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また君に恋い初むる  作者: シュリ


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28/33

 わたしが三歳のときに流行病で母が亡くなり、その一年後に父も肺病で後を追ってしまった。


 親を亡くして途方にくれていたわたしは、後に父の親戚の家庭に引き取られた。彼らはなぜか、わたしに怒っていた。


 父は生家の商いを継ぐ長男だったのに、母と駆け落ちしたらしい。父の親戚たちの怒りは、この世に残ってしまったわたしに向けられることとなった。


 わたしは二畳ほどの女中部屋で暮らし、下女のように生活した。床を拭いても、洗濯をしても、窯の火を炊いても、「できそこない」「迷惑な母親そっくり」「生まれつきの罪人」だと叩かれた。


 幼いわたしはわけもわからず泣いた。

 けれど、泣いてもいいことなんかなかった。泣けば余計に事態が悪化した。


「おまえは生まれてきたこと自体まちがっているのに、被害者づらして泣くのかい!」


 と、よりいっそう多くの痛みがふってくる。


 泣いてはいけない。

 泣いてはいけない。


 そう念じながら日々を生きた。


 川島家へ奉公に出されたのは十一のころ。尋常小学校を辞めさせられ、「何があっても帰ってくるな」と、小さな風呂敷ひとつで親戚の家から追い出されてしまった。


 川島家は貿易で成功した大きな屋敷だけれど、人は冷たいと感じた。その理由はすぐにわかった……会話があまりない。女中たちのほうがたくさんお喋りをしていた。


 そのお喋りを耳にするうち、否が応でも屋敷の内情を知ってしまう。


 跡取りの勝成様と違って、次男の勝市様はご両親から何も期待されておらず、一日中部屋に閉じこもっている、まるで幽霊のようだと……


「幽霊みたいな子ならここにもいるけどねえ」


 と、女中たちはわたしを見てせせら笑った。


 わたしは孤児(みなしご)であり、親戚の家で大人の顔色を伺う癖が染みついていたのもあって、女中たちから毛嫌いされていた。間違ったことをしていなくても大きな声で叱責されるのが常で、叩かれることこそないものの、親戚の家にいるのとそう変わらない。


「なんだいその気持ちの悪い目つきは! 大人を馬鹿にしてんのかい!」

「親の顔が見てみたいもんだね、ああそうか、いないんだっけか! アハハハハ……」


 ――泣いてはいけない。

 ――泣いてはいけない。


 深夜、みんなが寝静まっているあいだにこっそり布団から抜け出して、裏庭の倉の影で泣いた。苦しみも悲しみも涙と共に全部棄てれば、次の日もまた耐えられるから。


 ずっと、一生、わたしはこうして生きていくのだろうと思っていた。

 けれどある日、庭掃除をしていて……春の風に髪をあおられ、ふと上を向いたとき……勝市様と、出会ったのだ。


 勝市様は食事時や学校へ行かれる際にに下へ降りてこられるから、お顔は存じ上げていたけれど、それだけだった。


 目つきがこわくて、常にむすっとしているようで、いつも不機嫌な方なのだと勝手に思っていた。


 けれど、あのとき……二階の窓で見た彼の顔は、なんだか間の抜けたような、ひどく照れているような、とてもかわいらしい様子で……慌てたようにすぐ頭をひっこめてしまったけれど、わたしは無意識に笑みを浮かべてしまったのだ。


 それ以来、なんだか勝市様のことが気になって。


 ――そうだ、一度、莫迦な嘘をついて勝市様を怒らせたことがあったのだっけ……


 女中頭のカネさんが西瓜をもらって……勝市様の分がなくて……わたしはこっそり一つ多く切り分けて、「奥様からの差し入れ」だと偽って勝市様にお出しした……


 今思えばなんて愚かしい嘘だっただろう。ばれたら大変なことになるのに。だけど、そう言えば勝市様は笑ってくださるんじゃないかと思ったのだ。誰にも目をかけてもらえず、ひとりぼっちで寂しそうにしてらっしゃるから。


 案の定、嘘はすぐに見ぬかれてしまったけれど。


 勝市様は、一緒に西瓜を食べようと言ってくださった。ぶっきらぼうな口調だったのに、とてもお優しいお声で、わたしはそのときなぜか泣きそうになって……でも、泣かなかった。きっと困らせてしまうと思ったから。


 それから少しずつ、勝市様と目が合うことが増えて。


 わたしが微笑むと、彼はいつも怒ったような顔で目をそらす。でも怒っていないのだ。ただ、とってもとっても照れ屋さんで、不器用な方なのだとわかっていたから、そのたびに嬉しくなった。


 そうだ、思い出した……ある夏の夜、眠れなくてお勝手の裏に出ると、偶然、勝市様もそこにいらして、二人で床几に腰掛けて、黙って星を見上げていたことがあった。


 ああ、あの夢も、やっぱり記憶の一部だったのだ。


 勝市様と、肩がふれあう距離にいて……わたしは、自分の心臓が妙にせわしく鳴っているのに気づいた。だけど、その理由を考えるより先に、勝市様がふとおっしゃったのだ。


「冬乃」

「俺は、はやくこの家を出たい」

「出て、一人前の男になって。……そうしたら」


 そうしたら?


 その続きはとうとう聞けなかった。勝市様は耳を真っ赤にしてそっぽを向いてしまわれたから。


 でも、彼がこのとき何を言わんとしていたか、わたしはあとで、自分で気づいた……というより、察せられてしまった。


 勝市様の態度を見ていたら、嫌でもわかってしまう。いつでも目が合うし、すぐ耳を真っ赤になさるし、かと思えば掃除中に近寄ってきて、突然「異国の哲学者の本を読んだのだが」と、何やらとっても難しい本の内容を、胸を張りながら熱心に教えてくださるし。


 極めつけは、女中たちからの嫌がらせが増えたこと。「お屋敷の坊ちゃんに色目使ってんじゃないよ!」と頭から洗濯の廃水をかけられたこともあった。二月の真冬に……


 わかっていた。わたしはただの女中。勝市様は、空気のような扱いを受けているとはいえ川島家のお坊ちゃま。だから、彼の気持ちに気づいているとは決して悟られないよう、常に一定の距離を保とうとしていた。


 そんな距離だって、あの方は軽々飛び越えてしまわれたけれど……


 そう、中学生になられた勝市様が、十七歳のわたしに、突然おっしゃったのだ。


「冬乃。おまえ、俺と結婚しろ」

「冬乃は女のくせに意固地だからな。俺の前で存分に泣かせてやる」


 その瞬間、わたしが焼き切れそうなほどに胸を熱くしていたことなど、彼はきっと知るよしもないだろう。


 泣いてもいい、と言ってくださったのは、後にも先にもこの方だけだった。


 すぐにでも、「はい」と言ってしまいたかった。


 けれど、わたしは女中だ。おまけに孤児で義務教育すら終えられていない。未来ある川島家のご子息が、こんなわたしを選んではいけない……


 だけど「いいえ」とも言いたくなくて。あなた様がずっと同じ気持ちを持ち続けてくださるならそのときは従いますと、曖昧な返事をした。


 そして後日、まるで「そんな高望みなど許さない」というように……今まで便りの一つもなかった親戚たちから突如、縁談の報せがきて、わたしは強制的に嫁がされることとなった。


 わたしは結納の日までのあいだ、そのいっさいを勝市様にお伝えすることなく、残り少ない日を、ただ彼と目を合わせて微笑むことに費やした。


 本当は、嫁ぎたくなんかない。


 けれど、女に自由などない。まして、親を失い引き取っていただいた身で、逆らうことなどできやしない。


 せめて、嫁ぐからには誠心誠意、旦那様に尽くそう……そう思える方だといいな……そんなふうに思いながら、わたしは勝市様のご不在のあいだに、風呂敷包み一つでお屋敷を後にしたのだった。


 その先に地獄が待っているとも知らず。

 


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