第3話 「インドラ帝国」
虎の威を借りたキツネは獅子の牙を持っていた。
アイギス連邦に於いて、政府幹部の人事異動が突然発表された。外務大臣に無名の外交官バレッタ・超を起用、同時に特命全権大使(相手国の元首に対して派遣される大使)としてインドラ帝国に派遣する計画が公表された。この異例の動きは各国の関心を呼んだ。
バレッタは外務大臣に就任したものの、チョンファーレン帝国包囲同盟(暗号名は「C包囲同盟」、又は「包囲同盟」)結成に全力を尽くす為、事務の大半を副大臣に任せることにした。一方で、包囲同盟を推進するために情報組織員を中核とするプロジェクトを組織した。プロジェクトリーダーはバレッタであり、業務を報告すべき上司は大統領ただ一人であった。予算は議会に対しても非公開だが推定で100億ダラーを計上している。必要ならば大統領の承認の下、軍の使用も可能とした。
危険を伴う外国での活動を保証するため、専用のシークレットサービス(VSS)を設置した。通称、「バレッタ親衛隊」と呼ばれた。職務内容は国内外に於けるバレッタ大臣の警護、既存の情報組織との連携による情報収集活動、バレッタの副官的職務、バレッタ専用スタイリスト業務にまで及んだ。結団式の際、隊長マールスはバレッタに誓った。
「あなたの安全は我々が名誉に賭けて保証します。我々は例え壁になってでもあなたを守ります」
その言葉はいずれ現実となるだろう。
バレッタが出発するまでの間、外務省はインドラ帝国と大使派遣受け入れの交渉を行っていた。インドラ帝国は特使派遣の真意が読めない為、大使が無名の外交官であることを理由に難色を示した。しかし、最後は親善訪問であると云う事で何とか呑ませた。
いよいよバレッタはインドラ帝国に入った。皇帝カルルは宮殿にバレッタを招き、新任の挨拶を受けた。
「初めてお目に掛かります。アイギス連邦外務大臣バレッタ・超と申します。以後、よろしくお願い致します」
「おお。これはご丁寧な挨拶。こちらこそよろしくお願い申し上げる。わたしはインドラ帝国皇帝カルルです。長旅でお疲れでしょう。今日は歓迎の宴を催しますので、そこでおくつろぎ下さい」
インドラ帝国皇帝カルルは60歳ほどの男性で、頭にターバンを巻き、妙に日焼けした顔をしている。
帝国を先代から引き継いで20年経つが、堅実な政策で定評があり、外交に関してはチョンファーレン帝国との国境争い以外は難の無い政策である。人をよく用いることが出来ると云われている。
「恐縮です。ところで早速ながら、わたしが貴国に参りました理由をご説明いたしたいと存じます」
「重要な事でしょうな」
「勿論です。端的に申し上げれば貴国の運命を左右する事柄です」
「おお。それはどう云った事でしょうか?」
「空港からこの宮殿に参ります間に大河を見ました。そこには陶器のツボと真鍮のツボが並んで流れていました。真鍮のツボはこう云いました。『波が大きく沈みそうだ。もっとわたしに近付きなさい。二人で力を合わせれば大きな浮力で沈むことはないだろう』。すると陶器のツボが云いました。『とんでもない。あなたに近付いたらぶつかって、わたしは割れて沈んでしまうだろう』と。なかなか興味深い光景だと思いましたが、皇帝はどうお考えになりますか?」
皇帝はにやりと笑って答えた。
「…チョンファーレン帝国ですな。あなたの任務は我が国とチョンファーレン帝国の分断と見ましたが、如何かな?」
「ふふ。いや、これは失礼しました。残念ながら、そのような小さな話ではありません」
「すると、どう云う話でしょう?」
「そもそもこのインドラ帝国は人口11億人、常備軍130万人、GDPは世界第11位です。一方、隣国であるチョンファーレン帝国は人口13億人、常備軍230万人、GDPは世界第6位です。人口はチョンファーレン帝国と同等に多く、しかもゼロを発明した民族と云う事で優れた科学者や技術者が極めて豊かです。その国力の可能性はチョンファーレン帝国を上回っています。つまり、二人の皇帝が並んでいるようなものです。しかし、帝国に皇帝が二人居ないように、東アジアに二つの巨大帝国が存在し得ないことは明らかです。どちらかがどちらかを飲み込むことになるでしょう。皇帝はそれがどちらであるべきだとお考えですか?」
自分の帝国が潰れても良いのかね、と云わんばかりの挑発的な質問である。沈着冷静にして温厚と評される皇帝もさすがに色を為した。
「…なんと無礼な事を。生き残るのは我がインドラ帝国だ」
「ならば、生き残るためにどんな政策を行っているのですか?」
「外交ではチョンファーレン帝国との友好維持。それと諸国との友好促進だ。内政では軍事力増強。それに我が国は大量破壊兵器を持っている。国際緊張を起こさず、一方では兵を強くする。我が国の平和は盤石ではないか」
「いいえ。それでは生き残ることは出来ません。いつまでも二人の皇帝を許すと云う事でしょう。チョンファーレン帝国の国力増強は急激です。今は二つのツボは共に陶器かも知れませんが、間もなくチョンファーレン帝国は真鍮となるでしょう。そうなれば彼らは必ず襲いかかってきます。それからでは遅いのです。チョンファーレン帝国の発展がインドラ帝国を滅ぼすのです。その前にチョンファーレン帝国の国力を削ぎ滅ぼすことがインドラ帝国の生き残る唯一の方法なのです」
「無茶なことを言うな。彼らと戦争でもやれと云うのか?相手は大量破壊兵器を持っているんだぞ」
「それは貴国も同様でしょう。それに我がアイギス連邦も保持しています。如何でしょう?我がアイギス連邦が後ろ盾になります。我々と軍事同盟を結び、共にチョンファーレン帝国を弱めませんか?」
「いや。アイギス連邦は遠い。軍事同盟など有事の役には立たないだろう。我々はチョンファーレン帝国を目の前に見ているのだ。火事が起きたときにアイギス連邦まで水をもらいに行ったのでは間に合うはずもあるまい。チョンファーレン帝国とは友好関係を結ぶしかない」
「我が軍は原子力空母を中核とした機動部隊を全世界に配備しています。火事が起きたらすぐ消しに行けますよ」
「チョンファーレン帝国と我々が争ったら、アイギス連邦が漁夫の利をせしめるのではないか?」
「無駄な懸念です。インドラ帝国とアイギス連邦は運命共同体になろうというのですよ。それに何もしなければインドラ帝国がチョンファーレン帝国に飲み込まれるのは時間の問題です。インドラ帝国には既に選択肢など無いのです」
「しかし、チョンファーレン帝国の軍事力は大きい。それを我が国一国で引き受けるのでは叶うはずもあるまい」
「我々はチョンファーレン帝国包囲同盟を構築中です。そう、周囲の国全てを動員するのです。これが完成すれば彼らは最低でも3方向から同時に軍事的脅威を受けることになります。戦略の基本として二正面作戦は避けるとありますが、ましてや三方向からの脅威には如何にチョンファーレン帝国といえども対応する手段はありません」
「なんと。アイギス連邦はそこまで用意しているのか…」
「更に、これは我が大統領の密命ですが、もし貴国がチョンファーレン帝国との国境付近を新たに影響下に置いたとしても、包囲同盟の活動の中であれば、それは認めようとの事です」
「なんと。領土拡張まで認めるというのか」
「如何でしょう、皇帝。何もしなければチョンファーレン帝国に飲み込まれる。チョンファーレン帝国と友好関係を結んでもついには飲み込まれる。だが、アイギス連邦と手を組めばインドラ帝国は東アジアの太陽になる。利害がこれほど明らかなのに何を迷っていらっしゃるのですか。いまこそ、ご決断を」
「判っているが、事は国家の重要問題だ。大臣たちとも図らねばならない。今暫く待ってくれないか?」
「それは構いません。但し、決断が遅れますと情報がチョンファーレン帝国に漏れ、包囲同盟が破られる恐れがあります。ご相談なさる相手は厳しく選んで下さい」
「判った」
皇帝カルルは緊急に会議を開いた。大臣たちはチョンファーレン帝国に買収されており、対決を避ける意見を展開したが、皇帝がバレッタの作戦を説明するに至り、反論する事が出来ず、結局皇帝の提案を認めることとなった。
インドラ帝国が包囲同盟に参加する事は決定した。
その頃、バレッタは迎賓館にあり、バレッタ親衛隊の情報部員から報告を受けていた。盗聴装置は既に取り外しておいた。
「インドラ帝国の大臣5名がチョンファーレン帝国のスパイと接触して、包囲同盟の内容を漏らしたようです」
「判りました。ありがとう」
隊長マールスはバレッタに囁いた。
「閣下。それではまずいことになるのではないですか?」
「いえ。予定通りの好機です。以下、命令である」
「ハッ!」
隊長マールスは直立不動の姿勢をとり、命令を受けた。
「大統領の承認後、直ちに太平洋艦隊司令部に命令。第6機動部隊はインド洋に進出し、第1級非常事態体制を敷け。インドラ帝国の制空権を確保し、チョンファーレン帝国を牽制せよと」
「命令は受領しましたが、戦争を始めるのですか?」
「牽制は戦争ではありません。包囲同盟の情報を得たチョンファーレン帝国はどう行動すると思いますか? それの予防です」
「あ。なるほど、そう云う事ですね」
マールスは命令を実施すべく走り去った。バレッタは席を立って、宮殿にカルル皇帝を訪ねた。
「どうしました、バレッタ大臣」
「陛下。悪いニュースです。貴国の大臣5名が先ほどの秘密会議の内容をチョンファーレン帝国のスパイに漏らしました」
「…そんなバカな!彼らは皆信用のおける人間だ」
「証拠を持参しました。通信記録、会話内容、銀行口座の記録、証拠写真、全て揃っています」
その資料をせわしげにめくりながら、皇帝は苛立った。
「な、なんと云う事だ。彼らは買収されていたのか?」
「処分をお願い致します」
「勿論だ」
「それと、情報によりますとチョンファーレン帝国がこの情報に激怒し、インドラ帝国に軍事的恫喝行動を起こすとの事です」
「そ、それだ。それを恐れていたのだ」
「ふふ。…失礼。陛下、何のための包囲同盟なのですか? こんな時こそ頼りになるのが我がアイギス連邦だと申し上げたばかりではないですか?」
「いや。まァ…そうなんだが。どうする積もりなのだ」
「既に我が機動部隊が貴国を守るために接近中です。200機のステルス戦闘機でお守り致します。まもなく武官が参りますので、貴国との連携防衛行動の打合せを行わせて下さい」
「そ、そうか。判った。全て任そう。いや、頼りになるな、バレッタ大臣」
「ありがとうございます。で、包囲同盟は貴国に於いて承認されたのでしょうか?」
「無論だ。しかもこんなに手際の良い行動を見せてもらったのでは誰も文句を言えまい。包囲同盟の一日も早い完成を期待しているぞ」




