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火出国(ひいずるくに)の姫  作者: 小春日和
【瓊々杵】の謀略
20/30

海底宮 3

「なんという格好をなさっているのです!?」

女神の姿に驚愕したような怒声に、此花こそ、

「ひゃあ!」

と全身を飛び上がらせた。

 誰もいないと思っていた自分の居室。その入り口の扉の向こうに、ふくよかな体型をした女官がでんと立っていたのだ。

「【このはな姫】ともあろうものがはしたない! すぐにお召し替えをなさい!」

金切り声を上げる彼女は、此花の世話役をしている【良来(らく)】であった。少女の乳母も務めた古参の女官で、此花にとっては母親代わりの存在でもある。

 人間の服飾で言えばスカートに当たる()が、【良来】の下半身を鮮やかな緑で彩っていた。その上に重ねた丈長の上着、(ほう)、にもセンスのいい明るい灰色が使われている。外見はもう四〇を超えているが、その若い洒落っ気とかつての美貌を彷彿とさせる顔立ちは、美麗な少女である此花の側仕えに相応しい身なりだった。

 もう少し痩せていれば、だが。


 人間で言えば平均的な身長を持つ此花。その女神よりも若干低い背丈の女官は、逞しい上腕と背筋を有する、女ながらに力自慢の警衛でもあった。

 【磐長(いわなが)姫】との離婚後、此花への婚姻に新たな熱意をたぎらせた【瓊々杵(ににぎ)】は、ともすると、周囲の目を盗んで強引に女神に言い寄ることがあった。優柔不断な姿勢を見せる此花に直談判をすれば与し易い、と踏んでいるのだろう。

 父、【大山津見(おおやまつみ)】のほうで出入りを禁止してしまうことも何度か案として出されたのだが、性根が腐っていても【瓊々杵】はすでに名のある神々と同盟関係を深くしている男であった。自らも権力が肥大化している【大山津見】にとって、迂闊な対応は戦乱すら招きかねない相手なのだ。

 それに、男神の求婚は本来積極的なほうが正しいとされている。此花に熱愛をアピールすることと、さらに野心家で多大な功績を残していること。【瓊々杵】を退ける理由が、むしろ父神にはないのである。強いて言うなら、娘の【このはな姫】が彼を拒絶していることぐらいだろう。

 表立って【瓊々杵】への対応策を立てられない【大山津見】は、それでも娘の意向を最大限に汲もうとしてくれた。その一端が【良来】の鍛錬である。少女を実の娘のように可愛く思っている女官は、優雅さを欠くにも厭うことなく、自らの肉体を闘神へと変化させて、此花を衛ろうとしているのだった。


 豊かなドレープを描く白い裳に、薄桃の袍を受け取った女神は、

「ちゃんと下の物をお脱ぎなさい!」

と叱りつける【良来】に、

「すぐに帰るのだから、この上からでいいでしょう?」

と言い訳して、水着の上から古代衣装を(まと)いつけた。

 衣の柔らかな色合いが、清涼感を醸していた此花の白い肌に、わずかな艶めかしさを与える。

 けれど紅の帯紐で上着を整えた女神は、

「歩きにくいのよね、これ」

足に絡みつく喪の裾をばさばさと足蹴にしながら、その風情を台無しにした。


 長い髪をひとまとめにし、奥のスペースへと向かう少女。女官たちの寝所のみの居室とは違い、此花のプライベート空間は三つの部屋に分かれている。

 一つ目の、【良来】が迎え入れたこの場所は、小ぶりながら来客にも対応できるように設えられた応接の間であった。普段は物のない畳敷きの和室であるが、来客時には女官が座具やら卓やらを用意してくれる。

 その応接の間から直接繋がっているのが、今回の目的の書屋(しょおく)であった。日本中から取り寄せた赤鱗竜に関する資料が収まっている、書棚だらけの部屋である。


 人間の信仰により此花が不二山の守護神となってから。

 【大山津見】は各地の智賢に長けた神を頼って赤鱗竜の話を集めた。実態の知れない竜神が万一にも娘を害してしまわないようにと気遣ったのだ。

 中には怪しげな口伝等も混じっているが、大方のそれは女神の責務を大いに助けた。赤鱗竜が人間の生命を好物にしていること、普段は地下に棲んでいること。もしこの資料の束がなかったら、輝夜神宮の境内で途方に暮れたまま年月を過ごさなければならないところだった。

 不二が最後に噴火を起こしたのは一七〇七年。そこから三〇〇年もの間、赤鱗竜が沈黙を続けた理由。それが、

「目を失って身動きが取れなくなったからだとしたら、あの子に目を返しちゃうわけには行かないわ」

此花の予想通りだったとしたら、まかり間違って赤鱗竜が眼球を取り戻してしまう前に、女神のほうで探し出して押さえておかなければならない。

 少女は当時の噴火の様子を綴った書物を手に取る。


 もっとも奥に位置する寝所で布団に横たわりながらページを繰っていた此花は、一晩中響く【良来】の忙しない足音に、

「何をしているのかしら?」

と起き出した。

 考えてみれば、いくら側仕えとはいえ、部屋の主がいないときに出入りしているのも変である。

 応接の間に顔を出した女神は、そこで落ち着きなく立ったり座ったりを繰り返す女官に問いかけた。

「どうしたの? 【良来】ももう休んだら良いのに」

すると豪腕の元乳母は、少女に近寄って耳打ちした。

「いらっしゃるのでございますよ」

 意味がわからない此花は、

「誰が?」

と尋ね返す。

 そして、【良来】から答えをもらう前に、招かれざる来訪者がこの宮殿に逗留している可能性に思い至った。

「嘘……。に、【瓊々杵】さまが……?」

よりによって、かの男神と滞在のタイミングを合わせてしまったらしい。

 【良来】と同じく、こちらも落ち着きをなくした女神は、視線を盛んに入り口に彷徨わせた。いまにも扉が開いて【瓊々杵】の垂れた目尻が覗きそうであった。

 そんな此花への同情を、眉を寄せて表現した女官は、

「姫さまが脅えると可哀想なので黙っていました。けれど安心なさいませ。この【良来】がこうして番をしていますゆえ」

とことさらに強い口調で請け負った。


 袋小路の寝所に篭ることを恐れて、すぐ逃げ出せる応接の間に布団を持ち込んだ少女。

 【良来】はいつまで経っても子どものような仕草が抜け切らない此花に目を細めながら、

「そんなに警戒しなくても大丈夫ですよ。それに、今回はもしかしたら【このはな姫】さまへの用ではなく、【磐長姫】さまに吉報を持っていらしたのかも知れませんし」

と、【瓊々杵】が訪問した意図について予想を語った。

「【瓊々杵】さまには同行者がいるのです。非常に猛々しい若い男神で、いままでお連れになったことのない方でした。お二人で【大山津見】さまに謁見された後、【磐長姫】さまのお部屋に入って行かれたのです。【瓊々杵】さまは、あの男神さまを【磐長姫】さまの新しい夫に推薦するつもりなのかも知れません」


 【瓊々杵】が来訪するたびに不機嫌になって此花に当たり散らす姉。もし再婚が成ったなら、そのヒステリーからは解放される。

「ぜひ賛成だわ、そのお話!」

自己都合一〇〇パーセントの期待を漏らした少女は、

「そ、その男神ってどんな方なのかしら?」

と慌てて取り繕った。

 【良来】は微笑みながら答える。【良来】にとっても、娘同様の此花の懸念が減ることは嬉しい。

「まるで岩のように大きな方ですわ。凄まじいほどの筋肉質で、でもお顔は涼やかで整っておられました。隣にいた【瓊々杵】さまが貧相に見えたこと」

思わず本心がこぼれ出た女官は、自らが育てた此花と同じような赤面を浮かべながら、

「に、【瓊々杵】さまももう少しなんですけどね」

と言い繕った。

 心では母子として繋がっている彼女たちは、お互いに顔を見合わせて、笑い合う。


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