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火出国(ひいずるくに)の姫  作者: 小春日和
封神との出会い
8/30

風穴 8

 足元を伝う低周波の蠕動と、盛んに身体を掠める飛翔物たち。

 視界の効かない中で取り囲むそれらに、黒岩はあまりいい感情を持たなかった。むしろ、一方的に嬲ろうとする悪意さえ汲み取れる。

 耳のそばで嘲笑じみた声を響かせた個体が、封神の広い背に、からかうようにぶつかった。今度は反対方向から、顔に向かっての投擲が繰り出される。

 捕まえようと手を伸ばしても、目に映らないものを捕獲するのは難しい。

 おぼつかない動きを見せる黒岩の指先三寸のところを、馬鹿にしたような風圧が舞い踊った。


 恐らくは微細な悪霊の類だろう。此花は、この樹海で死んだ人間は未だに後悔を続けている、と言っていた。そういう未練がましい魂が、浄化を拒んで、この地底の国に居着いてしまったのだと思われる。

 調子づき活発になる彼らに、封神は面白くなさそうに、

「小賢しいって」

と呟いた。

 おのれと神の力量の差も測れない卑賤の者たち。数を頼んでなお小手先のだまし討ちしかできない低級な人霊。


 闇に紛れることで優位を確立していたそれらに向かって、黒岩は、浸かっていた地底湖の水面を蹴り上げた。

 きらきらと白い飛沫が宙に散乱し、水滴の中に悪鬼たちの姿をあぶり出す。


 水を始めとした、映したものを正確に返す、鏡、という道具。その起源は、現在の錫や水銀といった金属ではなく、水面や研磨した石であった。

 肉眼では見えないが、確実にその場にいる霊や魔を見つけ出すための呪具。

 岩の神である黒岩は、もともと岩石から加工されたこのアイテムを使う能力も、達者とは言えないながら、持ち合わせていた。

 彼の動体視力や認識能力と合わせれば、映り込んだ怨霊の位置を正確に把握するのは容易い。


 蹴球ほどの大きさの白い玉が、尾を引いて封神に突っ込んできていた。表層に浮かぶ顔には愉悦が潜んでいる。

 それを難なく(かわ)した黒岩。

 周囲の同様の魂たちが、一斉にざわついた。

 見えている。悟られている。優勢を信じて疑わなかったそれらに動揺が走る。

 その只中に跳躍する封神。


 相手の数はざっと120。

 湖中に着地した長身の青年は、再び大きく舞い上がった水飛沫(みずしぶき)の中に、母子の魂を見出そうと腐心した。ここにいる人霊には、よく見ると様々な特徴がある。それを的確に識別できれば、彼女たちを特定することも可能だろう。

 人霊たちの多くは、白、または黄みがかかった小ぶりな球状で現れていた。その表面には、くっきりと顔の浮かぶものもあれば、皺の造作でかろうじてそう見える程度の人相もある。どうやら執念の強さによって個体差が出来上がっているらしい。表情が苛烈なものほど、造詣が際立っているからだ。

 母子はどうだろうか。他者によって強制的に命を絶たれた彼女たちは、この連中の誰よりも恨みが深くても不思議ではない。だとすれば憎々しさが際立つ表情をしているはず。

 黒岩は再び跳ぶと、今度は着地と同時に、すぐ脇にあった赤い魂を鷲掴んだ。色味が強いのも母子の可能性を濃くしている気がする。


 だが、思わぬ灼熱の洗礼が封神を襲った。

「あちっ!」

じゅうっという音を立てて焼かれた掌から、黒岩は慌てて赤い玉を振り落とす。

「こいつ、火の塊なのか」

 岩石の神である封神は、外からの刺激には鈍感なまでに強靭であった。けれど、いま接触した魂は、その岩神でさえ耐え難いほどの高熱を発していた。まるで溶岩の塊だ。

 迂闊に手を出せないと知った黒岩は、戻った闇の中、膠着した空気に五感を張り巡らせながら、次手を練る。


 劫火を閉じ込めた玉。けれどそれは本物の炎ではない。この暗がりを照らす光を伴っていないからだ。

 人間の烈火の如き憤怒が、その特異性を放っているのだろうか。

 頭に血が上っている輩を宥めるには。

「水でもぶっかければ扱いやすくなる、か」


 黒岩は一計を案じた。身の安全を捨てて火炎の魂に食らいつき、足元の地底湖に沈めて冷やす。

 もしかしたら、猛火は鎮まる前に封神の体を焼き尽くすかもしれない。

 ぞくっとした怖気が青年の背を駆け上がったが、「俺で扱えない霊魂なら、この先、誰が挑戦しても封じることは無理だろう」との結論にいたって、気力を立たせる。

「お嬢なら確実に黒焦げだったな」

むしろ、この場所で厄介な地霊と相対したのが此花ではなく自分でよかった、とさえ思った。


 膝を曲げて、封神はもう一度空中に身を躍らせる。視界にのみ頼るのはやめた。皮膚の感知するわずかな熱。それを全感覚で追う。

 距離2メートルを残した位置に着地し、派手に上がった水柱で赤玉の存在を確認してから。

 組みつく。

 熱い。

 とてつもなく、熱い。

 岩神の頑強な表皮を数瞬で突き破った相手の炎は、皮下から肉を焼き、血管を駆け上り、内蔵を溶かした。

 脳を熱で炙られた青年は、半分意識を飛ばしながら、紅蓮の魂を道連れに、水中に没する。


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