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火出国(ひいずるくに)の姫  作者: 小春日和
【瓊々杵】の謀略
23/30

海底宮 6

 【瓊々杵(ににぎ)】が最初に此花に劣情を向けたのは、少女にまだ何の知識もない無垢な幼児の頃だった。

 当時、【瓊々杵】は姉の【磐長(いわなが)】との結婚生活を破綻なく続けていた。そのため此花も【瓊々杵】に対して警戒を持つことなく、「お兄さま」と呼んで親しんでいた。

 そんな最中のある日、無邪気に義兄と戯れていた幼女は、不安定に鋭くなるおのれの感能力によって、【瓊々杵】の邪心を読み取ってしまったのだ。

 信頼と安心を委ねていた男神の頭の中にいた自分は、不自然に蠱惑的に成長し、あられもない姿で【瓊々杵】と睦み合っていた。

 だがあまりにも幼かった此花には、そのときは義兄の求めるイメージの意味がよくわからなかった。

 真実に行き当たったのは、【磐長】が離婚の際に言った一言があったからだった。「此花は子どもの頃から手癖の悪い女だったわ」。【瓊々杵】の妹に対する妄想に少なからず触れてきた姉には、元夫が創り上げた一方的な邪念を実際の少女に重ねてしまった部分があるのだろう。

 姉と結婚していた義兄に淫らな夢想をされていたという事実。

 純真だった女神にとっては、その瞬間から【瓊々杵】は忌むべき相手と成り下がってしまった。


 そんな男神の妻になりたいなどと、本当は口が裂けても言えるはずはなかった【このはな姫】。


「わたくしが……」

三度目の繰り言に走ろうとした女神を、【建雷命(たけみかづち)】の大音声(だいおんじょう)が遮った。

「それは本心からか、【このはな姫】?」

条件反射のように頷く此花。

「はい。だから【良来(らく)】を放していただけないでしょうか?」


 此花が生理的な嫌悪感を抱く一方で、男女には不浄の繋がりがあるという(ことわり)を知っている【瓊々杵】は、【このはな姫】の感情を理解できなかった。それどころか、実力者【大山津見(おおやまつみ)】の気分を害してまで彼女に求愛を重ねる自分の努力がなぜ報われないのかと嘆いていた。


 だから此花の申し出は、本当の意図がどうであれ、【瓊々杵】にとっては飛び上がるほどに歓喜を誘うものだったのだ。


「まあいいではないか。たとえ多少の思惑があろうとも、やっと姫は私を受け入れて下さったのだ。本心はこれから私の神殿にお連れしてじっくりお話しすればよい」

【建雷命】のこだわりを一笑に付し、目尻を下げて愛しい少女に抱擁を繰り返す【瓊々杵】。


 その行為に対しても、此花は何の反応も示さずにただされるがままになっている。


 雷神は眼前の異様な光景に女神の不実さを感じ取った。少女の態度は自己保身のための虚飾を演じているだけのように見える。たかだか女官一人のために身を投げ打っている自分を哀れんでほしい、という下心があるのではないか。

 【建雷命】は、此花の本音を揺さぶろうとして、手にしていた【良来】を女神の目の前に捨て落とした。もしも少女が詭弁を弄しているのなら、さも自分は慈悲深いのだというように女官に(すが)りついて見せるだろう。

 だが此花は、【瓊々杵】と同様に、【良来】にすらまったく視線を動かさなかった。すべての刺激から心を遮断してしまっているようだ。


 巨大な体躯を丸めるようにして少女の前に膝をついた凶神は、女神の細い両手首を乱暴に掴み取った。

「痛い……っ」

反射的に逃れようとした此花を、またも雷神の痛撃が見舞う。白く発光した女神は身体を激しく仰け反らせて甲高い悲鳴を上げた。

 加虐性に火がついたのか、朦朧とした少女の手首を引っ張り上げて、崩れ落ちる自由を妨げる【建雷命】。

 その前でさらに女神は、

「ら……【良来】を助けてください……」

と懇願を重ねる。


「あまり乱暴なことをするでない。死んでしまったらどうするのだ」

いまさらのように慌てた【瓊々杵】が割って入った。

「【このはな姫】は他の女と違って脆いのだ。人間と同じように扱ってやらねばならぬ」

「また面倒な女神に執心したものだ」

盟友にさえ愚弄とも取れる言葉を投げつけた雷神は、興味を失ったように此花を放した。

 【瓊々杵】は短絡的に【建雷命】に協力を頼んだことを後悔し始めていた。この凶神さえいれば、いつまでも袖を振らない想い人を強硬な手段で拉致できると踏んだのだが、雷神は、思いの外、残虐性が酷くて扱いづらい。付き添いの女官など一瞬で(くび)り殺して早くこの宮殿から出てくれればいいものを、ぐずぐずといつまでも甚振(いたぶ)っている。

 とりあえず、【このはな姫】にこれ以上の害が及ばないように、

「この姫は貴重なのだ。他の女神は、元が人間の私から見るとどうにも逞しすぎるが、これぐらいの繊細な姫ならば釣り合う。代わりを見つけることは叶わぬ存在なのだ。だから無用な手出しをしないでもらいたい」

と牽制した【瓊々杵】は、

「そんなことよりも、早く女官を始末して我が神殿に戻るぞ」

と未来の妻の祈りを無視して、闘神にそう促した。

 【建雷命】が巨体をのっそりと立ち上げる。


 【良来】の首にかかった凶神の指。それがじわじわと力を込めていく。

 末期の女官の喉から笛のような呼気が漏れた。

 血に塗れた顔面から魚のような眼玉が覗く。

 そして。

 断末魔の雄叫びを上げた【良来】の口から、細い(もり)状に変化した舌が飛び出し、【建雷命】の左目を抉った。


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