8 契約結婚は不幸せではない
アンジェリカお義姉様に促されて、部屋の扉を開けた私は目を見張った。
――えぇぇぇぇぇぇ――?
思わず、ほっぺを抓ってみる。
夢じゃない。
煌く金色の瞳、長く艶やかな黒髪……!
私はお義姉様たちによって髪を綺麗に整えて髭を剃り、楽な服装に身を包んだルカス様を改めて見つめた。
ど、どうしよう。
今の私は10歳なのだから、動揺したら変なのだけど……。
ドキドキが止まらない。
ボサボサに乱れて何日も洗われていなかった黒髪。
ボウボウの髭を生やしていたルカス様は、男爵家の浴室で頭から爪先、全身を磨かれたのだろう。
深海を思わせる長い黒髪はサラサラで艶めいている。
寝不足で落ち窪んでいた顔は、メイド達の渾身のマッサージで見違える程、血色が良くなって、若々しい本来の肌を取り戻している。
驚く事にその美貌は、王城で騒がれているあのレイブン王子よりも整っている。
広い肩幅、それでいてすっきりとした長い首。
魔法師のダブダブの衣装を脱いで、今は男爵家で用意された上質な絹製の白地に金糸の刺繍が施された部屋着を着ているルカス様は、彫刻の様に均整の取れている体つきなのだとつい関心して見入ってしまう。
長いサラサラの黒髪が、さらりと揺れて悩ましく見える。
家族と自分を守る為なら、不幸な契約結婚でも構わないって覚悟していたのに!
(あの、ごわごわとした黒髪が洗っただけであんなに艶々で滑らかになるなんて)
私は口を開けたまま、この美丈夫に見惚れていた。
端正な顔立ちにすっきりとした高い鼻梁。
まるで黄金の冠を溶かし込んだ様な金色の瞳は切れ長で睫毛が長く瞳に影を落としている。
この姿……どこかで見たと思ったら……。
折原光華が最期の朝に見た夢!
あの時、私に話しかけていた男の人って、ルカス様だったのね……。
ああ……。
そうだった。
これから起きる筈だったあの日もこんな風に優しい瞳をしていたわ。
私はこの美しい瞳をずっと覚えていたのだ。
泣いている私にガラスの靴を渡した時の瞳。
この揺れる瞳に吸い込まれそうになった。
10歳の子供の姿に戻った私は、見上げる様な身長差に、少したじろぐ。
元々背のスラリと高い方だった。
見上げていると首が痛い。
「久しぶりに湯浴みをしたので、さっぱりしたな。ティアナ、今夜はこの屋敷に泊まらせて貰うよ。またお前の魔力が暴走しても心配ない。俺がいるから」
低く優しい落ち着いた声。
私は何故か真っ赤になってコクリと頷く。
「さてと、ではルカス様、明日はお母様への説得を宜しくお願いしますわ!」
アンジェリカお義姉様はルカス様にそう言うと、マダム・ルルーとの打ち合わせがあるとかで部屋を後にした。
「――ルカス様。ではティアナの事、くれぐれもよろしくお願いしますわ。もしもこの子を泣かす様な事がありましたら……」
ルカス様はフレデリカお義姉様の言葉を最後まで言わせなかった。
「あぁ。泣かさないと固く誓う。それから……例の件も心配ご無用だ」
え?
例の件って何?
私が不思議そうな顔をしていたのだろう。
フレデリカお義姉様が扇子で口元を隠しながらにっこりと微笑んだ。
「ふふ。大した事ではありませんわ? 結婚してもティアナが困らない様に、わたくし達はいつでも魔塔に行ける権限を婚約式の誓約書に盛り込んで頂ける事になりましたの」
ええっ!
魔塔の大魔法師ルカス様を相手に何て大胆なお願いをしたのだろう。
しかも、ただの口約束ではなく、正式な魔塔の婚約式の誓約書に?
私は呆れてお義姉様を見る。
「ですから、ティアナは一刻も早くこの屋敷を出て行く事になりましても心配する事はありませんの。貴女にはわたくし達最強の家族がいる事を忘れてはいけませんわ!」
「フレデリカお義姉様……」
嬉しい。
お義姉様……お屋敷を出た後の私の心配をして下さってこんな無茶なお願いを?
「もう……こんな時間ですわね。わたくしは部屋に戻ります」
部屋を出て行くフレデリカお義姉様の細い肩が震えていた。
***
「さてと。もうお子様は寝る時間だな」
ルカスの言葉にティアナは我に返る。
「あっ……そうですね。ではルカス様、お休みなさい。また明日」
「? 何を言っている?」
「えっ?」
ルカスはティアナをじっと見つめると溜息をついた。
「――お前な……。よくそんなんで俺と結婚するとか言ったな……。もういい。寝るぞ?」
「えぇぇぇぇ――‼」
真っ赤なトマトの様な顔のティアナをふわりと抱き上げると、ルカスはベッドにそっと降ろした。
「ななな……何でルカス様が、わ……私のベッドに?」
ルカスは呆れてティアナを見つめる。
「俺たちはこれから婚約、結婚して魔塔で暮らすんだぞ? いちいち驚くなよ」
「そっ、そんな! でっ……でしたら結婚してからでも!」
目を白黒させてしどろもどろになっているティアナの小さな鼻をルカスがむにゅっと摘まんだ。
「い……いひゃい。ルカス様……」
「お前の魔力は、また暴走する恐れがある。夜中に何かあったら大変だからな」
ルカスがティアナの耳元で囁くと、ティアナの耳は真っ赤になる。
「ででで……ではっ! 私はそこの長椅子で寝ます! 大丈夫です。この長椅子はベッドみたいなものですからっ!」
ルカスの恐ろしく整った顔が目の前に迫って来る。
蒼みがかった艶めいた長い髪が顔にかかるとルカスは自分の髪をそっと掻き上げた。
その仕草があまりにも色気があって、ティアナは気絶しそうになる。
「まったく……。お前、変な所で大人びた顔をするんだな……。子供らしくないっていうか。子供相手におかしな気は起きないから安心しろ!」
ルカスが無詠唱で魔力を使うと、ふわりと羽布団が宙に浮いてそのままティアナの小さな身体の上に優しく落ちて来た。
「今夜から、俺が隣で添い寝してやるから心配するな」
(ひ、ひえええぇぇぇ~)
声にならない声を発しながら、ティアナは添い寝をするルカスの逞しく広い胸板を見つめていた。
***
その夜、ティアナは悪夢を見ていた。
それは、魔力が暴走してティアナの銀色の髪が紫色に変化した時の夢。
小さな屋敷に住まいを変えて周囲には髪色が分からない様にいつも暖炉の灰を頭から被っていた、あの頃の夢だ。
客人が来れば、すぐに暖炉の灰の中に身を潜め、家族以外誰とも接触しない生活は、ティアナの精神を蝕んでいった。
小さな村の住人は再婚相手が死んでしまい連れ子を使用人の様にこき使う酷い家族、というレッテルを貼った。
(本当は誰よりも優しい家族なのに……私のせいだわ)
全部ティアナの為だったのに。
大きな屋敷を売り払って小さな家に移り住んだのも。
未亡人が継娘を虐めていると、噂になったのも。
自分達が着飾っている間、継娘には使用人と同じ服を着せていた事を非難された事も。
それなのに……。
舞踏会の招待状が、村に移り住んだウェズリー家にも再び来たのだ。
義姉たちは喜んで参加するのではない。
王国からの招待状は、断る事が出来ないものなのだと理解していた筈なのに!
その夜、舞踏会に出掛けた義母、義姉たちが羨ましくなったのだ。
――私だって普通に誰かとおしゃべりしたり、ダンスを踊ってみたい……。
そんな事を考えていたあの日、独りぼっちで留守番をしていたティアナの元にルカスが声を掛けて来た。
「やぁ。ティアナ・ウェズリー? 俺は魔法師のルカスだ。フェアリ―ゴッドマザ―から依頼されたんだが困った事が起きた時、君を一回は助けると約束している。何か困った事はないか?」
家族以外と接触を禁じられていたティアがルカスに頼んだ事は……。
「私もお城の舞踏会に行きたい。誰かと楽しくおしゃべりしたり、踊ったりしてみたい。大人の姿になってこの髪色も変えて、私が誰だか分からなくして欲しいの!」
――ウェズリ―家の破滅が決まった瞬間だった。
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