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この作品には 〔残酷描写〕が含まれています。

第十クランの亡霊

作者: クロス
掲載日:2026/10/29

――最強の軍団に所属していた。ただし、非公式の末端クランである。


 俺がそのゲームを始めた理由は、実にくだらないものだった。


 暇だったからだ。


 当時四十二歳。独身。地方都市の中小企業に勤める、ごく普通の会社員。


 仕事から帰って飯を食い、風呂に入って、あとは寝るだけ。


 そんな生活を十年以上続けていた。


 ある金曜日の夜、缶ビールを片手に動画サイトを眺めていると、一人のゲーム実況者がライブ配信をしていた。


『新作MMORPG! 無課金でも大歓迎! みんなで最強クラン作ろうぜ!』


 画面の中では、派手な鎧を着たキャラクターが巨大なドラゴンと戦っていた。


 ゲームの名前は『エルダー・レガシー・オンライン』。


 略してELO。


 基本プレイ無料のスマートフォン向けMMORPGである。


 種族を選び、職業を決め、装備を集め、モンスターを狩る。


 よくあるゲームだ。


 ただし、一つだけ特徴があった。


 プレイヤー同士の殺し合いが、ほぼ自由にできること。


 安全地帯を出れば、他人のキャラクターを攻撃できる。


 当然、殺されれば経験値を失い、場合によっては装備まで落とす。


 なかなか殺伐としたゲームだった。


 配信者の名前はレオン。


 登録者数十万人の人気実況者で、課金額も相当なものらしい。


 俺はその配信を見ながら、何となくゲームをダウンロードした。


 どうせ無料だ。


 つまらなければ消せばいい。


 そう思っていた。


 ところが、これが意外と面白かった。


 最初はモンスターを倒して装備を集めるだけだったが、やがてプレイヤー同士の抗争に巻き込まれるようになった。


 レオンが立ち上げたクランには、配信を見ていた百人以上が殺到した。


 しかし、一つのクランに加入できる人数は初期状態で二十人。


 施設を強化しても最大五十人まで。


 当然、全員は入れない。


 そこで第二クラン、第三クランと次々に系列クランが作られた。


 俺が参加しようとした頃には、第九クランまで埋まっていた。


 仕方がないので諦めようとしたところ、チャット欄に妙な書き込みが流れた。


『非公式だけど第十クラン作りました! 入りたい人どうぞ!』


 そのクランの名前が『X』だった。


 何のひねりもない。


 十番目だからローマ数字の十。


 それだけだ。


 しかも、設立したのはレオン本人ではなく、配信を見ていた一般視聴者だった。


 レオンも存在は知っていたが、公式系列には含めていなかった。


『おい、誰だよ第十クラン勝手に作った奴! まあいいけどさ! お前ら好きにやってんなあ!』


 そんなふうに配信で笑われる程度の扱いだった。


 俺はそのクランに加入した。


 キャラクター名はクロウ。


 種族は人間。


 職業は斥候から派生する特殊職、夜歩き。


 隠密、索敵、移動速度に優れた職業だったが、正面からの殴り合いには弱い。


 選んだ理由は単純である。


 逃げるのが楽そうだったからだ。


 課金はほとんどしなかった。


 月に一度、数百円の便利アイテムを買う程度。


 当然、重課金者には勝てない。


 レオンの本隊には、武器一本に何十万円もかけている連中がいた。


 そんな相手と同じ土俵に立つ気はなかった。


 だが、弱いなら弱いなりに遊び方はある。


 夜中に自動戦闘で放置狩りをしているプレイヤーを襲う。


 相手が強ければ、一撃だけ入れて逃げる。


 追いかけてきた相手を、中ボスやフィールドボスのいる場所まで誘導する。


 あとは自分だけ隠密で逃げる。


 運が良ければ、ボスが相手を殺してくれる。


 実に性格の悪い遊び方だった。


 もっとも、俺だけではない。


 レオンの本隊も、系列クランも、似たようなことをしていた。


 敵対クランの放置狩りを潰す。


 狩場を占拠する。


 ボス討伐を妨害する。


 敵の主力が現れたら逃げ、いなくなったらまた襲う。


 ゲーム内では、俺たちの連合はかなり嫌われていた。


 そして、俺自身もそれを楽しんでいた。


 ゲームだから。


 画面の向こうの相手が怒っているのを想像して、笑っていた。


 今になって思えば、あまり褒められた趣味ではなかったと思う。


 だが、その頃の俺にとっては、仕事のストレスを発散するための遊びだった。


 それから二年ほど経ったある日。


 俺は、いつものようにゲームを起動した。


 メインキャラクターではなく、倉庫代わりに育てていたサブキャラクターである。


 名前は同じクロウ。


 正確には、名前の末尾に小さな記号が付いていた。


 職業は夜歩き。


 レベルは六十八。


 装備はイベントで配布されたものと、安く買い集めた中古品ばかり。


 なぜそんなキャラを使っていたのかといえば、メインキャラクターが敵対クランに目を付けられていたからだ。


 たまには静かに素材集めでもしたかった。


 それだけである。


 その夜、ゲームは大型アップデートを控えていた。


 俺は適当な狩場で自動戦闘を設定し、スマートフォンを充電器につないだ。


 そして、眠った。


 目を覚ましたとき。


 俺は、知らない森の中にいた。


     ◇


 最初に感じたのは、土の臭いだった。


 湿った落ち葉。


 苔。


 腐りかけた木の根。


 それから、頬を撫でる冷たい風。


「……は?」


 俺は目を開けた。


 頭上には、巨大な木々が枝を広げていた。


 空は薄暗い。


 鳥の鳴き声が聞こえる。


 遠くで何かが唸った。


「いやいやいや」


 起き上がろうとして、違和感に気付いた。


 身体が軽い。


 いや、軽いというより、思った通りに動く。


 四十代の身体とは思えない。


 俺は自分の手を見た。


 黒い革手袋。


 腕には使い古された軽装鎧。


 腰には二本の短剣。


 背中には灰色の外套。


 見覚えがあった。


 ありすぎた。


「……クロウ?」


 それは、昨夜までスマートフォンの画面で操作していたキャラクターの姿だった。


 俺は慌てて周囲を見回した。


 スマートフォンはない。


 財布もない。


 寝ていたはずの布団もない。


 代わりに、視界の端に半透明の文字が浮かんでいた。


 名前:クロウ


 種族:人間


 職業:夜歩き


 レベル:68


 所属:X


 状態:正常


「……マジかよ」


 しばらく呆然とした。


 夢だと思いたかった。


 だが、頬をつねると痛い。


 地面に手をつくと、湿った土の感触がある。


 鼻を近づければ、腐葉土の臭いまでした。


 ゲームのグラフィックにしては、あまりにも生々しい。


 俺は試しに、ゲーム内で使っていた技能を口にした。


「隠密」


 身体の輪郭が薄くなった。


 周囲の景色に溶け込むような、不思議な感覚。


 足元の落ち葉を踏んでも、音がしない。


「……使えるのか」


 続けて、索敵を発動する。


 視界に赤い点がいくつも浮かんだ。


 近くに敵性生物がいるらしい。


 その一つが、こちらに近づいてきた。


 茂みが揺れる。


 現れたのは、犬ほどの大きさの狼だった。


 ただし、普通の狼ではない。


 額から短い角が生えている。


 ゲームで見たことがある。


 ホーンウルフ。


 初心者向けの雑魚モンスターだ。


 レベルは八前後。


 俺は腰の短剣を抜いた。


 狼が飛びかかってくる。


 反射的に身体が動いた。


 横に一歩。


 短剣を振る。


 それだけだった。


 狼の首が裂けた。


 血が飛び散る。


 生暖かい液体が手袋に付着した。


「うわっ!」


 思わず後ずさった。


 狼は地面で痙攣していた。


 赤い血が落ち葉を濡らしていく。


 ゲームなら、ここで死体が光の粒になって消える。


 だが、消えなかった。


 狼は最後に一度だけ足を動かし、そのまま動かなくなった。


 俺はしばらく死体を見つめた。


「……これ、本物かよ」


 胃の奥が気持ち悪くなった。


 画面の中では何万匹も殺したモンスターだ。


 だが、実際に殺すと、こんなにも違うものなのか。


 俺は短剣を拭い、鞘に戻した。


 そして、できるだけ死体を見ないようにして歩き出した。


 まずは人を探そう。


 そう考えた。


 このときの俺は、まだ知らなかった。


 この世界で『X』という文字が、どれほど恐れられているのかを。


     ◇


 森を抜けるまでに、三時間ほどかかった。


 途中で何匹かモンスターに遭遇したが、隠密を使えば簡単に避けられた。


 ゲーム時代の知識も役に立った。


 魔物には縄張りがある。


 強い個体ほど、決まった範囲を巡回する。


 索敵技能を使えば、接触する前に位置を把握できる。


 もっとも、森の地形そのものはゲームとは違っていた。


 見覚えのある木も岩もない。


 地図を開こうとしても、表示されるのは周囲の狭い範囲だけだった。


 世界地図は真っ黒。


 転移直後だからだろうか。


 それとも、ここはゲームとは別の世界なのか。


 考えても答えは出ない。


 やがて、木々の向こうに街道が見えた。


 土を踏み固めただけの道だが、馬車の轍が残っている。


 人がいる。


 そう思った瞬間、遠くから悲鳴が聞こえた。


「助けてくれ!」


 俺は反射的に身を低くした。


 声の方向を見る。


 街道を走る荷馬車。


 それを追う、武装した男たち。


 盗賊だろうか。


 男は六人。


 剣や斧を持っている。


 荷馬車には御者と、若い女性が一人。


 御者は肩から血を流していた。


 女性が必死に何かを叫んでいる。


 俺は迷った。


 助けるべきか。


 いや、まず状況が分からない。


 追っている方が正規の兵士で、逃げている方が犯罪者という可能性もある。


 ゲームでは、他人の争いに首を突っ込むとろくなことにならなかった。


 俺は隠密を発動し、木の陰から様子を見ることにした。


 すると、盗賊らしき男の一人が叫んだ。


「女は生かせ! 男は殺せ!」


 なるほど。


 分かりやすい悪党だった。


 俺はため息をついた。


「……仕方ないか」


 短剣を抜く。


 背後から近づく。


 最後尾の男に接近し、首筋へ短剣を当てた。


 その瞬間、手が止まった。


 殺すのか。


 人間を。


 狼とは違う。


 相手は人間だ。


 俺は短剣を引き、代わりに柄で後頭部を殴った。


 男が倒れる。


 続いて、隣の男の膝裏を蹴り、地面に転がした。


「なっ!?」


 残りの四人が振り返る。


 俺は距離を取った。


「おい、お前ら。そこまでにしとけ」


 自分でも驚くほど、落ち着いた声が出た。


 盗賊たちは俺を見た。


 黒い軽装鎧。


 灰色の外套。


 二本の短剣。


 そして、顔の下半分を覆う布。


 ゲーム時代の、いかにも斥候らしい格好だ。


「何者だ!」


「通りすがりだよ」


「ふざけるな!」


 男が斧を振り上げた。


 遅い。


 あまりにも遅い。


 俺は横に避け、男の手首を蹴った。


 斧が落ちる。


 そのまま腹を殴ると、男は地面を転がった。


 残りの三人も、たいした抵抗はできなかった。


 全員を殺さずに無力化するまで、一分もかからなかったと思う。


 俺は倒れた男たちを見下ろした。


「……弱すぎないか?」


 思わず呟いた。


 ゲーム内では、俺のレベル六十八など中堅以下だった。


 だが、目の前の男たちはレベル十にも届いていないように感じる。


 もしかして、この世界では俺も結構強いのだろうか。


 そんなことを考えていると、荷馬車から女性が降りてきた。


 年齢は二十歳前後。


 栗色の髪を後ろで束ね、旅装を身に着けている。


「あ、ありがとうございます!」


「ああ、いや。無事ならいいんだけど」


 女性は何度も頭を下げた。


 御者も肩を押さえながら礼を言う。


 どうやら、近くの街へ向かう商人の娘らしい。


 名前はエリナ。


 父親の店に商品を届ける途中で、盗賊に襲われたという。


「よろしければ、街までご一緒しませんか?」


 ありがたい申し出だった。


 俺は即座に頷いた。


 ようやく人里に行ける。


 だが、その直後。


 エリナの視線が、俺の胸元に止まった。


「……あの」


「ん?」


「その紋章は……」


 彼女が指さしたのは、外套の留め具だった。


 黒い金属に刻まれた、銀色の文字。


 X。


 ゲーム時代、クラン加入者に配布された安物の記念アイテムである。


 性能はない。


 装備欄すら使わない、ただの飾りだ。


「ああ、これ?」


 俺は何気なく答えた。


「昔いたクランのマークだよ」


 その瞬間。


 エリナの顔から血の気が引いた。


「……え?」


 彼女は一歩後ずさった。


 御者も、俺の胸元を見て固まっている。


「どうした?」


 エリナの唇が震えた。


「だ、第十……」


「ん?」


「第十の、黒い十字……?」


 俺は首を傾げた。


 黒い十字?


 いや、これローマ数字の十なんだけど。


 そう説明しようとした。


 しかし、その前にエリナが膝をついた。


「お、お許しください!」


「は?」


「どうか、命だけは……!」


 俺は完全に混乱した。


 助けた相手が、なぜか命乞いをしている。


 何がどうなっているのか。


 さっぱり分からなかった。


     ◇


 街に着くまで、エリナはほとんど口を開かなかった。


 俺が話しかけると、びくりと肩を震わせる。


 御者に至っては、目を合わせようともしない。


 正直、かなり居心地が悪かった。


 だが、街の門が見えたとき、その理由の一端が分かった。


 門の上には、大きな石像が飾られていた。


 剣を掲げる騎士。


 その足元には、奇妙な旗が刻まれている。


 黒地に赤い獅子。


 見覚えがあった。


「……おいおい」


 思わず声が漏れた。


 それは、レオンのクランの紋章だった。


 ゲーム時代、何度も見た。


 攻城戦で掲げられていた旗。


 配信画面の隅に表示されていたエンブレム。


 間違いない。


 俺が所属していたクラン連合の、本隊の紋章だ。


 だが、その紋章は石像の足元で踏みつけられていた。


 俺は門に刻まれた文字を見た。


 読める。


 知らない文字のはずなのに、意味が頭に入ってくる。


『建国の英雄アルベルト、黒獅子の災厄を討つ』


 黒獅子。


 それが、レオンのクランの呼び名だった。


 俺は思わず笑いそうになった。


 いや、笑えなかった。


 なぜなら、石像の騎士にも見覚えがあったからだ。


 金色の鎧。


 青いマント。


 長い銀髪。


 そして、特徴的な片手剣。


「……アルベルト?」


 ゲーム時代の敵対クランにいた、有名な重課金プレイヤーだった。


 何度も戦場で見た。


 もちろん、俺が正面から勝てる相手ではない。


 だが、一度だけ殺したことがある。


 いや、正確には殺してもらった。


 夜中、放置狩りをしていたアルベルトに一撃入れ、近くのフィールドボスまで引っ張ったのだ。


 ボスの範囲攻撃に巻き込まれ、アルベルトは死亡した。


 そのときのチャットは、今でも覚えている。


『クロウてめえええええ!』


 あれは面白かった。


 翌日の配信でも話題になった。


 レオンが腹を抱えて笑っていた。


 だが。


 目の前には、そのアルベルトの石像がある。


 しかも、建国の英雄として。


「……どういうことだよ」


 俺は呟いた。


 すると、隣にいたエリナが恐る恐る口を開いた。


「アルベルト陛下は、三百二十年前にこの国を建てられた英雄です」


 三百二十年前。


 俺はその言葉を、頭の中で何度も繰り返した。


「……三百二十年?」


「はい」


「その人、もう死んでるのか?」


 エリナは驚いた顔をした。


「もちろんです。陛下は建国から六十八年後に崩御されました」


 俺は石像を見上げた。


 ゲーム時代の敵対プレイヤー。


 俺より遥かに強かった男。


 そいつが、この世界では三百年以上前の人物になっている。


 つまり。


 俺以外のプレイヤーは、ずっと昔にこの世界へ来ていた。


 そういうことなのか。


     ◇


 街の名前は、ベルク。


 アルベルト王国の北部にある交易都市だった。


 俺はエリナの紹介で宿を取ることができた。


 幸い、ゲーム内の所持金はそのまま使えた。


 ただし、金貨の価値が分からない。


 試しに一枚出したところ、宿の主人が目を丸くした。


 どうやら、かなり高額らしい。


 俺は慌てて引っ込め、代わりに銀貨を渡した。


 部屋に入ると、すぐに扉を閉めた。


「……さて」


 ようやく一人になれた。


 まずは情報整理だ。


 俺はベッドに腰を下ろし、ステータス画面を開いた。


 レベル六十八。


 職業、夜歩き。


 装備、変更なし。


 所持品もそのまま。


 倉庫は開けない。


 フレンドリストは表示されるが、全員オフライン。


 チャットも使用不可。


 クラン画面を開く。


 所属:X。


 クランレベル:17。


 クランマスター:ゼロ。


 メンバー数:1/50。


「……一人?」


 俺は眉をひそめた。


 ゲーム時代、Xには四十人以上が所属していたはずだ。


 ほとんどログインしない幽霊部員もいたが、それでも一人ということはない。


 一覧を開く。


 表示されているのは、俺の名前だけ。


 ほかのメンバーは、すべて灰色になっていた。


 退会済み。


 死亡。


 所在不明。


 そんな表示が並んでいる。


「……死亡?」


 俺は画面を凝視した。


 ゲームでは見たことのない表記だった。


 嫌な予感がした。


 だが、今はどうしようもない。


 俺は画面を閉じ、ベッドに横になった。


 天井を見つめる。


 異世界。


 ゲームキャラ。


 三百年前のプレイヤー。


 そして、X。


「……帰れるのかね、これ」


 答える者はいなかった。


     ◇


 翌朝、俺は街の図書館へ向かった。


 正確には、神殿に併設された記録院だった。


 エリナに聞いたところ、古い歴史書が保管されているという。


 俺は受付で銀貨を払い、閲覧許可をもらった。


 そして、三百年前の歴史を調べ始めた。


 最初に分かったのは、この世界にかつて『降臨者』と呼ばれる存在が現れたということだった。


 降臨者。


 それが、プレイヤーの呼び名らしい。


 彼らは突然現れ、常識外れの力を振るった。


 ある者は国家を築き、ある者は魔王を討ち、ある者は大陸を滅ぼしかけた。


 そして、その多くが同じ時代に現れている。


 約三百八十年前。


 俺が知っているゲームのプレイヤーたちが、この世界へ転移した時期だろう。


 さらに調べると、黒獅子連合についての記録が見つかった。


『黒獅子の災厄』


 そう題された分厚い歴史書だった。


 俺はページをめくった。


 そこには、信じられないことが書かれていた。


 黒獅子連合は、降臨者の中でも最大級の勢力だった。


 総勢二百名以上。


 九つの軍団を持ち、強大な魔法と武具を操った。


 その盟主は、獅子王レオン。


 数十の都市を焼き、七つの王国を滅ぼしたとされる。


「……レオンさん、何やってんだよ」


 思わず呟いた。


 配信では、いつも陽気に笑っていた男だ。


 課金額は凄まじかったが、そこまで残虐な人間には見えなかった。


 もっとも、ゲーム内では敵対クランを容赦なく潰していた。


 それが現実になれば、こうなるのかもしれない。


 俺はページをめくった。


 第一軍団。


 第二軍団。


 第三軍団。


 見覚えのあるクラン名が並んでいる。


 それぞれの指揮官も、知っている名前だった。


 廃課金の戦士。


 有名な魔法使い。


 攻城戦で暴れ回っていた弓使い。


 その多くが、歴史上の怪物として記録されている。


 だが、第九軍団の記録が終わったところで、妙な記述があった。


『なお、黒獅子連合には、存在を認められていない第十の軍団があったとする説がある』


 俺は手を止めた。


『その軍団は正式な指揮系統に属さず、盟主の命令すら受けなかった』


『戦場に現れては敵の後方を襲い、補給を断ち、時には魔物の群れを誘導して敵軍を壊滅させた』


『その行動は予測不能であり、黒獅子連合の敵のみならず、味方からも恐れられていた』


『軍団の紋章は、黒き十字』


『その名は、X』


 俺は本を閉じた。


 しばらく、何も考えられなかった。


 いや。


 ちょっと待て。


 確かに、俺たちは勝手に動いていた。


 敵対クランの狩場を荒らしたこともある。


 ボスを引っ張って、敵を全滅させたこともある。


 だが、それはゲーム内の話だ。


 しかも、ほとんど嫌がらせ目的だった。


 それがなぜ、歴史書に載っている。


 俺はもう一度、本を開いた。


 最後のページに、奇妙な一文があった。


『第十軍団の最後の構成員は、いまだ確認されていない』


 その下には、古い詩が記されていた。


『黒き獅子が眠り、九つの牙が朽ち果てようとも、十番目の影は消えず』


『影は王を持たず、命令を受けず、ただ己の気まぐれに従う』


『もし黒き十字を掲げる者が現れたならば、決して追ってはならない』


『追う者は、必ず死ぬ』


 俺は額を押さえた。


「……最後の一文、完全に俺たちのせいじゃねえか」


 昔、追いかけてきた敵をボスに突っ込ませていた。


 それが伝説になっているらしい。


 笑えない。


 本当に笑えなかった。


     ◇


 記録院を出たとき、俺は三人の男に囲まれた。


 全員、黒い外套を着ている。


 腰には剣。


 胸元には、銀色の鷹の紋章。


「クロウ殿ですね」


 中央の男が言った。


「……誰だ?」


「王国監察局の者です」


 嫌な予感がした。


「少々、お話を伺いたい」


 俺は周囲を見た。


 通行人が、こちらを避けて歩いている。


 逃げようと思えば逃げられる。


 だが、街中で騒ぎを起こすのは得策ではない。


「……何の話だ?」


 男は俺の胸元を見た。


 Xの紋章。


 その瞬間、目が細くなった。


「その紋章についてです」


 やっぱりか。


 俺は内心でため息をついた。


 どうやら、面倒なことになりそうだった。


     ◇


 連れて行かれたのは、街の中心部にある石造りの建物だった。


 監察局の支部らしい。


 案内された部屋には、机と椅子が二つ。


 窓には鉄格子。


 いかにも尋問室という雰囲気だった。


 俺は椅子に座った。


 向かいには、白髪交じりの男がいる。


 年齢は五十代ほど。


 鋭い目をした人物だった。


「私は王国監察局北部支局長、グランと申します」


「クロウだ」


「存じております」


 男は机の上に、一枚の紙を置いた。


 そこには、俺の似顔絵が描かれていた。


 昨日、盗賊を倒したときの姿だ。


「昨日、街道で六人の盗賊を無力化したそうですね」


「ああ」


「全員、生存しています」


「それが何か?」


「驚くべきことです」


 グランは静かに言った。


「彼らは、この地方で悪名高い盗賊団の一部でした。隊長格の男は、元傭兵で、熟練の冒険者を何人も殺しています」


「……そうなのか」


「その六人を、一人で、しかも誰一人殺さずに制圧した」


 グランは俺を見つめた。


「あなたは何者ですか?」


 俺は少し考えた。


 正直に答えても、信じてもらえないだろう。


 ゲームの世界から来ました。


 三百年前の英雄は、俺の知り合いです。


 そんなことを言えば、頭がおかしいと思われる。


「ただの旅人だよ」


「ただの旅人が、黒き十字を身に着けているのですか?」


 俺は黙った。


 グランは続けた。


「その紋章が何を意味するか、ご存じでしょう」


「……まあ、少しは」


「では、なぜ今になって現れたのです?」


 答えようがない。


 俺だって知りたい。


 グランはしばらく俺を見つめていたが、やがて一冊の古い書物を取り出した。


「三百二十年前、建国王アルベルト陛下は、ある人物を恐れていました」


 俺は眉を上げた。


「……誰を?」


「黒獅子連合、第十軍団の一人です」


 心臓が嫌な音を立てた。


 グランは書物を開いた。


「名は、クロウ」


 俺は固まった。


 同名の別人。


 そう思いたかった。


 だが、次の言葉で、その希望は消えた。


「夜を歩く者。二本の短剣を持ち、灰色の外套を纏う。正面からの戦闘を避け、敵を魔物の巣へ誘導する」


 完全に俺だった。


「アルベルト陛下は、その人物について、こう記しています」


 グランは一度、言葉を切った。


「『奴は弱い。少なくとも、私より遥かに弱い』」


 ……うん。


 間違いない。


「『だが、私は奴に敗れた』」


 それも間違いない。


「『奴は戦わない。勝てない相手とは決して戦わない。逃げ、隠れ、誘い、そして最後には必ずこちらを死地へ導く』」


 俺は目を逸らした。


 いや。


 そんな大層なものじゃない。


 ただ、放置狩りしている相手をボスに突っ込ませただけだ。


「『私は奴を三度追い、三度死んだ』」


 ……三回もやったっけ?


 ああ、そういえば。


 アルベルトはしつこかった。


 一度殺されると、復活して追いかけてきた。


 それをまたボスに突っ込ませた。


 そんなことを繰り返した記憶がある。


「『第十軍団を侮るな。彼らは弱者ではない。弱さを武器にする者たちだ』」


 グランは本を閉じた。


 そして、俺を見た。


「あなたは、三百二十年前のクロウ本人ですか?」


 俺は答えなかった。


 答えられなかった。


 なぜなら、そのとき。


 部屋の外から、悲鳴が聞こえたからだ。


     ◇


 最初に聞こえたのは、金属がぶつかる音だった。


 続いて、怒号。


 そして、何かが砕ける音。


 グランが立ち上がった。


「何事だ!」


 扉が開く。


 血まみれの兵士が転がり込んできた。


「し、支局長……!」


「どうした!」


「魔族が……!」


 兵士の言葉は、そこで途切れた。


 背中から、黒い槍が突き出た。


 俺は反射的に椅子を蹴った。


 兵士の身体が床に崩れる。


 その向こうに、黒い鎧を着た男が立っていた。


 いや。


 男ではない。


 額から二本の角が生えている。


 肌は青白く、瞳は赤い。


 魔族。


 ゲーム内でも見たことのある種族だった。


 だが、目の前の存在は、ただの雑魚ではない。


 索敵技能が、警告を発していた。


 対象レベル:92。


「……は?」


 思わず声が漏れた。


 レベル九十二。


 俺より二十四も上だ。


 ゲーム内なら、まず勝てない。


 装備差まで考えれば、正面から戦うなど自殺行為である。


 魔族は俺を見た。


 そして、口元を歪めた。


「見つけたぞ」


 低い声だった。


「黒き十字の残党」


 俺は短剣に手をかけた。


 魔族は笑った。


「三百年……長かった」


 その言葉に、俺は違和感を覚えた。


 三百年?


 こいつも、昔から生きているのか。


「我が主の仇。黒獅子の犬ども」


 魔族の瞳が、憎悪に燃えた。


「貴様らが、我らの国を滅ぼした!」


 俺は息を呑んだ。


 黒獅子連合。


 レオンたちが、この世界で何をしたのか。


 その答えの一つが、目の前に立っていた。


 魔族が槍を構える。


「死ね」


 次の瞬間。


 俺は、全力で逃げた。


     ◇


 窓を突き破り、外へ飛び出す。


 ガラスが砕け散る。


 地面に着地した瞬間、背後の壁が爆発した。


「うおおっ!?」


 石片が飛び散る。


 振り返ると、魔族が壁を破壊して追ってきていた。


 速い。


 かなり速い。


 俺は移動速度上昇の技能を使った。


「疾走!」


 身体が軽くなる。


 石畳を蹴り、路地へ飛び込む。


 背後から轟音。


 建物の壁が砕けた。


「逃げるな!」


「逃げるに決まってんだろ!」


 思わず叫び返した。


 レベル九十二の魔族と、レベル六十八の無課金キャラ。


 勝負になるわけがない。


 俺は必死に走った。


 角を曲がる。


 屋根に飛び乗る。


 隠密を使う。


 だが、魔族は追ってきた。


 索敵能力が高いらしい。


 しかも、こちらの移動速度を上回っている。


「……まずいな」


 このままでは追いつかれる。


 俺は頭を回転させた。


 逃げ切る方法。


 敵を撒く方法。


 いや。


 違う。


 俺がゲーム時代に得意だったのは、単純な逃走ではない。


 追いかけてくる相手を、別の敵にぶつけることだ。


 俺は街の外へ向かった。


 門を飛び越え、街道を駆ける。


 背後から魔族が追ってくる。


「無駄だ! 貴様の逃げ足など!」


 俺は笑った。


 いや、笑う余裕などなかった。


 だが、少しだけ懐かしかった。


 こうして格上の相手に追いかけられるのは、ゲーム時代によくあったことだ。


 違うのは、死んだら復活できる保証がないこと。


 それだけだった。


 俺は索敵技能を最大範囲まで広げた。


 赤い点。


 赤い点。


 赤い点。


 そして。


 森の奥に、一際大きな反応があった。


 対象レベル:不明。


 危険度:極大。


「……いた」


 俺は進路を変えた。


 魔族が追ってくる。


 森へ入る。


 木々の間を駆け抜ける。


 やがて、巨大な洞窟が見えた。


 入口には、白骨が散乱している。


 人間のもの。


 獣のもの。


 そして、巨大な魔物のもの。


 俺は迷わず洞窟へ飛び込んだ。


「愚かな!」


 魔族が叫ぶ。


「袋小路に逃げ込むとは!」


 俺は答えなかった。


 洞窟の奥へ走る。


 空気が冷たい。


 腐敗臭がする。


 そして、地面が震えた。


 何かが目を覚ました。


 暗闇の奥で、二つの赤い光が灯る。


 巨大な瞳。


 続いて、岩のような鱗。


 太い四肢。


 そして、洞窟いっぱいに広がる翼。


 竜だった。


 ただし、普通の竜ではない。


 ゲーム内で、俺が何度も見たことのある存在。


 フィールドレイドボス。


 古竜バルガンド。


 推奨討伐レベル、百。


 推奨人数、五十人以上。


 俺は、その姿を見て確信した。


 勝てる。


 いや。


 俺が勝つわけではない。


 勝ってもらうのだ。


     ◇


 古竜が咆哮した。


 洞窟全体が震える。


 俺は即座に隠密を発動した。


 同時に、魔族の背後へ回り込む。


 魔族は古竜を見上げ、驚愕していた。


「なっ……古竜だと!?」


 俺は短剣を投げた。


 狙いは魔族ではない。


 古竜の額。


 短剣が鱗に当たり、乾いた音を立てて弾かれた。


 ダメージは、ほぼゼロ。


 だが、それで十分だった。


 古竜の瞳が、こちらを向く。


 俺は魔族の背後に隠れた。


 そして、古竜が息を吸い込むのを見た瞬間。


 全力で横へ跳んだ。


 轟音。


 灼熱の炎が洞窟を満たした。


 魔族が悲鳴を上げる。


「ぐああああっ!」


 俺は岩陰に転がり込んだ。


 熱風が背中を焼く。


 だが、直撃は避けた。


 ゲーム時代、何度も見た攻撃だ。


 古竜の初撃は、必ず正面への広範囲ブレス。


 予備動作も覚えている。


 魔族は炎の中から飛び出してきた。


 黒い鎧が溶けている。


 片腕が焼け爛れていた。


 それでも、生きている。


 さすがレベル九十二。


 だが、古竜は容赦しなかった。


 巨大な爪が振り下ろされる。


 魔族が槍で受ける。


 轟音。


 地面が砕けた。


 俺はその隙に洞窟の出口へ走った。


「待てえええ!」


 魔族が叫ぶ。


 だが、追ってこない。


 追えない。


 古竜が、完全に魔族を敵として認識していた。


 俺は洞窟の外へ飛び出した。


 そして、岩陰に身を隠した。


 数分後。


 洞窟の奥から、凄まじい悲鳴が響いた。


 それきり、静かになった。


 俺は深く息を吐いた。


「……勝った」


 いや。


 勝ってはいない。


 俺は何もしていない。


 ただ、敵をボスのところまで連れてきただけだ。


 ゲーム時代と同じ。


 それだけのことだった。


 だが。


 今回は、相手が本当に死んだ。


 俺は洞窟を見つめた。


 妙な気分だった。


 魔族は、俺を殺そうとした。


 だから、逃げた。


 逃げるために、古竜を利用した。


 それだけだ。


 だが、あいつにも事情があった。


 黒獅子連合に国を滅ぼされた。


 そう言っていた。


 俺は、その国を知らない。


 そもそも、三百年前の戦争など知らない。


 だが、俺が所属していたクランの人間が、何かをしたのだろう。


「……レオンさん」


 俺は呟いた。


「あんたら、何やったんだよ」


 答えはなかった。


     ◇


 街へ戻ると、大騒ぎになっていた。


 監察局が襲撃され、兵士が十数人死亡。


 犯人は魔族。


 しかも、三百年前の戦争に関わった高位魔族だったという。


 俺は門の近くで、その話を聞いた。


 正直、戻るか迷った。


 だが、宿に荷物を置いている。


 それに、エリナにも一言くらい伝えておきたかった。


 俺は外套の留め具を外し、Xの紋章を懐にしまった。


 これ以上、面倒事に巻き込まれたくない。


 そう思った。


 しかし、宿へ戻る途中。


 路地裏で、一人の老人に声をかけられた。


「……クロウ様」


 俺は足を止めた。


 老人は、ぼろぼろの外套を着ていた。


 白い髪。


 痩せた身体。


 杖をついている。


 どこにでもいそうな老人だった。


 だが、その目だけが異様だった。


 金色の瞳。


 人間のものではない。


「……誰だ?」


 老人は微笑んだ。


「お待ちしておりました」


 俺は警戒した。


 またか。


 また面倒な奴か。


 老人はゆっくりと膝をついた。


「三百七十六年」


 その声は、震えていた。


「三百七十六年、お待ちしておりました」


 俺は言葉を失った。


 老人は頭を垂れた。


「第十軍団の最後の主よ」


 その瞬間。


 俺の視界に、見慣れない文字が浮かんだ。


『クラン施設への接続を確認』


『管理権限を照合中』


『所属クラン:X』


『現存構成員:1名』


『権限継承条件を満たしました』


『クランマスター権限を移譲します』


 俺は固まった。


「……は?」


 老人は、涙を流していた。


「お帰りなさいませ」


 そして、こう言った。


「我らが主、クロウ様」


     ◇


 老人の名前は、セバスといった。


 いや。


 正確には、セバスティアン・グレイ。


 ゲーム時代、Xのクラン施設に配置されていたNPCだった。


 ……らしい。


 俺は覚えていなかった。


 そもそも、Xにクラン施設があったことすら、うろ覚えだった。


 ゲーム内では、クランレベルが一定以上になると、専用の拠点を購入できた。


 ただし、維持費が高い。


 公式クランの本隊は巨大な城を所有していたが、Xのような非公式クランにそんな金はなかった。


 そこで、クランマスターのゼロが、安い廃城を購入した。


 名前は『灰の城』。


 荒れ果てた小さな城だった。


 俺も一度だけ訪れたことがある。


 確か、クランイベントで集合写真を撮ったときだった。


 その城が。


 今も存在しているという。


「……マジで?」


「はい」


 セバスは深く頷いた。


「三百七十六年間、我らは城を守り続けてまいりました」


「我ら?」


「はい。城に仕える者たちです」


 俺は嫌な予感がした。


「……何人いるんだ?」


「現在、千二百四十八名でございます」


 俺は黙った。


 千二百四十八人。


 ちょっと待て。


 ゲーム時代、Xの拠点にいたNPCは、せいぜい十人程度だったはずだ。


「……増えたの?」


「はい。長い年月の間に、眷属が増えました」


 セバスは当然のように答えた。


「現在では、周辺の魔族、亜人、魔物たちも我らの庇護下にございます」


 俺は額を押さえた。


 何だそれ。


 聞いてない。


「……で、その城はどこに?」


「ここから北へ三日の距離にございます」


 セバスは微笑んだ。


「どうか、お戻りください」


 俺はしばらく考えた。


 帰る場所はない。


 この世界のことも分からない。


 しかも、俺の所属クランが恐れられている。


 ならば、少なくとも味方がいる場所へ行くべきだろう。


「……分かった」


 俺は頷いた。


「案内してくれ」


 セバスは深く頭を下げた。


「御意に」


 その表情は、心から安堵しているように見えた。


 俺は少しだけ、申し訳なくなった。


 なぜなら。


 俺は、ただの無課金プレイヤーなのだから。


     ◇


 灰の城は、山岳地帯の奥深くにあった。


 切り立った崖。


 深い霧。


 巨大な針葉樹の森。


 その中心に、黒い石造りの城が建っていた。


 ……いや。


 城というより、要塞だった。


 高い城壁。


 無数の塔。


 巨大な門。


 そして、空を飛ぶ魔物たち。


「……え?」


 俺は思わず立ち止まった。


 記憶にある灰の城とは、まるで違う。


 ゲーム時代は、崩れかけた小さな城だった。


 壁には穴が開き、屋根は半分落ちていた。


 それが、今では巨大な要塞になっている。


「……改築した?」


「はい」


 セバスは誇らしげに答えた。


「歴代の管理者たちが、少しずつ増築を重ねてまいりました」


「……そう」


 少しずつ。


 三百年以上かけて。


 なるほど。


 そりゃ、こうなるか。


 門が開く。


 中には、無数の兵士が並んでいた。


 黒い鎧を着た騎士。


 獣人。


 魔族。


 骸骨の兵士。


 巨大な狼。


 そして、空には翼を持つ魔物たち。


 全員が、俺を見ていた。


 俺は足を止めた。


「……何これ」


 セバスが微笑む。


「皆、主の帰還を待ち望んでおりました」


 次の瞬間。


 千人を超える者たちが、一斉に膝をついた。


「「「お帰りなさいませ、我らが主!」」」


 地面が震えるほどの声だった。


 俺は固まった。


 いや。


 ちょっと待て。


 俺はただの末端クランの無課金プレイヤーだぞ。


 こんな歓迎を受けるような人間じゃない。


 だが、誰もそんなことは知らない。


 セバスが俺の前に跪いた。


「第十軍団、灰の城」


 その声は、誇りに満ちていた。


「三百七十六年の時を経て、再び主を迎えられたこと、これ以上の喜びはございません」


 俺は空を見上げた。


 灰色の雲が流れている。


 遠くで、竜のような魔物が鳴いた。


 どうやら。


 俺の異世界生活は、思っていた以上に面倒なことになりそうだった。


     ◇


 城の大広間に案内された俺は、まず一つのことを確認した。


「……ゼロは?」


 セバスの表情が曇った。


 ゼロ。


 非公式第十クランXを作った男だ。


 ゲーム時代は、よくチャットで騒いでいた。


 課金額は少なかったが、妙に面倒見のいい奴だった。


 俺がクランに入ったときも、最初に声をかけてくれた。


『よろしく! ここ非公式だから気楽にやってね!』


 そんな軽い挨拶だった。


 セバスは静かに答えた。


「初代主ゼロ様は、三百四十二年前にお亡くなりになりました」


 俺は黙った。


 予想はしていた。


 だが、実際に聞くと、妙な気分だった。


「……そうか」


「はい」


「ほかのメンバーは?」


 セバスは首を横に振った。


「ほとんどの方が、すでにこの世を去られました」


 俺は椅子に深く腰を下ろした。


 ゲーム時代、チャットで馬鹿話をしていた連中。


 夜中に集まってPKをしていた連中。


 ボスに突っ込んで全滅し、笑っていた連中。


 みんな、もういない。


 三百年以上前に。


 俺の知らない場所で。


 俺の知らない人生を生きて。


 そして、死んだ。


「……そっか」


 それしか言えなかった。


 セバスは、しばらく黙っていた。


 やがて、懐から一通の手紙を取り出した。


「ゼロ様から、最後の構成員へ宛てたものです」


 俺は顔を上げた。


「……俺に?」


「はい」


 古びた封筒だった。


 表には、見覚えのある文字が書かれている。


『最後に来た奴へ』


 俺は封を切った。


 中には、一枚の紙が入っていた。


 そこに書かれていたのは、実にゼロらしい文章だった。


『よう。誰か知らんけど、お疲れ』


 俺は思わず笑った。


『これ読んでるってことは、俺はもういないんだろうな』


『いやー、まさかゲームの世界みたいなところに飛ばされるとは思わなかったわ』


『最初は楽しかったんだけどな。レベルも装備もそのままだし、無双できるし』


『でも、途中から笑えなくなった』


 俺は手を止めた。


『ゲームでは、敵を殺しても復活する』


『でも、こっちじゃ死んだら終わりだ』


『俺たちは、それを理解するのが遅すぎた』


 手紙の文字が、少しだけ乱れていた。


『レオンさんたちは、最初から強かった』


『だから、何でもできると思ったんだろうな』


『国を攻めて、敵を殺して、領土を奪って』


『ゲームの延長みたいなことをやってた』


『俺たちも、最初はそれに乗っかった』


『でも、ある日気付いた』


『殺してる相手が、本当に死んでるってことに』


 俺は息を吐いた。


『それから、Xは連合を抜けた』


『いや、正式な連合じゃなかったから、抜けるも何もないんだけどさ』


『俺たちは勝手に動いて、勝手に敵を作って、勝手に逃げた』


『その結果、黒獅子にも王国にも追われることになった』


『笑えるだろ?』


 笑えなかった。


『でも、後悔はしてない』


『少なくとも、最後くらいは自分たちで決めたかった』


『灰の城は残した』


『ここには、俺たちが助けた連中がいる』


『魔族も、人間も、獣人も、アンデッドも』


『みんな、行き場のなかった奴らだ』


『もし、いつかXの誰かが来たら』


『できれば、守ってやってくれ』


『無理なら逃げてもいい』


『俺たちは、逃げるの得意だったからな』


 俺は目を閉じた。


 ゼロの声が、頭の中に蘇る。


 軽い調子。


 ふざけた言葉遣い。


 だが、最後の一文だけは、妙に真面目だった。


『最後に一つ』


『レオンさんを信用するな』


『あの人は、まだ生きている』


 俺は目を開けた。


 手紙の最後には、こう書かれていた。


『そして、もしあの人が灰の城に来たら』


『絶対に、城の地下を開けるな』


     ◇


 俺は手紙を置いた。


「……地下?」


 セバスが静かに頷いた。


「はい」


「何がある?」


「存じません」


 俺は眉をひそめた。


「知らない?」


「はい。初代主ゼロ様は、地下最深部を封印されました」


「……理由は?」


「我らには明かされておりません」


 俺は天井を見上げた。


 面倒な話になってきた。


 レオン。


 黒獅子連合の盟主。


 ゲーム時代、俺が何となく見ていた配信者。


 その男が、まだ生きている。


 そして、ゼロはそいつを信用するなと言っている。


「……セバス」


「はい」


「レオンって奴について、何か知ってるか?」


 セバスの表情が変わった。


 それまで穏やかだった老人の顔に、明確な恐怖が浮かんだ。


「獅子王レオン……」


 その名を口にするだけで、声が震えている。


「かつて、この大陸の半分を支配した存在です」


「……今は?」


「百年以上、姿を現しておりません」


「死んだのか?」


「いいえ」


 セバスは首を横に振った。


「生きております」


「どうして分かる?」


「……黒獅子の城が、今も動いているからです」


 俺は黙った。


 セバスは続けた。


「黒獅子連合の本拠地、獅子王城」


「……ああ」


 覚えている。


 ゲーム時代、レオンたちが所有していた巨大な城だ。


 課金とイベント報酬を注ぎ込み、何度も改築された最上位クラン拠点。


 防衛設備もNPCも、桁違いだった。


「その城は、現在も大陸中央部に存在します」


「……そうか」


「そして、百年に一度、城から軍勢が現れます」


 俺は顔を上げた。


「軍勢?」


「はい」


 セバスの声が低くなった。


「黒獅子の軍勢です」


     ◇


 その夜。


 俺は城の最上階にある部屋で、一人考えていた。


 窓の外には、月が二つ浮かんでいる。


 この世界が地球ではないことを、改めて実感した。


 机の上には、ゼロの手紙。


 そして、古い地図。


 大陸中央部に、黒い印が付いている。


 獅子王城。


 レオンの本拠地。


 俺は地図を見つめた。


 ゲーム時代、レオンは人気者だった。


 陽気で、面白くて、視聴者を大切にしていた。


 少なくとも、配信ではそう見えた。


 だが、この世界では違ったらしい。


 何百年も生き、国家を滅ぼし、恐怖の象徴になっている。


 俺はため息をついた。


「……会いたくねえな」


 正直な感想だった。


 レオンのキャラクターは、レベル百二十。


 当時のゲームでは、最上位クラスだった。


 装備も最高級。


 俺とは比較にならない。


 そんな相手が、数百年もこの世界で生きている。


 勝てるわけがない。


 そもそも、戦う理由もない。


 俺は静かに暮らしたいだけだ。


 できれば、城の中で。


 安全に。


 面倒事に巻き込まれずに。


 だが。


 ゼロの手紙が、どうしても気になった。


『地下を開けるな』


 何があるのか。


 知らない方がいい。


 そう思う。


 だが、知らなければ、守ることもできない。


 俺は椅子から立ち上がった。


「……見に行くだけなら、いいよな」


 誰にともなく呟いた。


 そして、地下へ向かった。


     ◇


 灰の城の地下は、想像以上に深かった。


 石造りの階段。


 古い魔法灯。


 湿った空気。


 途中には、何重もの封印が施されていた。


 だが、俺が近づくと、封印は静かに解除された。


『クランマスター権限を確認』


『通行許可』


 そんな文字が浮かぶ。


 俺は嫌な予感を覚えた。


 これ、開けちゃ駄目なやつじゃないか。


 ゼロは地下を開けるなと言っていた。


 だが、俺はもうここまで来てしまった。


 最深部には、巨大な扉があった。


 黒い金属。


 表面には、複雑な魔法陣。


 そして、中央にはXの紋章。


 俺は扉の前に立った。


 すると、文字が浮かんだ。


『最終保管庫』


『管理者権限:確認』


『封印状態:正常』


『開放しますか?』


 俺はしばらく考えた。


 そして。


「……いや、開けない」


 そう答えた。


 ゼロが開けるなと言った。


 なら、開けない方がいい。


 俺は踵を返した。


 その瞬間。


 背後から、声が聞こえた。


『……よう』


 俺は足を止めた。


 聞き覚えのある声だった。


『久しぶりだな』


 軽い調子。


 少し笑いを含んだ声。


 ゲーム時代、何度も聞いた。


 俺はゆっくり振り返った。


 扉の中央に、半透明の映像が浮かんでいた。


 若い男。


 黒い髪。


 笑った顔。


 ゼロだった。


『……誰か知らんけど』


 映像の男が笑う。


『ここまで来たってことは、相当な物好きだな』


 俺は呆然とした。


 録画。


 いや、ゲーム内のメッセージ機能だろうか。


『まあ、いいや』


 ゼロは続けた。


『これを見てるってことは、俺はもう死んでるんだろう』


『で、お前はXの最後の生き残りってわけだ』


 俺は黙って聞いていた。


『先に言っとく』


 ゼロの表情が、真剣になった。


『この地下にあるのは、兵器だ』


 俺は息を呑んだ。


『ゲーム時代、俺たちが手に入れたものじゃない』


『この世界に来てから作った』


『レオンさんを殺すための兵器だ』


 俺は扉を見た。


『でも、完成しなかった』


『いや、完成はした』


『ただ、使えなかった』


 ゼロは苦笑した。


『理由は簡単』


『使えば、この大陸の半分が吹き飛ぶ』


 俺は固まった。


 何だそれ。


 そんなもの、地下に置くなよ。


『だから封印した』


『俺たちは、最後までレオンさんに勝てなかった』


『でも、あの人も俺たちを完全には潰せなかった』


『理由は分かるか?』


 ゼロは笑った。


『俺たち、逃げるのだけは得意だったからな』


 俺は思わず笑ってしまった。


 確かに。


 Xはそういうクランだった。


 正面から勝てないなら逃げる。


 敵が強ければボスに突っ込ませる。


 勝てる相手だけ襲う。


 実に性格の悪い連中だった。


『だから、最後に来た奴にも言っとく』


 ゼロの声が、少しだけ柔らかくなった。


『無理すんな』


『勝てない相手とは戦うな』


『逃げろ』


『隠れろ』


『それでも駄目なら、誰かに倒してもらえ』


 俺は目を閉じた。


 懐かしい。


 あの頃のチャットが、頭の中に蘇る。


『Xはそういうクランだろ?』


 映像が薄れていく。


『じゃあな』


 ゼロは最後に笑った。


『また、どっかでPKしようぜ』


 映像が消えた。


 地下には、静寂だけが残った。


 俺はしばらく、その場に立っていた。


 そして、小さく呟いた。


「……馬鹿野郎」


 もう、PKなんかできねえよ。


 こっちじゃ、死んだら終わりなんだから。


     ◇


 翌朝。


 城の鐘が鳴った。


 けたたましい音だった。


 俺は飛び起きた。


 窓の外を見る。


 空が赤い。


 いや。


 赤いのは、空ではない。


 巨大な魔法陣が、雲の上に浮かんでいた。


 その中心に、黒い獅子の紋章。


 俺は息を呑んだ。


「……嘘だろ」


 扉が開く。


 セバスが飛び込んできた。


「クロウ様!」


「分かってる!」


 俺は窓を見た。


 黒い獅子。


 レオンの紋章。


 その下には、無数の飛行魔物がいた。


 黒い鎧の騎士。


 巨大な竜。


 魔法で空を飛ぶ兵士たち。


 そして。


 空の中心に、一人の男が浮かんでいた。


 金色の鎧。


 赤いマント。


 巨大な剣。


 見覚えがあった。


 ありすぎた。


 レオン。


 ゲーム実況者。


 黒獅子連合の盟主。


 獅子王。


 三百年以上、この世界に君臨する怪物。


 その男が、空から灰の城を見下ろしていた。


 そして、笑った。


『よう』


 声が、空から響いた。


『久しぶりだな』


 俺は固まった。


 レオンの声だった。


 配信で何度も聞いた、あの声。


『まさか、まだXの奴が残ってるとは思わなかったぜ』


 俺は窓の陰に身を隠した。


 いや。


 ちょっと待て。


 何で来るんだよ。


 俺は何もしてないぞ。


『しかも、クランマスター権限まで持ってるらしいじゃねえか』


 レオンは笑った。


『懐かしいなあ。非公式の第十クラン』


 その声には、昔と変わらない陽気さがあった。


 だが、次の言葉は違った。


『で?』


 空気が冷えた。


『ゼロが隠した兵器、どこにある?』


 俺は息を止めた。


 やっぱり。


 それが目的か。


 レオンは続けた。


『あれ、俺に渡してくれねえかな』


 俺は答えなかった。


『別に、お前を殺したいわけじゃねえんだよ』


 その声は、妙に優しかった。


『昔のよしみだろ?』


 俺は拳を握った。


 昔のよしみ。


 確かに、俺はレオンの配信を見てゲームを始めた。


 クランにも参加した。


 楽しかった。


 だが。


 ゼロは言っていた。


 信用するな、と。


 俺は窓の外を見た。


 レオンの背後には、数百の兵士がいる。


 レベルも装備も、こちらとは比較にならない。


 正面から戦えば、確実に負ける。


 だが。


 俺は思い出した。


 ゼロの最後の言葉。


『勝てない相手とは戦うな』


『逃げろ』


『隠れろ』


『それでも駄目なら、誰かに倒してもらえ』


 俺はゆっくり笑った。


「……そうだよな」


 俺は無課金プレイヤーだ。


 最強装備なんて持っていない。


 レベルも低い。


 課金者には勝てない。


 だが。


 だからこそ、俺たちは別の戦い方を覚えた。


 俺はセバスを見た。


「この城の周りに、強い魔物はいるか?」


 セバスが頷いた。


「はい。北の山脈には、古代竜の巣がございます」


「ほかには?」


「東の深淵には、魔王級の魔物が封印されております」


「ほかには?」


 セバスは少し考えた。


「……西の死霊谷には、数万のアンデッドが」


 俺は笑った。


「十分だ」


 セバスは不思議そうな顔をした。


「クロウ様?」


 俺は窓の外を見た。


 空には、黒獅子の軍勢。


 その中心に、レオン。


 かつての人気実況者。


 今では、この世界の怪物。


 俺は短剣を抜いた。


「……久しぶりにやるか」


 ゲーム時代、何度も繰り返した戦法。


 強い敵に一撃入れる。


 追いかけさせる。


 そして。


 もっと強い敵のところへ連れていく。


「PKじゃねえけどな」


 俺は笑った。


「久しぶりに、トレインでもしてやるよ」


     ◇


 レオンは、空から灰の城を見下ろしていた。


 その表情には、余裕があった。


 当然だ。


 彼はこの世界で、三百年以上も生きている。


 数え切れないほどの敵を倒し、国家を滅ぼし、神と呼ばれる存在すら屈服させてきた。


 今さら、非公式クランの末端プレイヤーなど恐れる理由はない。


 しかも、相手はレベル六十八。


 ゲーム時代なら、片手で倒せる雑魚だった。


『おーい、クロウ』


 レオンは笑った。


『聞こえてるだろ?』


 返事はない。


『出てこいよ。別に殺さねえって』


 そのとき。


 城の門が開いた。


 一人の男が現れた。


 灰色の外套。


 二本の短剣。


 黒い軽装鎧。


 そして、胸元にはXの紋章。


 レオンは目を細めた。


『……へえ』


 懐かしい姿だった。


 ゲーム時代、何度か配信で見たことがある。


 非公式第十クランの、無課金プレイヤー。


 名前はクロウ。


 確か、PKが好きな奴だった。


『お前、まだそんな装備使ってんの?』


 レオンは笑った。


『懐かしいなあ』


 クロウは何も答えない。


 ただ、静かに立っている。


 レオンは肩をすくめた。


『まあいいや。兵器を渡せ』


 クロウは、ゆっくり短剣を構えた。


 レオンは一瞬、呆れた顔をした。


『……マジ?』


 そして、笑った。


『お前、俺と戦うつもり?』


 クロウは答えなかった。


 代わりに。


 短剣を投げた。


 銀色の刃が、空を切る。


 レオンの頬をかすめた。


 ダメージは、ほぼゼロ。


 だが。


 レオンの笑みが消えた。


『……おい』


 低い声だった。


『今、俺を攻撃したか?』


 クロウは、静かに言った。


「……ああ」


『へえ』


 レオンの瞳が細くなる。


『いい度胸じゃねえか』


 次の瞬間。


 クロウは、全力で逃げた。


     ◇


「追え!」


 レオンの命令が響いた。


 黒獅子の軍勢が動く。


 空を飛ぶ騎士。


 巨大な竜。


 魔法使いたち。


 そのすべてが、灰色の外套を追いかけた。


 クロウは森へ飛び込んだ。


 隠密。


 疾走。


 気配遮断。


 移動速度上昇。


 使える技能を、すべて使う。


 背後から魔法が降り注ぐ。


 木々が砕ける。


 地面が爆発する。


 だが、クロウは止まらない。


 正面から戦えば、確実に死ぬ。


 だから、逃げる。


 ただ、それだけだ。


 そして。


 クロウは、北の山脈へ向かった。


 古代竜の巣。


 そこには、三百年以上眠り続ける怪物がいた。


 レオンの軍勢が追ってくる。


 クロウは山道を駆け上がった。


 そして、巨大な洞窟の前で立ち止まった。


「……さて」


 俺は息を吐いた。


 背後には、数百の敵。


 前方には、古代竜の巣。


 普通なら、絶望的な状況だ。


 だが。


 俺は笑った。


「……昔を思い出すな」


 夜中の放置狩り。


 敵対クラン。


 ボスへの誘導。


 そして、チャット欄に流れる罵声。


 懐かしい。


 実に懐かしい。


 俺は洞窟へ向かって、短剣を投げた。


 暗闇の奥で、何かが動いた。


 巨大な瞳が開く。


 古代竜。


 レベル不明。


 危険度、測定不能。


 俺は振り返った。


 レオンの軍勢が迫ってくる。


 そして。


 俺は、にやりと笑った。


「……ようこそ」


 短剣を構える。


「第十クランの狩場へ」


     ◇


 その日。


 北方山脈で、巨大な戦闘が起こった。


 黒獅子の軍勢と、古代竜の群れ。


 さらに、東の深淵から解き放たれた魔物たち。


 西の死霊谷から押し寄せるアンデッド。


 それらが、次々と黒獅子の軍勢に襲いかかった。


 誰が、何をしたのか。


 詳しいことは分からない。


 ただ、一つだけ確かなことがある。


 黒獅子の軍勢は、壊滅した。


 数百の兵士。


 数十の竜。


 強大な魔法使いたち。


 そのほとんどが、北方山脈で命を落とした。


 そして。


 獅子王レオンも、姿を消した。


 生死は不明。


 ただ、最後に目撃されたのは、灰色の外套を纏った一人の男を追いかける姿だったという。


 その男は、二本の短剣を持っていた。


 胸元には、黒い十字。


 そして、戦場から一度も剣を交えることなく姿を消した。


 後世の歴史家たちは、その戦いをこう呼んだ。


『第十軍団の復讐』


 あるいは。


『亡霊の狩り』


     ◇


 それから、一か月が経った。


 俺は灰の城の自室で、のんびりお茶を飲んでいた。


 窓の外には、穏やかな山々が広がっている。


 鳥が鳴いている。


 風が気持ちいい。


 実に平和だった。


「……いやー、死ぬかと思った」


 俺は呟いた。


 実際、何度も死にかけた。


 古代竜の巣へ敵を誘導したまではよかった。


 だが、その後が大変だった。


 レオンの軍勢は、想像以上に強かった。


 古代竜を何匹も倒し、魔物の群れを蹴散らした。


 そこで、俺は次の巣へ逃げた。


 さらに次へ。


 そして、次へ。


 気が付けば、山脈全体を巻き込む大騒動になっていた。


 最後は、何が何だか分からなくなった。


 俺は隠密を使って逃げ回り、何とか城へ戻った。


 レオンがどうなったのかは知らない。


 だが、少なくとも今のところ、追ってくる気配はない。


 それで十分だった。


 扉が開く。


 セバスが入ってきた。


「クロウ様」


「ん?」


「王国より使者が参っております」


 俺は顔をしかめた。


「……また?」


「はい」


「今度は何だ?」


「和平条約の締結を求めております」


 俺はため息をついた。


 面倒くさい。


 実に面倒くさい。


 俺はただ、静かに暮らしたいだけなのに。


「……適当に対応しといて」


「承知いたしました」


 セバスは深く頭を下げた。


 そして、嬉しそうに微笑んだ。


「やはり、クロウ様は偉大なお方です」


「……何で?」


「獅子王の軍勢を壊滅させながら、なおも人間たちとの和平を望まれるとは」


 俺は黙った。


 いや。


 別に、そんな大層なこと考えてないんだけど。


 ただ、戦争したくないだけだ。


 セバスは続けた。


「初代主ゼロ様も、きっとお喜びでしょう」


 俺は窓の外を見た。


 青い空。


 白い雲。


 遠くの山々。


 そして、城の中庭で遊ぶ子供たち。


 人間。


 獣人。


 魔族。


 アンデッド。


 種族は違うが、みんな楽しそうだった。


 俺は少しだけ笑った。


「……そうだといいな」


 ゼロ。


 お前が残した城は、ちゃんと守ったぞ。


 まあ、ほとんど逃げ回ってただけだけど。


 俺はお茶を飲んだ。


 そして、ふと思い出した。


 ゲーム時代。


 Xのクランチャットで、誰かが言っていた。


『俺たち、弱いけどしぶといよな』


 そのとき、ゼロが答えた。


『当たり前だろ。Xは最強じゃない』


『でも、最後まで残るのは俺たちだ』


 俺は小さく笑った。


「……本当にそうなっちまったな」


 窓の外で、風が吹いた。


 灰色の外套が揺れる。


 胸元には、黒い十字。


 かつて、人気実況者の視聴者が勝手に作った、非公式の第十クラン。


 誰にも認められず。


 誰にも期待されず。


 ただ、好き勝手に遊んでいた連中。


 その最後の一人が。


 今では、この世界で最も恐れられる存在になっている。


 ……らしい。


 正直、実感はない。


 俺はただの無課金プレイヤーだ。


 強い奴には勝てない。


 だから逃げる。


 逃げて、隠れて、罠にかける。


 それだけだ。


 俺は椅子にもたれかかった。


「……さて」


 今日も平和だ。


 何も起こらないといい。


 そう思いながら、目を閉じた。


 だが、そのとき。


 視界の端に、一つの通知が浮かんだ。


『フレンドがログインしました』


 俺は目を開けた。


 表示された名前を見て、固まった。


『レオン』


 状態:オンライン。


 そして、メッセージが届いた。


『おいクロウ』


『お前、マジでふざけんなよwww』


 俺は天井を見上げた。


「……生きてんのかよ」


 思わず笑った。


 そして、返信した。


『追いかけてくる方が悪い』


 数秒後。


 返事が来た。


『昔から変わんねえな、お前w』


 俺は少し考えた。


 そして、こう送った。


『次はもっと強いボスのところに連れてくぞ』


 しばらくして。


『やめろwww』


 そんな返事が届いた。


 俺は笑った。


 三百年以上の時を越えて。


 世界が変わっても。


 俺たちは、どうやら大して変わらないらしい。


 もっとも。


 次に会うときは、できれば殺し合いではなく。


 昔みたいに、くだらない話でもしたいものだ。


 俺は画面を閉じた。


 そして、静かに呟いた。


「……お疲れ、レオンさん」


 窓の外では、今日も穏やかな風が吹いていた。


 黒き十字の旗が、ゆっくりと揺れている。


 非公式第十クラン、X。


 その最後の構成員は、今日も平和に暮らしている。


 少なくとも、本人はそのつもりだった。


――完――

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