第2話 「アイギス連邦」
世界制覇は「酸っぱいブドウ」ではない。
世界制覇。それは「力こそ全て」と云う人々にとっての最終ゴールである。全世界を思うがママに動かす。全世界に号令する。その美しい響きは、人類が文明を生み出してからの数万年間、常に歴史を支配してきた。
人間の眼は全世界を一望する事が出来ない程に狭い。その手は全世界の土を一度に掴み取ることが出来ない程に小さい。その脚は全世界を一度に踏破する事が出来ない程に短い。しかし、人間は有限の体躯を以て無限の野望を志す存在である。
自分を脅かす者の居ない世界。自分に逆らう者の居ない世界。軽く目配せするだけで全ては意のままに行われる。それは心に平安と満足をもたらす至福の世界であろう。至福の空間を広げるために人間は努力してきた。自分の部屋の広さから始まり、家、村、町、国、そして一望出来ない程に遠くにある外国にまで野望を広げたのだった。
限りある野望など無い。自分に逆らう者は滅ぼし、自分と同じ物を求める者は倒し、奴隷や屍にした彼らを踏みつけて、上に一人立つ事がいわば人類の夢であった。人間の歴史の中で繰り広げられた無数の戦争の大半は野望の投影であり、その結果実際に億万の人間が死に、百倍する人間が王の野望の実現のためにかり出された。更に今もかり出されている。
それほどのエネルギーの消費にも関わらず、世界制覇を成し遂げた人間は歴史上存在しない。始皇帝、チンギス・ハーンと云った有名を馳せた英雄も支配地域は限定されており、文字通りに全世界を支配したわけではない。
さらに、科学文明の進歩で各国の国力は急激に向上しており、独立志向を強める彼らを軍事力で支配下に置くのは困難となっている。
よって、世界制覇と云う言葉は、一つの夢ではあるが既に手の届かなくなった夢であると考えられている。あたかも膨張する宇宙の縁に輝く星の様なものだろう。少なくともアイギス連邦国家安全保障会議議長ポルクスは、その様に考えている。だから、彼がバレッタの言葉を聞いたときには、とまどいと失望が生まれた。「有能な人間だと思ったのだが、ただの誇大妄想狂かハッタリ屋だったのか…」と。
「世界制覇か…。確かに我が国は世界唯一の超大国である。しかし、我が国はそんな物までは必要とはしていないのだ」
答えたポルクスの声は、心なしか、沈んでいたのだ。
これに対して、バレッタは冷たい眼でにらみ返した。
「アイギスの国家指導者たる議長は眼が見えないのでしょうか? 世界唯一の超大国ですって? 既にアイギス連邦は危機の崖っぷちにあります。それに気が付かないのでしょうか? このままではアイギス連邦は早晩独立を失い、他国の支配する所となるでしょう」
彼女の言葉でポルクスの顔色が変わるのには3秒しか要しなかった。
それからの30分間、ポルクスの顔色は赤くなったり青くなったりと信号のようであった。最後は、上気しながらも安堵した表情になり、やっと落ち着いた。
「バレッタ君。キミはやはり私の見込んだ通りの人物だったようだ。キミの提案は極めて重大である。この件は大統領に報告しなければならない」
ポルクスはそう云うと、大統領との面会を早速に準備すべく椅子を蹴って廊下へと飛び出した。と思ったら急にドアから顔を出して、
「バレッタ君。キミはそれまでここで待っていてくれたまえ」
と言い残して足早に去って行った。で、ポルクスは秘書官も残して行った。
「秘書官のアレクトーです。バレッタさん、よろしく」
「こちらこそ。ところでお聞きしたいのですが、我が大統領はどのような方なんでしょうか。わたしはテレビでしか観た事が無いので」
「その質問はごもっともです。我が国の大統領ハデスは近年まれにみるエネルギッシュな大統領です。特に外交に関心が深く、昔から友好関係の深い国々を歴訪しております」
「なるほど。では友好関係の薄い国々には外務大臣が行かれているのでしょうか?」
「いえいえ。そのような国は我が国では重視しておりませんので、どなたも訪問しておりません」
「判りました」
程なく、ポルクスから電話が掛かってきた。大統領の執務室まで来るようにとの連絡だった。
秘書官のアレクトーに導かれて、バレッタは大統領執務室に入った。
重厚な木製のドアが開き、その先には更に重厚な家具と壁面が待ちかまえていた。どんな訪問者もその偉容に怖じ気づくであろうと云った雰囲気である。大統領の机は長さが3m程もある一枚板で作られており、その真ん中に収まっているのがハデス大統領であった。彼はバレッタを見ると立ち上がり、机の前のソファーに招いた。その側にはポルクスが立っていた。アレクトーは一礼してドアを閉め、立ち去った。
「お待ちしていました、バレッタさん。先ずはお掛け下さい」
「大統領閣下、恐縮です。バレッタ・チャオと申します。初めてお目にかかれた栄光に感謝致します」
「早速ですが、ポルクス議長から話がありました。バレッタさんの提案は極めて重要であると。取り敢えずお聞きしましょう」
ハデスは身長2m近くの長身だが、その割には幅がある。顔や手も大きく堂々たる体格である。もじゃもじゃの灰色の髪に赤ら顔と云う、恐ろしげな雰囲気を晒している。
さて、ハデスの云い方は丁重ではあったが、その表情にはちょっと影が差しており、明らかに気乗り薄であることが判る。側近のポルクス議長から話が有ったとき、最初は会おうとはしなかった。バレッタが東洋系の若い女だと云う事が理由である。若い女などに国際社会の機微が判るはずがないと云う考えであった。しかし、自らを英雄と自認している手前、器量の大きい行動をしようと考え直した結果、しぶしぶながらも会うことにしたのだ。
「大統領閣下、有り難うございます。その話をする前に、実は今朝、出勤途中で面白い光景を見ました」
「ほう、それはどんなものですか?」
ハデスは、この意外な切り口にちょっとびっくりした様だったが、冷静な口振りで答えた。
「3匹の野犬が一つのホットドッグを取り合いしているのです。その内の2匹は共に大きく強そうで、残りの1匹だけが小さな犬でした。大きな2匹は激しい戦いを繰り広げ、残りの1匹は怯えながら遠巻きに見ているだけでした。やがて大きな2匹は互いの牙で大きく傷つき、共にがむしゃらに追いながら走り去りました。その後にはホットドッグが残されていました。残りの1匹はそれを一人でせしめて食い尽くしたのです。どうでしょう、なかなか面白い光景だとは思いませんか?」
「ふむ、この話に出てくる犬が我が国を含む3つの国だと云うのですね」
ハデスはにやりと、せせら笑いながら云った。「こんな初歩的な比喩など子供だましだ」と云わんばかりの鼻息である。その鼻息は当初の無関心ぶりを吹っ飛ばしたようだ。
「おお。流石は大統領閣下、お見事です。では例えばアイギス連邦は大きな一匹の犬として、残りの大きな犬と小さな犬はどうでしょう?」
「それは知れた事です。我が国の最大のライバルと目される、チョンファーレン帝国とペートル共和国がそれでしょう」
「アイギス連邦は人口3億人、常備軍150万人、GDPは世界第1位です。一方、大統領閣下がライバルと云われるチョンファーレン帝国は人口13億人、常備軍230万人、GDPは世界第6位。また、ペートル共和国は人口1億4千万人、常備軍100万人、GDPは世界第10位です。軍事力の大きさは経済力に比例します。兵隊の数だけでは国力を知る事は出来ません。チョンファーレン帝国もペートル共和国も恐るるに足りません。大統領閣下はなぜこの様な国々を恐れるのでしょう?」
バレッタは歌でも歌うように、すらすらと列強の国力を示す数字を並べた。ハデスは息を呑んだ。ポルクスは溜息をついた。ハデスはバレッタに反論した。
「その数字は、今現在の物だろう。20年先を考えたまえ。急激な成長を続けているチョンファーレン帝国は我々の背中にたどり着くだろう。そして、我々を抜こうとする。何しろ彼らは世界の覇権を狙っているのだから。それを防ぐ為に我々は彼らと争うことになるだろう。結果、漁夫の利を得るのはかつての超大国であり、いまだに大量破壊兵器を保持しているペートル共和国ではないか。バレッタ君はどうして彼らを軽く見ることが出来るのか」
「それは、チョンファーレン帝国を超える脅威が迫っているからです」
「何? チョンファーレン帝国を超える脅威だと? それはどこだ」
「エウロペ同盟こそ、アイギス連邦の最大の脅威です」
「ははは。何を寝ぼけた事を云っているんだ。あそこは我が国とは遙か昔から友好関係にあり、政治的経済的に不可分である。彼らは我々無しには生きて行けないんだ。しかも小さな国家群であり、つまりは烏合の衆。ちょっと脅しを掛ければすぐに分裂する様な連中だ」
「それではなぜ彼らは同盟を作ったのでしょうか?それはアイギス連邦に対抗するために他なりません。エウロペ同盟は約30カ国の国家同盟であり、共通の通貨を使用しています。人口4億6千万人、常備軍140万人、GDPはアイギス連邦を超えます。烏合の衆とおっしゃいますが主要5カ国だけで全GDPの75%を占め、アイギス連邦の足元に迫ります。しかも科学技術は世界の最高水準で、通常兵器及び大量破壊兵器の開発生産能力も高いのです。言うなれば我が国が二つ存在すると云っても過言ではありません。天に二つの太陽無しと云います。いずれ両国が争うのは時間の問題でしょう。昔からの友好関係と云いますが、利害が極まったとき条約すら1枚の紙切れになってしまうのが国家の関係です。何を以て大統領閣下はチョンファーレン帝国の方が脅威であるとおっしゃるのでしょうか?」
ハデスの赤ら顔が黒く変わった。
「うーむ」
ハデスはバレッタを睨み付けたがキリッとしたその顔に変化はなく、やがてハデスの方が視線を落とした。
「いや、良く判りました、バレッタさん。あなたの考えは正しいかも知れません。いや、正しいでしょう。では、お聞きしますが、我が国はどうすべきだとお考えか?」
「強力な国家は世界の覇権を求めてこそ、その力を維持し続けることが出来ます。覇権を求めない国家は慢心し、腐敗し、結局はその力を失うことになります。アイギス連邦は世界の覇権を求めなければなりません。では、世界の覇権を得るためにはどのような戦略を採るべきか。最大の脅威はエウロペ同盟です。しかし、エウロペ同盟と争っていては次の脅威であるチョンファーレン帝国に漁夫の利を得られてしまいます。ならば、チョンファーレン帝国は他の列強と戦わせるに限ります。彼らを戦わせることにより彼らの力を削ぎ、アイギス連邦が漁夫の利を得るのです」
「そ、そんな事が出来るのか? 可能ならば、これ以上の選択肢は有り得ないが」
「可能です。チョンファーレン帝国包囲同盟を作るのです。チョンファーレン帝国の躍進に脅威を感じる周辺諸国、つまり、東のヤマタイ自治共和国、北と西のペートル共和国、南のインドラ帝国。これらと我が国が軍事同盟を結び、各国が同時にチョンファーレン帝国に軍事的挑発を行い、経済活動に回るべき資本を軍事で消耗させるのです。その結果、東アジアの列強の国力は低下し、我が国の優位は保証されます。
そこで、我が国は全力を以てエウロペ同盟に外交的恫喝を仕掛け、同盟の分断を行います。無駄な軍事力を使わないので我が国は資本を経済活動に使用でき、国力を一層高めることが出来るのです。自らの国を富ませながら、外交で他国を消耗自滅させる。この戦略が実施されるとき、我が国の繁栄は永劫の物となるでしょう」
「…すばらしい。実に素晴らしい。わたしはこれほど完全な大戦略を観た事も聞いたこともない」
ハデスは本心から感動しきっていた。英雄を自認する自分の政治が上手く行かないのに苛立っていた日々だったが、バレッタの計画を聞き、ついに自分の望む物が手に入るのだという実感に触れた。
「バレッタさん、よくぞこの計画を教えてくれた。わたしは砂漠でオアシスにたどり着いた人の気持ちが判った。ポルクス議長。よくぞバレッタさんを紹介してくれた。感謝する」
バレッタは、
「とんでもありません、大統領閣下。全てはこれからです」
ポルクス議長は、
「バレッタさんを推薦した甲斐があったと云うものです。何れにせよ、バレッタさんの云う通りこれからが勝負です」
「うむ、そうだな。バレッタさん、わたしはあなたにこの国の外交を任せたいと考えている。つまり外務大臣だ。良いだろうか?」
「大変な名誉ですが、そんな事が可能なのでしょうか?」
「勿論可能だ。わたしはこの国の最高責任者であり、この国の繁栄に役立つことであれば、それを行う義務がある。どうだ、ポルクス?」
「わたしもバレッタさんの処遇に賛成です」
「バレッタさんの提案するチョンファーレン帝国包囲同盟はバレッタさんの手で作るのが一番良いだろう。能力の高さは既に証明されているし適任と考える。そして成功すれば功績は全てバレッタさんのものとなる。どうだろう?」
「大統領閣下の命令とあれば、喜んで職務を全うします」




