第十クランの亡霊
――最強の軍団に所属していた。ただし、非公式の末端クランである。
俺がそのゲームを始めた理由は、実にくだらないものだった。
暇だったからだ。
当時四十二歳。独身。地方都市の中小企業に勤める、ごく普通の会社員。
仕事から帰って飯を食い、風呂に入って、あとは寝るだけ。
そんな生活を十年以上続けていた。
ある金曜日の夜、缶ビールを片手に動画サイトを眺めていると、一人のゲーム実況者がライブ配信をしていた。
『新作MMORPG! 無課金でも大歓迎! みんなで最強クラン作ろうぜ!』
画面の中では、派手な鎧を着たキャラクターが巨大なドラゴンと戦っていた。
ゲームの名前は『エルダー・レガシー・オンライン』。
略してELO。
基本プレイ無料のスマートフォン向けMMORPGである。
種族を選び、職業を決め、装備を集め、モンスターを狩る。
よくあるゲームだ。
ただし、一つだけ特徴があった。
プレイヤー同士の殺し合いが、ほぼ自由にできること。
安全地帯を出れば、他人のキャラクターを攻撃できる。
当然、殺されれば経験値を失い、場合によっては装備まで落とす。
なかなか殺伐としたゲームだった。
配信者の名前はレオン。
登録者数十万人の人気実況者で、課金額も相当なものらしい。
俺はその配信を見ながら、何となくゲームをダウンロードした。
どうせ無料だ。
つまらなければ消せばいい。
そう思っていた。
ところが、これが意外と面白かった。
最初はモンスターを倒して装備を集めるだけだったが、やがてプレイヤー同士の抗争に巻き込まれるようになった。
レオンが立ち上げたクランには、配信を見ていた百人以上が殺到した。
しかし、一つのクランに加入できる人数は初期状態で二十人。
施設を強化しても最大五十人まで。
当然、全員は入れない。
そこで第二クラン、第三クランと次々に系列クランが作られた。
俺が参加しようとした頃には、第九クランまで埋まっていた。
仕方がないので諦めようとしたところ、チャット欄に妙な書き込みが流れた。
『非公式だけど第十クラン作りました! 入りたい人どうぞ!』
そのクランの名前が『X』だった。
何のひねりもない。
十番目だからローマ数字の十。
それだけだ。
しかも、設立したのはレオン本人ではなく、配信を見ていた一般視聴者だった。
レオンも存在は知っていたが、公式系列には含めていなかった。
『おい、誰だよ第十クラン勝手に作った奴! まあいいけどさ! お前ら好きにやってんなあ!』
そんなふうに配信で笑われる程度の扱いだった。
俺はそのクランに加入した。
キャラクター名はクロウ。
種族は人間。
職業は斥候から派生する特殊職、夜歩き。
隠密、索敵、移動速度に優れた職業だったが、正面からの殴り合いには弱い。
選んだ理由は単純である。
逃げるのが楽そうだったからだ。
課金はほとんどしなかった。
月に一度、数百円の便利アイテムを買う程度。
当然、重課金者には勝てない。
レオンの本隊には、武器一本に何十万円もかけている連中がいた。
そんな相手と同じ土俵に立つ気はなかった。
だが、弱いなら弱いなりに遊び方はある。
夜中に自動戦闘で放置狩りをしているプレイヤーを襲う。
相手が強ければ、一撃だけ入れて逃げる。
追いかけてきた相手を、中ボスやフィールドボスのいる場所まで誘導する。
あとは自分だけ隠密で逃げる。
運が良ければ、ボスが相手を殺してくれる。
実に性格の悪い遊び方だった。
もっとも、俺だけではない。
レオンの本隊も、系列クランも、似たようなことをしていた。
敵対クランの放置狩りを潰す。
狩場を占拠する。
ボス討伐を妨害する。
敵の主力が現れたら逃げ、いなくなったらまた襲う。
ゲーム内では、俺たちの連合はかなり嫌われていた。
そして、俺自身もそれを楽しんでいた。
ゲームだから。
画面の向こうの相手が怒っているのを想像して、笑っていた。
今になって思えば、あまり褒められた趣味ではなかったと思う。
だが、その頃の俺にとっては、仕事のストレスを発散するための遊びだった。
それから二年ほど経ったある日。
俺は、いつものようにゲームを起動した。
メインキャラクターではなく、倉庫代わりに育てていたサブキャラクターである。
名前は同じクロウ。
正確には、名前の末尾に小さな記号が付いていた。
職業は夜歩き。
レベルは六十八。
装備はイベントで配布されたものと、安く買い集めた中古品ばかり。
なぜそんなキャラを使っていたのかといえば、メインキャラクターが敵対クランに目を付けられていたからだ。
たまには静かに素材集めでもしたかった。
それだけである。
その夜、ゲームは大型アップデートを控えていた。
俺は適当な狩場で自動戦闘を設定し、スマートフォンを充電器につないだ。
そして、眠った。
目を覚ましたとき。
俺は、知らない森の中にいた。
◇
最初に感じたのは、土の臭いだった。
湿った落ち葉。
苔。
腐りかけた木の根。
それから、頬を撫でる冷たい風。
「……は?」
俺は目を開けた。
頭上には、巨大な木々が枝を広げていた。
空は薄暗い。
鳥の鳴き声が聞こえる。
遠くで何かが唸った。
「いやいやいや」
起き上がろうとして、違和感に気付いた。
身体が軽い。
いや、軽いというより、思った通りに動く。
四十代の身体とは思えない。
俺は自分の手を見た。
黒い革手袋。
腕には使い古された軽装鎧。
腰には二本の短剣。
背中には灰色の外套。
見覚えがあった。
ありすぎた。
「……クロウ?」
それは、昨夜までスマートフォンの画面で操作していたキャラクターの姿だった。
俺は慌てて周囲を見回した。
スマートフォンはない。
財布もない。
寝ていたはずの布団もない。
代わりに、視界の端に半透明の文字が浮かんでいた。
名前:クロウ
種族:人間
職業:夜歩き
レベル:68
所属:X
状態:正常
「……マジかよ」
しばらく呆然とした。
夢だと思いたかった。
だが、頬をつねると痛い。
地面に手をつくと、湿った土の感触がある。
鼻を近づければ、腐葉土の臭いまでした。
ゲームのグラフィックにしては、あまりにも生々しい。
俺は試しに、ゲーム内で使っていた技能を口にした。
「隠密」
身体の輪郭が薄くなった。
周囲の景色に溶け込むような、不思議な感覚。
足元の落ち葉を踏んでも、音がしない。
「……使えるのか」
続けて、索敵を発動する。
視界に赤い点がいくつも浮かんだ。
近くに敵性生物がいるらしい。
その一つが、こちらに近づいてきた。
茂みが揺れる。
現れたのは、犬ほどの大きさの狼だった。
ただし、普通の狼ではない。
額から短い角が生えている。
ゲームで見たことがある。
ホーンウルフ。
初心者向けの雑魚モンスターだ。
レベルは八前後。
俺は腰の短剣を抜いた。
狼が飛びかかってくる。
反射的に身体が動いた。
横に一歩。
短剣を振る。
それだけだった。
狼の首が裂けた。
血が飛び散る。
生暖かい液体が手袋に付着した。
「うわっ!」
思わず後ずさった。
狼は地面で痙攣していた。
赤い血が落ち葉を濡らしていく。
ゲームなら、ここで死体が光の粒になって消える。
だが、消えなかった。
狼は最後に一度だけ足を動かし、そのまま動かなくなった。
俺はしばらく死体を見つめた。
「……これ、本物かよ」
胃の奥が気持ち悪くなった。
画面の中では何万匹も殺したモンスターだ。
だが、実際に殺すと、こんなにも違うものなのか。
俺は短剣を拭い、鞘に戻した。
そして、できるだけ死体を見ないようにして歩き出した。
まずは人を探そう。
そう考えた。
このときの俺は、まだ知らなかった。
この世界で『X』という文字が、どれほど恐れられているのかを。
◇
森を抜けるまでに、三時間ほどかかった。
途中で何匹かモンスターに遭遇したが、隠密を使えば簡単に避けられた。
ゲーム時代の知識も役に立った。
魔物には縄張りがある。
強い個体ほど、決まった範囲を巡回する。
索敵技能を使えば、接触する前に位置を把握できる。
もっとも、森の地形そのものはゲームとは違っていた。
見覚えのある木も岩もない。
地図を開こうとしても、表示されるのは周囲の狭い範囲だけだった。
世界地図は真っ黒。
転移直後だからだろうか。
それとも、ここはゲームとは別の世界なのか。
考えても答えは出ない。
やがて、木々の向こうに街道が見えた。
土を踏み固めただけの道だが、馬車の轍が残っている。
人がいる。
そう思った瞬間、遠くから悲鳴が聞こえた。
「助けてくれ!」
俺は反射的に身を低くした。
声の方向を見る。
街道を走る荷馬車。
それを追う、武装した男たち。
盗賊だろうか。
男は六人。
剣や斧を持っている。
荷馬車には御者と、若い女性が一人。
御者は肩から血を流していた。
女性が必死に何かを叫んでいる。
俺は迷った。
助けるべきか。
いや、まず状況が分からない。
追っている方が正規の兵士で、逃げている方が犯罪者という可能性もある。
ゲームでは、他人の争いに首を突っ込むとろくなことにならなかった。
俺は隠密を発動し、木の陰から様子を見ることにした。
すると、盗賊らしき男の一人が叫んだ。
「女は生かせ! 男は殺せ!」
なるほど。
分かりやすい悪党だった。
俺はため息をついた。
「……仕方ないか」
短剣を抜く。
背後から近づく。
最後尾の男に接近し、首筋へ短剣を当てた。
その瞬間、手が止まった。
殺すのか。
人間を。
狼とは違う。
相手は人間だ。
俺は短剣を引き、代わりに柄で後頭部を殴った。
男が倒れる。
続いて、隣の男の膝裏を蹴り、地面に転がした。
「なっ!?」
残りの四人が振り返る。
俺は距離を取った。
「おい、お前ら。そこまでにしとけ」
自分でも驚くほど、落ち着いた声が出た。
盗賊たちは俺を見た。
黒い軽装鎧。
灰色の外套。
二本の短剣。
そして、顔の下半分を覆う布。
ゲーム時代の、いかにも斥候らしい格好だ。
「何者だ!」
「通りすがりだよ」
「ふざけるな!」
男が斧を振り上げた。
遅い。
あまりにも遅い。
俺は横に避け、男の手首を蹴った。
斧が落ちる。
そのまま腹を殴ると、男は地面を転がった。
残りの三人も、たいした抵抗はできなかった。
全員を殺さずに無力化するまで、一分もかからなかったと思う。
俺は倒れた男たちを見下ろした。
「……弱すぎないか?」
思わず呟いた。
ゲーム内では、俺のレベル六十八など中堅以下だった。
だが、目の前の男たちはレベル十にも届いていないように感じる。
もしかして、この世界では俺も結構強いのだろうか。
そんなことを考えていると、荷馬車から女性が降りてきた。
年齢は二十歳前後。
栗色の髪を後ろで束ね、旅装を身に着けている。
「あ、ありがとうございます!」
「ああ、いや。無事ならいいんだけど」
女性は何度も頭を下げた。
御者も肩を押さえながら礼を言う。
どうやら、近くの街へ向かう商人の娘らしい。
名前はエリナ。
父親の店に商品を届ける途中で、盗賊に襲われたという。
「よろしければ、街までご一緒しませんか?」
ありがたい申し出だった。
俺は即座に頷いた。
ようやく人里に行ける。
だが、その直後。
エリナの視線が、俺の胸元に止まった。
「……あの」
「ん?」
「その紋章は……」
彼女が指さしたのは、外套の留め具だった。
黒い金属に刻まれた、銀色の文字。
X。
ゲーム時代、クラン加入者に配布された安物の記念アイテムである。
性能はない。
装備欄すら使わない、ただの飾りだ。
「ああ、これ?」
俺は何気なく答えた。
「昔いたクランのマークだよ」
その瞬間。
エリナの顔から血の気が引いた。
「……え?」
彼女は一歩後ずさった。
御者も、俺の胸元を見て固まっている。
「どうした?」
エリナの唇が震えた。
「だ、第十……」
「ん?」
「第十の、黒い十字……?」
俺は首を傾げた。
黒い十字?
いや、これローマ数字の十なんだけど。
そう説明しようとした。
しかし、その前にエリナが膝をついた。
「お、お許しください!」
「は?」
「どうか、命だけは……!」
俺は完全に混乱した。
助けた相手が、なぜか命乞いをしている。
何がどうなっているのか。
さっぱり分からなかった。
◇
街に着くまで、エリナはほとんど口を開かなかった。
俺が話しかけると、びくりと肩を震わせる。
御者に至っては、目を合わせようともしない。
正直、かなり居心地が悪かった。
だが、街の門が見えたとき、その理由の一端が分かった。
門の上には、大きな石像が飾られていた。
剣を掲げる騎士。
その足元には、奇妙な旗が刻まれている。
黒地に赤い獅子。
見覚えがあった。
「……おいおい」
思わず声が漏れた。
それは、レオンのクランの紋章だった。
ゲーム時代、何度も見た。
攻城戦で掲げられていた旗。
配信画面の隅に表示されていたエンブレム。
間違いない。
俺が所属していたクラン連合の、本隊の紋章だ。
だが、その紋章は石像の足元で踏みつけられていた。
俺は門に刻まれた文字を見た。
読める。
知らない文字のはずなのに、意味が頭に入ってくる。
『建国の英雄アルベルト、黒獅子の災厄を討つ』
黒獅子。
それが、レオンのクランの呼び名だった。
俺は思わず笑いそうになった。
いや、笑えなかった。
なぜなら、石像の騎士にも見覚えがあったからだ。
金色の鎧。
青いマント。
長い銀髪。
そして、特徴的な片手剣。
「……アルベルト?」
ゲーム時代の敵対クランにいた、有名な重課金プレイヤーだった。
何度も戦場で見た。
もちろん、俺が正面から勝てる相手ではない。
だが、一度だけ殺したことがある。
いや、正確には殺してもらった。
夜中、放置狩りをしていたアルベルトに一撃入れ、近くのフィールドボスまで引っ張ったのだ。
ボスの範囲攻撃に巻き込まれ、アルベルトは死亡した。
そのときのチャットは、今でも覚えている。
『クロウてめえええええ!』
あれは面白かった。
翌日の配信でも話題になった。
レオンが腹を抱えて笑っていた。
だが。
目の前には、そのアルベルトの石像がある。
しかも、建国の英雄として。
「……どういうことだよ」
俺は呟いた。
すると、隣にいたエリナが恐る恐る口を開いた。
「アルベルト陛下は、三百二十年前にこの国を建てられた英雄です」
三百二十年前。
俺はその言葉を、頭の中で何度も繰り返した。
「……三百二十年?」
「はい」
「その人、もう死んでるのか?」
エリナは驚いた顔をした。
「もちろんです。陛下は建国から六十八年後に崩御されました」
俺は石像を見上げた。
ゲーム時代の敵対プレイヤー。
俺より遥かに強かった男。
そいつが、この世界では三百年以上前の人物になっている。
つまり。
俺以外のプレイヤーは、ずっと昔にこの世界へ来ていた。
そういうことなのか。
◇
街の名前は、ベルク。
アルベルト王国の北部にある交易都市だった。
俺はエリナの紹介で宿を取ることができた。
幸い、ゲーム内の所持金はそのまま使えた。
ただし、金貨の価値が分からない。
試しに一枚出したところ、宿の主人が目を丸くした。
どうやら、かなり高額らしい。
俺は慌てて引っ込め、代わりに銀貨を渡した。
部屋に入ると、すぐに扉を閉めた。
「……さて」
ようやく一人になれた。
まずは情報整理だ。
俺はベッドに腰を下ろし、ステータス画面を開いた。
レベル六十八。
職業、夜歩き。
装備、変更なし。
所持品もそのまま。
倉庫は開けない。
フレンドリストは表示されるが、全員オフライン。
チャットも使用不可。
クラン画面を開く。
所属:X。
クランレベル:17。
クランマスター:ゼロ。
メンバー数:1/50。
「……一人?」
俺は眉をひそめた。
ゲーム時代、Xには四十人以上が所属していたはずだ。
ほとんどログインしない幽霊部員もいたが、それでも一人ということはない。
一覧を開く。
表示されているのは、俺の名前だけ。
ほかのメンバーは、すべて灰色になっていた。
退会済み。
死亡。
所在不明。
そんな表示が並んでいる。
「……死亡?」
俺は画面を凝視した。
ゲームでは見たことのない表記だった。
嫌な予感がした。
だが、今はどうしようもない。
俺は画面を閉じ、ベッドに横になった。
天井を見つめる。
異世界。
ゲームキャラ。
三百年前のプレイヤー。
そして、X。
「……帰れるのかね、これ」
答える者はいなかった。
◇
翌朝、俺は街の図書館へ向かった。
正確には、神殿に併設された記録院だった。
エリナに聞いたところ、古い歴史書が保管されているという。
俺は受付で銀貨を払い、閲覧許可をもらった。
そして、三百年前の歴史を調べ始めた。
最初に分かったのは、この世界にかつて『降臨者』と呼ばれる存在が現れたということだった。
降臨者。
それが、プレイヤーの呼び名らしい。
彼らは突然現れ、常識外れの力を振るった。
ある者は国家を築き、ある者は魔王を討ち、ある者は大陸を滅ぼしかけた。
そして、その多くが同じ時代に現れている。
約三百八十年前。
俺が知っているゲームのプレイヤーたちが、この世界へ転移した時期だろう。
さらに調べると、黒獅子連合についての記録が見つかった。
『黒獅子の災厄』
そう題された分厚い歴史書だった。
俺はページをめくった。
そこには、信じられないことが書かれていた。
黒獅子連合は、降臨者の中でも最大級の勢力だった。
総勢二百名以上。
九つの軍団を持ち、強大な魔法と武具を操った。
その盟主は、獅子王レオン。
数十の都市を焼き、七つの王国を滅ぼしたとされる。
「……レオンさん、何やってんだよ」
思わず呟いた。
配信では、いつも陽気に笑っていた男だ。
課金額は凄まじかったが、そこまで残虐な人間には見えなかった。
もっとも、ゲーム内では敵対クランを容赦なく潰していた。
それが現実になれば、こうなるのかもしれない。
俺はページをめくった。
第一軍団。
第二軍団。
第三軍団。
見覚えのあるクラン名が並んでいる。
それぞれの指揮官も、知っている名前だった。
廃課金の戦士。
有名な魔法使い。
攻城戦で暴れ回っていた弓使い。
その多くが、歴史上の怪物として記録されている。
だが、第九軍団の記録が終わったところで、妙な記述があった。
『なお、黒獅子連合には、存在を認められていない第十の軍団があったとする説がある』
俺は手を止めた。
『その軍団は正式な指揮系統に属さず、盟主の命令すら受けなかった』
『戦場に現れては敵の後方を襲い、補給を断ち、時には魔物の群れを誘導して敵軍を壊滅させた』
『その行動は予測不能であり、黒獅子連合の敵のみならず、味方からも恐れられていた』
『軍団の紋章は、黒き十字』
『その名は、X』
俺は本を閉じた。
しばらく、何も考えられなかった。
いや。
ちょっと待て。
確かに、俺たちは勝手に動いていた。
敵対クランの狩場を荒らしたこともある。
ボスを引っ張って、敵を全滅させたこともある。
だが、それはゲーム内の話だ。
しかも、ほとんど嫌がらせ目的だった。
それがなぜ、歴史書に載っている。
俺はもう一度、本を開いた。
最後のページに、奇妙な一文があった。
『第十軍団の最後の構成員は、いまだ確認されていない』
その下には、古い詩が記されていた。
『黒き獅子が眠り、九つの牙が朽ち果てようとも、十番目の影は消えず』
『影は王を持たず、命令を受けず、ただ己の気まぐれに従う』
『もし黒き十字を掲げる者が現れたならば、決して追ってはならない』
『追う者は、必ず死ぬ』
俺は額を押さえた。
「……最後の一文、完全に俺たちのせいじゃねえか」
昔、追いかけてきた敵をボスに突っ込ませていた。
それが伝説になっているらしい。
笑えない。
本当に笑えなかった。
◇
記録院を出たとき、俺は三人の男に囲まれた。
全員、黒い外套を着ている。
腰には剣。
胸元には、銀色の鷹の紋章。
「クロウ殿ですね」
中央の男が言った。
「……誰だ?」
「王国監察局の者です」
嫌な予感がした。
「少々、お話を伺いたい」
俺は周囲を見た。
通行人が、こちらを避けて歩いている。
逃げようと思えば逃げられる。
だが、街中で騒ぎを起こすのは得策ではない。
「……何の話だ?」
男は俺の胸元を見た。
Xの紋章。
その瞬間、目が細くなった。
「その紋章についてです」
やっぱりか。
俺は内心でため息をついた。
どうやら、面倒なことになりそうだった。
◇
連れて行かれたのは、街の中心部にある石造りの建物だった。
監察局の支部らしい。
案内された部屋には、机と椅子が二つ。
窓には鉄格子。
いかにも尋問室という雰囲気だった。
俺は椅子に座った。
向かいには、白髪交じりの男がいる。
年齢は五十代ほど。
鋭い目をした人物だった。
「私は王国監察局北部支局長、グランと申します」
「クロウだ」
「存じております」
男は机の上に、一枚の紙を置いた。
そこには、俺の似顔絵が描かれていた。
昨日、盗賊を倒したときの姿だ。
「昨日、街道で六人の盗賊を無力化したそうですね」
「ああ」
「全員、生存しています」
「それが何か?」
「驚くべきことです」
グランは静かに言った。
「彼らは、この地方で悪名高い盗賊団の一部でした。隊長格の男は、元傭兵で、熟練の冒険者を何人も殺しています」
「……そうなのか」
「その六人を、一人で、しかも誰一人殺さずに制圧した」
グランは俺を見つめた。
「あなたは何者ですか?」
俺は少し考えた。
正直に答えても、信じてもらえないだろう。
ゲームの世界から来ました。
三百年前の英雄は、俺の知り合いです。
そんなことを言えば、頭がおかしいと思われる。
「ただの旅人だよ」
「ただの旅人が、黒き十字を身に着けているのですか?」
俺は黙った。
グランは続けた。
「その紋章が何を意味するか、ご存じでしょう」
「……まあ、少しは」
「では、なぜ今になって現れたのです?」
答えようがない。
俺だって知りたい。
グランはしばらく俺を見つめていたが、やがて一冊の古い書物を取り出した。
「三百二十年前、建国王アルベルト陛下は、ある人物を恐れていました」
俺は眉を上げた。
「……誰を?」
「黒獅子連合、第十軍団の一人です」
心臓が嫌な音を立てた。
グランは書物を開いた。
「名は、クロウ」
俺は固まった。
同名の別人。
そう思いたかった。
だが、次の言葉で、その希望は消えた。
「夜を歩く者。二本の短剣を持ち、灰色の外套を纏う。正面からの戦闘を避け、敵を魔物の巣へ誘導する」
完全に俺だった。
「アルベルト陛下は、その人物について、こう記しています」
グランは一度、言葉を切った。
「『奴は弱い。少なくとも、私より遥かに弱い』」
……うん。
間違いない。
「『だが、私は奴に敗れた』」
それも間違いない。
「『奴は戦わない。勝てない相手とは決して戦わない。逃げ、隠れ、誘い、そして最後には必ずこちらを死地へ導く』」
俺は目を逸らした。
いや。
そんな大層なものじゃない。
ただ、放置狩りしている相手をボスに突っ込ませただけだ。
「『私は奴を三度追い、三度死んだ』」
……三回もやったっけ?
ああ、そういえば。
アルベルトはしつこかった。
一度殺されると、復活して追いかけてきた。
それをまたボスに突っ込ませた。
そんなことを繰り返した記憶がある。
「『第十軍団を侮るな。彼らは弱者ではない。弱さを武器にする者たちだ』」
グランは本を閉じた。
そして、俺を見た。
「あなたは、三百二十年前のクロウ本人ですか?」
俺は答えなかった。
答えられなかった。
なぜなら、そのとき。
部屋の外から、悲鳴が聞こえたからだ。
◇
最初に聞こえたのは、金属がぶつかる音だった。
続いて、怒号。
そして、何かが砕ける音。
グランが立ち上がった。
「何事だ!」
扉が開く。
血まみれの兵士が転がり込んできた。
「し、支局長……!」
「どうした!」
「魔族が……!」
兵士の言葉は、そこで途切れた。
背中から、黒い槍が突き出た。
俺は反射的に椅子を蹴った。
兵士の身体が床に崩れる。
その向こうに、黒い鎧を着た男が立っていた。
いや。
男ではない。
額から二本の角が生えている。
肌は青白く、瞳は赤い。
魔族。
ゲーム内でも見たことのある種族だった。
だが、目の前の存在は、ただの雑魚ではない。
索敵技能が、警告を発していた。
対象レベル:92。
「……は?」
思わず声が漏れた。
レベル九十二。
俺より二十四も上だ。
ゲーム内なら、まず勝てない。
装備差まで考えれば、正面から戦うなど自殺行為である。
魔族は俺を見た。
そして、口元を歪めた。
「見つけたぞ」
低い声だった。
「黒き十字の残党」
俺は短剣に手をかけた。
魔族は笑った。
「三百年……長かった」
その言葉に、俺は違和感を覚えた。
三百年?
こいつも、昔から生きているのか。
「我が主の仇。黒獅子の犬ども」
魔族の瞳が、憎悪に燃えた。
「貴様らが、我らの国を滅ぼした!」
俺は息を呑んだ。
黒獅子連合。
レオンたちが、この世界で何をしたのか。
その答えの一つが、目の前に立っていた。
魔族が槍を構える。
「死ね」
次の瞬間。
俺は、全力で逃げた。
◇
窓を突き破り、外へ飛び出す。
ガラスが砕け散る。
地面に着地した瞬間、背後の壁が爆発した。
「うおおっ!?」
石片が飛び散る。
振り返ると、魔族が壁を破壊して追ってきていた。
速い。
かなり速い。
俺は移動速度上昇の技能を使った。
「疾走!」
身体が軽くなる。
石畳を蹴り、路地へ飛び込む。
背後から轟音。
建物の壁が砕けた。
「逃げるな!」
「逃げるに決まってんだろ!」
思わず叫び返した。
レベル九十二の魔族と、レベル六十八の無課金キャラ。
勝負になるわけがない。
俺は必死に走った。
角を曲がる。
屋根に飛び乗る。
隠密を使う。
だが、魔族は追ってきた。
索敵能力が高いらしい。
しかも、こちらの移動速度を上回っている。
「……まずいな」
このままでは追いつかれる。
俺は頭を回転させた。
逃げ切る方法。
敵を撒く方法。
いや。
違う。
俺がゲーム時代に得意だったのは、単純な逃走ではない。
追いかけてくる相手を、別の敵にぶつけることだ。
俺は街の外へ向かった。
門を飛び越え、街道を駆ける。
背後から魔族が追ってくる。
「無駄だ! 貴様の逃げ足など!」
俺は笑った。
いや、笑う余裕などなかった。
だが、少しだけ懐かしかった。
こうして格上の相手に追いかけられるのは、ゲーム時代によくあったことだ。
違うのは、死んだら復活できる保証がないこと。
それだけだった。
俺は索敵技能を最大範囲まで広げた。
赤い点。
赤い点。
赤い点。
そして。
森の奥に、一際大きな反応があった。
対象レベル:不明。
危険度:極大。
「……いた」
俺は進路を変えた。
魔族が追ってくる。
森へ入る。
木々の間を駆け抜ける。
やがて、巨大な洞窟が見えた。
入口には、白骨が散乱している。
人間のもの。
獣のもの。
そして、巨大な魔物のもの。
俺は迷わず洞窟へ飛び込んだ。
「愚かな!」
魔族が叫ぶ。
「袋小路に逃げ込むとは!」
俺は答えなかった。
洞窟の奥へ走る。
空気が冷たい。
腐敗臭がする。
そして、地面が震えた。
何かが目を覚ました。
暗闇の奥で、二つの赤い光が灯る。
巨大な瞳。
続いて、岩のような鱗。
太い四肢。
そして、洞窟いっぱいに広がる翼。
竜だった。
ただし、普通の竜ではない。
ゲーム内で、俺が何度も見たことのある存在。
フィールドレイドボス。
古竜バルガンド。
推奨討伐レベル、百。
推奨人数、五十人以上。
俺は、その姿を見て確信した。
勝てる。
いや。
俺が勝つわけではない。
勝ってもらうのだ。
◇
古竜が咆哮した。
洞窟全体が震える。
俺は即座に隠密を発動した。
同時に、魔族の背後へ回り込む。
魔族は古竜を見上げ、驚愕していた。
「なっ……古竜だと!?」
俺は短剣を投げた。
狙いは魔族ではない。
古竜の額。
短剣が鱗に当たり、乾いた音を立てて弾かれた。
ダメージは、ほぼゼロ。
だが、それで十分だった。
古竜の瞳が、こちらを向く。
俺は魔族の背後に隠れた。
そして、古竜が息を吸い込むのを見た瞬間。
全力で横へ跳んだ。
轟音。
灼熱の炎が洞窟を満たした。
魔族が悲鳴を上げる。
「ぐああああっ!」
俺は岩陰に転がり込んだ。
熱風が背中を焼く。
だが、直撃は避けた。
ゲーム時代、何度も見た攻撃だ。
古竜の初撃は、必ず正面への広範囲ブレス。
予備動作も覚えている。
魔族は炎の中から飛び出してきた。
黒い鎧が溶けている。
片腕が焼け爛れていた。
それでも、生きている。
さすがレベル九十二。
だが、古竜は容赦しなかった。
巨大な爪が振り下ろされる。
魔族が槍で受ける。
轟音。
地面が砕けた。
俺はその隙に洞窟の出口へ走った。
「待てえええ!」
魔族が叫ぶ。
だが、追ってこない。
追えない。
古竜が、完全に魔族を敵として認識していた。
俺は洞窟の外へ飛び出した。
そして、岩陰に身を隠した。
数分後。
洞窟の奥から、凄まじい悲鳴が響いた。
それきり、静かになった。
俺は深く息を吐いた。
「……勝った」
いや。
勝ってはいない。
俺は何もしていない。
ただ、敵をボスのところまで連れてきただけだ。
ゲーム時代と同じ。
それだけのことだった。
だが。
今回は、相手が本当に死んだ。
俺は洞窟を見つめた。
妙な気分だった。
魔族は、俺を殺そうとした。
だから、逃げた。
逃げるために、古竜を利用した。
それだけだ。
だが、あいつにも事情があった。
黒獅子連合に国を滅ぼされた。
そう言っていた。
俺は、その国を知らない。
そもそも、三百年前の戦争など知らない。
だが、俺が所属していたクランの人間が、何かをしたのだろう。
「……レオンさん」
俺は呟いた。
「あんたら、何やったんだよ」
答えはなかった。
◇
街へ戻ると、大騒ぎになっていた。
監察局が襲撃され、兵士が十数人死亡。
犯人は魔族。
しかも、三百年前の戦争に関わった高位魔族だったという。
俺は門の近くで、その話を聞いた。
正直、戻るか迷った。
だが、宿に荷物を置いている。
それに、エリナにも一言くらい伝えておきたかった。
俺は外套の留め具を外し、Xの紋章を懐にしまった。
これ以上、面倒事に巻き込まれたくない。
そう思った。
しかし、宿へ戻る途中。
路地裏で、一人の老人に声をかけられた。
「……クロウ様」
俺は足を止めた。
老人は、ぼろぼろの外套を着ていた。
白い髪。
痩せた身体。
杖をついている。
どこにでもいそうな老人だった。
だが、その目だけが異様だった。
金色の瞳。
人間のものではない。
「……誰だ?」
老人は微笑んだ。
「お待ちしておりました」
俺は警戒した。
またか。
また面倒な奴か。
老人はゆっくりと膝をついた。
「三百七十六年」
その声は、震えていた。
「三百七十六年、お待ちしておりました」
俺は言葉を失った。
老人は頭を垂れた。
「第十軍団の最後の主よ」
その瞬間。
俺の視界に、見慣れない文字が浮かんだ。
『クラン施設への接続を確認』
『管理権限を照合中』
『所属クラン:X』
『現存構成員:1名』
『権限継承条件を満たしました』
『クランマスター権限を移譲します』
俺は固まった。
「……は?」
老人は、涙を流していた。
「お帰りなさいませ」
そして、こう言った。
「我らが主、クロウ様」
◇
老人の名前は、セバスといった。
いや。
正確には、セバスティアン・グレイ。
ゲーム時代、Xのクラン施設に配置されていたNPCだった。
……らしい。
俺は覚えていなかった。
そもそも、Xにクラン施設があったことすら、うろ覚えだった。
ゲーム内では、クランレベルが一定以上になると、専用の拠点を購入できた。
ただし、維持費が高い。
公式クランの本隊は巨大な城を所有していたが、Xのような非公式クランにそんな金はなかった。
そこで、クランマスターのゼロが、安い廃城を購入した。
名前は『灰の城』。
荒れ果てた小さな城だった。
俺も一度だけ訪れたことがある。
確か、クランイベントで集合写真を撮ったときだった。
その城が。
今も存在しているという。
「……マジで?」
「はい」
セバスは深く頷いた。
「三百七十六年間、我らは城を守り続けてまいりました」
「我ら?」
「はい。城に仕える者たちです」
俺は嫌な予感がした。
「……何人いるんだ?」
「現在、千二百四十八名でございます」
俺は黙った。
千二百四十八人。
ちょっと待て。
ゲーム時代、Xの拠点にいたNPCは、せいぜい十人程度だったはずだ。
「……増えたの?」
「はい。長い年月の間に、眷属が増えました」
セバスは当然のように答えた。
「現在では、周辺の魔族、亜人、魔物たちも我らの庇護下にございます」
俺は額を押さえた。
何だそれ。
聞いてない。
「……で、その城はどこに?」
「ここから北へ三日の距離にございます」
セバスは微笑んだ。
「どうか、お戻りください」
俺はしばらく考えた。
帰る場所はない。
この世界のことも分からない。
しかも、俺の所属クランが恐れられている。
ならば、少なくとも味方がいる場所へ行くべきだろう。
「……分かった」
俺は頷いた。
「案内してくれ」
セバスは深く頭を下げた。
「御意に」
その表情は、心から安堵しているように見えた。
俺は少しだけ、申し訳なくなった。
なぜなら。
俺は、ただの無課金プレイヤーなのだから。
◇
灰の城は、山岳地帯の奥深くにあった。
切り立った崖。
深い霧。
巨大な針葉樹の森。
その中心に、黒い石造りの城が建っていた。
……いや。
城というより、要塞だった。
高い城壁。
無数の塔。
巨大な門。
そして、空を飛ぶ魔物たち。
「……え?」
俺は思わず立ち止まった。
記憶にある灰の城とは、まるで違う。
ゲーム時代は、崩れかけた小さな城だった。
壁には穴が開き、屋根は半分落ちていた。
それが、今では巨大な要塞になっている。
「……改築した?」
「はい」
セバスは誇らしげに答えた。
「歴代の管理者たちが、少しずつ増築を重ねてまいりました」
「……そう」
少しずつ。
三百年以上かけて。
なるほど。
そりゃ、こうなるか。
門が開く。
中には、無数の兵士が並んでいた。
黒い鎧を着た騎士。
獣人。
魔族。
骸骨の兵士。
巨大な狼。
そして、空には翼を持つ魔物たち。
全員が、俺を見ていた。
俺は足を止めた。
「……何これ」
セバスが微笑む。
「皆、主の帰還を待ち望んでおりました」
次の瞬間。
千人を超える者たちが、一斉に膝をついた。
「「「お帰りなさいませ、我らが主!」」」
地面が震えるほどの声だった。
俺は固まった。
いや。
ちょっと待て。
俺はただの末端クランの無課金プレイヤーだぞ。
こんな歓迎を受けるような人間じゃない。
だが、誰もそんなことは知らない。
セバスが俺の前に跪いた。
「第十軍団、灰の城」
その声は、誇りに満ちていた。
「三百七十六年の時を経て、再び主を迎えられたこと、これ以上の喜びはございません」
俺は空を見上げた。
灰色の雲が流れている。
遠くで、竜のような魔物が鳴いた。
どうやら。
俺の異世界生活は、思っていた以上に面倒なことになりそうだった。
◇
城の大広間に案内された俺は、まず一つのことを確認した。
「……ゼロは?」
セバスの表情が曇った。
ゼロ。
非公式第十クランXを作った男だ。
ゲーム時代は、よくチャットで騒いでいた。
課金額は少なかったが、妙に面倒見のいい奴だった。
俺がクランに入ったときも、最初に声をかけてくれた。
『よろしく! ここ非公式だから気楽にやってね!』
そんな軽い挨拶だった。
セバスは静かに答えた。
「初代主ゼロ様は、三百四十二年前にお亡くなりになりました」
俺は黙った。
予想はしていた。
だが、実際に聞くと、妙な気分だった。
「……そうか」
「はい」
「ほかのメンバーは?」
セバスは首を横に振った。
「ほとんどの方が、すでにこの世を去られました」
俺は椅子に深く腰を下ろした。
ゲーム時代、チャットで馬鹿話をしていた連中。
夜中に集まってPKをしていた連中。
ボスに突っ込んで全滅し、笑っていた連中。
みんな、もういない。
三百年以上前に。
俺の知らない場所で。
俺の知らない人生を生きて。
そして、死んだ。
「……そっか」
それしか言えなかった。
セバスは、しばらく黙っていた。
やがて、懐から一通の手紙を取り出した。
「ゼロ様から、最後の構成員へ宛てたものです」
俺は顔を上げた。
「……俺に?」
「はい」
古びた封筒だった。
表には、見覚えのある文字が書かれている。
『最後に来た奴へ』
俺は封を切った。
中には、一枚の紙が入っていた。
そこに書かれていたのは、実にゼロらしい文章だった。
『よう。誰か知らんけど、お疲れ』
俺は思わず笑った。
『これ読んでるってことは、俺はもういないんだろうな』
『いやー、まさかゲームの世界みたいなところに飛ばされるとは思わなかったわ』
『最初は楽しかったんだけどな。レベルも装備もそのままだし、無双できるし』
『でも、途中から笑えなくなった』
俺は手を止めた。
『ゲームでは、敵を殺しても復活する』
『でも、こっちじゃ死んだら終わりだ』
『俺たちは、それを理解するのが遅すぎた』
手紙の文字が、少しだけ乱れていた。
『レオンさんたちは、最初から強かった』
『だから、何でもできると思ったんだろうな』
『国を攻めて、敵を殺して、領土を奪って』
『ゲームの延長みたいなことをやってた』
『俺たちも、最初はそれに乗っかった』
『でも、ある日気付いた』
『殺してる相手が、本当に死んでるってことに』
俺は息を吐いた。
『それから、Xは連合を抜けた』
『いや、正式な連合じゃなかったから、抜けるも何もないんだけどさ』
『俺たちは勝手に動いて、勝手に敵を作って、勝手に逃げた』
『その結果、黒獅子にも王国にも追われることになった』
『笑えるだろ?』
笑えなかった。
『でも、後悔はしてない』
『少なくとも、最後くらいは自分たちで決めたかった』
『灰の城は残した』
『ここには、俺たちが助けた連中がいる』
『魔族も、人間も、獣人も、アンデッドも』
『みんな、行き場のなかった奴らだ』
『もし、いつかXの誰かが来たら』
『できれば、守ってやってくれ』
『無理なら逃げてもいい』
『俺たちは、逃げるの得意だったからな』
俺は目を閉じた。
ゼロの声が、頭の中に蘇る。
軽い調子。
ふざけた言葉遣い。
だが、最後の一文だけは、妙に真面目だった。
『最後に一つ』
『レオンさんを信用するな』
『あの人は、まだ生きている』
俺は目を開けた。
手紙の最後には、こう書かれていた。
『そして、もしあの人が灰の城に来たら』
『絶対に、城の地下を開けるな』
◇
俺は手紙を置いた。
「……地下?」
セバスが静かに頷いた。
「はい」
「何がある?」
「存じません」
俺は眉をひそめた。
「知らない?」
「はい。初代主ゼロ様は、地下最深部を封印されました」
「……理由は?」
「我らには明かされておりません」
俺は天井を見上げた。
面倒な話になってきた。
レオン。
黒獅子連合の盟主。
ゲーム時代、俺が何となく見ていた配信者。
その男が、まだ生きている。
そして、ゼロはそいつを信用するなと言っている。
「……セバス」
「はい」
「レオンって奴について、何か知ってるか?」
セバスの表情が変わった。
それまで穏やかだった老人の顔に、明確な恐怖が浮かんだ。
「獅子王レオン……」
その名を口にするだけで、声が震えている。
「かつて、この大陸の半分を支配した存在です」
「……今は?」
「百年以上、姿を現しておりません」
「死んだのか?」
「いいえ」
セバスは首を横に振った。
「生きております」
「どうして分かる?」
「……黒獅子の城が、今も動いているからです」
俺は黙った。
セバスは続けた。
「黒獅子連合の本拠地、獅子王城」
「……ああ」
覚えている。
ゲーム時代、レオンたちが所有していた巨大な城だ。
課金とイベント報酬を注ぎ込み、何度も改築された最上位クラン拠点。
防衛設備もNPCも、桁違いだった。
「その城は、現在も大陸中央部に存在します」
「……そうか」
「そして、百年に一度、城から軍勢が現れます」
俺は顔を上げた。
「軍勢?」
「はい」
セバスの声が低くなった。
「黒獅子の軍勢です」
◇
その夜。
俺は城の最上階にある部屋で、一人考えていた。
窓の外には、月が二つ浮かんでいる。
この世界が地球ではないことを、改めて実感した。
机の上には、ゼロの手紙。
そして、古い地図。
大陸中央部に、黒い印が付いている。
獅子王城。
レオンの本拠地。
俺は地図を見つめた。
ゲーム時代、レオンは人気者だった。
陽気で、面白くて、視聴者を大切にしていた。
少なくとも、配信ではそう見えた。
だが、この世界では違ったらしい。
何百年も生き、国家を滅ぼし、恐怖の象徴になっている。
俺はため息をついた。
「……会いたくねえな」
正直な感想だった。
レオンのキャラクターは、レベル百二十。
当時のゲームでは、最上位クラスだった。
装備も最高級。
俺とは比較にならない。
そんな相手が、数百年もこの世界で生きている。
勝てるわけがない。
そもそも、戦う理由もない。
俺は静かに暮らしたいだけだ。
できれば、城の中で。
安全に。
面倒事に巻き込まれずに。
だが。
ゼロの手紙が、どうしても気になった。
『地下を開けるな』
何があるのか。
知らない方がいい。
そう思う。
だが、知らなければ、守ることもできない。
俺は椅子から立ち上がった。
「……見に行くだけなら、いいよな」
誰にともなく呟いた。
そして、地下へ向かった。
◇
灰の城の地下は、想像以上に深かった。
石造りの階段。
古い魔法灯。
湿った空気。
途中には、何重もの封印が施されていた。
だが、俺が近づくと、封印は静かに解除された。
『クランマスター権限を確認』
『通行許可』
そんな文字が浮かぶ。
俺は嫌な予感を覚えた。
これ、開けちゃ駄目なやつじゃないか。
ゼロは地下を開けるなと言っていた。
だが、俺はもうここまで来てしまった。
最深部には、巨大な扉があった。
黒い金属。
表面には、複雑な魔法陣。
そして、中央にはXの紋章。
俺は扉の前に立った。
すると、文字が浮かんだ。
『最終保管庫』
『管理者権限:確認』
『封印状態:正常』
『開放しますか?』
俺はしばらく考えた。
そして。
「……いや、開けない」
そう答えた。
ゼロが開けるなと言った。
なら、開けない方がいい。
俺は踵を返した。
その瞬間。
背後から、声が聞こえた。
『……よう』
俺は足を止めた。
聞き覚えのある声だった。
『久しぶりだな』
軽い調子。
少し笑いを含んだ声。
ゲーム時代、何度も聞いた。
俺はゆっくり振り返った。
扉の中央に、半透明の映像が浮かんでいた。
若い男。
黒い髪。
笑った顔。
ゼロだった。
『……誰か知らんけど』
映像の男が笑う。
『ここまで来たってことは、相当な物好きだな』
俺は呆然とした。
録画。
いや、ゲーム内のメッセージ機能だろうか。
『まあ、いいや』
ゼロは続けた。
『これを見てるってことは、俺はもう死んでるんだろう』
『で、お前はXの最後の生き残りってわけだ』
俺は黙って聞いていた。
『先に言っとく』
ゼロの表情が、真剣になった。
『この地下にあるのは、兵器だ』
俺は息を呑んだ。
『ゲーム時代、俺たちが手に入れたものじゃない』
『この世界に来てから作った』
『レオンさんを殺すための兵器だ』
俺は扉を見た。
『でも、完成しなかった』
『いや、完成はした』
『ただ、使えなかった』
ゼロは苦笑した。
『理由は簡単』
『使えば、この大陸の半分が吹き飛ぶ』
俺は固まった。
何だそれ。
そんなもの、地下に置くなよ。
『だから封印した』
『俺たちは、最後までレオンさんに勝てなかった』
『でも、あの人も俺たちを完全には潰せなかった』
『理由は分かるか?』
ゼロは笑った。
『俺たち、逃げるのだけは得意だったからな』
俺は思わず笑ってしまった。
確かに。
Xはそういうクランだった。
正面から勝てないなら逃げる。
敵が強ければボスに突っ込ませる。
勝てる相手だけ襲う。
実に性格の悪い連中だった。
『だから、最後に来た奴にも言っとく』
ゼロの声が、少しだけ柔らかくなった。
『無理すんな』
『勝てない相手とは戦うな』
『逃げろ』
『隠れろ』
『それでも駄目なら、誰かに倒してもらえ』
俺は目を閉じた。
懐かしい。
あの頃のチャットが、頭の中に蘇る。
『Xはそういうクランだろ?』
映像が薄れていく。
『じゃあな』
ゼロは最後に笑った。
『また、どっかでPKしようぜ』
映像が消えた。
地下には、静寂だけが残った。
俺はしばらく、その場に立っていた。
そして、小さく呟いた。
「……馬鹿野郎」
もう、PKなんかできねえよ。
こっちじゃ、死んだら終わりなんだから。
◇
翌朝。
城の鐘が鳴った。
けたたましい音だった。
俺は飛び起きた。
窓の外を見る。
空が赤い。
いや。
赤いのは、空ではない。
巨大な魔法陣が、雲の上に浮かんでいた。
その中心に、黒い獅子の紋章。
俺は息を呑んだ。
「……嘘だろ」
扉が開く。
セバスが飛び込んできた。
「クロウ様!」
「分かってる!」
俺は窓を見た。
黒い獅子。
レオンの紋章。
その下には、無数の飛行魔物がいた。
黒い鎧の騎士。
巨大な竜。
魔法で空を飛ぶ兵士たち。
そして。
空の中心に、一人の男が浮かんでいた。
金色の鎧。
赤いマント。
巨大な剣。
見覚えがあった。
ありすぎた。
レオン。
ゲーム実況者。
黒獅子連合の盟主。
獅子王。
三百年以上、この世界に君臨する怪物。
その男が、空から灰の城を見下ろしていた。
そして、笑った。
『よう』
声が、空から響いた。
『久しぶりだな』
俺は固まった。
レオンの声だった。
配信で何度も聞いた、あの声。
『まさか、まだXの奴が残ってるとは思わなかったぜ』
俺は窓の陰に身を隠した。
いや。
ちょっと待て。
何で来るんだよ。
俺は何もしてないぞ。
『しかも、クランマスター権限まで持ってるらしいじゃねえか』
レオンは笑った。
『懐かしいなあ。非公式の第十クラン』
その声には、昔と変わらない陽気さがあった。
だが、次の言葉は違った。
『で?』
空気が冷えた。
『ゼロが隠した兵器、どこにある?』
俺は息を止めた。
やっぱり。
それが目的か。
レオンは続けた。
『あれ、俺に渡してくれねえかな』
俺は答えなかった。
『別に、お前を殺したいわけじゃねえんだよ』
その声は、妙に優しかった。
『昔のよしみだろ?』
俺は拳を握った。
昔のよしみ。
確かに、俺はレオンの配信を見てゲームを始めた。
クランにも参加した。
楽しかった。
だが。
ゼロは言っていた。
信用するな、と。
俺は窓の外を見た。
レオンの背後には、数百の兵士がいる。
レベルも装備も、こちらとは比較にならない。
正面から戦えば、確実に負ける。
だが。
俺は思い出した。
ゼロの最後の言葉。
『勝てない相手とは戦うな』
『逃げろ』
『隠れろ』
『それでも駄目なら、誰かに倒してもらえ』
俺はゆっくり笑った。
「……そうだよな」
俺は無課金プレイヤーだ。
最強装備なんて持っていない。
レベルも低い。
課金者には勝てない。
だが。
だからこそ、俺たちは別の戦い方を覚えた。
俺はセバスを見た。
「この城の周りに、強い魔物はいるか?」
セバスが頷いた。
「はい。北の山脈には、古代竜の巣がございます」
「ほかには?」
「東の深淵には、魔王級の魔物が封印されております」
「ほかには?」
セバスは少し考えた。
「……西の死霊谷には、数万のアンデッドが」
俺は笑った。
「十分だ」
セバスは不思議そうな顔をした。
「クロウ様?」
俺は窓の外を見た。
空には、黒獅子の軍勢。
その中心に、レオン。
かつての人気実況者。
今では、この世界の怪物。
俺は短剣を抜いた。
「……久しぶりにやるか」
ゲーム時代、何度も繰り返した戦法。
強い敵に一撃入れる。
追いかけさせる。
そして。
もっと強い敵のところへ連れていく。
「PKじゃねえけどな」
俺は笑った。
「久しぶりに、トレインでもしてやるよ」
◇
レオンは、空から灰の城を見下ろしていた。
その表情には、余裕があった。
当然だ。
彼はこの世界で、三百年以上も生きている。
数え切れないほどの敵を倒し、国家を滅ぼし、神と呼ばれる存在すら屈服させてきた。
今さら、非公式クランの末端プレイヤーなど恐れる理由はない。
しかも、相手はレベル六十八。
ゲーム時代なら、片手で倒せる雑魚だった。
『おーい、クロウ』
レオンは笑った。
『聞こえてるだろ?』
返事はない。
『出てこいよ。別に殺さねえって』
そのとき。
城の門が開いた。
一人の男が現れた。
灰色の外套。
二本の短剣。
黒い軽装鎧。
そして、胸元にはXの紋章。
レオンは目を細めた。
『……へえ』
懐かしい姿だった。
ゲーム時代、何度か配信で見たことがある。
非公式第十クランの、無課金プレイヤー。
名前はクロウ。
確か、PKが好きな奴だった。
『お前、まだそんな装備使ってんの?』
レオンは笑った。
『懐かしいなあ』
クロウは何も答えない。
ただ、静かに立っている。
レオンは肩をすくめた。
『まあいいや。兵器を渡せ』
クロウは、ゆっくり短剣を構えた。
レオンは一瞬、呆れた顔をした。
『……マジ?』
そして、笑った。
『お前、俺と戦うつもり?』
クロウは答えなかった。
代わりに。
短剣を投げた。
銀色の刃が、空を切る。
レオンの頬をかすめた。
ダメージは、ほぼゼロ。
だが。
レオンの笑みが消えた。
『……おい』
低い声だった。
『今、俺を攻撃したか?』
クロウは、静かに言った。
「……ああ」
『へえ』
レオンの瞳が細くなる。
『いい度胸じゃねえか』
次の瞬間。
クロウは、全力で逃げた。
◇
「追え!」
レオンの命令が響いた。
黒獅子の軍勢が動く。
空を飛ぶ騎士。
巨大な竜。
魔法使いたち。
そのすべてが、灰色の外套を追いかけた。
クロウは森へ飛び込んだ。
隠密。
疾走。
気配遮断。
移動速度上昇。
使える技能を、すべて使う。
背後から魔法が降り注ぐ。
木々が砕ける。
地面が爆発する。
だが、クロウは止まらない。
正面から戦えば、確実に死ぬ。
だから、逃げる。
ただ、それだけだ。
そして。
クロウは、北の山脈へ向かった。
古代竜の巣。
そこには、三百年以上眠り続ける怪物がいた。
レオンの軍勢が追ってくる。
クロウは山道を駆け上がった。
そして、巨大な洞窟の前で立ち止まった。
「……さて」
俺は息を吐いた。
背後には、数百の敵。
前方には、古代竜の巣。
普通なら、絶望的な状況だ。
だが。
俺は笑った。
「……昔を思い出すな」
夜中の放置狩り。
敵対クラン。
ボスへの誘導。
そして、チャット欄に流れる罵声。
懐かしい。
実に懐かしい。
俺は洞窟へ向かって、短剣を投げた。
暗闇の奥で、何かが動いた。
巨大な瞳が開く。
古代竜。
レベル不明。
危険度、測定不能。
俺は振り返った。
レオンの軍勢が迫ってくる。
そして。
俺は、にやりと笑った。
「……ようこそ」
短剣を構える。
「第十クランの狩場へ」
◇
その日。
北方山脈で、巨大な戦闘が起こった。
黒獅子の軍勢と、古代竜の群れ。
さらに、東の深淵から解き放たれた魔物たち。
西の死霊谷から押し寄せるアンデッド。
それらが、次々と黒獅子の軍勢に襲いかかった。
誰が、何をしたのか。
詳しいことは分からない。
ただ、一つだけ確かなことがある。
黒獅子の軍勢は、壊滅した。
数百の兵士。
数十の竜。
強大な魔法使いたち。
そのほとんどが、北方山脈で命を落とした。
そして。
獅子王レオンも、姿を消した。
生死は不明。
ただ、最後に目撃されたのは、灰色の外套を纏った一人の男を追いかける姿だったという。
その男は、二本の短剣を持っていた。
胸元には、黒い十字。
そして、戦場から一度も剣を交えることなく姿を消した。
後世の歴史家たちは、その戦いをこう呼んだ。
『第十軍団の復讐』
あるいは。
『亡霊の狩り』
◇
それから、一か月が経った。
俺は灰の城の自室で、のんびりお茶を飲んでいた。
窓の外には、穏やかな山々が広がっている。
鳥が鳴いている。
風が気持ちいい。
実に平和だった。
「……いやー、死ぬかと思った」
俺は呟いた。
実際、何度も死にかけた。
古代竜の巣へ敵を誘導したまではよかった。
だが、その後が大変だった。
レオンの軍勢は、想像以上に強かった。
古代竜を何匹も倒し、魔物の群れを蹴散らした。
そこで、俺は次の巣へ逃げた。
さらに次へ。
そして、次へ。
気が付けば、山脈全体を巻き込む大騒動になっていた。
最後は、何が何だか分からなくなった。
俺は隠密を使って逃げ回り、何とか城へ戻った。
レオンがどうなったのかは知らない。
だが、少なくとも今のところ、追ってくる気配はない。
それで十分だった。
扉が開く。
セバスが入ってきた。
「クロウ様」
「ん?」
「王国より使者が参っております」
俺は顔をしかめた。
「……また?」
「はい」
「今度は何だ?」
「和平条約の締結を求めております」
俺はため息をついた。
面倒くさい。
実に面倒くさい。
俺はただ、静かに暮らしたいだけなのに。
「……適当に対応しといて」
「承知いたしました」
セバスは深く頭を下げた。
そして、嬉しそうに微笑んだ。
「やはり、クロウ様は偉大なお方です」
「……何で?」
「獅子王の軍勢を壊滅させながら、なおも人間たちとの和平を望まれるとは」
俺は黙った。
いや。
別に、そんな大層なこと考えてないんだけど。
ただ、戦争したくないだけだ。
セバスは続けた。
「初代主ゼロ様も、きっとお喜びでしょう」
俺は窓の外を見た。
青い空。
白い雲。
遠くの山々。
そして、城の中庭で遊ぶ子供たち。
人間。
獣人。
魔族。
アンデッド。
種族は違うが、みんな楽しそうだった。
俺は少しだけ笑った。
「……そうだといいな」
ゼロ。
お前が残した城は、ちゃんと守ったぞ。
まあ、ほとんど逃げ回ってただけだけど。
俺はお茶を飲んだ。
そして、ふと思い出した。
ゲーム時代。
Xのクランチャットで、誰かが言っていた。
『俺たち、弱いけどしぶといよな』
そのとき、ゼロが答えた。
『当たり前だろ。Xは最強じゃない』
『でも、最後まで残るのは俺たちだ』
俺は小さく笑った。
「……本当にそうなっちまったな」
窓の外で、風が吹いた。
灰色の外套が揺れる。
胸元には、黒い十字。
かつて、人気実況者の視聴者が勝手に作った、非公式の第十クラン。
誰にも認められず。
誰にも期待されず。
ただ、好き勝手に遊んでいた連中。
その最後の一人が。
今では、この世界で最も恐れられる存在になっている。
……らしい。
正直、実感はない。
俺はただの無課金プレイヤーだ。
強い奴には勝てない。
だから逃げる。
逃げて、隠れて、罠にかける。
それだけだ。
俺は椅子にもたれかかった。
「……さて」
今日も平和だ。
何も起こらないといい。
そう思いながら、目を閉じた。
だが、そのとき。
視界の端に、一つの通知が浮かんだ。
『フレンドがログインしました』
俺は目を開けた。
表示された名前を見て、固まった。
『レオン』
状態:オンライン。
そして、メッセージが届いた。
『おいクロウ』
『お前、マジでふざけんなよwww』
俺は天井を見上げた。
「……生きてんのかよ」
思わず笑った。
そして、返信した。
『追いかけてくる方が悪い』
数秒後。
返事が来た。
『昔から変わんねえな、お前w』
俺は少し考えた。
そして、こう送った。
『次はもっと強いボスのところに連れてくぞ』
しばらくして。
『やめろwww』
そんな返事が届いた。
俺は笑った。
三百年以上の時を越えて。
世界が変わっても。
俺たちは、どうやら大して変わらないらしい。
もっとも。
次に会うときは、できれば殺し合いではなく。
昔みたいに、くだらない話でもしたいものだ。
俺は画面を閉じた。
そして、静かに呟いた。
「……お疲れ、レオンさん」
窓の外では、今日も穏やかな風が吹いていた。
黒き十字の旗が、ゆっくりと揺れている。
非公式第十クラン、X。
その最後の構成員は、今日も平和に暮らしている。
少なくとも、本人はそのつもりだった。
――完――




