第5話 「ペートル共和国」
どん欲なケモノはエサに弱い。
インドラ帝国とアイギス連邦の相互安全保障条約の締結を確認したバレッタは歓迎式典をすっぽかして、ペートル共和国へ向かった。兵は神速を貴ぶ。チョンファーレン帝国の逆襲を防ぐ為にも包囲同盟の締結は急ぐ必要があった。
チョンファーレン帝国は自らの失態で凶暴な隣国と云うイメージを生み、それに対してペートル共和国は恐怖心を募らせていた。バレッタの訪問を難なく認めてくれたのがその証であった。
バレッタは宮殿に首相ババチコフを訪ねた。
「初めまして。アイギス連邦外務大臣のバレッタ・超と申します。以後、よろしくお願いします」
「わしはペートル共和国首相のババチコフである。ところでキミの手口は見せてもらったぞ」
予想外に高慢ちきな発言である。ババチコフはやや低めの背丈に関わらず巨大な体格をしていた。どうやらウオッカの飲み過ぎで幅方向に進化してしまったようである。歳は60代で、頭はほぼ禿げており、残った髪の毛は脂で皮膚にこびりついている。まん丸の顔の中央付近に小さな細い眼があり、丸眼鏡をしている。典型的な秘密警察上がりの顔である。体格の割にきびきびした歩きをするのもその職業の影響であろう。威嚇的な云い方で会談の主導権を握ろうと云う魂胆も見え見えである。
「閣下。わたしの手口とは何のことでしょうか?」
「ふん。我々はキミの全てを知っている。このファイルを見たまえ。1メートルにもなるだろう。これがキミに関する調査の内容だ。キミは常に監視されているのだ、そう、常にだ」
ババチコフは指を強く振りながら、強調した。
「恐れ入ります、閣下。では、わたしがペートル共和国を訪れた理由もご存じと云うことですね」
「無論だ。キミは親善のためではなく、チョンファーレン帝国包囲同盟の締結のためにここに来たのだ。そうだろう」
「ご明察の通りです。さすがは閣下」
鮮やかな手口でインドラ帝国を包囲同盟に引きずり込んだ切れ者に誉められ、ババチコフは頬をゆるめた。
「ハハハ。だが、キミの希望は叶えられないのだ。なぜなら、我が国はどの陣営にも組みしないからだ」
「それはどう云う事でしょう」
「分からんかね。我が国はかつて世界最大の陸軍国として世界の半分を支配しようとさえした超大国なのだ。人口1億4千万人、常備軍100万人ながら、我が国の国土は世界最大の広さを持っている。つまりこれは可能性なのだ。かつての栄光は決して過去の物ではないと云うことだ。判るかね、この意味が」
「つまり、再び世界の覇権を狙うために、今は局外中立を保って国力の充実に力を注いでいるのだ、と云う事ですね」
「ふん。さすがだな。その通りだ。よって、包囲同盟には参加しない。判ったかね、我が国の外交が」
「つまり、ペートル共和国は亡国を選んだと云う事ですね」
「な、なんだと。我が国が亡国だと」
「その通りです。その理由をご説明いたしましょうか?」
「云ってみろ」
「かつての栄光はともかく、現在のペートル共和国は弱小国です。人口わずか1億4千万人、常備軍100万人、GDPは世界第10位に過ぎません。一方、隣国のチョンファーレン帝国は人口13億人、常備軍230万人、GDPは世界第6位です。しかもチョンファーレン帝国は経済・軍事力とも急激な発展を遂げております。
その外交は虎狼の如く凶暴であり、約束は1枚の紙切れほどの価値もありません。即ち約束は必ず破り、のらりくらりと言い訳をするだけです。この様な真実のない侵略主義的国家が急激に巨大化しているのです。その隣国ペートル共和国の安全が、積み重ねた卵の様に危ういのは誰の目にも明らかでしょう。ましてや、名君と云われるババチコフ閣下がそれを察知していないわけはありますまい。如何ですか?」
「うん。まァ。チョンファーレン帝国の脅威は判っている」
「であれば、その危機を回避する外交を行うべきでしょう。局外中立などと云ってチョンファーレン帝国の脅威拡大を放置するのではなく、チョンファーレン帝国の国力を積極的に消耗させる事です。具体的には彼らが経済発展に回すべき資本を軍事に回させると云う事です。さすればチョンファーレン帝国は衰え、結果、ペートル共和国の安全は守られます。ペートル共和国はその間に経済を発展させ、チョンファーレン帝国を追い抜き、再びアジアのリーダーになるべきでしょう。これが包囲同盟の価値です」
「まァそうだが、かつての敵であるアイギス連邦と同盟を結ぶのは隷属だと云って何かと抵抗が有るのだ」
「フフフ。いや、名君のババチコフ閣下ともあろう方が、その様な些細な事に心を乱されているのは実に妙なことだと思いましたので。いや、それどころか、もし包囲同盟に入らなかった場合の害の大きさをお考え下さい。
チョンファーレン帝国は周りを包囲同盟国に取り囲まれ、軍事的な圧力を同時に数カ所から受け、当然ながら大きな危機を感じます。彼らは出口を求め、唯一同盟に入っていない貴国に向かうでしょう。貴国と安全保障条約を結び背後を守ろうとします。しかし、良く考えて下さい。チョンファーレン帝国は真実の無い国です。都合の良いときだけ貴国を利用し、包囲同盟の圧力が小さくなったら貴国を捨てるでしょう。これは明らかです。しかも貴国にとって重大なのは、チョンファーレン帝国と同盟を結ぶことによって世界を敵に回すと云う事です。合計で人口14億4千万人、常備軍330万人と云う巨大勢力。しかも虎狼の如き凶暴な勢力を他国が見過ごすワケはありません。包囲同盟、更にはエウロペ同盟すら危機を覚えて貴国に敵対するでしょう。如何にチョンファーレン帝国といえども世界を敵に回すことは出来ません。軍事費の増大による国力消耗で滅亡は必至です。貴国も同様でしょう。
また、貴国がチョンファーレン帝国の希望に背いて彼らとの同盟を結ばないとした場合、害はもっとひどくなります。彼らは力ずくで包囲網の出口を求めようとするでしょう。生き残りを賭けて貴国に攻め込み、占領・支配することでしょう。隣国であること、国境線が極めて長いこと、そして軍事力の大きさから、貴国は容易に侵略され更に滅亡は必至です。その時になって初めて包囲同盟を望んでも手遅れです。故に亡国と申し上げたのです。
包囲同盟に入れば、チョンファーレン帝国の脅威を削ぎ、再びアジアのリーダーになることが出来ます。一方、包囲同盟に入らなければチョンファーレン帝国に滅ぼされるか共に滅ぶかです。これほど利害がはっきりしているのに迷う必要があるでしょうか。ペートル共和国は今、危急存亡の時に立っているのです。閣下はどの選択が必要だと思われますか?」
「ふん。これでは選びようがないではないか。我が国は包囲同盟に入るしかないと云うワケだな」
「それが貴国にとって最も正しい選択であると考えます。
更に大きな利益があります。チョンファーレン帝国との国境問題は貴国に有利に運ぶでしょう。チョンファーレン帝国は周辺国全てから軍事的圧力を同時に受けるのです。如何なる大軍、如何なる軍事的天才が居ようとこれには対抗出来ません。国境は間もなく貴国の影響下に入るでしょう」
「大きな利益だ。うむ、包囲同盟に入るのは良いだろう。しかし、チョンファーレン帝国の国力が弱まるまでには多くの時間が掛かるであろう。そんな悠長な事をしている間に包囲同盟が分裂してしまうのではないか?」
「それは杞憂です。チョンファーレン帝国も軍事・外交両面で包囲同盟切り崩しを掛けてくるでしょうが、それを防ぐ為に包囲同盟は最高司令部を設け、同盟国の連携を助けようとしています」
「なるほど。それも良いだろう。ところで、我が国にはアイギス連邦と同盟を嫌う勢力もある。それらを利益誘導したいのだが、手助け願えるか?」
「どのような物が御所望でしょうか?」
「現金、観光、子息の留学…そう云ったものだな」
「ごもっともです。ご苦労をお察しします。判りました。リストを閣下から頂き次第、出来るだけ対応いたします。それで宜しいでしょうか?」
「助かる。…いいだろう。我が国は包囲同盟に加入する。これから閣議を開き、決定することにする」
「有り難うございます」
「ちなみにキミ、いや大臣の今後の予定は?」
「閣議決定を待ち、次の訪問国に向かいます」
「ヤマタイ自治共和国ですな」
「それはご想像にお任せします。では別室に下がっておりますので」
バレッタが退室したのを確認して、ババチコフは外務大臣ロマンスを呼んだ。
「どう思う?」
「は。実に危険なことだと考えます。包囲同盟に入れば、アイギスの手下としてチョンファーレンと争うことになるでしょう」
「わしもそれを思った。しかし、少なくとも3国が同時に圧力を掛けると云う事なので、我が国だけがその義務を背負うわけではない」
「しかし、閣下。局外中立の方がチョンファーレンにも恩を売ると云う事で、利益は大きいと思いますが」
「中立のままだとチョンファーレンの傲慢は拡大する一方ではないか。インドラ帝国を見たか。バレッタが到着した途端、圧力をかける為に軍隊まで動かす有様だ。こんな国とやってゆけるか」
「しかし、我が軍はチョンファーレンに対抗出来るほどの量と質を持っておりません」
「その為の包囲同盟ではないのか? それにして外務大臣がこの有様では閣議決定はムリか? …そうそう、ロマンス。お前の息子はアイギスで一番の大学に留学したがっていたな。あれ、OKになったよ」
「え。ほ、本当ですか」
「本当だ。バレッタ大臣直々の承認だ。どうだ、包囲同盟も悪くあるまい」
「…全て閣下にお任せいたします」
「結構」
かくして、ペートル共和国も包囲同盟に加入した。




