第一章
【一】
桜の花びらがヒラヒラと舞い落ちる四月のある日、タクシーを降りた私はそそり立つ鳥居の前でスーツケース片手に上に伸びる百六十五段ある石段を見上げた。
朱色の一之鳥居には古びた木彫りの扁額が掲げられており、そこに薫衣大辨財天社と彫られているが黒ずんで文字が見て取れない程に古い。言い伝えでは蘭奢待が日本へ伝来した頃から崇敬を集めているとの説と尾張徳川家七代藩主の徳川宗春が篤く信仰したとの説があるが、私は後者の方が信憑性が高いと思っている。
ここは県北部成瀬市にあるその名の示す通り辨財天を祀る社で私の実家だ。
事故で両親と双子の姉を亡くした私は家業を継がなくてはならなくなり、高校を卒業後は神職になるために神職養成所で二年間学ぶことになった。全寮制で休日も月に六日程度しかなく学生と言っても思っていたより過酷な日々を過ごし無事卒業にこぎ着けたが、休みが殆どなかったのを理由に寮生活中は一度も帰省しなかった。
卒業式は三月終盤に終えていたが三月中は学生なのと家に帰ればチャンスはないと思い、月六日しかない休日を全てバイトに費やし稼いで貯めた資金で卒業旅行と銘打って海外に行きいま帰国したところだ。まるで夢のような二週間を過ごしてきたものの現実に直面して私の心は複雑である。これから暮らすこの家は色々な意味で戦場になるからだ。
石段の前でぎゅっと手を握って気合いを入れるとキャリーを持って石段に足を掛ける。早春の柔らかな風も花の香りも心を浮き立たせるには役不足だが、その風が能楽のお囃子の音色を運んできた。
そういえば例大祭が近い。うちの神社では例大祭には能楽を奉納することになっているから、きっとその申し合わせが行われているのだろう。とてもテンポが早い。神舞か急之舞かどちらだろうか? 暫くそのまま聞いていると、やがて謡が始まった。
―げにさまざまの舞姫のー
神舞だ。番組は高砂か。目出度い曲だが何故高砂にしたのだろう。
「例大祭って四月の三週目だったっけ?」
寮生活の間ここに寄りつかなかった私にとって、いや敢えて関わりを避けていた私にとって神社の行事は他人事だった。だがこれからはそうもいかないだろう。だけど今はまだ関わりたくない。でもこのまま進めば申し合わせメンバーと鉢合わせる可能性が大きい。
どうしよう…… どこかで時間を潰してから再度戻って来ようかな。
ただでさえ重い足が更に重く石のように固まった。どれくらいそうしていただろうか? いつのまにかお囃子が止み人がポツポツと階段を降りてくるのが見える。焦るものの動けない。が、階上から下ってくる人々を見て私はキョトンとなった。
随分と若い人達だ。出で立ちや持ち物から察するに学生のようにも見える。彼らは石段の前で立ち竦んでいる私など眼中にないように通り過ぎていく。能楽とは関係のないただの参拝客だろうか? そう思うと少し気持ちが軽くなり、私は石段をゆっくりと登り始めた。重いスーツケースを持ち上げながら半分ほど登り終えた頃だろうか。足下ばかりを気にしていた私の身体は正面からの衝撃をモロに受けてふらついた。
誰かがぶつかってきたのだ。この階段は急で危ないからと左右は勿論、真ん中にも手摺りを付けて、登りと下りを明確に分けているというのにだ。だが怒りより先に恐怖に襲われた。ここから落ちればただでは済まない。
慌てて手摺りを掴もうとするがその手は虚しく空を切る。スーツケースが転がり落ちていく音が遠く聞こえた。もうダメだ…… そう思ってやがて来るであろう衝撃と痛みを思い目を閉じると、だが落ちるより先に強い力で手首を掴まれた。
「へ?」
緊迫感に合わないとは分かってるが私の口からは気抜けするような声が出てしまった。恐る恐る目を開けると黒紋付に仙台平の袴姿の若い男性が私の手首を強く掴みつつ落ちないように全身を支えてくれている。
イケメンだ。いやイケメンなんて言葉では軽すぎる。眉目秀麗とはこういう顔を言うのだろう。凛々しい眉に凛とした目元,スッキリ通った鼻筋、そして澄んで柔らかな笑みを湛える眼。全体的に細身に見えるが鍛えられているだろう身体は腕からでも一目瞭然だった。
「大丈夫ですか?」
うわ、声も良い。
「あ、はい。お手数をお掛けして申し訳ありません」
ぼぉっとしながらその手に身を任せ見つめる私の背中に尖った声が突き刺さった。
「先生、タクシーが来ましたよ」
「那須くん、謝りなさい」
そのやりとりで何となく状況が読めてきた。このイケメンボイスは間違いなく能楽師だ。そして私にぶつかった那須という女子は弟子。
「石段の途中で止まっている方が悪いんですよ」
苛々とした声が返ってくる。どうやら自分が悪いとは全く思っていないようだが、それ以上に私に対して何か別の感情を抱いているようにも感じた。
「ここの石段は左右で登りと下りが分かれている。君が悪いのは明白です。謝りなさい」
私が能楽師に抱き留められているような状況が気に入らないのだろうか? いや、その前にわざとぶつかってこられているしな。あれが事故ではなくわざとだとしたら、私は那須女史に何か恨みを買っているのだろうが皆目知らない顔だ。
「すみませんでした!」
投げやりな謝罪を投げ付けられ、頭の上にいる能楽師の口からは溜息が漏れた。
「危ないところをありがとうございました」
階下にいる気の強そうな美女に臆した私は能楽師から身体を離して頭を下げる。
「こちらこそ弟子が失礼を致しました。えっと荷葉さんですよね?」
胸が痛む程にドキリとした。返答に困り固まったまま能楽師を見上げると向こうは戸惑った表情をしている。まるで自分が何か間違いを犯したかのような表情を見て寧ろ私は安堵したが彼の何もかも見透かすような眼差しが怖く感じる。大丈夫、この人はこの家に一卵性双生児の姉妹がいたという事情しか知らないのだ。そうだ、身内でさえ知らない秘密をこの人が知る筈もない。自分にそう言い聞かせながら答えた。
「荷葉は亡くなりましたが」
能楽師の顔が一瞬のうちに曇り後悔の念を抱いたかのような表情になったが、その中に微細ながらも疑問を抱いているのが見て取れた。
「失礼しました。私がこちらのお社とのご縁を頂いたのは荷葉さんがいたからこそで」
彼の説明によれば何年か前の夏に能公演が催された際に私達一家が観賞に行き、公演終了後に猛烈な勢いでお社で奉納舞をして欲しいと願い出て来た少女がいた。それが荷葉だったと。私の頭の中で記憶が映画のフィルムのように流れる。流れて流してそして漸く思い出した。いや、思い出したという程に昔の事ではない。家族を失った三年前のあの事故の日だ。
あの夏、家族で薪能を観に行った。その時に感激したのと神社のこの先を考えてシテを務めた能楽師にダメ元で薫衣大辨財天社で能楽奉納をして欲しいと頼み込んだのだ。だがその場では了承は貰えなかった筈だ。そして帰路であの事故に遭い、その後この能楽師と会った覚えはない。ただあの時は私も混乱していたし事故後正気に戻るまでに時間を要したから、その時に会っていたなら申し訳なくも記憶にないだろう。
「痛ましい事故でした。でも菊花さんだけでも生きていて下さって良かったと思います。今後も末永くお付き合い下さいますよう宜しくお願い致します」
深々と頭を下げる能楽師に釣られて私も頭を下げたが心の中が不安でざわついている。その時、階上から声が振ってきた。
「菊花ちゃん、おかえりなさい」
留守を守ってくれていた叔母が駆け下りてきて合流した。
「おかえりなさい、菊花ちゃん。こちら能楽師の西桃春馬先生よ」
やはり能楽師で間違いなかったが、それより名前に聞き覚えがあるのが自分でも不思議だった。
「お若いけど西桃流のご宗家なのよ」
宗家と聞いて私は感嘆した。よくよく観察すれば確かに先程ぶつかった学生や私とさして変わらないような年格好だ。こんな若い宗家が日本に存在したのか。
「宗家と言っても私はまだ半人前なので」
つい先頃、宗家の座に就いたばかりで修行中の身だと笑った人は私を不思議なものを見るような眼差しで一瞥し、ではまたとだけ言って去って行った。あの眼差しにはどんな意味があるのだろうか? 興味と不安の双方が私の中で芽吹く。
「なんだか不思議な人ね。能楽師ってあんな人ばかりなのかな?」
叔母を見やると苦笑している。
「さあ、叔母さんは能はよく分からないから。でも、あのご宗家はご自身でも周囲に不思議君と言われていると仰っていたわね」
そもそも実家の神社で能を奉納する経緯を思い出せない私は俄然彼に興味を惹かれたが、今後顔を合わせる回数が増えると思うと一抹の不安が浮かぶ。お付き合いしない訳にはいかないが、できればあまり深入りしたくない相手だなとなんとなく思った。
「さあ、とにかく早く家に入って着替えてきなさい」
二年間の寮生活や旅行の話しを聞きたいわと階下に落ちたまま忘れ去られて等しい私のキャリーケースを拾い上げ足取り軽く石段を登って行く叔母の背中を見て私はコッソリと溜息を吐いた。
悪い人ではない。幼い頃から可愛がって貰っているし家族を失った私の親代わりになり二年間の学費も出し卒業旅行も快諾してくれた。何より私が不在の間この神社を守ってくれていた人だ。だがこの人は双子を見分けることができず、いつも間違えられた記憶しかない。人が良く天真爛漫で多少天然な性格なだけで悪気はないのだ。
石段を三分の一程登ると石造りの二ノ鳥居があり石段はここで左折する。更に昇ると三之鳥居があり黒木のそれには注連縄が取り付けられている。一之鳥居がここから先は神社の中ですという意味を持つとしたら、この三之鳥居は正に結界。俗世と神聖な空間を分けるものだ。
私は改めて心の中で気合いを入れると一礼して鳥居を潜った。ここでは一挙手一投足に間違いがあってはいけない。なのに私は早々にミスをした。
【二】
自宅は社務所の裏にある木立の中に隠れるように建てられている。参拝する人に俗世を感じさせない為であるが、そこにしか空き地が無かったらしい。恐らく大昔は神職不在の兼務神社で自宅は必要なかったのだと思う。
私は二階の自室に入るとベッドに腰掛け感慨深く室内を見渡した。この部屋を離れて二年半。たった二年半なのに何十年も帰って来なかったような気持ちになる。
あれ? 二年半っておかしいよな。ふと頭の中に疑念が沸き起こるがすぐに思い至った。菊花として退院した私は結局「荷葉」に戻れないまま家を出たからだ。
その時、階段を上っているトントンという音がし、私は自分の不手際に思い至った。ここは荷葉の部屋だ。まずい、どうしよう! 咄嗟にとった行動はキャリーケースの中味をぶちまけることだった。と同時に扉が開く。
「部屋にいないからどうしたかと思ったわ」
良かった、叔母は何ら疑問を抱いていない。
「荷葉の服を借りていたから」
咄嗟の言い訳としては上出来だと思う。
「お茶の用意ができたけど」
床に散らばる洋服や旅行グッズの数々を見て叔母が言葉を濁した。この反応は逃せない。
「このままだと落ち着かないから片付けてから行く」
「どのくらい掛かりそう?」
「一時間くらいかな」
「分かったわ、スイーツを用意しておくわね」
叔母の手作りスイーツは格別だ。私は本気で諸手を挙げて喜ぶと手早く片付けを始める。背中でドアを閉まるのを感じるとホッと安堵の息を吐きつつそれでも手は止めなかった。とにかく片付けを先に終わらせてしまおうと思ったのだ。片付けを手早く終わらせると床に残ったのは隣の部屋の洋服ダンスに片付けるものだけになった。
そこになってやっと私はこの主戦場で生きて行くために再度落ち着いて思考を纏める時間を得たのだった。隣の部屋に移動し洋服を片付けるとノートを開く。そこに私のルーツや今ある立場を書き出していく。経験はないがまるで物語の創作に挑んでいるような気がしてきた。
私の名前は山奈荷葉。十七歳の夏に家族で薪能を観に行った帰りに事故に遭い両親と双子の姉の菊花を亡くした。私自身も重傷を負い救急搬送先の病院で一時期昏睡状態に陥ったと聞いている。二週間程生死の狭間を彷徨い現世に戻ってきてみれば私は荷葉ではなく菊花になっていた。いわゆる患者の取り間違いに分類されるミスだ。
目が覚めた時、主治医に山奈菊花さんですね? と問われた時にハイと肯定してしまった私も悪い。だがあの世に一歩足を入れかけていた人間が目覚めてすぐに現実を理解できるはずもない。うつろな意識の中で問われれば誰だってどんな問い掛けに対してもハイと答えると思う。
その後、日が経つ毎に意識がハッキリしてきてから私はとんでもないことになっていることに気付いた。皆が私を山奈菊花と認識している。そのことに懊悩した。そもそも何故私を菊花だと思っているのか? 日がな一日考え救急搬送中に間違えられたという結論に至った。
意識を失う前、私は現場に警察、消防、救急が来ているのを視認していた。それを見て安心して意識を失ったのだが、結局三つの組織が全て私を荷葉ではなく菊花と認識していたことになる。そんな三つ巴のヒューマンエラーが起こるなんて有り得るのかと思うが実際起きているから今がある。
訂正する機会は恐らくあっただろう。だができなかった。させてもらえなかった。それでも言うべきだったと今になって後悔しても遅い。意識朦朧としながらも自分が菊花じゃないと分かった時に私は荷葉ですと言えば、寧ろ『ああ意識が混濁していてハイと言ってしまったんだな』で済み私は荷葉として治療を受け退院できただろう。
ノートから一旦顔を上げた私は綴った経緯を見て深々と溜息を吐いた。退院後この家に戻ってきたら叔母夫妻が迎えてくれた。事故後の孤独な十七歳を放っておけないと親族会議が開かれ高校を卒業するまでは母方の叔母夫妻と同居することになった。そこから本当の意味での他人の生を生きる私の苦難が始まったのである。
叔母は私と菊花を見分けることができなかったけど、それぞれの性格の違いのようなものには目ざとかった。何かすれば『まるで荷葉ちゃんが戻って来たみたいね』と目を潤ませる。叔母は生き残った菊花を見て荷葉を思い出していただけだろうが私にはそれが苦痛だった。だから高校三年の進路志望相談時に神社の跡取り問題が取り沙汰された際に本来跡取りが菊花に決まっていたことを利用して熱田神宮学院へ進むことを決め家を離れたのである。
学院でも私は山奈菊花として扱われたが本当の菊花を知る人はいなかったので気は楽だった。だから月のお休みが少なくても、大学生のように遊べなくても、寮生活で他人に気を遣う日々でも、それでも素のままで過ごせる事が嬉しくて仕方なかった。
卒業して家に戻る前に海外旅行に一人で行ったのは、それこそ荷葉として振る舞える最後のチャンスが欲しかったのと今後菊花として振る舞わなければならないことへの自分なりのケジメを付ける為だった。の筈が一人旅で有頂天になっていたから初日からミスばかりだ。私は両手で頬をパシっと叩くと「しっかりしろ、私は菊花よ」と、虚しい叱咤を自分に浴びせた。
ところで三つの組織が揃いも揃って私を菊花と認識した元凶は私のポシェットから菊花の生徒手帳が出てきたかららしい。私達は叔母がそうであるように他人からは見分けが付かない程にそっくりだった。一卵性双生児でもここまで似るものなのかと思われるほどに同じ顔だったから、出先で何か合った時の為に外出時はいつも身分を提示できるよう生徒手帳を持参していた。
あの事故の日も互いが自分の手帳を持って出た筈なのに、それがいつの間にか入れ替わっていたのである。事故の衝撃で入れ替わった? 確かに衝撃は凄かったがそれでも双方の手帳が小振りのポシェットの中から飛び出して双方のポシェットに入る偶然なんてあり得ない。
人知を超える何か得体の知れない力が働いたとしか思えないが私は神社の娘ながらオカルトやスピリチュアルには疎く、またそういう世界観を持った人種を疎ましいと思うくらいなのでスマホやパソコンでの気軽な占いすらしたことがなかった。なのに社の中の神聖性は否定できないから厄介な性格だと思う。それが二年間ずっと神学を学んだ弊害なのか、神社に生まれたからなのかそれは自分でもよく分からないが。
小一時間過ぎたのだろう。叔母が顔を見せてそろそろ降りてきなさいと言われ、私は返事をしながら心の中で再度自分に言い聞かせた。
私は山奈菊花よ! と。
階下へ行くとキッチンを中心に甘い香りが充満していた。和菓子の匂いだ。何か蒸したのかな? しかし香りの充満の範囲が尋常でない。一体どれだけ作ったのかと思いながら居間に入ると大皿に桜色の大福が山のように盛り付けられているのを目の当たりにして固まった。
「さあ座って。沢山あるから遠慮無く食べてね」
叔母は嬉々として急須のお茶を菊花専用のマグカップに注いでいる。
「凄い量ね」
「今日は西桃のご宗家達がいらっしゃるから張り切っちゃって」
なるほど。確かに軽く十人は越えていたもんな。
桜色の大福の中味は苺だ。苺大福とは手が込んでいるが一口食べてその美味しさに私の気持ちが少しほぐれたような気になる。餡の甘さと苺の酸味が絶妙で叔母の腕前に私は素直に感嘆した。
「美味しい」
「口に合って良かったわ」
「皆さん喜んだでしょ?」
「そうね、及第点は貰えたようよ」
歯切れが悪いなと思っていると叔母は溜息を吐きながらちょっとした愚痴を零した。
「和菓子がお好きじゃないのか遠慮したのか分からないけど、ご宗家は何個か食べて下さったけど学生さん達は殆ど手を付けなかったのよ」
だからこんなに山盛りになっているのか。申し合わせに参加する人数を考えて作ったものの思ったほど好評ではなかったようだ。が、私は叔母の愚痴の中に出てきた学生という言葉に反応してしまった。
「学生?」
「ええ、シテとワキとお囃子はプロだけど、地謡は大学生が受け持つのよ」
ここで能楽奉納を出すようになってから、ずっと出演者はそうだったという。
「あのご宗家が大学の能楽部の顧問もなさっていて。それで舞台の経験にもなるし何せ吸収力が早いから謡も舞もすぐに覚えるし急な番組変更にも堪えられる上に神様に捧げるなら元気な方が良いだろうって」
「へぇ〜」
その会話中に私はあの能楽師の顔を思い浮かべた。その途端、頭の中でパチっと音がする。まるでパズルのピースがはまったかのように私はあの能楽師のことを鮮明に思い出し、そして何故忘れていたのだろうという焦燥感にも似た思いに駆られた。あの顔、あの立ち姿、何より舞台上での流麗な舞。あの人だからこそうちのお社での能楽奉納を是非にと強く頼み込んだのに。
それにしても能に限らずだけど日本の伝統芸能は廃れていく一方だ。ことに能は言葉が分からない上に眠くなるなどの理由で観能自体を敬遠する人も多く、故に次代へ繋げていくのは大変だと推察できる。そんな現状であの若い宗家が学生達に能を教えていると知り、若い子が能に興味を持って習うことにも驚いたがその中からプロを目指す子が出てくれれば渡りに船だろうと考えた所で私はふと高砂のことを思い出した。
「今年の奉納を高砂にしたのは何故?」
目出度い曲だけど夫婦円満と長寿を言祝ぐ曲を女神への奉納にするのは些か不向きなような気もする。
「あれは舞囃子よ。学生さんが舞うの」
「じゃあ能は?」
「まだ決まっていないの。次期宮司が戻って来てから決めましょうって」
私は危うく苺大福を喉に詰まらせそうになった。現宮司は叔母なのに私を名指し?。
「正階の資格を取ったんだから当たり前でしょ。ご宗家が明後日来て下さるそうだから」
あとは宜しくねと叔母は朗らかに笑ったが私は別の事を考えていた。あの宗家、侮り難しだ。
【三】
叔母の言葉に甘えて実家に帰宅した翌日はのんびり過ごさせてもらったが翌々日からは朝と夕拝以外の神社の仕事に手を付けた。
朝五時に起床。晴れて神職になったので神職の装束に着替える。本来なら私は神職になりたての軽輩なので宮司にはなれないのだが、規模が小さく家族経営なので私が宮司ということになる。叔母も神職の資格を持っているので私の不在時と同じく叔母が宮司でという案はとうに棄却されている。
正階の資格を持っているが新米なので階級は三級で装束は白衣に浅葱色の袴が正式な色目だが軽々しく見られては困るからと叔母が方々に掛け合った結果、特別に地紋無しの紫の袴を着けることを許されている。これが常服で水干と呼ぶ。
神事や大祭など特別な日は正装することになっているが恐らく私は掃除などの雑務以外は常に正装になるだろう。と言うのも女性の神職は社務所で窓越しに参拝客とやり取りする際に袴の色が見えないため巫女に間違われてしまうのだ。思えば母も正装でいることの方が多かった。
うちの正装は独特で、常服の上に単と表着と細長に当帯を身に付け檜扇を懐に携帯する。更に神事の際は濃色の長袴を身に付ける。ともあれ私は常服に着替えると草履を引っ掛けて外に出た。早春の朝は少し肌寒いが花の香りが含まれているのか芳しい風の香りが心地良い。
箒を手に向かったのは三之鳥居だ。そこから石段を下へ降りながら掃き清める。三之鳥居から一之鳥居までの階段脇は桜並木で毎年満開を迎える頃には壮観な景色を楽しめる。今年は寒の戻りがあって桜の開花が遅れたが、それもそろそろ終わりで舞い落ちた花弁が階段を薄紅色に染めている。春の名残のそれらを取り除いてしまうのは惜しい気もするが放置すれば茶色に変色して逆に見た目がよろしくない。
花弁を下の階へ掃き落としながら下っていく。百六十五段ある石段を全て掃き清める頃には膝がガクガクとし全身汗だくで腰が痛い。最下段まで掃き清め膨大な桜の花弁を塵取りに掃き入れるとまた階段を上りここで漸く深呼吸をしつつ傷む腰に手を当てて伸びをした。三之鳥居からは神社全体が見渡せる。
小高い山の上の敷地は想像するより広い。三之鳥居を潜ると、ほどなくして山門が現れ両開きの扉には神社の神紋が掘られている。山門を潜ると右手にお手水。更に奥へ行くと参道からわざと右方向へずれた所に拝殿と本殿。これは鳥居、山門、拝殿への直線上は神様が歩かれる道と考えられているからである。更にうちの神社には能舞台が供えられており本殿の正面に建てられている。本殿は拝殿から階段で十数段の所にあり何事も辨財天がご高覧できるようにと配慮した配置である。
社務所は能舞台とは対角線上の最も離れた場所にあり、拝殿と本殿と能舞台は隠し通路や廊下、渡殿で繋がっている。能舞台には鏡の間や装束の間、楽屋などが併設されているかなり本格的な舞台で大きさも本舞台と同じ三間四方なためプロの公演にも使用可能だ。
この舞台は創建当時からあるものでかなり古めかしい。私が能楽師を招致することを思い立って単独交渉したのもこの舞台を使わないまま野晒しにするのは惜しいのと参拝客を増やす為に役立つと考えたのだ。ありがたいことに記憶が鮮明に戻り始めている。
掃除が一段落し腰をさすりながら顔を上げると真っ青な空が目に入る。
「良いお天気」
今日は天気も陽気も良いし参拝客が沢山来てくれれば良いな。
山門の屋根に落ちた花弁は敢えて残したまま掃除を終えると社務所で机に向かう。うちの神社は薫衣というその名の通り香にもあやかっている。本殿では木製の辨財天を祀っているが御神体はその木像ではなく辨財天が持つ琵琶だ。これがただの琵琶ではなく香木で作られた琵琶なのである。
研究機関に鑑定を依頼したところ東大寺宝物殿に修められている蘭奢待と同じ香木であるとの評価を得た。それが元でこの神社の由緒が蘭奢待伝来の時期からと言われ始めたのである。
蘭奢待と同じ香木とは言え年代まで特定された訳でもなく都が置かれた奈良や京都ならともかく移動手段が徒歩や馬だった時代に貴重な香木がこんな辺鄙な土地に持ち込まれた理由が明らかでない以上、戦国時代以降のこの地域が栄えた時期に権力者の手によって持ち込まれたものと考える方が自然だ。
この地方に縁があり且つ蘭奢待となると織田信長がまず思い浮かぶが、東大寺の蘭奢待には信長が切り取った跡があるからこの神社の香木の存在を知らなかったと考えて良いだろう。私が尾張徳川家七代藩主宗春公が庇護したという説に信憑性があると考えるのもそういう小さな点を繋ぎ合わせた結果だ。
由緒ある香木の存在は拝殿まで香りが届くため秘すことができず、とはいえ簡単にご神体を公開する訳にもいかず、勿体ぶって五十年に一度ご開帳という案も客足が遠のきそうで結局五年に一度のご開帳で落ち着いた。再来年がその年だ。
有り難い事にお香屋さんや香道関係者に篤く信仰され最近は若い人達もやってくる。昔は閑散としていたらしいが最近市が国宝のお城を売り込みはじめ観光客が激増した恩恵に預かることができたのである。無論それに便乗するだけでは経営が成り立たないので薫衣大辨財天オリジナルの香の入ったお守りを販売することにした。調香担当は私だ。
あの時は両親と姉を事故で亡くして生きる気力もない上に菊花と認識されて何もかも投げ出したくなっていた時期で、香の選定から調合までを一手に引き受けて一人向き合うひとときが荷葉でいられる唯一の時間だった。あの時間があったから何とか正気を保っていられたようなものだ。
調香から二年間も離れていたので今一度香の調合を記録したノートを開く。ふわりと香りが立ち上り、ここで漸く私は家に帰ってきたと実感した。二年前までは経営は頭になくただ香が好きだからオリジナルの香守りを作って売ったらどうだくらいの軽い気持ちでアイデアを両親に話したら採用となったが、今後は経営面にも責任を持たなければならないのでただ香木を好き勝手に調合するだけでなく収支も念頭に入れなければならない。
恐らく叔母が手がけていたであろう削りかけの香木を見て私はまずは勘を取り戻さねばと香木を削り始めた。香木を修めてある社務所は普段から香の香りで満たされているが削り始めるとその香りが一層強く際立つ。いにしえの平安貴族もこうして香木を削り手を真っ黒にして錬香を作っていたのかもしれないと想像する自然と笑みが浮かんでしまう。その時、不意にアイデアが浮かんだ。
「そうだ、煉香も作ってみようかな」
香守りは何種類かの香木を砕いて調香したものを和紙で包み、更に帯地を袋状にしたものに入れてあるので手軽に身に付けられる香袋として一般客に人気だが、それひとつでは心許ないしオリジナルの錬香を作るのも良いかもしれない。私はアイデアをノートに書き付けた。香守りとは調香を変えなければ面白みがないから香木選びは今後の課題だ。再来年のご神体のご開帳に間に合わせれば売上げが上がる可能性があるし香道関係者にも売り込めるかもしれない。
そんなことを考えながら削った香木を今度は刻んでいく。うちの香守りには三種の香木が入っている。基本となる香木は現代では七種だが、それを全て混ぜれば良いというものではなくまずはうちの神社に会う香り、つまりテーマを考え選び出したのが三種の香木である。厳密に言うと二種の香木と一種の樹液なのだがたった三種と侮るなかれ。決して柔らかいとは言えない古木をナイフで削りカッターで刻んで混ぜ合わせた後にすり潰してと、雅やかに思われがちな調香は存外力仕事なのである。だがその作業に没頭している時間を心地良いと感じるのは元来黙々と作業することが好きだからだと思う。
私には社交性がなく友人も多くはない。菊花として生きねばならなくなった時に荷葉の友人とは自然と縁が消滅することになったのにも一因があるが、荷葉でいた時の友人の数もたかが知れている。つまり独りでいる方が好きなのだ。逆に菊花は社交的且つ派手な性格でいつも人の輪の中心にいてまるで棘のある薔薇か女王様のようだった。
退院後そんな私と菊花のギャップを埋めることができず、バレたらどうしようと思う気持ちといっそ双子が入れ替わっている事実に気付いて貰えるかもしれないという期待は事故でショックを受けているからで片付けられた。私は益々内にこもるようになり二年間の寮生活でやっと自分を取り戻す事ができたのだ。が、二年は短い。いや短かすぎた。私はまた籠の鳥だ。
そうこうしているうちに柱時計がボーンと一つ鳴った。時計を見ると七時半だ。同時に叔母が私を呼ぶ声が響いた。
「菊花ちゃん、朝食ができたわよ」
「はーい、いま行きます」
立ち上がり袴をパンパンと叩いて木片を払い退けると刻み終えた香木を絹地を敷いた専用の桐の箱に収めて桐製の戸棚に片付けた。社務所の中の棚や引き出しの全てが桐で作られているのは和装を桐箪笥に片付けるのと同じ原理だ。桐は虫が付きにくく腐りにくい上に湿度を一定に保ってくれ吸水性が良く燃えにくい。貴重品を片付けておくにはもってこいの素材なのである。
「菊花ちゃ〜ん、冷めちゃうわよ」
再度叔母からの督促が掛かり私は慌てて母屋に向かった。
社務所から母屋までは社殿や能舞台と同じで渡殿で繋がっており進むと木立に入る。これは目隠し用でその木立を越えると自宅の玄関前に出られるよう設計されているのだ。山の裏側の雑木林に隠すようにして車が通れる道があるが敢えて存在を隠している。宅配業者、私的な来客や賓客用の道の為、参拝客用の駐車上は階段下に設置してあり百六十五段の石段を登るのが必須なので石段は祈りの階段と呼ばれている。
私は子供の頃から高校時代まで子供服や制服姿が俗世を思わせるとして裏道の使用を厳命されていたが今後は石段利用が必須になる。
【四】
ダイニングテーブルには絵に描いたような洋食が並んでいた。焼き立てのパン、オムレツにカリカリペーコン、サラダに大好きなアールグレイ。ただ何故か二人分しかない。
「美味しい」
「良かったわ」
「ところで叔父さんは?」
「長期出張なのよ」
確か叔父は公務員だったっけ。公務員といっても種別は様々で私は叔父が何処の省庁に身を置いているのかを知らない。尋ねようと顔を上げると叔母はエプロンで目頭を押さえていた。
「なんだか荷葉ちゃんと重なっちゃって」
返す言葉が思い浮かばず食事を続行した。そして考える。この神社は母が後を継いだが叔母も神職の資格を持っているのは何故なのかと。でも答えは簡単だ。母と叔母が先例になったのだ。
恐らく両親は跡取りは菊花にと決めていたが双子のどちらをも神職にする気だったのだ。私を菊花のお守り役に据える為に。菊花には経営センスが皆無だったから。それなのに跡取りに決めたのには理由がある。
いつの頃からか両親は菊花のみを溺愛していたが菊花一人でこの神社を盛り立てていくのは無理だと確信もしていた。双子に神職の資格を取らせようと考えたのは私が西桃流宗家に能楽奉納を直談判したあの夏だろう。行動力が裏目に出たのだ。
「今日は西桃の御宗家がいらっしゃるからお願いね」
その言葉に箸を持つ手が止まる。
「舞囃子の高砂をいっそ能にして上演しても良いと思うけど、高砂ってどこから出てきたの?」
私はアールグレイを啜りながら聞いた。
「ご贔屓にして下さっている薫風堂さんを覚えてる?」
うちで扱う香木や道具材料の類いを一手に引き受けているお香専門店だ。多額の寄付もしてくれどちらがお得意様なのか分からない程の深い付き合いである。
「そこのご夫婦が金婚式で」
お得意さん夫妻が金婚式と聞いて私は得心した。本来神社の公式行事に私的感情を考慮することはないが今回はさすがに無視できない。
「薫風堂さんの依頼なの?」
大得意さんが願望しているのなら今回ばかりは叶えねばならない。忖度という奴だ。
「あのご夫婦はそんなことは言わないわ。でも地元民がね」
叔母の歯切れの悪い言葉に私は益々得心した。つまり同業者や商工会の連中が祝賀を春の例大祭に絡めたがっているのだ。しかし実は周囲の要望の方が厄介だ。頭を抱えた私の目に居住まいを正す叔母の姿が見え、紅茶のカップを置いて身構えた。
「一昨日の申し合わせを見て思ったんだけど大学へ行かない?」
「へ?」
春の例大祭の能奉納からいきなり大学進学へ話題が飛んで私は変な声を出してしまった。叔母の真意が分からない。
「同年代の子が大学で好きなことをしているのに菊花ちゃんが家に縛られるのはどうかと思うの。勿論仕事もしてもうけど私も神職の資格を持っているし四年ならフォローしてあげられるわ」
やりたいことがあるなら諦めないでほしいと叔母が熱弁を振るうのを見て私の心は揺れたが、そろそろ宗家を迎える準備をしなければならない。
「その話は今夜にでも」
私はそう言い残して社務所に戻った。社務所の隣には能装束や面が修められている蔵がある。中にはプロ顔負けの能の諸道具が修められており傷みもない。ご先祖様から受け継いできたものをしっかりと管理してきた証だ。
古い物の状態を保つ秘訣は使うことだと西桃の宗家に諭され、能奉納時はうちの装束や面を使う事になっている為、私は蔵に収められている品の目録を見ながら高砂に使用する面や装束をリスト化していったが、打ち合わせを能舞台にしようと思い立ち装束と面を舞台に運び衣桁に掛けたり並べたりして更に能舞台を几帳で目隠しした。
「我ながら壮観」
唐織や面を並べた舞台上は華やかだが何かが足りない。高砂は住吉明神が神々しく颯爽と舞い悪魔を払いのけ君民の長寿を寿ぎ平安な世を祝福する目出度い曲ながら登場人物は相生の松を夫婦に見立てているため色調が渋い。高砂が嫌だと思っているわけではないが春の華やかさを言祝ぎたいこの気持ちを宗家に分かって貰えるか不安になり、私は敢えて紅入りの装束も衣桁に掛けた。そうこうするうちに宗家が到着したと伝えに叔母が現れる。とにかく初仕事だ。双方の納得がいくようしっかり勤めようと決意して宗家を迎えた。
「こんにちは」
現れた西桃流宗家は先日の黒紋付とは打って変わって薄紫色の袷に銀糸で地模様が織られた深緑の袴姿で思わず見惚れてしまった。ほぼ同年代の男性の和装は珍しいが能の宗家ともなるとしっくりくるし色の選び方も洒落ている。年齢関係なく生まれながら持った華がある人だと思った。
「今日はご足労頂きありがとうございます」
「毎年楽しみにしていることですから。改めて宮司就任おめでとうございます。先日は生徒が失礼しました」
光栄な言葉を頂戴し感激するが気は抜けない。
「早速ですが叔母から番組が決まっていないと伺いまして」
「その件は叔母様も悩んでおられたので昨日は敢えて高砂の舞囃子にさせて頂きました。地謡の学生は高砂自体全て暗記していますから能に変えることも可能ですが、菊花さんは異論ありなご様子ですね」
若いけど鋭い人だと感心したのと同時にこの後どう話しを進めるべきか悩む。まるで高砂に不満があると思われているようで居心地が悪い。自分の心中をどう表現したら良いのか悩んだ私は素直になった方が良いという境地に至った。
「贔屓筋が金婚式で、地元の人間が盛り上がっているようなのですが、私の見解としては神事に個人的な事情を差し挟むのは如何なものかと思います」
何か違うな。こんな堅苦しい正論を言いたかった訳じゃない。
「寺社は公的は空間ですから個人的なお祝いはまた別の機会にして頂いた方が良いと私も思います」
宗家の返答は模範解答だが試されているとも感じた。だがこれではお互いの腹の探り合いになって話が進まない。
「本音を申し上げますと春爛漫の華やかな季節なので目にも華やかな番組でも良いと思うんです。神への捧げ物と言っても古事記からも分かるように日本の神様って割と生々しいというか人間臭いというか、なのであまり清廉潔白に考えずあくまでも娯楽を提供するという考え方は間違っているんでしょうか?」
宗家が目を丸くしたように思えたのは気の所為だったようで、一瞬の静けさのあと彼は面白そうに笑い出した。
「あ、あの……」
呆れられたのかと思ったがどうやら違ったらしく苦笑を讃えながらも真摯な眼差しで私を見つめ返してくる。
「菊花さんの考えに賛成です。エンターテイメントに徹して楽しんでいただくのも有りだと思います」
その言葉に小躍りしたくなった。私の考えが否定されなかったことにもだが、常々考えていた奉納という行事についての見解をプロの能楽師に認めて貰えたことが嬉しい。
「では番組はどうしましょう」
「商工会の方々の面子を潰すのは良い策とは思えませんし、舞囃子で高砂を、そして能は別の曲にしましょう」
その何かを決めるのに宗家は私が選び出して舞台に並べた装束や面を見て色々考えを巡らせ始めたようだった。
「春らしい曲というと胡蝶、羽衣、嵐山、吉野静などがありますね」
上げればキリがない上に、どれも魅力的な番組だ。
例大祭に訪れる人は二極化されている。能が目的の人と雰囲気を味わいたいだけのいわば寝てしまう人の二種だ。双方を楽しませる術はないが能に興味を持ってくれたらという思いは宗家も私も等しく同じである。
「胡蝶はどうでしょう」
先に口を開いたのは宗家だ。源氏物語の胡蝶の巻に触れる詩的ファンタジーな曲で胡蝶の精が幻想的で美しい能である。
「賛成です」
意外にも番組はすんなりと決まりほっとした瞬間、突如空に暗雲が垂れ込め風が前触れもなく強く吹き付けてきた。その風は能舞台上の几帳を倒しまるで刃物のように肌をピリピリと薙ぐように吹き付け吹き上げていく。衣桁がバタバタと倒れる音がしたが身動きができない上に息まで苦しい。
床に伏せながら宗家を見やると私と大差ない状況だ。一体何が起きているのか分からない。風に揉まれながら舞台の上から視線だけで境内を見やると何事もないかのように参拝している人々が見える。この現象は能舞台の上だけで起きている上に誰もこの状況に気付いていないのだ。その時、尚一層強い風が私を襲った。頬に鋭い痛みを感じるのと同時に髪が数本切れて風と共に舞い上がる。それを最後に風はピタリと納まった。
「宗家お怪我は?」
「私は大丈夫です。それより菊花さんの方が」
何気なく頬に触れると指に濡れた感触を感じた。その指を見ると鮮血に濡れている。横髪もまるで鋭利な刃物で薙いだように切り落とされている。後ろでひとつに束ねていたおかげで、ほつれた髪が切れただけで髪型に支障はないけど。
一体何が起きたのだろう。敢えて言葉にするなら存在するか否かは別としてまるで鎌鼬だ。そこまで考えて私は正気に戻り倒れた衣桁の元に近付いた。
「酷い」
衣桁ごと倒れて床に散らばった装束は鋭い刃で切り裂かれたかのように無惨な姿を曝していた。面にも全面に傷が付いている。だが呆然とする私は宗家に手を強く引かれて自宅へと連れ込まれた。
「ちょっと待って下さい、装束が!」
だが宗家は止まらない。
「装束なんて西桃家にもあります。貴女の手当の方が先!」
怒り口調でそう言われると大人しくするしかない。私の頬の傷を見て叔母は悲鳴を上げかけたが、それも宗家の静かな怒りに押されて手早く手当が施された。
「顔ですし病院へ行った方が良いと思うんですが」
私の頬に大きな絆創膏を貼りながら宗家が言ったが、傷はそれほど深くなさそうだったので私は明日になっても痛みが取れないようなら受診すると答えた。
「すみません、宗家にご迷惑をお掛けして」
実際は誰の責任でもないのだが社の中で起きたことだから私が悪いような気がして頭を下げる。宗家は首を横に振り私を責めることはなかったが、何か沈思しているようにも見えた。
【五】
夕刻、私は空しさに苛まされながら能舞台に散らばった無惨な姿になった装束や面を片付けたが頭の中では別のことを考えていた。あの後、帰りしなに宗家に大学へ来ないかと言われたのだ。遊びに来いという意味ではなく入学しろという意味で。叔母と結託しているのかと思ったがそれは杞憂だった。だが私の人生が何一つ自分自身で決められないことが悲しかった。
宗家が能楽部の顧問を務めている大学へ来いと強く誘ってきた。ただ酔狂で言っているのでもなく叔母のように好きなことをやれという意味でもなさそうだった。では一体何が目的で私を大学へと考えたのか。
「貴女はこの場にあまり長く居ない方が良い。少なくとも、あの風の謎が解けるまでは」
その言葉をどう受けとれば良いのか分からない。まるでオカルトめいたことのように思えるが生憎と私はその手のことに興味がない。
昨今パワースポットと騒がれている場所があることは知っているが、生まれてこの方この場がパワースポットだと騒がれたこともなければそれらしい現象もない。当たり前だ。パワースポットだの清浄な気の流れだのは人によって感じ方が違う。この場が好きならその人にとってパワースポットになり得るだろうが何も感じない人の方が多い。
それらしいことをネットに書いている人だって神や精霊の存在を見ている訳ではなく、主観で言っているだけでそれに振り回されている人が多いだけなのだ。そんな大多数の人が何も感じられなかったと認めるのが嫌で凄い気の流れだったなどと吹聴するから益々なんちゃってパワースポットが乱立されていく。
無論、全てを否定する気はない。私も神社で育った身だ。清浄だと思う場もあるし御神木に圧倒されたこともある。だがこの薫衣大辨財天社は由緒はあるがパワーにもオカルトにも無縁なまま受け継がれてきた田舎の家族経営な小さな神社にすぎない。
そもそも私はスピリチュアル関連には最も遠い所にいる。神職なのに何の力もなく何も感じない。あくまでも考え方がという意味で言うなら信じていないからだ。何よりここで生まれ育った私にとってこの場はあくまでも家だ。自宅で何かを感じるなんて寧ろ気持ち悪い。でも風の謎は気になったし、宗家の
「貴女が戻ってきたからこの現象が起きたとも考えられます」
という言葉も気になった。あの人はあの場で何か感じたのだろうか?
「とにかく大学へ進学しなさい」
命令形に啞然とするものの断る理由がないのも事実だった。学びたいことがあるからだ。結局なし崩しに私の進学話は進んだ。神職養成所を卒業して勉強から解放されたと思えたのは僅かでそれから私はまた受験勉強に励むことになった。
その年の能楽奉納は胡蝶のみならず夏の薪能も秋の例大祭も無事に上演され、あの鎌鼬は何だったのかと思う程に平和な日々が過ぎ去り、年が明けて私は浪人することなくて地元の那古野市立大学の薬学部へ進学を決めた。叔母には四年のつもりが六年になったことを詫びたが叔母は笑って許してくれた。
合格の報を受け取ったのと時を同じくして西桃の宗家がお祝い方々、春の例大祭の番組決めの打ち合わせに現れた。昨年のような騒動は起きずスムーズに嵐山を上演することが決まる。桜をテーマにした華やかな能でシンプルながら神々しく清らか且つ後シテの蔵王権現の迫力の舞が人気の曲だ。
そして無事入学式が終わり私は友人と学内にある古びた建物の前にいる。オリエンテーションそのものは至極簡単に終わった。今時、単位に必要な必須授業や興味本位の授業の選択は全てパソコンやタブレットから選んで組めるようにシステム化されているのだ。だからという訳でもないが想定より早く今日の予定が終わり教師に質問することもないが多少の疑問を両隣の女子と話していたら気が合ってしまったのである。
ショートカットが似合う快活な体育会系女子が藤乃、長い髪を縦巻きにしたお嬢様然としたのが華子。この二人が私が神職と知るや否や肝試しとばかりにこの場所に引っ張り込んだのである。無論、自分にスピリチュアルな能力はないと説明したが二人の興味はそこだけではないようだ。
建物は古めかしいが趣のある数寄屋造りで、聞けば戦後OBからの寄付で建てられたらしい。主に和に関連する部の部室として使われていて庭園部分には能舞台と弓道場が併設されていると聞き、肝試しはともかく建物に興味を持ち自らの意思で付いてきたから二人を恨めない。藤乃と華子も私と同様に建物に興味を惹かれているようだった。冷静に考えてみれば、自分も含めて理系に進む女子が非科学的なことを頭から信じる訳がないもんな。
私達は人の目を気にしながら建物の周りを一周した。規制線が張られている訳でもなく立ち入り禁止にもなっていないことに不審感を抱いたが、私達が立ち止まって見上げていても注意してくる人間はいない。まあ今日このキャンパス内にいるのは殆どが新入生だから皆この建物の謂われは知らないのだろうが。
さて肝心のその建物は戦後で大工を集めるのも大変な時期だっただろうに、彼らの技術の粋を集めたかのように繊細かつ重厚だ。落ち着いた中に遊び心も含ませた洒落たデザインも良い。
ゆっくりと時間をかけて一周して観察する。盛り土がしてあり周囲を楠が取り囲んでいるので個人宅のようだ。建築当初は大学構内ではなく大学の学部が増えるにつれ周辺の土地が大学のものとなり建物が大学構内へ取り込まれたのかもしれない。
そうして観察してどこか入れる場所はないかと探る。正面玄関から入るのは人目があり流石に勇気が出ない。何せ私達は今日入学したばかりで目立つ行為を控えた方が良いことは分かっていたから。
二週して大体構造が分かった。母屋が数寄屋造りの二階建て。裏側に中庭があり、中庭の更に奥が開けた空間になっていて空間の前に別の建物があるが、遠眼から見てもこれが弓道場と能舞台だとすぐに気付いた。
私の胸が高鳴る。まさか戦後すぐに寄付された建物の中に能舞台まで設えてあっただなんて凄い篤志家がいたもんだと考えると同時に近くで見たいと切実に思った。周囲は黒木の板塀で囲まれていたが、所々が朽ちていてそこから入り込めそうだ。私達三人は目配せすると人の通りが途絶えた瞬間を見逃さず中に潜り込んだ。
私達が潜り込んだのは庭先だった。すぐ目の前に数寄屋造りの建物があり、まずはそこから探索することにして縁側へ向かう。縁側にはめ込まれたガラス戸は運良く鍵が開いていて戸は音もなくスッと開いた。
抜いだ靴を抱えて薄暗い建物の奥へ進むが、相当放置されていたのか廊下を歩くと足裏に砂や埃のザラザラとした感触を感じる。ギシギシ鳴る廊下からも老築化を感じた。もしかすると取り壊しが決まっていて、それで誰も近寄らないのかもしれない。にしては立ち入り禁止の札なり規制線がないのが気になった。そう考えると倒壊に巻き込まれる恐怖が襲ってくる。
「ねえ、やっぱり出た方が良くないかな。老築化で取り壊しが決まっているのかもしれないよ」
私がそう言うと三人で顔を見合わせる状態になった。それぞれの顔に興味と諦め難さと恐怖の感情が微妙な割合で張り付いている。
「急いで見れば大丈夫じゃない? 現に何の注意喚起もないし規制線もないし」
藤乃の言葉に背を押された感じで華子が同意する。
「倒壊の危険があるなら早々に解体しているだろうし、そうでないなら尚更厳重に立ち入り禁止の策を取るのが普通じゃない?」
確かに一理ある。が、もしかすると予算がなくて解体出来ずにいるのかもしれないし、私達が知らないだけで文化的価値があって大学側が手を出せないのかもしれない。
「菊花の意見にも一理あるけど」
藤乃の言葉に分かって貰えたとホッとしたのも束の間、華子が早足で廊下を進み始めた。
「え、待って。出ないの?」
私の言葉に二人は急いで見れば大丈夫と自信たっぷりに宣った。その自信がどこからくるのか見当も付かないが結局二人を置き去りにできず私も早足で進んで階段を上がった。
二階には畳に炉が切ってある和室と上座に床の間のある和室が二部屋。部屋の上に茶道部と華道部と香道部の教室札がある。香道部の室内にはほんのり香の薫りが漂っていて戦後の大学生は部活で香道なんてしてたのかと少し驚きつつ当時は雅な部が存在していたんだなぁと感心する。
一階へ戻ると和室が四部屋あり箏曲部と礼法室以外の二部屋は他と違い棚や弓立てが造り付けられている。双方の部屋の教室札には能楽部と弓道部とあり二部屋は襖のみで仕切られ行き来ができるようになっている。掛け持ちする人が多かったのか、それとも大部屋にしなければならない行事でもあったのか。
能舞台と弓道場があることからこの二部屋は両部の着替え用として使われていたのだろう。使われなくなって久しい筈のその部屋の弓立てには弓が立て掛けてあり、棚の上部には扇が下段には着物や袴が片付けられていて当時の名残が伝わってきた。
稽古にも能舞台を使っていたのかと考えると羨ましくなる。その能楽堂と隣接する弓道場は四部屋ある和室の前に広がる小振りの中庭の木々の向こうに見え隠れしていた。この庭も荒れ果てた様子がなく定期的に手入れをしているようで大切に扱われている建物なんだなと理解できる。
それにしても廊下の埃とは真逆にこの部屋はつい今し方まで普通に使用していたかのような風情だ。棚に片付けられていた着物を何気なく手に取って広げると傷みが全くない上に香を焚きしめたかのようにフワリと香り立つ。畳も青々していてそれが逆に不安感を煽った。藤乃と華子も心細げな表情を浮かべ忍び込んだ時の快活さは消え失せている。
「そろそろ出ようか」
誰もが言いたくて言えない言葉を私が代弁した。
「そうだね」
二人が言葉少なに頷いてくれたことに私は安堵した。ここで誰かが強がって探検続行となったらにっちもさっちもない。