初花の頼たち
頼たちは皆不安だった。
この司は自分たちを大事にしてくれるのか。
彼女を主司に選んだのは正しかったのか。
それというのも、頼たちの戸惑いは彼女の行動に全て起因していた。
彼女は頼たちに声を掛けた後、彼らがこれから生活の拠点とする部屋へと案内した。
そして、制服を作るための採寸を頼んだ、教舎直属の業者の仕事を見届けると、さっさと自分の部屋へと帰ってしまったのだ。
頼たちの名前も聞かず、交流を深めるでもなかった。
あとは好きにしろとでも言うように。
残された頼たちは、これからどうしようか考えあぐねていた。
「はあ。ピリピリしてる嬢ちゃんやったねえ。ま、いーけど。」まだ互いの名前も知らない頼たちの顔を見回すと、女の声が聞こえた。
背の高い、猫のような女だ。
自己主張の強い顔の中でもひときわ、大きなピンクダイヤモンドが目立っている。
女は近くにいた頼の誰かに話しかけた。
「ひいふう…、六人かあ。みんなここ第一希望なんやかなあ?」
喋りは少々訛りが耳に引っかかる。
その低い声は非常に無愛想で、機嫌が悪いように聞こえる。
そのため、訛りは逆に近寄りがたい雰囲気を醸し出していた。
「さーあ?全員がそうじゃねえだろ。」
まだらに染められた軽い髪色の男が答える。
間延びした口調が、女とは対照的に親しみが持ちやすい印象を与えていた。「お前はどうなんだよ。」
その男はあまり興味がなさそうに聞く。
「てきとー。めんどうなんねえ、競り合いの中におるんは。」
女はだいぶ砕けた様子だ。
「あー、強豪はなあ。倍率上がるもんな。」
のんびりと言う男。
この間まで彼も渦中にいたというのに、すっかり他人事である。
「アンタは?」
女はお返しに、というかのように聞いた。
「お前みたいなのがいると思ったから。」
男はだるそうに実質の本音を言ったが、それは女にとって最高の返事だった。
ニッと笑うと、女も目線を返す。
「高槻冴。」
「瀬尾千早だ。そっちのお前は?」声を掛けられたのは、先ほど皆より先駆け、木乃芽へ挨拶した男だ。
「紅。」
男は一言そう返す。
返した言葉は飾りも何もないものだったが、仕草や表情には愛想がないわけではなかった。
超然としたコウの態度は、冴の興味をそそったようだった。
彼女は例の宝石を輝かせて身を乗り出す。
「ねえねえ、アンタ知ってる。教舎の成績よかったくない?」
親しげに話しかける冴に、コウは首を傾げた。
「どこかであったっけ。」
「いっぺんだけなあ。学科でかぶったんよ。」
彼女はよっぽど物覚えがいいようだ。
「アンタもめんどくさ組?歓迎するぜ。」千早は紅の肩に肘をかける。
コウはまったく気にしない。
「望んで。俺はここに来るために頼になったんだ。」
穏やかな口調だ。
まるで自分に聞かせるような。
「ふうん。選定会でもう決めてたのか。」
気の早い奴、と千早はつぶやいた。
見ると、向こう側も三人組が出来ていた。
女三人、中にはさっき木乃芽に怯えていた女性もいる。
彼女らを見やりながら千早は口を開く。
「ふざけたやつだよなあ。」
千早はぼそっと言った。
「んー?」
目をくれず冴は反応だけする。
「あのお姫様だよ。俺らの主司。」
「ああ。どしたん?憎らしなった?」けらけらとからかうように冴は笑った。
別にそれを気にすることなく千早は続ける。
「名前も聞かないたあ、大した司だよ。」
そこには軽蔑がちらりと見えた。
「大事にしてくれなさそうやね。」
冴は失望を隠さない。
「そんなこと無いさ。」
コウは強い調子で言った。
だが、そこには二人の感情に対する非難はない。
「彼女は優秀な司だ。頼の育て方を知ってる。だから聞かないのさ。」
コウの目は真っ直ぐ前を向いている。
千早と冴は、思い入れの強い奴、と目配せで微笑んだ。
「覚えてもらえるように努力しろってか。」
「難儀な話。」冴は伸びをして、息をはいた。
「ま、力あわせて、なんなしやりましょ。」
てきとーしてっと、嬢ちゃんロッド振り回してくるやよ、と彼女は笑った。
部屋は意外と広かったが、やはり始めたばかりの店ということで規模は小さい。
一つの大部屋の両側に均等にベッドが六つ。
仕切りは薄いカーテンだけ。
一人部屋なんて贅沢なのだ。
だが皆の顔に不満はない。
大きな窓から望める、あたたかな日の射す中庭が、雰囲気を和らげていた。
「あたし右っ側!」
まだ誰もいない部屋に、冴がいち早く飛び込んで、ベッドにダイブする。
「壁際やなし落ち着かんのよー。」
「俺も壁がいい。」千早もベッドに腰を下ろす。
「コウは真ん中なあ。」
荷物をベッドの上で開けながら、冴は彼を呼んだ。
「向かいの壁側じゃだめなわけ?」
誰しも考えることは同じようだ。
「つまらんやん。」
「そーそ。後から来る人の邪魔だ。」
実に自分勝手な意見である。
コウはしぶしぶ真ん中に基地を据えた。
「木乃芽は何が得意なんかなあ。」
冴が何の気なしに言う。
「そういや、求技欄は空白だったな。」
千早が呼応した。
それは重要な疑問だった。
それ次第で、この司屋の将来性や進む方向が変わってくる。
それは頼たちが何をすべきかも決めていく。頼たちは司の道をつくる役であり、司の足跡を払う役である。
常に先を見た行動を求められるのだ。
「コウ何か知らね?お前詳しいだろ。」
彼は彼女の司屋が第一希望と言った。
「彼女はなんでも出来るよ。」
「なんでも?」
眉根を寄せる千早。
「ほらー、例えば、あるでしょ。そーゆうん。」
得意不得意が、と言いたいらしい。
どうも彼女は一言足りない。
冴の言葉に、コウは首を振った。
彼女は枕に顔をうずめて嘆く。
「分からんー。嬢ちゃんのこと全然知らん。」
「書類見たろ?」千早の言うとおり、就活時に選定の書類が手元に来たはずだ。その書類は、自分の一生をかける主司を決めるための重要な資料である。
冴は、あーね、とうなって顔を上げた。
「適当に選んだし。かわいーなて。」
だいぶ分かってきた冴のずぼらさにコウは呆れ、千早は感心すらした。
「俺は一通りみたぜ。ランク中堅だったからな、彼女。だから決めた。」
彼は楽するための計算なら、努力を惜しまないようだ。
「初花木乃芽が司の教舎に入ったのは三年前だよ。」
「うっそ。三年て、短い。」
よね、と彼女は同意を求める。
「短いさ。新記録だ。あの炭火のじーさんが五年だからな。」彼に並ぶことはあっても、超えなかった、コウはつぶやく。
「ならエリートやん?もっと人集まるやよ。何で少ないん?」
「俺の意見なんだけど。」
彼女の質問にはコウが答える。
「年齢が若いのが不安なんだと思う。彼女自身のはもちろん、司としての年齢も。」
ようは、経験不足から来るミスを恐れているということだ。
「あとは女だということ。女の司は軽視されがちだから。」
コウはしかたないというふうだが顔は暗い。
「でも女の司も増えたよなあ。」
コウを気にしてか、千早は話題を変えた。
冴が千早に同意する。
「うちの店舗をシェアしてる司屋って、みんな女なんやろ?」「そうそ。彼女たちがこれから将来を共にする仲間なわけだ。」
仕事を始めたばかりの司屋は資金に乏しい。
しかし、何はともあれ、まず看板を掲げないことにはしかたがない。
だから新規の司たちは一旦、協力しあって店舗を構えるのだ。
立ち上げを共にした司屋は、強い繋がりを持ち、その後も度々助け合ったり、情報を共有したりする。
横の繋がりは、大抵どの店も持っていて、同じラインで司としての階段を一歩ずつ登っていく。
系列の店に心を配らなければ、司屋の信頼は下がるのだ。
「それは初めて聞いた。共有店だったの?ここ。」
コウが目を丸くした。
「知らんの?」冴が笑う。
「冴が知ってんのにな。」
「本当に。」千早とコウが真面目くさって言うと、冴は面白くなさそうな顔をした。
「あの。」
「失礼しまーす…。」
静かにドアが開き、三人の女が顔を覗かせた。
「どうぞ。」
コウは紳士的に微笑む。
「何なん?勝手入ってくればいーやん。」
「お前らの部屋だぜ。」
冴はガラの悪い顔をした。
彼女の言葉遣いが荒いのが、訛りで一層強調される。
千早は、親切心なのか、刺々しさを覆うように優しい言葉を付け足す。
しかし、彼女たちの様子からして、それは無駄に終わったようだった。
二人はすっかり萎縮してしまっている。一人の女は怪訝そうな顔で冴を見やった。
「なんやん、ぶあいそ。」
本人はというと、自分の発言のせいだとはまったく気がついていない。
彼女はたぶん、口さがないことを言ったつもりではなかったのだが、残念ながら言い方が悪かった。
部屋のこちら側とあちら側ですっかり溝が出来てしまった。
荷物だけを置いて、彼女たちはそそくさと出て行く。
ドアが閉まった沈黙の中で冴は言う。
「態度わるー。話しかけたのに、返しもせんで。」
千早とコウは目配せをして、肩をすくめた。