エピソード3 スラム街の事情
〈エピソード3 スラム街の事情〉
俺とイブリスは夜のスラム街に来ていた。
ギルドからの依頼で、いかがわしいギルドの支配者である不浄の女神ジャヒーの討伐を請け負ったからだ。
裏カジノと同じで、大元を叩き潰さなければイタチごっこが続くだけだ。
が、今度の相手はモンスターではなく女神だし、俺たちの力でどうにかなるのだろうか。
「今回は厳しい戦いになるでしょうね。相手は腐っても神だし、モンスターを相手にするのと同じ感覚で戦えば痛い目に遇うわ」
イブリスは懸念を滲ませるように言った。
とはいえ、ここがゲームの世界である以上、全く勝てない相手ということはないに違いない。
「分かってる。でも、エリシアやアメイヤを連れて来れなかったのは痛かったな」
俺はもどかしさを感じながら言った。
「そうね」
「レベルが上がったあいつらなら、確実に大きな戦力になったはずだからな。俺もあいつらの力は、この目で確かめたかった」
エリシアはスラム街には連れて行けないと言った俺に、終始、不満を漏らしていた。
俺の言葉には従順なアメイヤも、傍から離れないって決めたばかりなのに、と言って、しょんぼりした顔をしたし。
が、俺がパーティーのリーダーとしての命令だと言うと、二人とも渋々ではあるが従ってくれた。
「しょうがないわよ。これから、不浄の女神の総本山に、殴り込みをかけに行こうとしているんだから」
年頃の少女を、いかがわしい場所に連れて行くことは、大人としてできない。
「だよな。でも、こういう仕事は冒険者ギルドが何とかしなきゃいけないものなのか? どう考えても冒険をしてるって感じじゃないぞ」
冒険と呼べるようなクエストは意外と少ないんだよな。
もちろん、未開の地の開拓や遺跡の探索などのクエストはちゃんとあった。
が、俺自身、あまり深くは考えないで行動していたせいか、そういう本格的な冒険をするクエストを受けることはほとんどなかった。
だから、今になって愚痴のような言葉が零れ出してくる。
「まあ、アタシたちがメンバーになってる冒険者ギルドは、便利屋から発展したギルドだからね。その名残があるんでしょ」
「そうか。確かに、こういうのは便利屋の仕事だよな」
「ええ」
「なら、名前の方も便利屋ギルドにすれば良かったのに」
俺は苦言を呈したくなるような気持ちで言葉を続ける。
「なまじ冒険者、なんて単語が付いてるから悪いんだよな。だから、冒険ができるようなクエストばかりがあると勘違いしてしまうんだ」
「でも、冒険者ギルドの方が名前の通りが良いからね。冒険に憧れているような青臭い人たちも、メンバーになってくれるし」
「それで良いのか?」
「別に問題はないでしょ。まあ、ゲームの世界なんだから、そういう細かいところは突っ込んだら負けってやつよ」
イブリスの言葉を聞いて、俺も結局、そういう結論にしかならないんだよなーと脱力した。
そんな話をしていると、俺はスラム街の中でも特に猥雑さを感じる場所へとやって来る。
何というか、空気が酷く澱んでいるし、こういうところには長居したくないな。
「ここがジョセフさんの言っていた不浄の女神の総本山か。サキュバスのカーリーがやっていた店と違って汚いな。そもそも店って感じじゃないぞ」
剥き出しの家屋が、すし詰めのように立ち並んでいる。
上ら下までベッド付きの寝床だらけた。
寝床の迷宮と言っても良いかもしれない。
スラム街という言葉を象徴しているような場所だし、あちらこちらから、女性の卑猥な声が聞こえて来る。
俺の近くにある寝床でも、浅黒い肌をしたダーク・エルフの女が男と絡み合っていた。
さすがに、これは目の毒だな。
「不浄の女神ジャヒーは貧しい女性たちの味方でもあるのよ。だから、こういう場所を守ってるんだわ」
「そのジャヒーを討伐してしまったら、女性たちは困るんじゃないのか?」
「自力で何とかするでしょ。こういうところで暮らしている女性たちは意外と逞しいものよ」
「かもな」
そういうことであればジャヒーは遠慮なく討伐させてもらおう。
やっぱり、汚れた仕事をする女性たちの後ろ盾になっているような奴をのさばらせておくことはできない。
聖書に出て来るキリストの神も女性たちのいかがわしい商売は許してはいないし。
「あんたも現実の世界の姿だったら、この手の場所でお世話になりたいって思ってたんじゃないの?」
イブリスが心を擽るような声色で言った。
「それはない。俺は聖書的な清さを守らなきゃいけないからな」
「また聖書の言葉を支えにしているわけ? 相変わらず変なところで頑固というか、融通の利かないおっさんね」
「おっさん言うな!」
「事実でしょ?」
「そうだが、俺もこの世界にいる時は四十歳のおっさんだってことを忘れたいんだ」
やっと自分の精神性が若い体に相応しいものになってきたのだ。
なので、水のようなものは差して欲しくない。
「じゃあ、どうしてそこまで聖書の言葉にこだわるのよ」
イブリスはこちらの内心を見透かしているような目で口を開く。
「あんたのその強情さは、天使になりたいって理由だけじゃない気がするし、何か理由があるなら白状しなさい」
イブリスがそう強気に言うと、俺はげんなりした顔をしながら話を始める。
「昔の話だが、俺は大学を中退したばかりの頃、中東の辺りを旅行してたことがあったんだ。そして、信じられないことに、そこで翼の生えた蛇を見たんだよ」
あれはサウジアラビアの首都リヤードにいた時の話だ。
「翼の生えた蛇ですって?」
「ああ。そいつはどういうわけか人間の言葉も喋れてな。それで、魔法のような力で金を盗まれて困ってた俺を助けてくれたんだ」
財布を盗まれたのは、あの時の俺にとっては痛恨事だった。
大使館に助けを求めたくても、不慣れな町だったせいでその場所が分からなかったし。
でも、突如として俺の前に現れた小さな手乗りサイズの蛇は大量の金貨を何もない空中から出して見せたのだ。
あれには俺も救いの神を見た。
「それってホントなの?」
「分からん。今、思うと全部、夢だったような気さえする。二十年も前の記憶だから、よく思い出すことができないし」
俺は遠い目をしながら言葉を続ける。
「俺が持ってる古びた聖書も中東のホテルの部屋に、置いてあったものなんだよ。そのホテルは日本人が経営していたから、聖書も日本語だったんだ」
日本人のホテルに連れてってくれたのも、その蛇だった。
ついでに、蛇はこのリヤードは自分の庭も同然だから何でも知っていると豪語していた。
その言葉を証明するように、蛇はリヤードの観光案内もしてくれたからな。
「だから、蛇が消えた後、急に怖くなった俺はホテルの部屋で聖書を何度も読んで、神に助けを求めたのさ」
一度、消えた蛇が再び姿を現すことはなかった。だから、夢や幻を見ていた気分にもさせられた。
「とにかく、それ以来、俺は神を馬鹿にできなくなった。それどころか、畏怖の念すら覚えるようになった」
聖書を隅々まで読んで、書かれている言葉を生きる支えにした。
喋る蛇がいるんなら、本物の神様だっているだろうと思いながら。
四十歳になっても、倫理観のようなものを失わなかったのも、その出来事が大きい。
「その時の記憶が確かなら、蛇は自分のことをサマエルと名乗っていた。偽典とはいえ、聖書に出てくる天使の名前だし、お前は何か知らないか?」
「……」
イブリスは青い顔で押し黙った。
いつも豪胆なイブリスがこんなにも恐れを感じているような顔をしたのは、初めてな気がする。
「そんなに怖い顔をして、どうしたんだよ? ひょっとして、サマエルのことについて何か知っているのか?」
「アタシはそんな奴のことは知らないわ」
「ホントか?」
「ええ。ま、あんたがどんな信念を持とうと、アタシには関係ないし、せいぜい後悔のない人生を送ることね」
イブリスが話を打ち切るように言うと、俺たちは密集する建物が作り出した道なき道を進んで行った。




