50 魔法師バートにはプライドなんてない
魔道具の羽ペンを使ってティアナが描いたイラストを見た一同は目を丸くした。
「――どうでしょうか。嫌……ですか?」
ルカスを見上げたティアナはその瞳が輝いている事に安堵した。
「うん。俺は気に入ったよ。特にこの世界樹の葉を冠みたいに丸くしてるとこが」
「この黒猫の絵が可愛いねぇ」
テリーも嬉しそうに呟く。
「ティアナちゃんが考えた絵柄はセンスあると思うよ?」
バートが親指を立ててウインクした。
ティアナのイラストは、世界樹の葉を花冠の様に丸く円を描き、円の中央に黒猫の顔の絵を入れた図案だ。
前世日本人だったティアナは月桂冠と宅配便のクロネコのイラストを思い出して再現した。
「先日読んだ魔法師の歴史書に、魔塔を創立された大魔法師ノアが世界樹の葉を冠にしてる挿絵を見たので。それと、黒猫は魔法師が使い魔として育てた初めての動物だったと聞きました。この魔道具が民の生活の一部となるのですから猫の絵はぴったりかと」
ティアナの説明にバートが感心した様に何度も頷く。
これまでは、高い魔力がある美しいだけの女性、と言う認識だったのだがルカスの妻の座に座るだけのお人形ではなく、魔法師の歴史を勉強したり研究費を捻出する為の商売を提案してくれる女神様だったのだと改めて気付いた。
「ティアナちゃん、これからもルカスを……いや! この魔塔の将来を宜しく頼むよ!」
ぎゅ、とその白く細い指先を握った瞬間、バートの指をカミツキガメが思いっ切り噛みついた。
「ひぎゃぁぁぁぁ! ルカス、早くこいつをどけろ!」
バートは中指をパクリと齧りついて離さないカミツキガメをブンブン振り回す。
しかし、離そうとすればするほど更に強い力が加わる。
「嫌ぁ――ッ! 痛い痛いぃぃぃ――っ!」
大泣きするバートを見て、ティアナが慌ててルカスの袖口を引っ張った。
「ルカス様! 早くバート様を助けて下さい!」
しかし、ルカスは冷たい目でバートを見つめた。
「フン。他人の奥さんの手なんか握ろうとするからだ」
テリーは泣いているバートの姿に爆笑していた。
バートは非常事態に直面すると、いつも自分の魔法を使う事が出来ない。
パニックに陥ると魔法を使えなくなってしまうのだ。
「ルカス様、お願いします! わ、私もこの亀は怖くて触れませんし」
ティアナの言葉にルカスはギョッとしてティアナの手を握りしめた。
「馬鹿! このカミツキガメは俺の言う事しか聞かないんだから触ろうとするな! 危ないじゃないか!」
「あっ、酷い! ルカスは奥さんの事は大事だけど長年の親友は大事じゃないのね?」
バートが恨めしそうな顔で見つめるがルカスは冷たく言い放つ。
「パニックになると魔法が使えなくなるその癖……。甘えてないで克服しろよ。お前が本気出したら相当な実力がある事、俺は知ってる。いつも誰かが助けてくれると思うな」
バートの瞳が一瞬揺らぎ、すぐにヘラヘラとした締まりの無い顔に変わった。
「えぇ~? ルカスったら冷たいねぇ。テリーちゃん、助けてぇ」
テリーは溜息をつくと水魔法を使い、バートの指からカミツキガメを離した。
「あのさぁ。もういい大人なんだから二人して困らせないで下さい。ティアナが驚いてるでしょ?」
バートはへらり、と笑うとティアナに頭を下げた。
「ごめんねぇ? ルカスはこの通り冷たい奴なんだけど、奥様には優しい男だからさ。ティアナちゃん。こんなルカスだけど面倒見てね? あ~ぁ、血が出ちゃった。手当してくるわ」
バートは無詠唱で魔法陣を描くとそのまま転移魔法を使って部屋からいなくなってしまった。
***
「あの……。バート様は何故パニックになると魔法が使えなくなるのですか?」
転異魔法でバートが出て行くと、ティアナは思い切ってルカスに尋ねた。
もしかしたら、親友の秘密を聞いてはいけない気もしたが、テリーの顔を見ると彼も真相は知っている様だ。
何となく自分だけ知らないのも寂しい。
これからは同じ魔塔の仲間として悩みや苦しみは共に考えたいと思ったのだ。
「バートは……魔塔に来る前の幼い頃、その高い魔力のせいで奴隷商人に売られた事があるんだ。その奴隷商人にバートを売り渡したのは……」
ティアナの顔がさっ、と青ざめた。
(嘘……まさか……)
「そう。バートの実の両親がたったの金貨3枚に目が眩んであいつを売った」
「酷い……」
テリーは首をフリフリ横に振る。
「――別にこれは珍しい事では無いよ。魔力があるのは本来は王族。庶民に魔力があるのは親から見たら気味悪い事なんだから。自分達が魔力無しだった場合は特にね。僕も赤ちゃんの時に捨てられてるし。バートさんの場合はただ……」
「ただ……?」
ルカスは静かに口を開いた。
「――バートは奴隷商に売り渡された時に、パニックになって魔力を暴走させた。結果、その場にいた3人の奴隷商達の頭が吹っ飛んだんだ。バートはその事件で自分に無意識に魔法を掛けた。制御出来ない感情に翻弄されたら魔力が発動しなくなる魔法を」
ティアナはいつも明るく楽しいバートにそんな過去があった事に言葉を失う。
「そんな……。バート様にそんな恐ろしい事が……」
幼い子供が両親から見放されお金で奴隷商人に売られる……。
その恐怖はどれ程のものだったのか。
ティアナは自分の魔力が暴走した時の事を思い出していた。
あの身体中を引き裂く痛みと恐怖。
その時の痛みは憶えていても、自分の魔力が周りにどんな影響を及ぼしているかまでは記憶は無い。
正気に戻った時に見た景色が自分が殺めた人間達の遺体だなんて。
「私だったら……同じ様に自分に魔法を掛けてしまうかもしれません」
泣きそうな顔をしているティアナの頭をポン、と叩いたルカスは優しく微笑んだ。
「ティアナ、大丈夫だ。あいつは無意識に自分で魔法を掛けてるだけだから。バートには魔法師としてのプライドが皆無なんだ。魔法が使えない時がある事を恥じてもいない。ただ……俺はこのままバートがトラウマのせいで危ない目に遭って貰いたくないからさ」
バートは本来ならルカスの次に魔力がある筈なのだ。
ただ、バートは自分の魔力を高める鍛錬もしないし、魔法の研究も貴族からの依頼品のみという状況だ。
ルカスにとってはそれが歯がゆくてならない。
平和な今なら勿論それでもいい。
しかし、王家がもしもこの魔塔を陥れる事があれば、魔法師は全力で戦う事になるだろう。
そんな最悪な事が起きなければ良いのだが。
自分やティアナの様な規格外の魔力持ちが生まれるという事は、王家にもこの様な規格外の魔力を持つ人物が生まれるかもしれないのだ。
その時は魔塔と王家の戦争に発展し兼ねない。
その時、もしもバートが魔法を使えずに危険な目に遭ったら……。
「大丈夫ですよ。バートさんは本当に危険な事が起こった時にはいち早く逃げるでしょうから」
テリーの言葉にルカスはニヤッと笑った。
「そうだな。あいつは逃げる事が卑怯だとは微塵も思わない男だからな。さてと。ティアナが考案してくれた魔法師のマークも決まった事だし? 俺達はこの魔法師マークを真似たりした奴がいた時の対策魔法を考えないと」
テリーの瞳がキラキラ輝く。
「やった~! 面白そう! 羽ペン魔道具を手伝ってくれる魔法師達からも意見を聞こう! 僕はねぇ、ティアナの考えてくれたマークで詐欺を働く奴がいたら鼻が棒みたいに伸びる魔法が面白いと思うんだけど!」
「いや……。甘いな。そんな極悪非道な人間がいた場合は鼻だけなんて駄目だ。いっその事身体中が大木になる魔法はどうだろう」
二人の魔法師の悪巧みを聞きながら、ティアナは一瞬揺れたバートの瞳を思い出していた。




