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街角挿話集  作者:
番外集2
26/29

あなたを許す

何となくずっと心残りだった、桜井の姉・真白に関するお話。

 父親の命日に家族が集うのは、これが初めてかもしれない。

 もっとも、俺を除いた家族――母親と姉の真白、その旦那の萩介さん、そして小学校に通う二人の子供は、何度もこうして集まっているのかもしれないけれど……俺が家族と一緒に父親の命日を過ごすのは、おそらく初めてといっても過言ではないだろう。

 改めて自分の親不孝さに呆れたが、誰もそのことに関して突っ込むことはなかったので黙っておいた。

 その年の命日はちょうど休日で、朝から父親の墓参りに出掛けた。

 前日から泊まりで家に帰っていた俺は、真白の子供二人と同じテンションで遊び倒したせいで正直ちょっと疲れていたけど、それでも気を引き締めなければと思い、誰より早く起きて準備を整えた。

「あんたが早起きなんて珍しい」

 真白にいつもの調子でからかわれたが、その目はいつもより優しかったから、きっと俺の気持ちを分かっているのだろう。

 足場の悪い道を、二つの車で分かれて進む。

 一台は今俺が運転している車で、母親と真白が一緒にいる。もう一台は萩介さんの車で、そちらには子供たちが乗っている。子供たちと一緒でなくてもいいのかと真白に口添えをしたのだが、

「萩介に任しとけば大丈夫。それに、ちょっと落ち着きたいのよ。今日は」

 いつもの口うるささは鳴りを潜め、おとなしげにそう答えた。

 多分、あちらは今非常に騒がしいだろう。真白に子供たちの世話を押し付けられた萩介さんの苦労を思うと同情するけど、ここだけの話楽しそうだなぁなんて思ってしまうのも事実だったりする。

 行きの道すがらも、墓参りの最中も、俺はほとんど口を利かなかった。母親も、真白も、同様に。

 子供たちはこんな状況でもやっぱり落ち着きがなくて、萩介さんに何度も諭されていた。無理もない。父親は真白が結婚する前に亡くなった。つまり、彼らは祖父の顔を知らないのだ。

 けどそんな何も知らない純真無垢な子供たちのおかげでなんとなく、張りつめた場の空気が弛緩された気がして。逆にこれくらいの方が、ちょうどいいのかもしれない。

 俺は何気なく、空を見た。迷信とか、言い伝えとか、信じてるわけじゃないけど、何となくこの場面を上から父親が見てる気がして。

「楽しそうだなって思ってる? 父さん」

 呟けば、ぶっきらぼうな声が否定しながら笑った気がした。


    ◆◆◆


 後部座席に座っている母親は、疲れて眠っているのだろうか。さっきから、規則正しく穏やかな息遣いが聞こえてくる。

 墓参りを終え、昼食にしようとレストランへ向かう車内は、やはり誰もしゃべることなく静かだった。

 やることをやって胸のつっかえが取れた俺は、何となく退屈になって、話し相手を求めて助手席に座る真白に声を掛けた。

「なぁ、真白」

「なぁに」

 穏やかな声。いつもそうなら、本当に頼れる姉っぽいのに……なんて本人が聞いたら怒りそうなことを考えながら、俺は適当に話題を探して沈黙を埋めようとした。

「……去年の、命日にさ」

「うん」

「あの人が来ただろ」

 あの人、というのは、父親が遭った交通事故の加害者である男性のことだ。あれから長い間、ずっと自責の念にさいなまれていた彼は、母親の呼びかけで俺たち家族から正式に赦しを得た。

 母親がその場で言った通り、彼はあれ以来お金を振り込んでくることも、うちを訪ねてくることもしなくなった。音沙汰はなくなったけど(まぁ、こちらが望んだことなのだから別にいいのだが)、きっと今でも父親のことを忘れずに日々を送ってくれていると、命日の今日は祈りを捧げてくれていると、希望的観測にすぎなくてもそう願ってやまない。

 あの人は、本当にいい人だ。一度会ってみて、俺はすぐに分かった。だからきっと、優しい気持ちのまま、二度と同じ過ちを犯すことなく、生きていてくれるだろうと信じている。

「それが、どうしたの」

 真白の問いかけに、俺は言葉を探しながら、不器用に会話を繋げようとすることしかできなかった。

「……あの時、母さんは既にあの人を赦してるみたいだった。気持ちの整理が、折り合いが、既についてるみたいだった。けど」

「うん」

「真白は……真白の気持ちを、そういえば聞いたことなかったなって」

「私の、気持ち?」

 赤信号が見えて、ブレーキを切る。キッ、と短く高い音を立て、車は俺の指示通り止まった。

 前方に向けていた視線を、真白に寄越す。

 そして俺は、これまでずっと聞きたくて聞けなかったことを、思い切って真白へぶつけてみることにした。

「真白は、あの人を赦したの?」

 本当に、あの人を――父親の命を奪った相手のことを、赦すことができていたの?

 真白はフッ、と小さく笑った。そんなこと、と鼻で笑ったようにも思える。

「赦してなきゃ、私は今この場所にいないわ」

 青信号になったわよ、と唐突に続けられ、ハッとして俺はアクセルを踏む。いくら慣れていたって、少しでも動揺すると危ないなぁと反省させられ……って、そんなこともちろん大事だけど今は関係なくて。

「どういうことだよ?」

「……」

 真白は少し言葉を切った。せっかちな性質の俺はすぐに答えが欲しかったけど、真白なりのペースがあるのだと飲み込めるようになったほどには、俺も以前より大人になったと思う。

 車間距離を律儀に保ちながら車を走らせていると、真白はやがてゆっくりと、さざ波の音のように穏やかに、口を開いた。

「あんたがうちを出て、大学に行ってた頃のことよ。父さんが死んでもなお意地張って、ろくすっぽうちに帰ってこなかった」

「反省してるって」

「どうだか。……父さんが死んで、二年ほど経った頃かな。三回忌が終わって、うちも表面上は落ち着いて。そんな時に私は一回だけ、本気であの人を殺そうと思って、実行しようとしたことがある」

 それは、初めて聞いた事実だった。

 きっとその時の真白には、まだ彼を赦せるほど心に余裕がなかったのだろう。当然といえば、当然だ。

 二年程度で、癒える傷じゃない。

「一周忌にも、三回忌にもあの人は来てくれたけど、私が追い返しちゃったのよね。確か。お母さんも最初は怒ってたけど、三回忌の時はちょっとだけ複雑そうな、悲しそうな顔で、帰っていく彼の背を見送ってた」

 今思えば、あの時点で少しずつ赦そうという気になり始めていたのかもしれないわね。母さんは。

「けどやっぱり、私はあの人を赦せなかった。父さんの命を奪っておきながら、それでもなおのうのうと生きている彼のこと。……いつ街のどこで会ってもいいように、仕事の時でもプライベートでも、常に鞄に折り畳み式のナイフを携帯してたわ」

 冷静に考えれば今、この姉は恐ろしいことを淡々と白状している。けど、そうなってしまうのも仕方ないと、今なら俺もうなずくことができるから、反論はしないで黙っていた。

「休日のある日、公園で偶然見かけたあの人は、家族と一緒にいた。子供の腕を引いて、楽しそうに笑ってて……許せなかった。どうして? って。どうしてあの人ばかり、あんなに幸せそうなのって。私たちはこんなに苦しんでいるのに、あの人のせいで毎日笑顔を忘れて苦しみ続けているのに……」

 熱がこもっていく真白の声。

 赤信号が再び見えてくる。ブレーキを強く踏みすぎて、キィッ、と身体が前に傾いだ。

 運転中に他のことに気を取られたら危ないのに、それこそあの人の二の舞になりかねないのに、それでも俺は彼女の言葉に耳を傾ける。今が赤信号で、良かったと思った。

「ついにこの時が来たと、私は鞄の中に手を忍ばせた。一目散に、あの人の傍に近づこうとして……」

 緊迫していく口調に、こちらまで緊張してくる。

 そこでいったん言葉を止めると、不意に彼女は力が抜けたように、吐息交じりにこう続けた。

「……止められたの」

 真白の暴走を止めたのは、通りすがりのサラリーマンだったという。よほど様子がおかしかったのだろうか、それとも鞄から出たナイフの光が視界に入ったのだろうか。

 そこまでのことを真白は言わなかったが、ちらりと見た真白の表情は心なしか、先ほどより和らいでいた。

「真新しいスーツを着た、まだ若くて初々しい新人のサラリーマン。彼は私の手を後ろから掴んで、抵抗しようともがく私の身体をとにかく黙って抱き留めたのよ」

 勢い余ってボロボロと泣いて、あの男を殺すのだとか、あんたに私の気持ちは分からないだとか、うわ言のように繰り返していた真白に、彼は言ったという。

「『あなたに何があったか、僕にはわかりません。でもあなたの大事な人が、今のあなたを見たら、どう思うでしょうね』だって。正論だわね。すぐに、父さんの顔が……悲しそうな、しかめっ面が浮かんだわ」

 信号が青になって、俺はゆっくりとアクセルを踏む。当時の真白の心に合わせて、すぅっと心が落ち着いていくのを感じた。

「もう、力が抜けてその場にへたり込んじゃった。そのまま泣きじゃくった私を、彼は慰めるようにして抱きしめてくれた。……年下のくせに、あの頃から変に包容力がある奴だったわね」

 付け加えられた言葉に、ん? と俺は思考を停止させる。その間に、何度目かの赤信号に引っかかった。今日はなんだか運が悪い。

「……なぁ真白。その人って、もしかして」

「えぇ。萩介のことだけど?」

 今自分がサラッと夫との馴れ初めを白状したことに、彼女は気付いているのだろうか。今の今までずっと、何度聞いたってはぐらかして、そんなこと一度も教えてくれたことがなかったというのに。

「い、いい人に巡り会ったな」

 短い信号にホッとしながらアクセルを踏むと、どう答えたものかと悩みながらとりあえずそうとだけ言っておく。

「ホント、あんなにいい旦那はいないわよ」

 彼のおかげで、私はあの人を赦すことができたんだから。

 ミラー越しに見えた真白の笑顔は、恋する乙女そのものだった。


「……ところで」

 真白は俺の方を向くと、悪戯気にニィッと笑った。俺をからかう時の姉の表情は、昔からいっそ怖いほど変わっていない。

「あんたこそ、いつうちに彼女連れてくるのよ」

「お、俺のことはいいだろ」

 運転する手元が狂いそうになるのを慌てて堪える。後ろに母親がいなければ、わざと事故ってやってもいいんだけど……まぁそんなことをしたら後々真白が怖いのでやめておくが。

 コホン、と咳払いする。

「いずれ、紹介するって」

 俺だってもちろん、忘れていない。

 彼女の父親には向こうの命日に――彼女の父親も故人のため、墓参りという形ではあるが――挨拶を済ませたので、俺も連れてくるなら父親の命日にしようと思っている。来年でも、再来年でも。

 まぁ、彼女が高校生の時に一度二人で墓参りをしたことがあるため、父親だけは彼女のことを知っているわけだが。

「楽しみにしてるわよぉ」

 いつからこちらの話を聞いていたのか、母親ののんびりした声が後ろからかかる。俺は今度こそ、ハンドルから手を滑らせそうになった。


 市街のレストランに着いて、車を降りると、待ちきれなかったとでも言いたげに子供たちはわらわらと駐車場に出てきた。

「……よしっ、これからご飯だぞ。お前ら」

 お腹空いたねーと言い合っている子供たちの頭を同時に撫で、俺は先ほどよりずいぶんとすっきりした、朗らかな気持ちで続ける。

「帰ったら何して遊ぼうか?」

 きゃあきゃあと嬉しそうな声に交じって満面の笑みを浮かべる俺を見て、母親も萩介さんも、そして真白も、ふわりと微笑ましげに笑った。

完全版をカクヨム様に掲載するにあたって…というか何気にその前から、心残りがありました。

真白ちゃんと、萩介さんについてです。

それで、桜井家篇(と私が勝手にサブタイトルをつけている)前2篇のお話で「そういえば芳菜さんや桜井などが加害者の方をどう思っているかについては書いたけど、真白ちゃんがどう思ってるかって書いてないな…」と気づいたこともあり、その辺りを絡めて二人の馴れ初めエピソードを書こうかなと思い立って書いたのがこちらです。


今回非常にシンプルなタイトルですが、こちらはネモフィラ(瑠璃唐草)の花言葉。

ギリシア語で『小さな森を愛する』という意味があるネモフィラは、ムラサキ科ネモフィラ属、瑠璃唐草という和名の通り、青いお花です。

春ごろ、ちょうど今の時期に咲くお花で、見た目は大きなイヌノフグリに似てるかなという感じ。

ネモフィラが咲く真っ青な花畑は実に爽やかな風景で、見ているだけで希望が湧いてくるようです。街恋のイメージにぴったりだなと思います。

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