福音
「懐かしい顔だわね、林檎のお兄さん」
「……そういう君は、俺をよくデッサンしてた娘さんだね」
「おかげさまで、いまは美大で教鞭をとっているの」
上品なワンピースをまとった老婦人は、にこにこと展示室に入ってくる。
「うちの生徒たちにも、描かせてもらえるわよね?」
老婦人に続くのは三人の学生たち。各々スケッチブックを抱えている。
「は、はじめまして」
「ほんとに生首だ、彫刻じゃなくて生の首だ」
「おじゃまします、貸し切りみたいでテンションあがる、なんて、失礼しました」
「静けさは保証できるんだよなぁ。存分にデッサンするがいい」
数十年ぶりの再会に和気あいあいとした空気が流れる中で、平田館長は密かに歓喜のう渦に呑まれていた。
「何日でも通っていただいて構いませんよ」
人数分のパイプ椅子を配り、おだやかに声をかけるものの表情はにやけるのを誤魔化せていない。
「ありがとうごさいます館長さん。一週間ほど通わせていただけるかしら」
シードルさん(のデッサン)目当てで。四人が一週間。おもての駐車場に車が二台。ガラガラの店には入りづらいけど、ある程度賑わっていると自分も入ってみたくなる。招き猫的な客というものは有難い存在だ。
これこそ福音というものかもしれないと、平田館長はひっそり神に感謝した。神とは当然シードルの降ってきた異次元に住まう神だ。平田館長は歴史資料館の資料のなかで、異次元の宗教に関する論文が好きだった。
「やっぱり最初は正面からいく?」
「横顔もかっこ良い……」
「結局全部描くなら一緒じゃん」
学生たちは描きたい角度を探すのに忙しい。
「私はもう散々描かせてもらったし、他の展示室も観てみようかしらね。何度も通ったのにこの部屋しか知らないの」
「ぜひご案内させてください」
久しぶりのにぎやかな展示室を背に、まずは常設展示の絵巻物をと老婦人を案内することにした。




