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火出国(ひいずるくに)の姫  作者: 小春日和
封神との出会い
9/30

風穴 9

 水中に引き込まれながらも灼熱を放ち続ける魂は、黒岩の体をさらに焼いた。

 聴覚と視覚を焼失した封神は、それでも怯むことなく赤玉を抑えつける。

 焦りはあった。早くこの魂を鎮めないと本体が熱で溶かされる。亀岩の化身である黒岩のダメージは、元の岩をも同時に痛めつける。巨岩の耐久力は低くはないが、赤玉の火炎はけっして侮れるレベルではなかった。


 たかだか人間に、なぜここまでの高熱が操れるのか。

 神である自分に脅威を与えるほどの能力に、封神は疑問を持つ。これが憤怒から呼び覚まされた力なら、この赤玉の生前にも兆候は出ていただろう。感情の起伏によって発動する火炎の能力。そんなものを内包していたら、人間として普通の生活ができたわけがない。

 黒岩の目標である母子には、そういう特異な人生は与えられていなかったはず。身内に殺されるという不幸で一生を終えたとはいえ、生きている間はありふれた暮らしを営んでいたと、封神は認識している。少なくとも此花からは特殊だったという忠言は聞いていない。

 それでは、この魂は母子のものではないのだろうか。

 いや、と黒岩は早計を制する。

 この破壊力は人間が本来持っているものとは、やはり違うように思う。赤玉は死後にこの能力を手に入れたのではないだろうか。

 どうやって?

 例えば。

 例えば、火の神竜、赤鱗竜と契約を交わして譲り受けた、というような。


 此花が言っていた。母子の怨念は復讐のために赤鱗竜の力を欲している、と。

 この魂が赤鱗竜の力を得た彼女たちのものだとしたら、いま黒岩の身を焦がしているのは、かの竜の猛火そのものとなる。

 不二の噴火によって流れ出る溶岩は1200度。文字通り、岩をも溶かす。


 無理だ。封神はおのれの敗北を実感した。赤鱗竜に対抗できる者などいない。早く封印を諦めてこの魂から離れないと、本体もろとも焼き尽くされてしまう。

 赤玉から離れ、凶悪な熱さから逃れようとした。

 だが今度は、相手のほうが黒岩の元に飛び込んできた。

「逃げるような惨めな人に生きている資格なんかないのよ」

女の嘲笑とともに、さらに盛った炎。その蹂躙を受け、

「っつう……っ!」

封神は身を崩した。

 為す術もなく焼かれる青年の皮膚が黒い炭へと化していく。

 目も耳も利かない状態で、絶体の苦境に陥る。


 死を覚悟した黒岩の頭の中に、突然、幼い子どもの声が響いた。

「赤鱗竜って怖いね」

「どうして? パパに会わせてくれる神さまなのよ。怖がることなんかないわ」

若い女の返事が連なる。

「だって……パパも燃やしちゃう気なんでしょ?」

息子の怯える心に、

「あんなパパ、死ねばいいじゃない」

冷淡に答える母親。


 感覚のほとんどを失った黒岩は、水底に転がって、湖面から上の世界を見上げた。

 知覚できない世界は、本当は闇の中にあるというのに、なぜだかとても明るく感じた。

 透明な蒼い水がどこまでも広がり、あるはずのない太陽が湖上に揺らいでいる。


「亀さんが死んでしまっても問題ない」。女神はずいぶんと酷いことを言っていた。「わたくしが害されたら大事になるわ」。そう説かれて納得せざるを得なかったから、身代わりになってやったというのに。

 くす、と黒岩は微笑(わら)った。たしかに此花は大事にしてやらなければならない。これほどの強力な赤鱗竜の力をコントロールできる、唯一の存在なのだから。

 その代わりに自分が犠牲になることは、大した損失ではない。

 ただ、それなら「亀さんが死んでしまったら、わたくしが気に病む」と言った女神の記憶から消えてやりたいと思った。矮小な自分が彼女の中に残ることは相応しくない。


 太陽がゆっくりとうねりを見せた。真紅の輝きが長い軌跡を描いている。

 まるで赤鱗竜だ。上空を移動している。

 封神の幻惑かと思われたこの明瞭な風景は、妙なリアリティを持っていた。

「あの子は普段は地下に棲んでいるもの」。此花の言葉を思い出す。


「赤鱗竜は、やっぱり悪いやつだよ」

また幼児の声が聞こえた。

「ママに鱗を渡したのだって、ママの言うことを聞いてくれたわけじゃないんだ。だって、ママはパパを殺しちゃいたいって言っただけだもん。その人まで燃やしちゃうのは、ママが赤鱗竜にそう言われてるからでしょ?」

「その男は私たちの邪魔をしようとしたの!」

母親が黒岩に向かって唾棄を放る。

「そんな人は死んじゃって当然なのよ」

「ママは神さまじゃないよ」

息子の鋭い言葉に、反論を詰まらせる母。

「そんなことをママが決めちゃうのは間違ってると思う」

母子の会話が黒岩の周囲を飛び交う。


 赤鱗竜の鱗を渡された。【佐々木陽介】はそう言った。それが母子と赤鱗竜の間に契約が結ばれた証だったのだ。

 けれどおかしい。落ちそうになる意識を必死で繋ぎ止めて、封神はくすぶる違和感を熟思した。

 【佐々木陽介】と【佐々木雅子】の母子は赤鱗竜の力を受け取った。つまり、人間である彼女たちは、神である神竜の配下に下ったということだ。猛る性質を持つ神は、自分より格下の相手に慈悲を施すことなどないのだから。

 ならば当然、母子は支配者の赤鱗竜に対して絶対の服従を約されているはず。

 だが現実、陽介は、かの竜に殉じてはいない。「赤鱗竜は悪いやつ」と、竜神の棲家であるこの地下世界で憚ることもなく口にしている。母の雅子にしても、反抗的な子に対して、強制の姿勢を押しつける雰囲気はない。

 赤鱗竜はこの母子に、契約という手順も踏まず、無秩序に力を分けたのだろうか。

 なぜ?


 噂に聞く赤鱗竜は貪欲に生命を摂取する存在だった。餌となるのは高次の精神を持つ生命体、つまり人間である。

 陽介、雅子の母子におのれの火の力を与えて放出すれば、彼らは復讐のために、今後、地上の父親の元に赴くだろう。

 この高熱を発する魂のまま。

 結果はわかりきったことだ。1200度もの地獄の劫火が地上を闊歩するのである。赤鱗竜の火炎は人間界の至るところで発火する。

 長い期間、生命の搾取を抑えられていた竜神にとって、自分の分身が多くの人間を殺してくれる絶好の機会となるのだ。


「駄目だ。行かせられない」。赤鱗竜の思惑を汲み取った黒岩は、母子の復讐にどうしてもストップをかけなければならない立場に追いやられた。

 このまま陽介と雅子を放してしまえば、地上に出たとたん、彼らは殺戮を重ねる羽目になる。それに、赤鱗竜にとっては二人の復讐などどうでもいいこだわりに過ぎない。もしかしたら、適当な頃合いを見て、彼らの魂まで食い散らかしてしまうつもりなのかもしれない。

 そしてなにより。

 この地下空間から飛び出した母子が一番に標的にするのは、入り口で待つ此花なのである。


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