っかけてくるようになった。ちょっと前まで、恋なんて全然知らないとか分からないとか、彼はお兄ちゃんみたいな存在だとか言ってたくせに、この変わりようはちょっと引く……でも、本人が嬉しそうだしいいか。

 けれど私自身はまだ、恋というもののときめきも、痛みも、苦しみも、まだ一度たりとも実感したことがないのであった。


 そんな時にふと私の前に現れたのが、クラスメイトの蓬莱(ほうらい)(つかさ)くん。

 男の子としては小柄な方で、特別目立つ立ち位置というわけでもないのだけれど、優しくさりげない気配りのできるタイプの人なんだ、と前にクラスの女の子たちが黄色い声で話していた。

 私ももちろん彼のことは以前から知っていたし、なかなかいい感じの子だってことも分かってるから、その辺の綺麗めのクラスメイト(男女は問わない)や先生(同じく男女は問わない)などと適当に頭の中でカップル同士にして、よからぬ妄想をしたりすることもある。ちょっと罪悪?

 ……まぁ、それはさておき。

 たまたまその時期に席が隣であったという、ただそれだけの縁で、私と蓬莱くんは同じ日に協力して日直当番をすることになった。

 彼が日誌を書いている間に、私が黒板を消す。蓬莱くんは字が綺麗だから日誌書いてくれないかな、と私が自ら役割を提案して決めた。要は、自分が日誌を書くのがめんどくさかったので蓬莱くんにさりげなく押し付けただけのことだが。

「んぬ……くくっ」

 平均より少しばかり身長の足りない私が、黒板の高いところを背伸びしながら消していると、不意に後ろに気配を感じた。

 彼が、こちらへ来たのだ。どうやら、もう日誌は書き終わったらしい。

「蓬莱く……」

「無理しなくていいよ、村瀬」

 私が振り向く一瞬前に、彼は私の手からスッと黒板消しを取った。

「役割、反対の方がよかったね……気付いてあげられなくて、ごめん」

 いたわるようにそう言って、彼は私の手の届かない高いところを易々と消していく。蓬莱くんは男の子としては小柄な方だと先ほど言ったが、それでも私より十五センチは背が高い。黒板の一番上を消すくらいは余裕みたいだ。

 身勝手な理由で、黒板消しを申し出たのは私の方なのに……。

 その時、不意に胸の奥がじんわりと温かくなって、鼓動が少しずつ早まるのを感じた。

 ――あれ、変だな。風邪?

 ぼうっと蓬莱くんを見ていると、彼が不意に振り向いた。ばっちりと目が合い、どくんっ、と大きく心臓が鳴る。

「村瀬……どうしたの?」

 なおも視線を逸らせず、何も言えないままでいると、へにゃりと蓬莱くんは気弱に笑った。

「そんな顔されると俺、期待しちゃうから困る」

「へ?」

 誰にでも優しくさりげない気遣いのできる蓬莱くんが、そんなことを言うなんて意外で、思わずポカンとしてしまった。

「そういう間抜けな顔も、可愛い」

 ふわりと、いつもとは違うとろけるような優しさを含んだ笑み。

 何でいきなりこんなところでそんな、誰にも見せたことないような顔するの?

 そんなの、むしろこっちが期待してしまう……。

 ……って、あれ? ちょっと待って、期待って何?

 内心混乱していると、ふ、と蓬莱くんが笑う。何だかかっこよくて、その顔をじっと見つめる私の頭をポンッと叩き、彼はいつものようににっこりと邪気のない笑みを浮かべた。

「帰ろうか」


 その日から、だ。

 蓬莱くんのことを考えるだけで、胸がきゅっと甘く締め付けられて。だけどすごく、すごく幸せな気持ち。

 けど実際に会うと今度はドキドキが止まらなくなって、顔が熱くなって、上手く息も吸えなくて……どうしたらいいかわかんなくなって、いつもの自分ではいられなくなってしまう。

 そんな私を見て蓬莱くんはいつも、小さく「可愛い」と呟くもんだから、さらに鼓動が早くなって、顔も熱くなって……なんか、堂々巡り。


 何だこれ。病気?

 しばらく考えて、考えて、ふと一つの可能性に行き当たる。今まで知識として得てきただけだったはずの、『それ』。


 ――あぁ、『これ』が。

 すとん、と意外にもその事実は自分の胸にすんなりと落ちてきた。


 それが、私が本当の『恋』を知った瞬間。

 それからなんだかんだ紆余曲折ありまして、それまで以上に接する機会が何となく増えてきた蓬莱くんが、ある日私に……おっと。ここから先は、また別の話。


 聞きたいなら、引き換えにそれなりの『報酬』をちょうだいね?

柚希は当初ゲストキャラだったんですが、植物の名前だしお姉ちゃんも彼氏いることだし(『(腐的)恋愛のススメ』参照)せっかくだから恋させてあげようかなということで一つ書いてみました。


胸がきゅんと…なんつってね。今更『恋の始まり』はないだろうと思いつつ、ちょうどいい花言葉が見つかったので採用いたしました。

というわけで今回のタイトルは、アスチルベの花言葉。

アスチルベはアスチルベ属ユキノシタ科の多年草で、その特徴的な花の咲き方からアワモリソウ(泡盛草)などの別名があります。

耐寒性ですが逆に暖地と乾燥が苦手で、雨上がりは特に美しく、梅雨の長雨にも花が傷むことなく元気に咲くのだそうです。

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