あの世が近い 〜生きる理由〜
個人的な愚痴です。注意!
ふと思う。
あの世のほうが楽しく過ごしているのではないかと。
──世界は変わる。日本も二転三転変わり、変化を拒み続ける私は風に吹かれて隅に居る。憧れるはずの人たちの笑顔も偽りであるとSNSで知り向上心も失った。
何を信じればよいのかも分からず、耳障りのいい言葉に「いいね」を付けては数秒後に忘れる。そんな日常ばかり。
(つまんね)
とにかく生きるのが面倒くさい。何でもかんでも金がかかる。だからといって今受けているサービスをすべて辞めろとは言えない。むしろその恩恵を十分に受けている側だ。文句を言うのは違う。
分かっている。
分かっているが、何かが間違っているのではないか。そんな疑問が湧く。もう少し若ければ青筋を立てて怒り不満を言ったかもしれない。
もう、若くない。
敵も味方も要らない。少なくとも私の代までは平穏無事で、あの世に逝きたいのだと思う。これを若者は責めるかもしれない。
だからといって、どうすれば良いのだろうか。特定の人達を悪者にしたところで……追い返したところで、また別の脅威が襲ってくるだけだ。
私はそういう変化も怖くて、面倒くさい。
確かに、今は心や精神、経済等を使った世界的な戦いのときなのかもしれない。
だとしたら私は、何一つ脅威とされるものに太刀打ちできるすべを持たない。せいぜい社会の隅でこのように無も知られぬWeb小説の作者として愚痴をこぼして過ごすだけだ。
(つまんね)
と。
本当に、つまらなく感じる。
こんな気持になるのは、期待する気持も喧嘩できるだけの気力も、体力も。歳を重ねるごとに削ぎ落とされてきたからだろう。
年の功、とは言うが。
もしそれが一つだけ活かされるとしたら「まもるべきものがいる(ある)人は躊躇いなく嘘を付く」というのを知ったことだ。
彼らにとって『嘘を付く』とは【まもる】ことであって正義に等しい。人としての道理とか清廉潔白な人は、あまり世の中に求められていないのだということ。
人は組織の中で生きる。
多くがそこで生き、そこで人生を完結して終える。恨み節はそれぞれのあの世でつらつらと語られるだろう。
天国、極楽浄土……その他にもあるかはしらないが、こんなにも考えることがある現代で。そこから解放されるとは、なんと心地よいことだろうな。
私に至っては、存在も思考もすべて。
消えてしまいたい。
もう、地球……いや、この宇宙という空間から抜け出したい。どうか、思考したり死への恐怖に追われたりする生活から解放してほしい。
こんな妙なことを考える性格だから聴こえてはいけない声も聴こえて、病院に放り込まれた。だけど、私は本当に病気だったのだろうか(幻聴をのぞいて変なことを考えているだろうか)
嫌な声が聴こえなくなり、自分と対話できるようになった。危ういが、おそらく寛解に近いだろうと思う。
だから尚更思う。
私の考えるようなことは、病的であったか。甚だ疑問ではある。しかしそれを言えばまた入院を仄めかされるから【何も考えなくなったと嘘を付く】のだ。
私にもまもるべきものがある。
おそらくこの思考とは死ぬまで付き合うことになり、死ぬことで解放されるとは思っている。
その先、例えば輪廻転生や天国、極楽浄土等があったとしたら私はどうすることもできない。地獄があったら鬱陶しいし、痛そうだからそれも嫌だ。
死んだ先のことを考えると、まだ不安がある。誰も死んだ先のことを言わないから。死人に口なしだから。だから生きている方がマシかなと考えている。
命は確かに奇跡的に存在している。そして、今この瞬間に行動して運命を少しだけ変えることができる。
だからだろう。
つまらなくても生きているのは。
何処かで期待している。
誰かが、何かが。私のこの『つまらない』を変えてくれるのではないかと言う気持ち。非常に危うさも含んでいる気持ちだと知ってはいる。
しかし、いつか。
そんな変化が起こったら。私はどのような立場でどのようなモノに興味を示すであろうか。
生きる。
生きている人が見ていられる『世界』で、私は何をしているだろうか。そしてそれは、死に際の愚痴や不満をどれだけ軽減してくれるだろうか。
少しだけ。
ほんの少しだけ、期待できることがあったって良いのにな。そんなことを思う。
それはそうと。
今日は冷食のラーメンです。お気に入りのやつなのですよ。親が買ってくれていました。
────あちち、
寒いね!
風邪引いちゃだめだよ。約束だ。
普段通りの思考で書いています。
この考えで何か作品書けるかなぁ。うーん……。どうだろ?




