第二十八話 母の呪い
俺達が西種ヶ崎病院に辿りついた時には全てが終わっていた。通話を切らなかったことで何が起きたのか伝わってきた。
暴れていた鬼灯八──いや懸ノ木彩八華。それを止める色々な声。
東条が本気で止めたかった一端が垣間見えた。
争っている状況ではない、俺達の介入もあってこの悲劇は起きてしまった。
全てを知るために病院に向かう。委員会とめぶき園の車がそれぞれ一台ずつ委員会では加藤と東雲さんと健朴さん、めぶき園の東条と米山。
その道中の心理的重圧はこれまでの任務の比ではない程に重い──子供の犠牲者、開けてはならない記憶の蓋を開けてしまった……俺達は焦り過ぎていたのか?
精神病棟の待合室では顔を俯かせ、椅子に座る青年と包帯を巻いているギャル。あの時出会った二人とは到底思えない程覇気が無い。
「あの子は?」
「今は鎮静剤で眠っています……貴方は誰です?」
「私は東条昭雄、めぶき園の園長です」
声に力も無く顔を上げて東条を見る青年の目は暗く沈んでいる。
「だったら、彩八華さんについて全部知っていたんですよね? 話してください……彩八華さんに一体何があったのか……!」
「そうです、いろはは──娘は一体何をしたって言うんですか!?」
このおばあちゃんは始めて見る顔──しかし東条は一瞬驚いた顔を見せるがすぐに全てを理解したような冷静な顔に戻る。
「あなたは、欅安曇さんですね。彩八華さんをめぶき園に入園させる手続き以来ですね」
「彩八華ちゃんが八という名前になっていたことも気になりますが、娘についてもわかっているんですよね? 私が何度見舞いに行っても言葉を口にしなかったのに──彩八華ちゃんを目の前にしたらいきなりあんなことを……!」
そういうことか……! 鬼灯八を懸ノ木彩八華に戻したきっかけはこの人。東条に焦りはあったがまだ何かしらの余裕があった、最後のプロテクトが『鬼灯八』という偽名。
だが偶然にも今日ここにいて出会ってしまった、本当の名前を知る者が。
その本人もこうなるとは思ってもいなかった。知っていてもおかしくない立場なのに蚊帳の外に置かされた。怒りは当然だろう。
「これから話すことは貴方にとって辛いことかもしれません。それでも聞きますか?」
「……孫が自分の首を絞めるようなことを目の前で見て、何も知りませんでこの先生きていけません!」
ギャルの子の肩が震えた。
まさか、そんなことをしたのか? 十にも満たない子が!? 俺達も思わず動転し東条へ視線を向ける。ただ彼は目を伏せている、この可能性は予想しきれていなかったのかもしれない。
「私共も全てを知っている訳ではありません。ただ、始まりは土砂災害によって懸ノ木宏君が亡くなったことです」
土砂災害にその名前──知っている。
痛ましい事故だった。
数日続いた大雨の後に発生した震度4強の地震により土砂崩れが起きた。その時はまだ規模も小さく大雨によって避難していた人も多く被害者はいなかった。
その後、救助隊員達による二次被害を防ぐため避難誘導やUCIを使って壊れそうな家屋や今にも崩れそうな山肌の補修作業が始まった。
その途中、追い討ちとばかりに地震が発生。UCIの蓋に亀裂が入り崩壊──抑えていた土砂が雪崩落ち大規模土砂災害に繋がってしまった。。
それに巻き込まれて救助隊員が一人亡くなった。
八はその人の娘だということか。
「妻、懸ノ木いろははその事実に耐えることができなかった。強く深い愛情を向けていた相手が急に亡くなったのだから当然と言えるだろう。それ自体を攻めることはできない──だが、拡君を愛しすぎていた。良妻ではあっても母親にはなれなかった」
「流石にその物言いはいかがなものかと思いますが?」
その母親が目の前にしながら真剣な顔で辛辣な言葉。
流石に健朴さんのフォローが入るが彼の表情は変わらない、揺るがない判断だということ。自分の立場をわかっていながらその評価を下しているのか?
話は続けられる──
「私は防衛省を離れた身ですが元部下ということもあって気になっていました。児童養護施設の園長でもありましたから、生活が落ち着くまで預かろうと提案するつもりで……」
親切心で八を預かろうとしたということだ。状況的にこの時点で兵士する考えは無かっただろう。
ただ、東条の口が止まり呼吸を整え始めている。
「ふぅ……あの日のことは絶対に忘れることはないでしょう。庭に溜まっていたゴミ、日々の生活を蔑ろにしたような異臭、不穏な空気が漂っていて来て正解だと思いました。チャイムを鳴らしても反応が無く、玄関の扉には鍵がかかっていました。引き返す気にはなれずゴミが乱雑に投げられた庭からリビングを見ると、いろはさんと彩八華さんがいました……」
ただ喋っているだけなのに東条の額に汗が滲んでいる。
思い出すことが苦痛、そう感じてしまう程に彼の表情は重い。
「彼女は、馬乗りになって彩八華さんの首を絞めていたのです──」
「なっ……!?」
「え……?」
青年とギャルは目を見開き口元に手を当て唖然として固まった。俺達も言葉を失う。
「ガラスを破って突入し、彼女を押さえ込みました──後数秒でも遅かったら彩八華さんは……私が押さえ込んでいる間も彼女は」
「あの子を生贄にして宏さんを返してもらうのよ!!」
「──そう叫び続けていました。あの殺気に怨念の込められた声は、今でも耳に残っています。あの人にとって子供は旦那を逃がさない鎖であったのでしょう」
お婆さんも目を見開いて絶句している。
今、初めて知った真実。話すことなんて到底出来ない真実。
母親に殺されかけた記憶を蘇らせないために東条は追いかけていた。
「精神が壊れた人間には常識や整合性なんて存在しない。都合の良い妄想に浸りきる。何がきっかけかはわかりませんが彼女は……八さんが死ぬことで父親が戻ってくると信じきっていた」
人を殺して人を蘇らせることなんてできない。空想世界でもないんだ、でもそんな幻に縋ってしまうほど追い込まれていた。
彼女の心の中は愛する人で埋め尽くされ、それを失った。残酷にも彼女の心の中に八を──いや、彩八華を想う気持ちは無かった。
「あの時は本当に逼迫していました。私一人だけでは助けることはできませんでした。鎌桐さん達のおかげで彩八華さんは戻ってくることができました。その当時の彼女は栄養状態も悪く今よりずっと痩せていました。戻ってこられただけでも奇跡でした」
東条が安心したように息を吐く、最悪の出来事はこれで終わり。
「その後、記憶の改竄は行われました。殺される前後の記憶を完全に消して──名前と苗字も新たに与え、母親は経済的な理由で一緒にいられないと記憶を与えて」
「母親に傷つけられた記憶を消すために改竄を行ったんですね」
彩八華から八へと変わったのは守るため。
俺の目から見ても健やかに育っていたからその判断は間違っていなかっただろう。
「ええ……しかし、全て上手く行ったわけではありませんでした。最後の記憶は消したはずだった。その近辺の記憶は無いはず。経験としては残っていないはず。だが心に残っていたのです。彼女は母親に会いたがっていた。その言葉を始めて聞いた時、息が止まりそうでした。何故会いたがるのか? 仮に記憶処理が曖昧だったとしても殺されかけた経験から母を忌避するのではないか? そう考えていました」
「ウチも……そう思ってた、あやちゃんがお母さんに会いたいのはキラキラした思い出があるから、それをもう一度味わいたいからだと思ってた……死ぬためにお母さんに会う目じゃなかった!」
そう、問題はそれだ──
ギャルさんの慟哭の通り、負の願いで動いているようには到底感じなかった。特に彼女は一番近くにいて彩八華の感情を沢山受け取っていたはず、さらに真摯に付き合っていた。嘘なんて無かっただろう。裏があれば必ず感じ取って止めていただろう。
「これはあくまで予想ですが……いろはさんは彩八華さんを洗脳していた可能性があります。当時5歳の彼女には疑問を感じる余裕も無く母に応えようとした。父親を蘇らせる生贄として。だから記憶が無くても心に刻まれた使命感のように彼女は母に会いたがっていた」
「まるで呪いじゃねえか……」
思わず言葉が洩れてしまった。
幼い子供にとって親は絶対的な教科書。真っ白なノートに何を描くかは親次第。それを自分の悪意で塗り潰した、不可能な願いの為に自分勝手に──!
「ええ、呪いです──愛情なんかじゃない。だから私は止めようとした……止めたかったんだ。仮に私共の計画が潰される事態になったとしてもこれだけは止めたかった──」
「この流れは神は神でも死神が用意したものみたいだな……」
青年が俯いたままポツリとそう呟いた。
最悪な形で全てが上手く行ってしまった。天がこの展開を望んでいたかのように。
「ウ、ウチがあの時、めぶき園に連絡しとけばあやちゃんは……! ウチのせいで……」
「誰かに話せる内容ではありませんね……その内容が八さんの記憶を呼びさますきっかけになるかもしれませんでしたから」
誰かのせいではない。
それに大事なのはこれからだ──
「これからどうするつもりだ? 目が覚めた後どうなるかわからないぞ?」
「あの記憶が目覚めた以上、普通の生活は難しいでしょう。何時何がきっかけで自殺を選んでもおかしくない精神状況に陥っているはずです」
「そんな……!? あの子は、あの子はこれからどうなるのです!? ずっと眠らせ続けるようなことをさせるんですか!?」
お婆さんは当然恐れ慌てる。しかし、都合の良い想像は俺にもできない、再び目を覚ました後その記憶を忘れて生活できているとは思えない。
青年は落ち着いた様子で口を開いた。
「……記憶の改竄──ですよね? 彩八華さんが健やかに育ってくれるなら。それしかないはずです」
「青年……」
「最悪、その手段を取るしかないと考えています。次目が覚めた時、また自分の命を捧げるような行為をするようなら。私共も覚悟を決めます。恐らくその時は安曇さんとの繋がりも絶つことになります。もう、会えなくなると思ってください」
「うぅ……!!」
「そこまでする必要があるのか?」
「加藤さん、我々に言えることは何もありません。ずっと彼女と共にいた彼がそう判断したのです。なにより、名を変えても出会いを重ね自分の記憶を彼女は取り戻してしまったのです」
運命に愛されてしまった。
きっと半端な改変では同じことを繰り返すのだろう。
わかっている、わかってはいる。それしか無い。大人のエゴで都合良く作り変えるような行為。しない方が健全だ──しかし、この残酷な記憶を乗り越えられる子供がどれだけいる? 忘れなければならない記憶があるのもまた事実、そうでなければ人は生きていけないのも確かだ。
もう、言い訳のような言葉しか浮かんでこない。
「その際には貴方達の協力を依頼します。責任の一端は貴方達にもあるのですから」
「……甘んじて受け入れるしかありませんね」
無力感に包まれるとはまさにこのこと、自分達の仕事を行った結果がコレだ。子供を犠牲にしない為に戦ったのに結局は犠牲にしてしまった。
そして、俺達は残酷なことを強いらせようとしているのだから、正義とは何なのかを考えさせられる。
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