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お茶の時間

解散の号令の後は早かった。

「それじゃ、またね。」

ロスヴィータと沙弓(さゆみ)が、木乃芽(このめ)より先に席を立つ。

「お夕飯の時に会いましょう。二人とも。」

レイピアと栄庵(さかえあん)(より)たちは、素早く立ち上がり、それぞれの店へ戻った。

初花(はつはな)の頼たちも、ゆっくりなんてしていられない。

皆せわしなく動き始める。

木乃芽はそれを見て、颯爽と司屋(つかさや)へと向かっていった。

とりあえず大きな失態もなく、朝は終わりを迎えた。

だが、その後を片付けることまでが、当番の頼たちの仕事なのだ。

佳乃(よしの)が声を張り上げる。

「仕事は大きく三つ。食器を洗うこと、クロスを洗濯すること、広間を片付けること。」

ここでも、佳乃がリーダーシップを発揮する。

彼らは従うそぶりを見せた。

めいめいにやるより、ずっと効率的だからだ。

「食器は手間がかかるから、あたし、麻緩(まゆる)、ゆり亜の三人で。」

二人は頷く。

「クロスは(さえ)が持っていって頂戴。終わったら広間を。」

「はいよ。」

佳乃を見て、冴は気だるそうに声を返した。

やる気がないわけではない。

「残り二人は、花とテーブルと床をお願い。」

「ええ。」

「了解。」

どうにも男性陣の名前は覚えられていないようだ。

気にする二人ではないが。

ん、と佳乃は考え残しがないか、ぐるりと一巡り確かめた。

「なるだけ素早く、かつ丁寧にお願いします。」

その佳乃の声で、皆が一斉に動き出した。

コウと千早(ちはや)が、花瓶をすばやく回収する。

女性陣はその後の残骸を、テーブルクロスごと包んで持ち上げた。

器用にまとめたそれらを、音もなくスムーズに担ぎ上げる。

これはなかなかの力仕事だが、四人は実に慣れた手つきで、それらをこなしていった。

次々に出て行く彼女らを、見送る間もない。

男二人は食卓を片付けにかかった。

それでも作業の合間に、千早は言葉を紡ぐ。

「結構な人数だったなあ。あっちの頼たちも。」大きなテーブルも、畳んでしまえば一人で持ち運べる。

だが、それは大人の男の話だ。

女子供ではやすやすとは運べまい。

佳乃の分担は冷静で的確だった。

「栄庵の頼は二人だったよ。」

部屋の隅に畳んだ台を置き、軽く手を払うコウ。

「やけに落ち着いてたなあ。」

様子を思い出しているのだろう、作業が足踏みしている。

コウが彼に、手、と注意を促した。

気づいた千早は、慌てて作業を再開する。

「初年じゃないんだろう。店自体は、再建だと言っていたから。」

コウは早くも、二個目のテーブルを片づけ終えた。

最後の一つをちらりと見やる。

「あ、それ、少し気になった。こけたら普通、店畳むよなあ。」

それに千早が素早く取りかかり、テーブルの足をたたみ出す。

それを見てコウは、広間の隅のシンプルなボックスを開けた。

「いずれわかるさ。無駄話は止め。さっさと終わらせよう。」

そう言って、コウはモップをかけ始める。

別段強い口調でも冷たい目でもない。

突き放すような色を持たない代わりに、凛とした意志があった。

人に押しつけることはしないが、感化されない理性があった。

千早は、言葉をぐっとこらえて廊下へ出る。

うまいやつ。

コウに対する印象を、彼は胸中で毒づいた。

彼のはイヤミだ。

さらっと流すように、さりげなく自分の意見を通す態度。

ぶつかることはしないが、しなやかに避けて折らせない意志。

したたかに、うまく立ち回る。

彼はきっと、自分の身の上を簡単には明かさないような。

たぶんそういうやつだ。

あいつと付き合うのは骨が折れるだろうな。千早はため息を水音で流した。



残された作業に追われる厨房。

女二人は他愛もないお喋りに興じていた。

佳乃は特に注意もしない。

彼女らは口より手のほうが、よく動いていたからだ。

さすが一流教舎(きょうしゃ)卒の頼である。

「ロスヴィータさんは噂どおりだね。」

ゆり亜は水に浸けられた食器を洗い、佳乃が泡をすすいでいく。

「きれいな人だったわ。サラブレットなんでしょう?」麻緩は布巾で拭く役割だ。

「頼たちはみーんな男。好きねえ、彼女。」

お喋りな小鳥たちの間にいる佳乃は、黙々と食器を流していく。

「沙弓さん、素敵だったわ。」

うっとりと麻緩はつぶやいた。

「麻緩、知ってた人?」さっき話しかけられていたのを思い出して、ゆり亜は尋ねる。

「小さい頃に一度、見たことがあるかも。たぶん、お父様の知り合いの方だわ。」

彼女は目を宙に向けた。

喋っている間にも、着々と作業は進んでいく。

だいぶ麻緩のほうの食器が高くなってきた。

清里(きよさと)さんだっけ。あたし仲良くなれそう。」ゆり亜は口元と口調に笑みを乗せた。

シンクの中が軽くなっていく。

そろそろ終わりそうだ。

洗う食器は、残りわずかなコップだけ。

葉多(はた)教官の学徒ね。」

水を吸わなくなった布巾を、乾いたものと取り替える。

「知ってるの?」

ゆり亜は目を丸くした。

心当たりはないらしい。

洗う作業を終えた彼女は、麻緩のもとに回る。食器拭きを手伝うためだ。

「ちらっと見ただけよ。」

麻緩はまだ黙々と手を動かしている。

ゆり亜に続いて、皿を流し終わった佳乃も手を拭いた。

「手伝うわ。」

「ありがとう。」食器を片付ける作業に加わる。

佳乃は積み上げられた食器を、食器棚に運んだ。

「長いつきあいになるんですもの。話す機会は十分あるわ。」

食器はまだ積み上げられていく。

麻緩とゆり亜、二人掛かりでやると作業も早い。

次々重ねられる食器を、その度に佳乃が棚に入れた。

「そうだね。よし、完了!」

最後の食器の束を、定位置に戻すと、佳乃は扉をきっちりしめる。

そうして、ばさっとやや乱雑に、前掛け代わりのタオルを外した。シンク横の取っ手に引っ掛ける。

「行きましょう。早ければ早いほどいいわ。」

彼女の言葉に、同意の代わり、彼女らは微笑んだ。



「あれ、もう終わったん?」

雑巾を洗ってトイレから出てきた千早に、冴が話しかけた。

「ん。」

なんとなく気分が乗らなさそうな千早に、冴は気づかない。

「じゃはよ行こ。嬢ちゃん待ちくたびれとる。」

彼女はおどけて、先に立った。

いつもの調子でけたけた笑う。

千早はそれを見て、幾分か、さっきのもやもやした気持ちも収まったようだった。

肩をすくめ、彼女に続いて広間へ向かう。

「クロスはいっぺんに洗えんねえ。時間かかったわあ。」疲れたことのアピールなのか、彼女は肩を軽く回した。

「いや、早かった。」実際、もっとかかると思っていた。

彼女、仕事に関してはかなり上出来だ。

「ほんと?」

謙遜はない。

彼女は素直に照れて、喜んだ。

冴は広間のドアを開ける。

コウが、初花店舗へのドアを開けたのと、それとが同時だった。

「待っといてよ。冷たいなあ。」

冴は、先ほど千早が喉の手前で抑えたことを、あっけらかんと言ってのけた。

しかも露骨に顔をしかめて。

彼女には思慮が足りない。

千早は少し、身構えた。

コウが、ドアを開きかけた状態で、口を開く。

「俺もちょうど、行こうとしてたからよかったんじゃない?」言葉こそそっけないものだったが、驚いたことに、彼は微笑んでいるのだった。

表情のほうが本物だ。

誰にでもそう分かった。

「ああ。ま、そやね。」

そして彼女もきょとんとして、素直にそう返すのだった。

そうしてコウの方へ近づいていく。

端から見ている千早としては、何とも不思議なやりとりに見えた。

この二人は、口喧嘩してるのか、仲がいいのか。

案外、彼とは、彼女のように、思ったことをずけずけと言ってしまうタイプの人間のほうが、合うのかもしれない。

本心が表面にすぐ表れるところなんかは、似ている二人だから。

冴の場合は加えて、TPOをわきまえない、わきまえるつもりもないだけだ。


奇妙な二人にまともな一人は、少々の会話を交えながら、石灰の床を踏んでいく。

そこはとてもいい眺めだった。

廊下と緑には、遮るものは何もない。

花が咲き誇り、よく刈り込まれた植木がある小さな庭。

まだ低い陽射しが、やわらかな影を形作っている。

背面の壁と高いアーチの天井がつくる陰からは、外の世界はまぶしく見えた。

思わず歩が遅くなる。

「いいところ。」

冴がつぶやく。

コウも目を細めた。

ここにはこうやって、先人たちが残した、時間や、景色なんかが、そのままの姿で存在している。

彼らはそこへ、新しい歴史を積み重ねようとしていた。

突き当たり、千早が、大きな両開きの扉に手をかける。

重い音。

押す人の癖で、長年積み重ねられた歪みだ。

軋み、そして風が通った。



本日、予約なし。

正面の壁に掛けられた、少し大きめのホワイトボードに、端正な字体があった。

この部屋は、皆が初日に顔を合わせた場所だ。

ボードの左手側が、お客様用の入り口。

今は準備中の札がかかっている。

入り口近くの棚には、透明な花瓶に桜がさしてあった。

佳乃の指示だ。

木乃芽はそれを気に染めたようだ。

彼女の手は、やわらかに花びらに触れている。

彼女は閉じられた扉へ、ゆったりと振り向き、口を開いた。

「三人だけ?」目を細めて彼らを順に見る。

「まあ…、いいでしょう。」

彼女はそう言って、ロッドをついて入り口より離れる。

小さな応接セットに歩み寄り、来客用のソファに乱暴に体をうずめた。

その小さな体が、急に子供っぽく見えた。

「あと少しで開店だけど、」

静かに千早が動いた。

左手奥の小さな炊事場に入る。

二人は木乃芽に近づいた。

「今日は来客はないと思っていいわ。」

彼女は、向かいあわせに置かれた対のソファを、しなやかな動作で指す。

冴とコウは顔を見合わせて、おずおずと腰を下ろした。

木乃芽は宙を見つめながら、話を続ける。

「…それでも仕事は山ほどある。」彼女はロッドを肩に抱きしめた。

リボンと結紐が揺れる。

「なら、今日は何するん?」

冴はいつもの、同僚に対するような気安い口調で、上司に尋ねた。

これにはコウも思わずひやりとする。

だが、木乃芽は特に気にすることもない。

ふ、とさまよう瞳を、中庭への扉へ向けた。

コウたちもつられてそちらを見る。

数秒遅れて、扉が軋んだ。

床を引きずる音を上げながらゆっくりと開いていく。

「遅くなりました。」

「すみません。」

「失礼します。」

佳乃たちだ。

ゆり亜と麻緩も遠慮がちに扉をくぐる。

「遅れてはいないわ。」やや手厳しいようなふうに彼女は言った。

佳乃の後ろで、麻緩とゆり亜の身が縮こまる。

「入って来なさい。」

三人から目をはずし、再び空虚を見つめて彼女は言う。

彼女らはしずしずと側へ寄った。

佳乃は、冴たちがソファに座っているのを見て、顔をわずかにしかめる。

タイミングよく、千早がお盆にカップを乗せて運んできた。

立っている三人はさっと避けて、テーブルへの道を譲る。

「いいにおいね。チコリー好きよ。」

木乃芽の口元が緩んだ。

千早は人数分、六つのカップを次々に手際よく置いた。

「ミルクはお要りで?」

「自分でいれるわ。」小さな手が催促する。

彼は紳士にも、彼女に手を添え、しっかりと白い陶器の瓶を手渡した。

「ところで、あなた。」

木乃芽の視線が、手から腕、肩を舐めるように伝い、彼の顔を真正面から覗きこむ。

「開店前なのに、余裕なのね。ミルクを入れる時間もあるのかしら。」すっと細められた、彼女の強い瞳。

咎める色は含まれていないが、その言葉は辛辣だ。

おそらく麻緩あたりなら、緊張のあまり気絶してしまうだろう。

彼は、それを笑って見返した。

「今日は内仕事が中心でしょう。それなら一息ついてからがいい。朝の支度で頼は疲れてる。」姫さんのはおまけだ、と彼は返す。

今度は四人が固まった。

そこには司を非難する本音が伏在していた。

最後のは余計な一言、佳乃は成り行きを思い、腹の底が冷えた。

木乃芽はゆったりと、カップにミルクをこぼしていく。

スプーンでかき混ぜてから、一口飲んだ。

小さなため息。

「…そうね。思慮が浅かったわ。これ、おいしい。煎れてもらえて光栄だわ。」それはいやみではなかった。

その証拠に、彼女の顔は幾分か和らいでいる。

千早はコウの隣へ腰をおろすと、カップの一つを手に取った。

「あんたらも座れば。」

千早が三人を見る。

戸惑ったのち、佳乃は奥の一人用、ゆり亜と麻緩は木乃芽の隣へ落ち着いた。

コウは、白い容器を千早に手渡す。

彼のカップの中身は、木乃芽のものより白かった。

千早も何杯も砂糖を入れるのを見て、冴が顔をしかめる。

ゆり亜たちの目の前に砂糖壷を置き、千早もソファに深々と腰掛けた。

しばしゆっくりと時間が流れる。

「あなた。」

口を切ったのは木乃芽だった。

ソーサーにカップを下ろす。

その目は千早をとらえている。

彼はまばたきを二三度して、口元をゆがませた。

「瀬尾千早。」

彼女を無愛想に見つめる。

「千早。いい名だわ。」

先ほどの振る舞いを評価してだろうか。

たしかに、相当の勇気とセンスの要る行動ではあった。

佳乃たちの目に、不満がちらりと現れる。

「それから。」

ゆり亜と麻緩が意味ありげに目配せをした。

「おいしかったわ。」

おいしい?

言葉からは、手に持っているチコリーのことではなさそうだった。

「やろっ?」

皆が意味を掴めないで首を傾げる中、真っ先に冴が身を乗り出した。

とっさにゆり亜があっ、と目を見開く。

朝の食事の光景と、気まずい気持ちがよみがえる。

あれは叱るのではなく、褒める言葉だったのか。

さっき、怒られるのかも、とためらったのをひどく後悔した。期待からはじき出された上に、半分手柄を横取りされた気分だった。

その痛みの矛先は冴へ向く。

目をそらして、膝の上の手を静かに握りしめた。

麻緩がおそるおそるゆり亜を見やる。

「あたし、高槻冴。知ってるて思うけど。」

にこにこと冴は言う。

言う人が言えばそれは自信の裏返しだが、彼女の場合は違った。

一切の空気は読んでいない。

木乃芽はゆり亜の様子に気づいてはいたが、あえて何も言わなかった。

まあ、どっちみち。

それが彼女の決断だった。

「…あなたはポジティブなのね。いいわ。大事なことよ。」木乃芽の言葉に、えへへぇ、と彼女は頭をかいた。

彼女には目の前に見えているものと、

聞こえた言葉の表面上の意味しか捉えられない。

単純、よく言えば素直。

ゆり亜からは憎らしく、木乃芽からは微笑ましいそれ。

彼女がどう考えていようとも、それは解釈の問題だった。

そしてその各々の結論を、彼女は気にすることもない。

コウは微笑みながらそんな冴を見つめていた。

やわらかく、乾いた冴。

彼女はだから愛されるのか。

彼は思い出していた。

そうだ、彼女を知っている。

教室、廊下から、背中が映る、二つの影。

大広間。

壁掛け時計の針が動く。

それは記憶の音と重なった。鐘の音は、静かな室内へ、その時間を伝える。

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