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火出国(ひいずるくに)の姫  作者: 小春日和
【瓊々杵】の謀略
18/30

海底宮 1

長丁場になりそうなので、新章の始めに前章のあらすじを置かせていただきます。


【前章のあらすじ】

不二山より数百キロ離れた地で穏やかな余生を送っていた封印の神の化身、黒岩は、赤鱗竜の力を欲しがっている怨霊がいるので封じてほしいと此花から頼まれる。行動の非常識な少女神に呆れつつも、頼りない彼女に協力を余儀なくされていく封神の青年。不二の樹海にある風穴の奥、怨霊封じに向かった黒岩は、そこで赤鱗竜自体と遭遇してしまい、死闘を繰り広げる羽目になる。その結果、なんとか怨霊封じに成功し、此花の信頼をも勝ち取った封神だったが、赤鱗竜に焼かれた体を無理やり再生したために、見た目と能力が子どもにランク落ちしてしまう。


 志津(しづ)半島の北東に位置する阿那海(あだみ)市。不二山からほど近いここは、温泉と海水浴場を名物としたのんびりとした土地だった。

 白砂の広がる浜には、晩秋の、しかも深夜という時間帯のためか、人の姿はない。そんな中、純白のワンピース型の水着を来た少女が、冷たい水温を厭いもせずに海へと潜って行く。

 夜に沈む水の世界の中ですら一際目立つ、深紫を帯びた漆黒の髪。細身ながらメリハリの効いたボディラインと、清涼感のある透くような肌。此花だった。

 濃紺の海中にあるその相貌は、一見すると、冷たい印象を与えかねないほど整っている。だが、まだ一七、一八ほどの年代に相応しく、ときおり、つと周囲に流した視線には、闇の空間への不安が見え隠れした。


 そんな女神の右手、ゆるっとした動きで近づく大きな影があった。

 深い皺を持つ老人の顔、肉厚の手脚、そして背中には甲羅。この辺り一帯を縄張りとしている亀の姿の神獣、【負亀(ふき)】だ。

 【負亀】は此花に並んでつくと、老いを感じさせるしわがれた声で女神に語りかけた。

「我に乗らずに宮殿まで行こうとしていなさるのか、姫?」

「すぐに不二に帰るつもりだもの。【負亀】のお爺さまを呼ぶまでもなかったの」

泳ぐ速度を緩めた此花は、同時にゆっくりになった【負亀】の顔に手を添えて、続けた。

「わたくしだって、もう里帰りぐらい一人でできるわ」


 女神を幼少期から知る神獣、【負亀】。

 此花の父、【大山津見(おおやまつみ)】の棲家である阿那海沖の海底宮殿は、一〇〇〇年の昔には人間がたまに紛れたこともあるほど浜から近しい場所にあった。だが目印のない深海にひっそりと建っているために、到達するのは意外な困難をもたらす。宮殿への水先案内を務めるのが、海の神獣【負亀】の仕事であった。

 しかしその自分に連絡も取らずにこっそりと実家に戻ろうとした女神。、老いた神獣はその風貌に似合わぬいじけっぷりを披露する。

「姫は我が必要ないと言われるか。その昔、はるか南のニルヤの神殿まで迷い込んだ姫を迎えに行ったときのことをお忘れか?」

「それはもう一〇〇年も前のことではないの。わたくしだって成長しているのです」

此花はバツが悪そうに俯いて反論しながらも、

「どうして亀ってこうも昔話が得意なのかしら……」

とこっそり毒づいた。

 幼い日の女神が道を間違えて、ひたすらに遠い沖泡(おきあわ)県の沖合の神域まで到達してしまった、事故。父の【大山津見】からは「方向音痴にも程がある」と叱られたあのとき、ニルヤまで此花を迎えに来てくれたのは【負亀】だった。必死で心細さと戦っていた幼女は、見慣れた亀の姿が目に入ったとたんに号泣して飛びついたのだ。

 【負亀】にとってもその印象は酷く鮮烈に残ったようで、それ以降、此花が一人で海中をうろつくときは必ずそばで目を光らせるようになった。口うるさいながら、女神にとっては面倒見のいい祖父のような立場である。


 【負亀】の正体は定かにはされていない。神獣、という種類の神は、もともと発祥が不明なものが多い。死した動物の念が集まってできたもの、とも、人の中で人への転生を望まぬ魂が変化したもの、とも言われる。

 幼かった此花を甲羅に乗せながら【負亀】が語った幾つかの昔話。その中には海底にできた洞を墓場とする亀たちの描写が数多に混在していた。だからもしかしたら、【負亀】はそういう獣霊の化身であるのかもしれない。


 女神の故郷の海底宮殿は、別名、竜宮城、とも呼ばれていた。いまは迷いこむ人間もいなくなったが、かつてどういう偶然からか辿り着いた者たちが、そのあまりの雅やかさに冠した愛称である。

 石造りの頑強な建物は、洗練されていながら、潮流や海底の隆起などにもびくともしないほど耐震構造に優れている。長い回廊には和の国らしく青畳が敷き詰められ、女官たちは優雅な()の上に色彩豊かな(ほう)を重ねた古代衣装を纏っていた。水中ではあるが、溶け込んだ大気が濃密なため、人間でも呼吸に不自由することはない。溺れることのない神たちにとっても酸素バーのような活力を与える空間であった。

 だが此花は、竜、とつく宮殿の名があまり好きではなかった。

「せっかく赤鱗竜から離れるのに、よりによって、竜宮、だなんて縁起が悪いわ」

言葉尻を捉えてみみっちい愚痴を放つ女神の横で、【負亀】も、

「まったくその通り」

と賛同した。

「人間たちはあろうことか、やつらが創り上げた竜宮の物語の中で、我が人間の子どもごときにいじめられていたという下りを入れておる。浦島だかなんだか知らぬが、そのような男を引き立てるためにこの【負亀】を貶めるとは言語道断。腹が立ったので、後の世で物語の最後をバッドエンドに変えてやったわ」

轟々と人間の文化を非難する【負亀】に、此花は、

「……【負亀】のお爺さまは心が狭いと思うわ」

おのれよりもずっと狭量をさらけ出す神獣に、そっと溜息をついた。


 【負亀】とともに海底宮殿へとまっすぐに下降していく少女。

「今回の里帰りは何とした用か?」

亀の神に聞かれて、ちょっと上目遣いに考え込んだ女神は、

「あ、そうそう。あのね、赤鱗竜の眼がなくなっているらしいの。だからどこに行ってしまったのか、宮殿の中に資料が残っていないかなと思って」

と慌てたように説明した。その様子を見て、【負亀】は問いを重ねる。

「……いま、用事を忘れていたであろう?」

「違います。ちょっと別のことを思い出していて返事が遅れただけ」

過剰に赤面した少女は言い繕う。


 不二の樹海で貴重な情報をもたらしてくれた封神、黒岩。一方的な都合を押しつけた此花に、献身的な姿勢を見せた青年。

「亀さんは……見ようによってはカッコいいのよね」。赤鱗竜の話題とともに封神の容姿を思い出した少女は、緩む頬を【負亀】に悟られないように気を使いながら、回想を続ける。

 神竜の猛火にも耐えて生還した頑強さ。矮小な人間であるはずの雅子と陽介の価値を教えてくれた懐の深さ。そして男神としての魅力。どれをとっても女神にとっては新鮮で、好感度を上げる要因に事欠かない。

 でもその感情を無理に、

「亀さんは本当はすごいお爺ちゃんなのよ」

と抑え込んだ此花に対して、亀の神【負亀】が言う。

「そう馬鹿にしたものでもない。亀は老いてからが本領だ」

「それじゃあイヤなの」

噛み合わない会話の中で、封神の見た目にこだわる本音をつい漏らした女神だった。


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