第七話 袋のネズミのお宝
状況を整理しよう──
ここは三階、東側の部屋。階段は中央、この部屋から西側に進んでいく必要がある。廊下の広さは2m程度。
関門となる監視カメラの位置は階段前のロビーにてゆっくり回転しながら360度監視している。タイミングさえ合えば一度も映ることなく通り抜けられる。
しかし、焦ってはいけない。階段を降りて二階は職員達の巣窟──角で出会い頭。なんてこともあり得る。
最短距離の階段は最も危険……だとすれば、通るべきは一つ。
一度入ることができれば滅多なことでは見つからない秘密通路。そう、天井裏しかない。
三階から二階へ──そして二階から一階の天井裏へ入る点検口を通る。見落としが無いか頭の中で再確認……よし、このルート以外は思いつかない。
まずは三階の点検口を目指す! この階の点検口は子供達が憩いの場にしているロビーの隅にあって、監視カメラにバレないように突入する必要がある。幸いにもテーブルやら棚があってカメラから身を隠せる遮蔽物が存在している。
暗視スコープのズーム機能によりカメラアイの方向を確認、約1分で一回転、視野を想定すれば30秒──余裕だ! 無音高速歩行術を会得している僕には止まっているのも同義!
余裕を持って大きな楕円テーブルに身を隠す、正面からじゃスカスカも良い所だけど斜めから見下ろしているから死角はどうしてもできる。
次は隅にある点検口、専用の鍵は不要でも開いて捻ってロックを解除する必要がある。
ガチャ──!
まだ僕は動いていない。誰かが床の点検口を開けた訳じゃない。何より、警戒心の欠片も無い普通に扉を開けた音!
「トイレトイレ……」
子供──!? 音の方向からして東側の子、出るのが少し遅かったら後ろから見られていた……いや、そんなことよりもこの時間に出るってことはトイレか?
トイレの位置は西側。必ずこのロビーを通る。正面から見られたらスカスカの椅子と机の脚しか遮蔽物が無い!?
視線がこっちに向かないことを祈るしか生き残る道がない……。
ペタンペタンとスリッパで歩く音が嫌に響く。僕の運命は子供の気まぐれにかかっている。
「ん……何だか先生達が賑やか……?」
運の良さはこっちに味方してくれた。階段の方に視線を向けてくれたおかげでこっちには気を止めず進んでくれた。とりあえず今は待ち。あの子が部屋に戻るまではここにいた方がいい……いや待て! 職員の誰かが二階から上がってきたら丸見えだ!
子供のトイレは一分位は使うはず。監視カメラのことを考えればこのリスクは負わなければならない。子供が戻って来た時こっちを向かないとは限らないのだから。
カメラの動き、子供の位置──よし!
床の点検口の前に移動しボタンを押しつつ持ち手を引き出す。これを90度横回転させれば──よし開いた! 音を立てないようにそっと中に入って閉じる……持ち手が戻る時のカチリという音がどれだけ響いたかわからない。
身だけ隠すことはできたがどうだ……?
「何か音がしたような……? 下かな?」
スリッパの歩く音がゆっくり遠ざかって小さくなる。これで心配する必要は無い。
天井裏を使うのも何度目だろうか……熱が籠り埃っぽい空間。このスーツとゴーグルのおかげで埃の心配も闇の空間でも行動できるけど慣れる気はしない。
問題はこの屋根裏の移動……床というか天井板は耐久度が低く、力の入れ方一つで10kg分も耐え切れるか怪しい、下手したら屋根から足を生やすことになり簡単にお縄に付く事態になってしまう。梁を伝いつつ多くの配線や配管に体重を掛け無いように移動する必要もある。僕の身体が通れる隙間を選びつつ二階の備品倉庫に向かわなければならない。
ある意味この空間は二階、ミス一つで時代劇物のように槍で突かれかねない。猫の鳴き真似ができても役には立たない。
屋根裏を徘徊するネズミの気分になりながら、身体をヘビのように細く柔軟に伸ばしながら進みどうにか点検口に到着して真っ暗な部屋へと降り立つことができた。
思わず小さくガッツポーズ──完璧だ。この達成感と開放感は少し癖になる。
後はこの部屋の床にある点検口を使えば──
「どうやら委員会の連中が潜入している可能性が高いらしい」
「ああ、奴らが使っているはずの合宿所にいないらしいからな。後は例の黒いバイク──見つかってはいないんだよな?」
「詳しく見たら無灯火爆走バイクらしい、監視カメラの性能も高いわけじゃないし見過ごした可能性の方が高いんじゃないか?」
「とんだ命知らずだよな、昔は走り屋の落下事故もあったっていうのに……」
廊下からの声──そこまで時間が経っていないのにそこまで疑惑が高まっている!?
あのバイクは光学迷彩で隠れているから直接手が触れることでもしない限りは気付かれない。
ただ、時間的余裕はそこまでないのかもしれない。
ガチャリ──!
響き渡る解錠音、脳天に直接氷を当てられたかのような怖気が走る。
「もしかしたら──既にこんなところに隠れているかもしれない!」
ガラリと雑に開かれ、懐中電灯の光が虫のように乱雑に動き回る。僕がいるのはダンボールの影、上から少しでも覗き込めばバレてしまう。真上を光の帯が通り過ぎる度に血の気が引いていく、逃げ場はどこにも無い──!
「バカやってないで探索に行くぞ。一階の監視を抜けた形跡が無いのに二階に入れるわけないだろ?」
「はいはいっと──あいつらが忍者ならやってそうな気がするんですけどね」
光が離れ再びガチャリと音が鳴る。
た、助かったぁ……生きた心地がしなかった……遊び半分で開いてくれたおかげで中には入って来なかったようだ。耳を澄ますと徐々に足音も遠ざかって行く。
急いで天井裏に隠れないと……あそこならバレる心配はまず無い。
ネコに見つかったネズミの気持ちを理解しながら床の点検口へ手を伸ばすと震えが止まらず開けられない。わかってる、今のは運が良かっただけ、気まぐれで助かっただけにすぎない深呼吸だ……落ち着け。
でも、意識や意図が伝わって来た……いることがわかっている?
「……もしもし、聞こえるか日吉? 返事はしなくてもいい、どうやら東条昭雄が合宿所に現れたらしい。この騒ぎは子供の脱走が原因のようだ。以上──」
あの不意打ちはそういうことだったんだ……!
撤退──? いや、悪手だ。僕の位置からじゃ進むも退くもリスクは同じ──だったら進まなきゃ損だ!
でも、ほんの1分だけ休憩しよう……──呼吸を重ねていく度に心臓の昂りが治まり身体の中を巡る血液の激流が少しずつ穏やかになる……よし! 行こう!
ここからは僕の警戒力だけじゃなくて天運も絡んでくる再び点検口を通り、天井版を踏まないように進みようやく職員室の真上に到着、耳を澄まして気配を探り天井裏の細い隙間から光が入ってこないことを確認、職員室に誰もいない──点検口をゆっくり開き。暗視スコープの機能を赤外線探知に切り替え、警備機能も確認。
「ふぅ……」
良くないことだけど思わず溜息が洩れる……僕の任務も最終段階に入った。
音を立てずに着地して点検口を閉じる。カーテンもかかっているから中の様子を外から見られることも無い。先輩宛に「職員室侵入成功」とだけ送る。
ここからも重要──まずは冷静に落ち着いて観察だ。
向かい合ってくっついた机の列が二列、どの机の上にもPCが置いてあり、その近くには紙束や資料本が置いてあったりと使っている人の個性が出ていた。
そして、見過ごすことが難しい暗闇の中小さな点滅を繰り返す大人サイズの箱が仰々しく今も可動している。それはサーバー。このめぶき園内の情報は全てここで管理され守られているのだろう。
これが目的の獲物でデータを引っこ抜く──というよりコピーする必要がある。僕の手元にはPCのUSBポートに差し込むだけで全コピーできるメモリがある。手の平に収まる大きさでありながら10TBまで保管可能。東雲さんの特注品。
サーバーに園児達の情報がまとめられ、PCでここにアクセスしながら日々仕事をしているのが想像できる。
ここに差し込めば任務は完了、後は脱出するだけ──と考えるのは未熟者もいい所。直接サーバーに差し込めば違法なユニットが接続されてセキュリティ機能を刺激して警報が鳴る可能性も高い。
故に職員達が使っているPCをコピーし、他のPCを擬態化させてハッキングしてもらう方が確実。
考えろ……この二十台近くあるPCの中、必ず誰かがズボラな可能性がある。一々アクセスするのが面倒で自分のPCに社外秘な情報を保管していたりデスクトップにパスワードのメモを残している人もいるはずだ。
机の上が綺麗な人は几帳面で余裕がある、きっとPCの中も綺麗だろう。
それと上座と下座、上座側には上の役職の方がまとめられやすい。扱う情報も自然と多くなる。そして効率化を測るためにダメと言われているがやってしまう。それにお年を召されている人なら、急なド忘れ用に対策をしている。
だからこそ、窓側最奥の色々重なった机のPCが狙い目──! メモリを突き刺し起動。ここから5分近くはコピータイム、赤ランプが緑になれば完了。バレないように机の影に隠れながら待機──……こうして息を潜めているとまるで一秒が十秒になったかのような鈍重さ、この時間だけはどうにもなれない。外への警戒は最大限に──
トストストス──
コツコツコツ──
そんな複数の足音が耳に届く。小さな音が徐々に大きくなる、大丈夫。通り過ぎるだけ──だなんて思っていると。音が大きく聞こえるタイミングで完全に止まる。
それが意味することを理解したと同時に『ガチャリ』とドアが開き、流れるように今度は部屋の電気まで点けられる。
見渡すだけじゃなく中に入ってくる!?
どうしてこのタイミングで? 気付かれた!? でも殺気や焦りが何も無い、偶然? だとしても今、この黒いスーツはとんでもなく目立つ! 何の言い訳もできない──
「──本当に意味あるんですかね? 職員室の電気を点けておけって連絡が来ましたけど」
「園長にはしっかりと考えがあるようだ。素直に従おう。後はカーテンも開けておかないとな。外からでも見えるようにしとかないと」
どうなる!? 咄嗟に机の下に隠れられたけど綺麗に収まれた訳じゃない! 不自然に椅子がちょっと出ている状態、ちょっと屈むだけで見つかる。ちょっとが自分の未来を決めている。
シャアアアアアと下座側のカーテンが開く音が絶望的に耳に響く。後数秒もしない内にこっち側に来る。
カツ、コツと鳴る足音が死神の足音のように感じられる。心臓の音が止まってでも体からの音を全部消したいし固定したい。
「──侵入者だ!!」
「何!?」
終わった──
遠くから大声でそんな声が耳に届いた瞬間に全身の力が風船が割れるみたいに抜けていった。
「グラウンド方面に人影があった、今も逃走中! 囮の可能性も考え俺達は入り口近くで待機! この機に乗じてやってくるだろう!」
「了解です!」
──グラウンド? 職員室じゃない?
雑に荒々しく開かれるカーテン。電気が点けっぱなしの職員室。遠ざかって行く足音。身体の中を響き渡る心臓の音。耳鳴りがしてまともに立ち上がることができない緊張が襲ってくる。
た、助かった? 部屋から他の人の気配は感じない? 何が起きたんだ……? まさか加藤先輩が動いてくれた!? 職員室の電気が点いた時に動いてくれたんだ……!
この九死に一生のチャンス、急いで脱出したいけど最重要目的のメモリを回収できなきゃ意味が無い! ランプはまだ赤。
残り時間は恐らく──二分。
この空白の時間、僕がすべきことは完璧に身を隠し脱出方法を考えること! 加藤先輩が作ってくれた時間──命に代えても無駄にはできない!
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