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火出国(ひいずるくに)の姫  作者: 小春日和
封神との出会い
15/30

風穴 15

 ちらちらと様子を窺う黒岩の視線を未だ無視して、一〇〇メートルは離れた樹木の陰に此花は隠れ続けていた。

「亀さんの馬鹿。すごく歳を召した神だって聞いていたから会いに行ったのに、全然じゃない」

ぶちぶちと文句を言いながら、風来の神【須久那(すくな)】の言葉を思い出す。

 遊永(あすな)の封神の噂を女神にもたらした【須久那】は、黒岩を「おそらく七万か八万年は生きている」と説明していた。だから、きっと仙人のような風体をしているのだろうと予想したが、実際に顔を合わせてみれば、男神としてもっとも魅せられる年代の若者であった。

 不二の神体である此花や亀岩の化身である黒岩のような付喪神の外見は、その神の持つエネルギーによって決定される。現代の世まで人間が深い信仰を捧げる【このはな姫】は、絶えず力を与えられているようなものなので、枯渇することなく、女神自身も艶めく。

 その理屈で言えば、遊永などという辺境で野晒しになっていた岩神は、貧相な老人になっていてもおかしくはなかったのだ。それなのに黒岩は若い。自力で体を再生できると言っていたが、それにしても性格まで青年期を維持しているのには驚く。

「中身はお爺ちゃんでよかったのに」

強い羞恥心から男に対して苦手意識を持つ此花にとって、封神の先刻の軽口は、彼の男神としての魅力と相まって、非常に居心地の悪いものに感じられていた。


 一方で少年神は、いつまでも直らない女神のむくれ方に少々の後悔をしつつも、別の仕事に取りかかっていた。

 地面に置いた溶岩石。穴だらけのいびつな形をしたその醜い石ころから母子の魂を取り出してやろうとしたのだが、思わぬ抵抗に遭っているのだ。

 もともとは二つの魂である【佐々木雅子】と【佐々木陽介】。まだ幼い陽介を手放すのを嫌がる雅子は、分離して封じ直そうとする封神に、「それぐらいならこのまま捨て置いてください」と聞かない。

 だがそれは呑めない条件だった。

「あんたたちはもともと別の魂として存在しているんだ。だから本来の姿に戻らないと、次のステップに行けないんだよ」


 肉体の死を経た母子は、これから、また肉体を持つ来世に向かっての準備をしなければならない。今回の人生では家族という関係だったが、次回はまったく別の生き方が待っている。二人を融合したままにしてしまえば、自然の摂理が彼らに悪影響を及ぼすだろう。


 けれど、じっと沈黙を続けている陽介はともかく、母の雅子の息子への執念は強い。説得に心を砕く黒岩に背を向けて、陽介を決して離そうとしない。

 岩石の中で固く抱き合う母子に、封神は溜息をついて、

「どうするかなあ……」

と仰向けに転がって呟いた。


「どうしたのかしら、亀さん……」

黒岩の行動を不思議に思った此花は、恐る恐るではあったが、樹の陰から出て、ゆっくりと封神の元に歩み寄った。

 少女の姿がそばに現れたのに気づいた少年は、溶岩を指さしながら、

「これ、【佐々木雅子】と【佐々木陽介】」

と女神にも状況が伝わるように解説する。

「とりあえずで封じてきちまったから、正式に依り代へ移してやろうと思うんだが、嫌がられてる」

と。

 傍らに座り込んだ此花は、

「触ってもいい?」

と無骨な石ころに手を伸ばした。

「丁寧にな」

母子への配慮を見せる封神の言葉に頷き、女神は魂の器を胸に抱く。


 冷たくて気持ちいい。此花がまず覚えた感覚はそれだった。

 母子の執念がこの樹海の地下に燻っていることに気づいたのは、彼女たちが殺されてからひと月ほど経った頃だった。復讐のために赤鱗竜と強く結びつこうとしていた、特に母の心情が、赤鱗竜とのアンテナを敏感にする此花の元にも流れ込んできたのだ。

 当時は禍々しい邪気を放っていた母子の魂。それがいまでは怨念の片鱗も見られない。「封印ってこんなにも人間をおとなしくさせちゃうんだ」。女神は傍らの封神にこっそりと賛辞を贈る。


 以前に感受した雅子と陽介の嘆きは、痛いほどの悲しみに溢れていた。いまは落ち着いている二人が、早く安定した形になってくれればと願い、此花は黒岩に進言する。

「ねえ亀さん。この二人って亀さんの力で分離させることもできるんでしょう? だったら、それをしてしまったほうがいいのではないの?」

 女神の言葉に、宙を凝視していた封神は、視線を動かさないまま答えた。

「無理強いはしたくない。雅子が陽介と離れたがらないのは、俺に対しての信用が低いせいだろう。別々の封印を施されることを永遠の離別のように感じているんだと思う。だったら、考えを改めてもらうまで待ったほうがいい」


 人間を、個の人格、ではなく、まとめて守護してやらなければならない対象、と見ている此花には、黒岩の姿勢はまだるっこしいようにも感じてしまう。雅子と陽介を救う方法は、結果的に分離させることしかありえない。強制的にでも離してしまったほうが、彼らを守ることへの近道になるはずだ。

「亀さんはいままでにたくさんの人間を封じてきたのよね? その一つ一つにこんなに気を使っては来られなかったでしょう? だったら、今回も強引にでも分けてしまったほうが……」

だから再び自分の意見を封神に押しつけた。

 女神の言い分に、黒岩は今度は少し思案したが、

「そうじゃないんだよな」

とぽつりとこぼして、それから微かに笑みを浮かべる。

「俺、いままで封じてきた人間たち、全部記憶してるんだよ。お嬢にとって封印ってのは、厄介な魂をおとなしくさせるだけの行為に見えるかもしれないけど、俺にとっては彷徨っている連中に居場所を与える意味があるんだ」


 魔を封印する。その能力を持つ神は少なくない。魔を退ける退魔法や魔を降参させる降伏(ごうぶく)法などとともに、おのれに害を成す存在に対抗するためには必要不可欠の超常能力であるからだ。

 だがその力を持つ神々の多くは、もともと神格の低い、人間、から昇格した輩が多かった。陰陽師や修験者などという種類の、人であったときにはそれなりに名を馳せていたが、死後に祭られてからは末席に身を寄せる劣神と成り果てている神たちである。

 それゆえ、封印神、という響きそのものが、特に此花のような高位の神からすれば、少し下に見てしまう立場になりがちだったのだ。黒岩に対してもついつい下僕のように接してしまう面があったのは否定出来ない。


 だが。

「……亀さんはいつも意外なことを言うのね……。わたくし、人間を一つ一つ識別するなんて考えたこともないわ」

女神は、自分の考えこそが歪んでいたのではないか、と密かに過去を省みる。

「なぜ人間をそこまで大事にしなくてはならないの? わたくしには、赤鱗竜の噴火にしても、自分たちで防ごうとしない人間たちに、少し呆れていたところがあるのよ」

「弱い者は助けてやらなきゃならないだろう?」

半身を起こしながら、封神は当たり前のように言った。

「俺やお嬢は人間に比べて強い。だから助ける。それ以外に理由が必要か?」


 天災という猛威にあっけなく命を断つ人間という存在。

 それを、守らなければならない弱い生き物、と認識する。

 それだけで。

「そう……そうね」

なるほど、此花の心にも人間に対する親愛のような感情が生まれた。


 人間を弱い存在として慈しむこと。家族に殺された哀れな母子に慈悲を向けること。

 ごつごつと醜い形をした出来損ないの依り代が、女神の心の中で、母子を守る大事な卵のように変化していく。


 小さな手が此花の胸に当たる。掻き抱いた岩石から幼い子どもが現れ出ていた。

「陽介……ちゃん?」

利発そうな顔をした幼児が、少女を見上げた。

「僕ね、ママと少しぐらいなら離れてもいいよ」


 岩石の中では雅子が泣いていた。

「私からこれ以上何も取り上げないで」

 女神は、寂しがる母に対し、

「大丈夫よ。依り代を分けるだけ。二つにした後は、ずっと一緒に持っていてあげるから」

と慰めた。


 隣でその光景を見ていた黒岩は、目を丸くして、

「驚いたな……。俺の封印が解かれてる……」

と感嘆した。

 封神でなければ外に出すことのできなかった幼児の魂。それを此花はあっさりと喚び出した。

 封印した母子との対話すら不可能のはずだった女神は、どういうわけか、黒岩を上回った解除の法を完成させてしまったらしい。

 元来強い感応力を持つ少女。それが、人間への愛情を示したことで、陽介の心により深く想いを響かせたのかもしれない。


 頬を擦り寄せて甘える幼児を抱きしめながら、

「可愛いっ」

と自らも陽介の頭に鼻先を埋めた女神は、それまで赤面と仏頂面と泣きべそ以外の表情を乗せて来なかった顔に、とろけるような笑顔を浮かべた。

「亀さん、わたくし、人間の良さが少しわかった気がするわ」

秀麗な眉目に、文字通り花のような微笑を(たた)える。

 思わぬ此花の才能に戸惑っていた封神も、その笑みに釣られて思わず頬を緩めた。

「ああ。可愛いもんだ」

そう評価したのは、神を頼って懸命に生きようとする人間に対して、ばかりではなかったかもしれない。


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