40 魔法師見習いは貴族には戻れない
――地響きと共に現れたルカスを見たテリーは、これが自分ではなく、アンリへ向けられた怒りであって欲しいと強く願った。
(ティアナはもうルカスの奥さんだから……僕は心の中でだけ、イケナイ事を想像してるに過ぎない。まさかこの僕にまで、とばっちりは食わないよね……)
「ルカス様! 研究はもう終わったのですか?」
驚くティアナの腰を抱き寄せたルカスはアンリに氷の様な瞳を向けた。
「悪い……。まだ終わらないんだけど、そこの魔法師見習いに用があってさ。ティアナ、チャチャっと終わらせるからアンリを貸してくれる?」
「? はい。今テリー様とアンリ様にサンドイッチを差し入れしただけなので大丈夫ですよ!」
ティアナの言葉にルカスは空っぽになった籠を見つめた。
「へぇ……。もう食べたのか……チッ」
(んん? なんかチッていう舌打ちが聞こえた気がするけど……。気のせいかな?)
ティアナは不思議そうに小首を傾けた。
「アハハハ……ご、ごめんね? もう少しゆっくり食べようかな~とは思ったんだけど」
冷や汗をダラダラ流しながらテリーは視線を彷徨わせる。
(あ……あれぇ? まさか。ルカスはサンドイッチを作って貰えなかったとか? いや、そんな筈は……)
動揺しているテリーを横目にアンリが不思議そうな顔をしてルカスと空っぽになった籠を見つめた。
「――なんだ。ルカス殿はティアナからサンドイッチを作って貰えなかったのか……。それは申し訳なかったな。すまない。あまりにも美味だったので……ムググ……」
慌てたテリーがアンリの口を塞ぐ。
「わぁぁぁぁ! 黙れアンリ……! お前死にたいの?」
テリーとアンリを交互に見ながら、ティアナがキョトンとした。
「え……? サンドイッチはルカス様のお弁当の残りをお二人に差し入れしたのですけど」
ティアナの言葉にテリーは心から安堵した。
「――え? あぁ~! そうなんだぁ! いや、そうだよね? ルカスの弁当のついでだよねぇ? あはははは……」
「では、ルカス殿はティアナから貰った弁当が足りなかったのか……?」
アンリの余計な一言で、ルカスの顔がサッと変わる。
「――ルカス様? まだお腹が空いているのでしたら……」
ティアナが言いかけたその時、ルカスがティアナの唇に人差し指を押し当てた。
「ごめん……それ以上言わないでくれ……かっこ悪……」
ルカスは頭を抱えてしゃがみ込む。
「ルカス……様? あの……どうされたのですか……」
しゃがみ込んだルカスの耳は真っ赤だった。
「違うんだ……その……。まだ……てないから」
「――え?」
消え入りそうな声にティアナが耳を澄ませる。
「その……まだ……俺は食べていないのに……こいつらが先に……」
その時ルカスを見つめていた一同の目は、しゃがんだルカスの頭から湯気が出ている幻覚を見た。
***
~ルカスがテリーの部屋を訪れる一時間程前の研究室~
「お前さぁ……誰にも相談せずに相当な厄介事を持って来たよね。どうすんの? 魔塔が公爵令嬢の……星占い師を攫って監禁しているなんて噂が広まったら……」
バートの懸念は尤もだ。
正確には令嬢じゃないし、星占い師でもないけれど。
「その点は問題ない。公爵家では貞操を失ったリリアはこの世からいなくなった方が良いと思っている筈」
「それにさぁ……。温室育ちのお貴族様がこの魔塔で暮らしていけると思っているの? 食事も身支度も一人でなんかした事ないんでしょ? まぁ……俺がその辺はフォローしてあげても良いけどさぁ。あ……! ティアナちゃんが大聖堂で助けてあげたって事は、良いお友達になるかもねっ」
バートの余計な一言に何故か不快な感情が込み上げる。
「――お友達……だと?」
「だってさぁ……自分の貞操を守った恩人だよ? しかもその恩人は優しくて面倒見の良いティアナちゃん。彼女も魔塔では女友達がいないからきっと仲良しになれると思うよ?」
「仲良し……あいつとティアナが……?」
大聖堂の結婚式で、バルーンの飾り付けに瞳を輝かせていたティアナの顔を思い出して何故か不安になる。
俺はどうしてしまったんだ。
そう……。
嫉妬しているんだ。
あいつの才能と、そのセンスに。
この不快な感情……。
これはあいつの能力への嫉妬に違いない。
「なるほどね。でも残念ながらティアナがあいつと友達になる可能性は限りなく低いな。貴族としてのプライドが邪魔をして身の回りの事を1人で出来なかったとしても、ティアナが同情する理由にはならない。それに、バートは勘違いしているから教えてやる。あいつは男だ! だからティアナと友達には絶対に……」
何故だかバート相手にむきになってダラダラと説明している自分がもどかしい。
一体何が俺をこんなに不安にさせるのか……。
「ええっ! お前……それは大問題だよ? しかも、あいつの部屋ってテリーの隣だよ? あの美女が男? てことは相当な美丈夫……。お前も確かに綺麗な顔してるけど、洗練された美しい所作を身に着けた完璧な王子様とは言えないだろ? 貴族令嬢だったティアナちゃんの傍にそんな危険な男を傍に置くの?」
確かにティアナは元貴族令嬢だ。
貴族の所作が完璧な男の方を好ましく思ってしまう可能性もある。
いや……。
ティアナはまだ子供。
そんな……感情を持つ訳が……。
それなのに、ティアナが自分以外の男を頼りにする可能性を考えた途端……胃の中に不快なものが込み上げて来た。
「ルカスは鈍感だからこの際言っておくけど、ティアナちゃんをいつかは手放すつもりで契約結婚したかもしれない。けど、ずっとお前を見ているこの俺が断言する。そもそもルカスはティアナちゃんを誰かの手に委ねる気なんか無いだろ?」
それは……。
バートの言っている事は正しい。
もう、ティアナがいない人生は考えられない。
魔塔の仲間との家族みたいな関係とも違う。
ティアナは初めから俺の唯一だ。
それは、フェアリーゴッドマザーから託された女の子だったからなのか……。
それとも未来に起こる予定だった馬鹿な俺にはなりたくない為の贖罪なのか……。
ティアナと共にこの魔塔で暮らし始めて、俺の心に芽生えたのは限りなく幸せな感情だ。
そうだ……。
俺はこの……幸せって感情を失いたくないんだ。
「バート……。分かったぞ! ティアナは誰にも渡さない。この俺の幸福感を奪う野郎はティアナには近付けない! 俺はティアナとずっとこの魔塔で暮らす!」
バートはこの俺の宣言を白い目で見ながらとんでもない事を言った。
「あ~はいはい……。自覚無しの馬鹿はまだそこまでしか分からんのね。ところでお前の本日の弁当、ティアナちゃんお手製の絶品卵サンドだね。美女に命を救われたどっかの美丈夫が、このサンドイッチを先に味見……してる事、想像してみろ。あ、もう既に味わってる頃かな?」
ニヤニヤ笑うバートの顔を殴りたい衝動と、まだこの俺が食べていないティアナのサンドイッチをうまそうに食べるアンリの顔を想像して、腹の中が煮えくり返る。
何故、俺は考えも無しにすぐ近くの部屋なんか紹介したのか!
気付くともう、俺はアンリを探しに転移魔法を使っていた。
そこで目にしたのは……。
ティアナの手の甲に唇を寄せるいかれた貴族野郎の姿だった。
「ルカス様?」
キョトンとしたティアナの顔を見た途端、俺は正気に戻った。
すげぇ……かっこ悪い。
俺は……何しに来たんだ?
***
頭から湯気を出してしゃがみ込むルカスを見て、アンリは驚いていた。
(この男……。いくら普段は大人の姿でもまだ少女だぞ? こんな野蛮で危険な獣みたいな男とティアナが契約結婚だなんて! 危険だ……。私の命を救ってくれたこの少女は私の命と引き換えにしてもお守りしないと!)
「私に用がある……と言いましたよね? どの様な事でしょうか」
美しい所作。
完璧な貴族令息のアンリは優雅にルカスを見つめる。
その完璧な所作にルカスが一瞬言葉を失い、アンリを睨みつけた。
「――契約書を作る。お前はもう貴族ではなくなる。その覚悟が本当なら魔塔を裏切らない為の契約書にサインをして貰わないと、ここには居られないんだ」
ルカスの言葉にティアナは不安そうな顔をした。
「契約書……って? ルカス様……それは一体?」
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