エピソード2 決戦
〈エピソード2 決戦〉
俺と漆黒のドラゴンになったイブリスは何もない空間で激しく戦っていた。
イブリスの力は明らかにあのエンシェント・ドラゴンを上回っていたし、今の俺には仲間がいない。
なので、俺も劣勢の戦いを強いられていた。
「修ちゃん、この戦いは動画サイトで流されている。だから、全世界に向けて発信されている戦いだと思ってくれ」
俺はドラゴンとなったイブリスの爪をかわしながら、サイレントモードで脳内に響くようになった康太の声を聞く。
「最後まで俺を見世物にする気か。大した商売根性だな」
俺はイブリスの体に斬りかかりながら忌々しそうに言った。
「そうじゃないよ」
康太は悲しげな声で言い募る。
「今回の一件で、この世界に神や天使、悪魔がいることは日本だけでなく世界中に知れ渡ってしまった」
「だから?」
「もう、世界は元には戻らないってことだよ」
康太は打ち拉がれたような声で言った。
「どういう意味だ?」
俺は嵐のように振り下ろされる爪を必死に掻い潜る。
康太の言葉は煩わしかったが、ここで聞いておかなければ後悔するような話に思えた。
だから、必死に体を動かしながら康太の言葉に耳を傾ける。
「例え、モンスターの脅威に晒されなくても、人間たちは絶えず神や天使、悪魔の存在に怯えなくちゃならない」
「そうだな」
「だから、僕も不安に苛まれている世界中のみんなを勇気づけたいんだ」
「勇気づける、ね」
「もちろん、これが、単なる罪滅ぼしだと言うことは分かってるよ。でも、何もしないわけにはいかない」
康太の声には切実な響きがあった。
が、俺は康太の言葉に同感なんてできなかったし、むしろ、皮肉をぶつけてやりたくなる。
「馬鹿げた話だな」
俺はイブリスが繰り出した尻尾による横なぎの一撃を、紙一重のところでかわしながら笑う。
「そうかい?」
「だって、この世界には神を信じている人間が何十億人もいるはずだろ。なら、神が実在していたことをみんな喜ぶんじゃないのか?」
少なくとも、俺の心は幾らか救われたぞ。
だからこそ、この戦いを自分の死に場所と決めることができた。
例え死んでも神なら救ってくれるかもしれないという期待がなければ、俺のイブリスへの言葉ももう少し変わっていたはずだ。
「残念ながら、修ちゃんが言うようには、なってないみたいだよ。それは、ネットの情報に目を通せば簡単に分かる」
「みんなが喜んでいないのは、どうしてなんだ?」
「みんな神が本当に存在していることなんて、望んでなかったみたいだ。だから、神を信じてきた人たちも熱狂ではなく困惑している」
康太の言葉に俺も理解に苦しむような顔をする。
神がいて嬉しくない奴は悪党だけだろうに。
善良な一般市民たちは神の存在に希望を抱けないと言うのか。
「そんなことはないはずだろ。神がいるんだぞ。人間は本当に救われるかもしれないんだぞ」
俺は雷撃のような一撃をイブリスの体に叩き込んだが、簡単に爪で受け止められてしまう。
やはり、今のイブリスは今まで戦ってきたどんなモンスターより手強い。
康太の身の上話のようなものに付き合っている余裕はないのだが、それでも脳内の会話は止められない。
「でも、みんなの声は実にネガティブだよ。そして、ハルマゲドンが起こるかもしれないことだけに恐怖している」
「ハルマゲドンが起きれば、この世の悪は一掃されて楽園が待っている。喜ばしいことじゃないか」
ハルマゲドンは多くのキリスト教の信者が夢見ていたことだ。
それが終われば、悪はなくなり、この世界は心の柔和な者たちが所有することになる。
なのに、それを喜べないとはどういう料簡だ。
「神の支配による楽園なんて、みんな望んではいないのかもしれない。そこには平和はあっても自由はないからね」
「現金な奴らだ」
「そうだね。みんな、神は心の支えくらいに留めておきたかったんだよ。でも、それはできなくなってしまった」
心の中にいる都合の良い神だけを崇めたいってわけか。
だとしたら、人間という生き物は本当に救いようがない。
そんなことだから、神もここまで切羽詰まった事態なのに、自分は目立った動きをしないのかもしれない。
「ま、俺も初めてサマエルと会った時は、似たような気持ちになったからな。だから、みんなの気持ちも分からなくはない」
神がいるという事実に、俺は確かに歓喜した。
が、その感情は長くは続かった。
結局は、何事にも厳しい聖書の神を煩わしく感じるようになってしまったのだ。
俺が求めていたのは、単なる《気休め》だったのかもしれないな。
「うん」
「なら、俺もみんなを勇気づけられるような最高の《エンターテインメント》を提供してやるよ」
俺は生き返ったような気持ちで剣を振るう。
自分の存在が少しでもみんなの力になると言うのなら、こんなに嬉しいことはない。
この世界は守る価値がある物だと、俺もこの戦いを通してみんなに伝えてやらないとな。
それしか、今の俺にできることはない。
「その意気だよ、修ちゃん。世界中のみんなが君を応援してくれている。それを忘れないで」
康太の声が途切れると、俺の頭に音声付きのメッセージが届けられる。
「負けるな、修一!」「頑張れ、修一!」「俺たちはお前のことを見ているぞ!」「そうだ、お前は俺たちの希望だ!」「だから、絶対に負けるな!」「あなたなら勝てると信じています!」「どうか、子供たちに明るい未来を!」「みんなに救いの光を見せてください!」「みんな、あなたを応援していますよ、修一さん!」「修一お兄ちゃんは私にとってのヒーローだよ!」
俺はみんなの声援を聞き、心に今まで以上の闘志が沸き上がるのを感じた。
「頭の中でごちゃごちゃ話している余裕があるのかしら、修一」
イブリスには俺と康太の声も聞こえていたようだ。
マスター・コールからの音声が途切れると、イブリスは口から魔法のマントのバリアをも突き破る炎を吐いてきた。
まさに地獄の業火。
受け続ければ、俺の体は消し炭と化すだろう。
俺は炎から逃げるのではなく、敢えて前進して活路を開こうとする。
「余裕なんてないさ。でも、みんなが見ていてくれる。だから、負けられない」
俺は猛烈な炎に怯むことなく、正面からイブリスに斬りかかった。
「この戦いを配信しているってわけね。クライスター社の連中は、こんな状況なのに、まだお金儲けをしたいのかしら」
イブリスは心底、呆れたように言った。
「違うだろ」
「じゃあ、何?」
「ただ見せたいだけなんじゃないのか。明るい未来への兆しってやつを」
神の存在は、それを与えてくれはしなかった。
人間に明るい未来を見せられるのは、人間だけなのかもしれないな。
「馬鹿馬鹿しい。そんな兆しは私が叩き潰してやるわ!」
イブリスは俺の体に空間すら切断できそうな爪を振り下ろしてくる。
が、その狙いは、どういうわけか俺の急所を外しているように思えた。
「なら、もっと本気でかかって来い! お前の繰り出す攻撃には迷いがあるぞ!」
俺は身を捌いてイブリスの攻撃を避けながら叫ぶ。
「減らず口を!」
イブリスが激昂したような声を上げる。と、同時に、勢いに乗ったドラゴンの爪は俺の体を押し倒した。
「ここまでよ、修一」
イブリスの爪は俺の体をガッチリと抑え込んでいる。
物凄い力だし、俺も身動きが全く取れない。
さすがに、これはやばいな。
「ぐっ」
鉈のような爪が体に食い込んできたので、俺も苦しげに呻く。
こうなると、反撃をする術がない。
やはり、ここまでと言うことなのか。
「私のレベルは九十九。対してレベルが六十しかないあんたに、最初から勝ち目なんてなかったのよ」
「そうみたいだな」
イブリスにはアナライズが利かなかった。
初めにレベルの差を伝えていれば、俺の戦意を挫くこともできただろうに。
それをしなかったのは、優しさか、それとも残酷さか、一体、どちらなんだろうな。
「最後にもう一度だけ尋ねるわ。私のやることに協力しなさい。そうすれば、あんたが望む物は全て与えてあげるわ」
やはり、今までのイブリスは俺を本気で殺そうとはしていなかった。
何とかして、俺の心を屈服させることに、戦いの重点を置いていたようだ。
そんなイブリスの思いには応えてやりたくなる。
が、今も犠牲になる人間が出ているこの世界のことを考えると、それは無理な相談というものだった。
「魅力的な話だが、断る」
俺は目力を強くして、そうキッパリと言った。
「どこまでも意地を張るってわけね。なら、私の温情もここまでだわ。自分の愚かさを呪いながら死になさい」
イブリスは振り上げたもう片方の爪を、俺の頭に叩きつけようとした。
俺は死を覚悟して、目をギュッと瞑る。
が、その瞬間、俺の体に凄まじい力が沸き上がって来る。
ハッと目を開けた俺は、迫り来るイブリスの爪を自分でも信じられない剛力で掴んでいた。
これにはイブリスもドラゴンの顔で驚愕の表情を見せる。
「な、何が起こったんだ?」
素手で爪を掴んでいた俺は、自分を押さえつけていたイブリスの腕も強引に払いのけて見せた。
その際、イブリスの重い巨体が冗談のように浮き上がった。
この見違えるような腕力は一体?
「私だ、ライラスだ。時間がかかってすまなかった」
康太に変わり、マスター・コールの声がライラスさんのものになる。
「俺の体に一体、何をしたんですか?」
俺は羽毛のように軽くなった体でバックステップをして、イブリスと距離を取る。
「君のレベル・キャップを全て取り払った。これで経験値を貯めに貯めた、君のレベルは極限まで跳ね上がる」
「えっ?」
「システムの上限値である二百五十五までレベルが上がったはずだ。これならイブリスを打ち倒すことも可能だぞ」
これがレベルが最高まで上がった体か。
確かに、今までとは力の流れ方が違うな。
この万能感はまるで神にでもなった気分にさせてくれる。
もう負ける気はしない。
「最後の最後まで、私の邪魔をするか、創造神!」
イブリスは金切り声で叫んだ。
「どういうことなんだ?」
なぜ、創造神が引き合いに出されたのか、俺には分からなかった。
「【創造神の加護】、なんてモノがお前に与えられたからこそ、私も危機感を感じて、仮想世界を繰り返させるのを止めたのだ」
「何だと?」
「それがなければ、私もまだまだ仮想世界で実験を続けていた」
「……」
俺はイブリスの怨嗟の混じった声に耳を傾ける。
「そして、もし、そうなっていれば、もっと良い形で現実の世界に侵攻することもできていたのだ!」
そう叫ぶと、イブリスは邪悪な本性を見せつけるように言葉を続ける。
「おのれ、小賢しい神や人間どもが。どこまでも、この私の計画の邪魔をしおって!」
イブリスは少女として愛らしさをかなぐり捨てるように言った。
「だが、これで形勢逆転だ、イブリス。もう、お前に勝ち目はないぞ」
俺は剣をしっかり構えると、体中を駆け巡る力を感じながら言い放った。
「ほざけ!」
逆上したように叫ぶと、イブリスは腕をバネのようにしならせて襲いかかって来た。
が、今の俺の目には、その動きがやたら遅く感じられる。
どうやら、動体視力を含めた、あらゆる感覚も最高値にまで達したようだ。
俺は絶妙なタイミングでイブリスと体を交差させる。その刹那、全身全霊の力を込めた斬撃を放った。
結果、俺の乾坤一擲とも言える斬撃を受け、イブリスの体は真っ二つに切り裂かれた。
大量の血飛沫が宙を舞う。
「「「ギャー!」」」
上半身だけになったイブリスは痛みにのたうち回った。
その姿は実に惨めで、憐れみすら感じさせる。
今度は俺が同情をかける番になったようだ。
「終わりだ、イブリス」
そう言うと、俺はイブリスの掌に剣を突き刺した。
これでもう爪を振るうことはできまい。
「そのようね。やっぱり、あんたは冒険者より勇者の方が似合ってるわ」
イブリスは諦観の念を感じさせる言葉を吐く。
すると、ドラゴンの姿をした体が急速に萎んでいく。
まるで、風船に穴が開けられたかのように。
そのままイブリスは少女の体に戻ったが、下半身は痛々しく喪失していた。
「悪しき竜を打ち倒して、国を救った勇者か。正直、そんな柄じゃないんだけどな」
俺は子供のように小さくなったイブリスの掌から剣を引き抜いた。
「大して戦う力が変わるわけでもないのに、ドラゴンの姿を取った時点で、私は負けていたってことね。とんだヒールだわ」
イブリスは口から血を吐き出しながら笑った。
「巨大化した悪者は絶対に勝てないって台詞は、どっかのアニメで聞いたな」
「ええ。でも、この世界を救いたいなら、あんたは自分の体の脳を破壊するしかない。つまり、勝っても負けても、あんたに良いことはないわ」
「分かってる」
「そう。なら、私は一足先に黄泉の国で待っているわ。あんも、私の居るところに来てくれるんでしょ?」
イブリスの笑みは本当に優しげだった。
まるで、俺に倒されることを望んでいたかのように。
やっぱり、こいつは俺にとっての最高の友人、いや、相棒だった。
それなのに、何でこんな風に殺し合わなければ、ならなかったんだろうな。
「ああ。俺もすぐにそっちに行くし、お前にだけ寂しい思いはさせないさ」
「なら、また楽しい時間が戻って来そうね。今更だけど、あんたと一緒に居られた時間は、私にとって本当に幸せなものだったわ」
「そうか」
俺は体が塵と化していくイブリスを見て、自分の頬を伝う涙を拭った。
「さようなら、修一。また会いましょう」
そう小さく言うと、イブリスの体は消えて無くなった。
すると、白一色だった世界は流れるように塗り替わり、俺も元の病室のような場所に戻って来る。
俺はしばしの間、呆けたような顔をしていたが、すぐに気持ちを入れ替える。
「さてと、俺もやるべきことはやらないとな」
俺は縦方向のベッドに磔にされている自分の体と向き合う。
頭部にはフルフェイスのメットのような機械が取り付けられていた。その機械からは木の枝のように上に向かってコードが伸びている。
その先には眩暈がするほどの大きな機械が設置されていた。
俺は自分の体の前で五分ほど立ち尽くした後、意を決して剣を大きく振り上げた。
「修ちゃん、僕は君のことを忘れないよ。君は紛れもなく世界を救った勇者だった」
剣を振り下ろす前に、康太の悲哀に満ちた声が聞こえてきた。
「全ての責任は私たちにあると言うのに、君にはあまりにも大きなものを背負わせてしまった。本当にすまない」
ライラスさんの慙愧の念を感じさせる言葉も聞こえて来る。
「分かっている。だから、後のことは頼んだぞ、二人とも」
そう言うと、俺は躊躇いを捨てて、再び剣を握る手に力を込める。
待っていろ、イブリス。
俺も今、お前のところに行くぞ!
そう心の中で叫びながら、俺は全ての未練を断ち切るように、機械が取り付けられている頭部に剣を振り下ろす。
その瞬間、俺の意識はプツリと切れるようにブラックアウトした。




