風穴 6
再び高速道路に戻った黒岩と此花は、今度は暴走を繰り返していた車を乗っ取っていた。
「こういうことができるなら、なんで最初に言わないのよ」
憤慨気味に運転席の黒岩へ噛みつく助手席の女神に、封神は、
「他力本願を覚えると、ろくな大人にならないからな」
と諌めた。
本来の運転手の肉体は、魂を封じられて、今は後部座席で転がっている。
封印を能力の主とする神がいる。此花に黒岩のことをそう伝えたのは、彼女の父【大山津見】の元をたびたび訪れる、風来の神だった。
「【須久那】のおじさまっていって、お体は小さいのに、とても博識で、空を飛ぶ船を持っていらっしゃる方なの。たまに遊永の上も飛んでいるのよ。見たことある?」
聞かれて、黒岩はぼんやりとした記憶を拾った。
「たしか300年ぐらい前に」
「亀さんと話していると、わたくしも老けそうだわ」
女神は溜息をついて肩をすくめた。
「おじさまが最後に遊永を通ったのは67年前よ」
寿命80年の人間から見れば、どっちもどっちの気長な話である。
【須久那】は、遊永の封神のことを、豊都の玄武にも匹敵するほどの能力者だと紹介したらしい。
此花は、隣で形ばかりのハンドル操作をする青年を見上げて、続ける。
「玄武って、その気になれば日本中の霊魂を封じることができるって言うわ。亀さんも、もしかしてそんなことができちゃったりするの?」
「100年ぐらいかければ」
正直に答えた黒岩だったが、女神は不満そうに、
「亀さんの時間感覚で考えないでよね」
と口を尖らせた。
封印の強さ自体は玄武にも劣っていないと自負する黒岩だが、彼の対象は単体に対してしか発揮されない。話に聞く玄武の能力は一度で広範囲に及ぶという。やはり四神に比較されうるものではない。
だが、此花が黒岩に依頼してきたのは、母子……たかだか二人の封印だったはずだ。玄武ほどの能力を欲する意味がわからない。封神は真意を問う。
「お嬢は俺に本当は何をやらせたいんだ?」
「えっとね」
女神は上向いて天井を見つめると、ちょっとバツが悪そうに苦笑いをして、言った。
「人間の悪心を一つ一つ相手していくのって面倒じゃない。だから、いっそ赤鱗竜を封じてくれないかなあ、なんて」
「職務放棄だろ、それ」
赤鱗竜あっての【このはな姫】だという自覚が欠如している此花に、何度目かの呆れ顔を返す黒岩。
と同時に密かな冷や汗もかく。あの不二を何度も山体崩壊させてきたほどのエネルギーを持つ赤鱗竜を封じるなど、おそらく玄武でも無理だろう。
竜神と、それにまつわる輝夜神宮の女神たちが、神の間でも別格に扱われている理由、それは、神々にとっても赤鱗竜が化物と認識されているからだ。
隣で眠そうに目をこすり始めた少女をちらりと一瞥し、封神の青年は視線を前に戻した。
所作の一つ一つがどうにも人間臭い女神。もっと言えば、神として必要な能力や体力などをまったく備えていないように見える。凶悪な火の神竜とのコミュニケーションに特化するあまり、それ以外の要素をすべて失くしてしまったのだろうか。
人間ではない、ということはわかっている。黒岩を迎えに来たとき、二日間も、雨ざらしの中、封神の目覚めを待っていられた。それにあの変態チックなコスプレの趣味も、手荷物など持たない彼女には、特殊な力でもない限り発動するのは無理だろう。
だが、たかが人間の暴行に対して怯える様や、疲労からの睡眠を欲する様など、神が示すはずのない感覚を有しているのも事実だ。黒岩も眠りはするが、それは疲れたからではなく、退屈だからである。
「お嬢はもしかして人間が混じっているのか?」
座席を倒していそいそと居眠りの準備に入り始めた此花に、黒岩は聞く。生前に大きな成功を収めた人間の中には、死んだ後に神格が与えられることがままあるからだ。
「わたくしは生まれつき神よ」
素っ気なく答えて、女神は、黒岩に背を向けて転がった。
「不二に着いたら起こして」
自分で招いた客人である青年に労働を任せ、高飛車に命じる。
輝夜神宮の祭神というプライドの高さが、どうしてもかいま見えてしまう此花。そういう態度に面白くないものを感じる黒岩ではあったが、いちいち噛みつくのも大人気ないと思って、文句を引っ込める。
すう、と安らかな寝息が聞こえた頃。
突然、女神の思念が流れ込んできた。「亀さんが悪いんだから」。
わけがわからず、隣の少女の無防備な横顔を眺める。
すると、此花の夢なのだろうか、強いイメージが頭の中に浮かんだ。
彼女が連れ回されていた先刻のRV車の中。身を縮める少女に、醜く興奮した様子の脱色髪の要望が飛ぶ。
「もっかい言って! いまの台詞、もっかい言って!」
困って口ごもる女神。
「何を言ったんだ、お嬢?」。黒岩も思念で此花に質問を返した。どうも、あの二人組の男が豹変したのは、少女が何かを口走ったかららしい。
誘導されたように、イメージが少し前の情景を結ぶ。
RV車のフロントガラス越し。多くの車が高速道路を行き交う中、俊敏な黒い動物のようなものが通行車の屋根を渡っていく。黒岩だった。
「あ」
女神は、先行してどんどん距離を離していく同行者に、焦った。そして、
「先にいっちゃダメ……っ」
と叫んだ。
「ねえ、お願い。亀さんを抜いて。わたくしのほうが遅れてしまうわ。先にいかせて」
「亀さんのせいだもん」。寝ながらでも黒岩を非難する此花に、封神は肩を震わせて笑いをこらえた。
「とりあえず、俺のことを、亀、って呼ぶのはやめたほうがいいんじゃないか」。なんとか気を取り直して助言する。
「だったら……黒岩?」。確認を求める女神に、
「さん付けな」と強制すると、
「……じゃあ亀さんでいい」。少女はむきになって呼称を戻した。
寝入っているはずの顔には、うっすらと朱が差している。