5 ガラスの靴は素敵な魔法の靴じゃない
私の名はティアナ・ウェズリー。
現在10歳の男爵令嬢だ。
私はこの世界で16歳の時に死んでいて、目の前で大切な家族が殺される場面を覚えている。
でも前世日本人だった時の記憶もある。
折原光華
前世の私の名前。
この世界で命を落とした筈の私が何故日本人女性に生まれ変わったのかは分からない。
そして何故また元の世界に戻ったのかも。
折原光華が転生したのは王子様に出会う直前の現在10歳のティアナの世界。
もしかしたら神様が、今度こそ家族を守る様にこの世界に転生させてくれたのかもしれない。
このまま王子に出会わなければ……そして私が魔力持ちだって事がバレなければ全員が生き残れる筈。
今の私は夫の顔色を窺う不幸せな光華じゃない。
家族に愛され、守られていたティアナ……!
だからこそ、今世では私が家族を守るの!
ガラスの靴に足が合う娘を捜索しに来た兵士達の残虐な行いを思い出して身体の震えが止まらなくなった私は拳を握りしめていた。
***
「ええっと。つまり、このガラスの靴を履くと、ティアナが大人の姿になりますの?」
フレデリカお義姉様が感心してガラスの靴に触る。
「あぁ。この靴は履いた本人が望む年齢、髪色、瞳の色、服さえも変える事が出来るんだ」
「なるほど。仕組みは分かったけれど、ルカス様は本気でティアナと結婚するつもりですの? もしも想う方がいらっゃるのでしたら……」
アンジェリカお義姉様はルカス様が私と婚姻しても誰かと浮気をするのでは無いか、心配しているのね?
でもお義姉様……私よりもルカス様の方がお気の毒だわ。
妻が10歳の子供だなんて。
「お義姉様! ルカス様はこんな子供の私と結婚して下さると仰って下さるのだから、私はそれだけで満足です。ルカス様、レイブン殿下が無事にどなたかとご結婚されたら私は離縁しても大丈夫です」
ルカス様は私をじっと見つめる。
「ふ~ん。子供のくせに随分冷静な子だな。俺には幸い想い人はいないし……よし! ではこうしよう。お前に将来誰か好きな奴が出来たら……その時は離縁してやる。それでいいな?」
ルカス様に誰か想い人が先に出来たらどうしよう。
私の不安な気持ちが通じたのか、ルカス様が私の頭を撫でた。
「……俺は誰とも婚姻する気は無かったんだ。だから俺の事なら心配ご無用だ」
――え?
まるで当然の事の様に結婚を考えた事がない、と言い切るルカス様を不思議な気持ちで見つめた。
「ルカス様がわたくし達の大事な妹を守って下さるのでしたら安心ですわ!」
フレデリカお義姉様がニコニコしながら、私の手を握り締めた。
フレデリカお義姉様は本当に優しい。
「あの……もし宜しければわたくし、大人になったティアナを見てみたいですわ!」
「フレデリカお姉様ったら……コホン、そ、そうですわね? わたくしも……魔道具の仕組みを知る為にも見てみたいですわね?」
アンジェリカお義姉様は私が変身する姿を見たくてずっとそわそわしている。
私の記憶が正しければ魔力暴走を止められなかった私の髪色は銀色から紫色に変わってしまっていた。
その色を隠す為に私はあの頃暖炉の灰を被って髪色をごまかしていたわ。
それが辛くて、ガラスの靴を履いた私は綺麗な金髪の髪のお姫様に変身したけれど……。
ガラスの靴を見つめた私は静かにそっと靴を履いた。
「ああっ! ガラスの靴から光が!」
驚きのあまり、アンジェリカお義姉様が叫んだ。
靴を履いた途端、部屋中が不思議な光に包まれてガラスの靴が光り輝いたのだ。
そして……。
「まあっ! ティアナ……」
「これが……大人になったティアナ……?」
***
ルカスはかつて自分を救ってくれた師匠、フェアリーゴッドマザーの孫娘で大胆な提案をした少女の顔が不安そうに歪む瞬間を見逃さなかった。
理由は分からない。
でも、この娘からは恐怖と絶望の色が見える。
かつての自分を見ている様だ。
絶望と不安に押し潰されそうなくせに、信じられるのは今の自分自身だけ。
そうか……。
この子は昔の俺だ……。
ずっと独りで生きて来た。
平民だから、という理由で国王の子を身籠った母は城を追い出され、病気になっても薬を買う金も無かった。
それなのに俺が高い魔力持ちだと分かった途端、王族は自分を利用しようとした。
微弱な魔力しか持たない今の王族の血に高い魔力を持つ自分を取り込みたいのだろう。
――気持ちが悪い。
まるで自分が昔、親族の家で働かされていた時に世話していた馬になった様な気分になる。
この子も……魔力持ちだと知れたら無理矢理婚姻させられるのだろう。
不安な心を隠したアイスブルーの瞳に悲壮な決意を感じた。
本当は一生独り身でいるつもりだったのだが……。
ガラスの靴はルカスが15歳の時に初めて創った魔道具だ。
元々はある公爵令嬢からの依頼だった。
容姿に自信が無かった令嬢を変身させたのだが、結局その後自分の本来の姿を知られてしまって、この靴は返却された。
まさか、あの時のガラスの靴が役に立つ時が来るとは。
ルカスは改めて、今は持ち主がティアナに代わったガラスの靴を見つめた。
ガラスの靴は願いを叶える魔法の靴ではない。
だからこそ、使い方を間違えてしまえば失うものも大きくなる。
ルカスが創ったガラスの靴がティアナの足に吸い込まれていった。
***
その頃、ティモール王国の王城では王太子レイブンの誕生を祝う舞踏会の為の準備で使用人たちが城中で慌しく働いていた。
レイブンの執務室には舞踏会に招待する為の令嬢達の肖像画や、調査書が山の様に積み上がっている。
執務室の窓から庭園を眺めていたレイブンは、夜の庭園を明るく灯す為の光の玉がいくつも飾られている事に気付いた。
魔法師達が発明した光の玉は、高い魔力を必要としなくても一晩くらいなら美しく輝くとても便利な魔道具だ。
「……何から何まで全て魔法師の助けがなければ生活が出来ないとは。忌ま忌ましい」
このティモール王国ではかつて王族にのみ魔力が授けられ、だからこそ人々は王族を恐れ敬い、尊敬していたのだ。
それなのに……魔塔に住む魔法師達は優れた魔力で民からの信頼も厚く、貴族達からの依頼も多いと聞く。
「レイブン殿下、今度の舞踏会で素晴らしい魔力を持った令嬢を見つける事が出来れば、我がティモール王国は安泰ですね」
レイブンは宰相の息子で側近のラキアスを氷の様な瞳で睨んだ。
その視線にラキアスはドキリとする。
ラキアスは幼少の頃から遊び相手としてレイブンに仕えていた。
レイブンはラキアスにとって子供の頃からずっとキラキラした王子だった。
平凡な茶色の真っ直ぐな髪に灰色の瞳をしたラキアスにとって、この美しい王子の傍らにいつもいられる自分はそれだけで特別な人間になれた気がしていた。
ラキアスは改めて自分が仕える美しい王子を、見返す。
艶やかな金髪、真っ赤なルビーの様な瞳は数年前に亡くなったエリス王妃に生き写しだ。
王子は大変な美丈夫で、貴族令嬢達の憧れの的なのだ。
洗練された優美な佇まい。
美しい絹糸の様な金色の前髪から煌く宝石の様な瞳に心を奪われない令嬢がいるだろうか。
金糸の刺繍があしらわれた王家の模様の上着を着た王子の襟足に少しかかる後ろ髪は、ウエーブがかかっていてふんわりと波打っている。
男性であるラキアスでさえ、心を奪われそうになる形の良い唇が少し歪んだ。
「微弱な魔力など、民から馬鹿にされるだけの能力だ。私は魔力持ちの女が産む子になど期待はしない。私が欲しいのは……自分の高い魔力だ!」
婚外子が自分の魔力と比べる事さえ出来ない位に優れている?
冗談じゃない!
この国の王子は私だ!
ルカス・ブロア……。
卑しい平民の息子。
メイドが産んだ子などに、王族の私が劣っているだと?
ラキアスが恐る恐る口を挿む。
「殿下、しかし今ある魔力を高くする様な方法は……」
「いや……ある……」
レイブンは先程王族でも閲覧を許されない魔法書を執務机から取り出した。
「殿下! いけません! たとえ王太子様のお立場であっても閲覧出来るのはこの国の国王と定められている書物を……」
「私はこの国の王太子……次期国王だ。国の威信が揺らいでいる事に何故、誰も気づかぬ……。いいか、ラキアス。この王国を支配しているのは王家だ。魔法師ではない」
美しい顔が憎悪の炎で燃えている。
「私達高貴なる血筋に、一滴たりとも卑しい平民の血が混じる事は許さぬ。私は自分自身の魔力を本来ある筈の力に変える為の方法を見つけた」
レイブンは魔法書を開くと、ある一文を指差した。
『王家の魔力を増幅させるには、妖精の魔力を取り込むこと』
妖精?
妖精の魔力だって?
何を言っているのだ?
あり得ない……。
この世に魔力を持つ人間は存在するが、妖精を見た者はいない。
存在しないものを探す?
ラキアスは半ば呆れて主君の顔を見つめた。
そんなラキアスの顔を見てレイブンは愉快そうに笑う。
「フフフ……ははははは!」
レイブンにはある予感がした。
今度の舞踏会。
運命の私の妖精は必ず現れる!
読んで頂きありがとうございました(•‿•)
遂に登場! レイブン王太子!
嫌な王子ですね。
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