25 魔塔の下働きは妖艶な美女には務まらない
「もうっ! こぉんなきついお仕事だなんてぇ……聞いてないですぅ」
ぷぅっと、頬を膨らませているのは、王太子レイブンにスパイを依頼されたイレーヌだ。
無事に王家からの推薦状のお陰で魔塔に潜り込み、下働きのメイドとして働く事になったのだが、普段から力仕事をした事がないイレーヌは半日で根を上げてしまった。
(イレーヌの白くて綺麗な手が……たった半日で真っ赤になるなんてぇ……!)
水仕事を殆どしないイレーヌの手は赤くなり、皮が剝けている。
早朝、いきなり魔塔に連れて行かれたイレーヌは配属されて早々嫌な目にあった。
綺麗な顔の生意気そうな眼鏡をかけた少年と銀髪のおっとりした女性に、いきなり鶏を絞めて捌く様に命令されたのだ。
その後、他のメイドからあの銀髪の女性がレイブンの敵である魔法師ルカスの婚約者ティアナだと聞いたイレーヌは、更に不満を募らせた。
(ふん! あの女が魔法師ルカスの婚約者……。イレーヌがメイドの中で一番綺麗だから、意地悪したに違いないわ! レイブン殿下も何故かあの女には興味があるみたいだしぃ……気に入らないわぁ……)
イレーヌは、王太子レイブンがティアナにラストダンスを申し込んだ事を聞いていたので、魔塔でスパイをするのなら、ティアナを虐めてやろうと思っていたのだ。
(あの美しい王太子様にダンスを申し込まれるだなんて……婚約者もいるくせに、ほぉんとに、生意気だわぁ……)
ガリガリと爪を噛んでいるイレーヌに、メイド長の叱責が飛んで来た。
「イレーヌ! あんた、朝から殆ど働いていないじゃないか! いくら王家からの推薦状があるからって、特別扱いはしないよ! この食材をルカス様のお部屋にお届けして頂戴!」
命令されたイレーヌは、一瞬反抗しようとしたが、食材を運ぶ先がルカスの部屋だと聞いて、ニヤリと笑った。
(レイブン殿下に頼まれた、盗聴用の魔道具を仕込むチャンスだわぁ! でもぉ……もっと面白い事考えちゃったぁ……!)
どうやら、ティアナは料理をするらしい。
今朝イレーヌが命令された食材はルカスに渡す弁当の材料だったと聞いている。
(うふふ……生意気なティアナ……未来の旦那様にうんと嫌われるがいいわ!)
イレーヌは魔力持ちで、得意な魔法が幻覚魔法だった。
イレーヌが魔法を掛けた物は、受け取った人物に幻覚を見せるのだ。
昨夜の王城での舞踏会の招待状も、偽物のカードに魔法の幻覚を見せて本物だと思い込ませたのだ。
――厨房からルカスの部屋へ運ぶ食材を受け取るとイレーヌはルカスの部屋に行かず、自分の部屋へ食材の入った籠を運び、ベッドの下からそっくりな籠を引きずり出す。
「えっと……先ずは盗聴魔道具から……」
イレーヌはポケットから、小さな盗聴魔道具を取り出すと、籠の底に仕込んだ。
籠の底は二重底になっていて、魔道具を仕込んで蓋をすると外からは見えなくなる。
「うふふ……これで、あの部屋の会話は記録されるわね。何か弱みを掴めるかしらぁ!」
イレーヌは続けて食材を一旦ベッドに広げると魔法陣を描いた。
赤い魔法陣が出現すると、呪文を唱える。
すると、食材は魔法陣の中で変化していった。
肉や魚、野菜に小麦粉、パンと米。
これらすべての材料に、小さな虫が這い回り始める。
「いや~ん! とってもグロテスクですぅ! でもこの幻覚はぁ……すぐには出現しない様にしないとね? お料理が出来上がって、誰かが食べる直前に調整しないとね!」
イレーヌは胸元から小瓶を取り出した。
「イレーヌ特製の時間差魔法のお薬! ああっ! 楽しみぃ!」
イレーヌが小瓶の中に入っている液体をポタポタと食材に落とす。
すると、先程まで気味の悪い虫が入っていた幻覚魔法の食材は虫一匹も見えない元の姿に戻っていた。
「明日、お弁当を開けたルカスはショックを受けるでしょうね! 楽しみぃ!」
***
幻覚魔法を掛けていたせいで、イレーヌが食材の入った籠をルカスの部屋に届けたのは夕方になってからだった。
(少し遅くなってしまったわ! 魔法ってほんと、時間が掛るわ)
コンコン……とノックをすると、低く落ち着いた男性の声が聞こえる。
「あぁ……開いているから入って来て?」
てっきりティアナが独りで部屋にいるものと思っていたイレーヌはドキリとした。
(なぁんだ……毎日研究室に籠りっきりの変人だって聞いたからいないのかと思ったじゃない……。食材を置いたらとっとと退散しましょ)
「失礼しまぁす! 食材をお届けに参りましたぁ!」
努めて元気な声で部屋に入ったイレーヌは卒倒しそうになった。
――部屋の中にはルカスだけがソファにゆったりと座っていたのだが、そのあまりにも美しい姿に、イレーヌは息を飲んだ。
まるで深海の様な深い蒼と漆黒の闇が重なった様な艶やかな長い黒髪。
憂いを帯びた煌く金色の瞳はどんな宝石よりも妖しく美しい。
(なっ……なんて美しい人……! レイブン殿下よりも素敵ぃ……)
魔法師のローブを脱いで、ゆったりとした少し胸元が開いた部屋着を着ているルカスはとてつもない色香を漂わせている。
「あ、あのぅ……。き、今日からこちらのお部屋を担当致します、イレーヌと申しますぅ……」
ソファに座ったまま、ルカスがじっとイレーヌを見つめる。
「へぇ……あ……もしかして、今朝鶏を捌いてくれたのって君?」
ルカスの痺れる様な低温の声がイレーヌの耳を心地良くさせる。
「は、はい! イレーヌが捌きましたぁ! 凄く怖かったですぅ」
「お陰で、俺の大好物の鶏肉が食べられた。ねぇ、君も料理が出来るの?」
ドキドキと高鳴る鼓動にイレーヌはボウっとなって返事をした。
「はいっ! 勿論ですぅ!」
イレーヌは妖しく微笑むルカスをうっとりと見つめた。
(なぁんだ……。魔塔の大魔法師ルカスも所詮は只の男……。イレーヌの、この色っぽい身体にメロメロってわけね?)
ルカスはクスリと笑うと立ち上がり、イレーヌの手から食材の入った籠を受け取る。
「ふぅん……じゃあさ。この食材でなんか美味いご馳走作ってよ」
「――え?」
ルカスの言葉に固まる。
「ええっとぉ……こっ、この食材って明日のお弁当の材料なんじゃ……」
籠を持ったルカスがイレーヌの耳元で囁く。
「ティアナ、まだ部屋に戻らないからさ……。夕飯……作ってよ」
「――っ!」
目の前にいるこの恐ろしく美丈夫なルカスの願いは勿論叶えてあげたい。
(でもっ! この食材でお料理したら……幻覚魔法がぁ!)
ダラダラと冷や汗がイレーヌの背中に流れる。
「あのぅ……な、なぁんか、間違った食材が入ってたみたいでぇ……と、取り替えて来ま……」
――ドカッ!
真っ赤な顔になったイレーヌを壁際に追い詰めたルカスの拳がいきなり壁を破壊した。
「ひぃぃぃ!」
イレーヌの耳の端スレスレに飛んで来たルカスの拳は一撃で壁を破壊して、丸い穴が開いている。
パラパラと壁を破壊した欠片がイレーヌの顔に降りかかった。
「ななな……何するんですかぁ! や、やめてくださぁい!」
ガタガタと震えて涙を流すイレーヌに、ルカスの氷の様な瞳が突き刺さる。
「お前さ……。どこの家で飼ってた鼠? 盗聴魔道具仕掛けるくらいならまだ可愛い鼠だと思ってたんだけど……。俺の食べる弁当の食材に幻覚魔法掛けるとか……生きて帰れると思ってる?」
イレーヌの顔が真っ青になった。
「なっ……何で……分かったん……ふぐっ!」
最後まで言い終わらないうちに、ルカスは食材の籠に入っていたフランスパンをイレーヌの口に無理矢理押し込む。
――そのままルカスは無詠唱で魔法を使い、イレーヌの時間差魔法を簡単に解いてしまった。
「――? ふぐっ……ふぐっ……」
ダラダラと涙を流すイレーヌの目に、自分の口に押し込まれたフランスパンが変化していき、緑色の気味の悪い虫がウヨウヨと這いずり回るのが見える。
「俺のティアナが心を込めて作る弁当を台無しにしようとするとはな……」
ルカスはそのままイレーヌの髪を引っ張ると部屋に転移魔法の魔法陣を描いた。
転移魔法で移動する直前、盗聴魔道具に向かって声を掛けた。
「面白い鼠をありがとうございます……兄上殿!」
言い終わると、ルカスは盗聴魔道具の入った籠に狙いを定めると小さな火球を放つ。
――凄まじい爆音が轟き、魔塔に住む魔法師たちは、ルカスの怒りを買った鼠に少しだけ同情した。
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