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火出国(ひいずるくに)の姫  作者: 小春日和
封神との出会い
11/30

風穴 11

 あちこちで巻き上がる渦。その向こうに見え隠れする赤い玉は、強いうねりに翻弄されて、引きちぎれ、悲鳴のような思念を轟かせていた。母子の魂から削り取られた欠片が、水流に揉まれて、封神のすぐそばまで漂う。

「急がないと」

黒岩は荒れ狂う奔流を蹴った。ぐずぐずしていたら陽介と雅子がなくなってしまう。


 地底湖は高低差の激しい湖だった。地上から下ってきた封神が最初に到達したのは、かなりの浅瀬だったらしい。長身のころの自分が立ち上がれば顔が出るほどだった水深が、ここでは遠い水底を示している。

 きりきりと乱れ舞う母子の魂は、その最深部にある溝に吸い込まれた。

 後を追う。


 深さで言えば湖面から二五メートルぐらいのところだろうか。赤い玉は、渦と波の洗礼から逃れた水底に弱々しく揺れていた。

 明らかに衰弱した魂の中で、異質に燃え盛る赤鱗竜の鱗が、憎々しいほどに赤い。

 少年神は母子の前に辿り着き、思案した。

 二人に癒着している赤鱗竜の分身を、一刻も早く引き剥がしてやりたいのは山々だ。だが火炎の盛っているいまの状態では、それは不可能。

「鱗ごと封印して様子を見ようと思ったけど、それじゃあ中の二人が持たないな」

母子と鱗を同時に封じ、猛火の勢いを削いでから分離しようとも考えたが、これも難しい状況である。


 赤鱗竜の期待を反故にした母子に対し、神竜の苛烈な逆襲が始まっていた。

 味方だったはずの火が、容赦なく陽介と雅子を焼く。

「熱い……熱い……」

幼子の消え入りそうな呻き声が、黒岩の耳にかすかに届いた。息子を気遣う母の、

「ごめんね……」

の謝罪も掠れている。

 頑強な封神と違って、人間である彼らの魂は、それほどの耐久性を持たない。燃え尽きるまでに救助できなければ、母子は永劫の無に帰してしまう。


 人間という存在は二つの層で構成されている。

 一つは肉体。言うまでもなく、生命を維持していく上で不可欠の、実体、の部分である。

 そしてもう一つは霊魂。これは一つの個体に未来永劫与えられていく、いわば人間の核となる、本体、のことだ。

 人間が誕生する、という現象は、肉体を持ってこの世に生まれ出ることではない。茫洋としていた魂に、自分、という個性が現れることだ。本体である魂は、時間や場所を選びながら、仮の棲家である肉体に寄生する。そして人生というレールの上を走り続け、やがて老い滅び、また魂に戻る。

 だが、肉体と違って永い寿命を持つ魂も無限というわけではない。肉体に宿っている間に穢れや綻びを退ける努力を怠れば急速に衰退する。また陽介と雅子のように、死んだ後に妄執に因われれば、怨念を好物とする悪神の餌食となりかねない。

 肉体の死は一時的なものだが、魂の消滅は永遠のものだ。母子がここで赤鱗竜に溶かされてしまえば、もう復活する手段はない。


「とりあえず、熱を抑えるしかないか」

黒岩は周囲の水におのれの能力を溶かしながら言った。母子の体力を引き伸ばすためには、強引でも、地底湖を依り代に使って鱗を閉じ込めてしまうしかない。

「自分から離れた人間を、いつまでも好き勝手できると思うなよ、赤鱗竜」

覇者の驕りを見せる巨悪な神竜に宣戦布告を突きつけた封神は、赤鱗竜の瘴気に侵された母子の魂ごと、猛炎を封印で包み込んだ。


 激しく立ち昇る水蒸気。

 凶暴な高熱と清廉な冷水がせめぎ合う。

 封印に抵抗する竜神の鱗は、ますますの猛勢で炎を広げた。湖水があっという間に温水になり、熱湯に変わっていく。

 黒岩は地底湖から逃げだそうとする蒸留水の一滴一滴に身を移して引き戻した。水滴が大粒の雨となって空間を舞い、上空の赤鱗竜の本体にも降り注ぐ。


 また竜神が咆えた。水中にあっても緩むことなく伝わる振動が、少年神の小さくなった体に叩きつけられる。

「うわっ」

勢いで弾かれた黒岩は、湖の端まで飛ばされて、岸壁にしたたか身を打ちつけた。

「いたたた……」

顔をしかめて泣き言を呟いてから、体勢を立て直して、またすぐに母子に向かう。


 思ったとおり、赤鱗竜の(あらが)い方は激しかった。

 地底世界の淀んだ空気が神竜の一挙一動で暴風と化す。

 咆哮は爆撃となって水中に降り注いだ。

 母子の魂を庇って避けることも敵わない少年神に、何度も衝撃が打ち込まれる。

 そんな中でも黒岩は封印を緩めなかった。霊峰不二の生み出した水霊の力を信じ、広大な地底湖そのものを器として、神竜の暴走を止めようとする。


「亀さんは玄武にも負けないぐらい強い封神なのよね?」。此花は黒岩のことをそう評価した。「その力で赤鱗竜を封じてくれたらいいのに」。

 なぜか、ご都合主義の少女の期待に応えようとしている自分を自覚して、封神は苦笑した。

「あれにがっかりされるとプライドが保てないからなあ」。

人間並の脆弱な神力しか持たない欠陥女神に見放されることが、酷くおのれを貶めるような気がして、少年神は限界を超えた能力を発動し続ける。


 赤い玉の中で、息子を固く抱きしめる母が、ゆるりと頭を上げた。

「私……が……この……結果を……招いた……」

途切れ途切れの悔恨が、嗚咽の間から漏れる。

「だから……陽介……には……罪は……ないの……。陽介……を……助けて……あげて……。私は……もう……いいから……」


「あんたにも責任はねえよ」

息を切らしながら黒岩は反論した。

「変な自虐をされるとこっちの集中力が鈍る。黙っててくれ」

 雅子を犠牲にして陽介だけを取り出すことなら、あるいはもっと楽かもしれない。そんな方法を自らもちらりと考えただけに、封神は母の願いを断つ。

 たとえそれで陽介を助け出せたとしても、雅子を竜神に渡してしまったなら、赤鱗竜に負けたという事実は覆らない。此花が期待する、強い封神、の名が泣く。


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