第6話 邂逅 2
カルディア歴334年2月。
ノエルはウィズダムアイルへ到着して早々、嫌なものを見てしまった。それは陰湿な虐めの場面だ。そしてその被害者が彩無しと蔑まれていると分かった時、彼はその場に割って入り加害者の女学生たちに魔法を叩き返し、殺意を向けた警告をした後にその場を去る。
それが主犯こそが実の妹のエレナであったことはまだ気づいていない。
エリナは路地裏に座り込んで今起きた事を必死に理解しようとしていた。友人たちが気を使い声を掛け回復魔法も掛けてくれているが、その声は届いていない。彼女は見るはずのない者を見た事、そしてその者が自分を歯牙にもかけない様子であしらった事、何より本物の殺意を始めて向けられた恐怖が思考を占有していた。
彼女が動けるようになるまでしばらく経ったが、その後も憔悴した様子で友人たちを置いて自宅に帰る。使用人が只ならぬ様子のエリナを見て心配そうに声を掛けてくるが、湯浴みの準備だけ指示して部屋で服を脱ぐ。そしてその汚れた体を清めていく内に彩無しに尽く魔法を撃ち消され、その殺気に恐怖に震え、情けなくも床を濡らした屈辱に次第に怒りが湧いてくる。
あの黒い髪と瞳、間違いなく自分が3歳の時に家から消えた兄だった存在だ。あんな恩恵を否定するかのような彩を持った人間が他に居るなんて聞いた事もない、神が許すはずがない。父の教えは間違っていないはずだ。
奴はこの街にまだ居るはず。もう一度あの男に会って確かめ復讐し、身の程を弁えさせなければならない。その日のエリナの思考はそんな事ばかりで埋め尽くされていた。
宿で小綺麗になったソフィアを連れ外食に出たノエル。冒険者として生きて来た彼は彩無しがどういった目で見られるか、そういう偏見を特に強く持つ者を判断する目を養っていた。一通り街を歩き、安全そうな店を探しているとソフィアがふと立ち止まる。
「あ、このお店は両親とよく来ていました」
「君の事を知っている人が居るのか?」
「はい、私にもよくしてくれました」
「ならここで食事をしようか」
入る店が決まり店内へと向かう。そこはこの街で親しまれているような雰囲気のこぢんまりとした食堂のようだった。中に入ると特に彩無しに対応を変える事もなく接してくれる。なるほど、ここなら平気そうだ。
「ご注文は…あら、あなたソフィアちゃん?久しぶりね!元気にしてた?」
「はい、おばさん。私は大丈夫です」
「こちらのお兄さんはお知り合い?」
「先ほど助けて頂いて、少しの間お世話になろうかなと思っています」
するとその店の店員はじっとノエルを見る。その眼差しは決して訝しむようなものではなく何やら品定めをされているような気分にさせる目だった。新鮮な反応ではあるが、あまりいい気分はしない。
「お兄さん、あんたなら変なこと考えないように思えるけど、ソフィアちゃんの事をよろしく頼むよ」
「あ、ああ。俺もこの通りの見た目でいろいろ苦労をしてきた。境遇は良く解る、だから助けたい」
「ならいいさ!さぁ、何を食べていくんだい?ちょっとは精が付くようサービスしとくよ!」
「あ、ありがとう」
二人で同じような反応をしてしまった事につい笑ってしまう。笑う事なんて師匠の下を離れてから随分と久しい、ノエルはそう感じた。ソフィアもきっと暫く笑えてなかったのかもしれない。好きな料理を注文し、文字通りサービスされたたっぷりの料理で空腹を満たした二人は店を出る事にした。
「おばさん、ありがとう。美味しかったし久しぶりに寛げたよ」
「そう言ってくれると嬉しいね。月並みな事しか言えないけど頑張んなよ」
「ああ。サービスしてもらったしな。それだけで十分だ」
「ご馳走さまでした。ありがとうございます」
「ソフィアちゃん、あんたも無理はしない様にね」
「はい、おばさん。ありがとう」
二人はそれぞれ礼を述べ宿へと戻る事にした。途中ソフィアが何度もお礼を言ってくるがその度に気にする必要はないという事を言って聞かせる。この子は本当に人に頼る事無くここまで生きて来たのだろう。出会った時の様子がそれを物語っており、今もなおその片鱗を伺わせている。
宿に戻りどうしたらソフィアに信用してもらえるだろうと考えた結果、自分の過去を正直に話す事にした。しばらくノエルの部屋で自らの過去について話した。その内容はソフィアにとっては衝撃だったのだろう。度々驚いた様子を見せていたが、特に冒険者の話になってからは随分と食いつきが良いように思えた。
その後、ソフィアの身上について聞く様な事はせず、自身の身の上話を聞いてくれた事に礼を言い、自室で休むように促した。ソフィアは素直に従い部屋へと戻っていく。その様子を見てこの先この子を一人にしたら碌な事にならないと感じる。彩無しにしては素直過ぎるのだ。そんな事を考えつつ自身もまた休むために寝支度を整え床についた。
ソフィアはベッドで横になり考えていた。ノエルの事を聞いて本当になんの恩恵も持っていないにも拘らずここまで生き抜いてきたその力強さと信念、そして冒険者という生き方に興味が湧いたのだ。この世界で自分と同じか、それ以上に過酷な環境を経験してきたノエルと一緒ならばどんな旅もきっと耐えられるかもしれない。そして冒険者という職業でなら自分は恩返しが出来るかもしれない。
両親の言葉が頭に過ぎる。だがその両親ももういない。自身の力を必要としている人が居てそれが悪い人間じゃないなら、成人した今なら自分の判断で動いて良いのかもしれない。明日ノエルに相談してみよう、そう考えを纏めて久しぶりのベッドでの睡眠に感謝しゆっくりと眠る。
「ノエルさん、おはようございます」
朝になるとソフィアがドアをノックして声を掛けてきた。
「おはよう、ちょっと待っててくれ。用意したら開けるから」
ノエルは慌てて身支度を整え、ソフィアを部屋に招き入れる。
「ノエルさん、私も旅に付いて行っていいですか?それと冒険者という職に興味があります」
「旅に付いてくることを決心したのは良いけど、冒険者になりたいのか?危険だぞ」
「ただ付いて行くだけじゃなくて、私もお役に立ちたいです」
「それはそんなに気にしなくていいんだが、君は秘密を守りたいのではないのか?」
「えっと…ノエルさんならきっと大丈夫かなと思いました」
ノエルは少し考えた。やはりこの子は危険に対して鈍感すぎる気がすると思ったのだ。
「ソフィア、君は素直でとても良い子だと思う。人に頼り過ぎない所は長所でも短所でもあるが、人を簡単に信用し過ぎるのもどうかと思うぞ」
「ノエルさんは悪い人ですか?」
「仮にそうだとして『はい悪い人です』と答える人間はいない。俺はもちろん嘘偽りない言葉で話をしているが、君のその素直過ぎる性格はどうにも危なっかしい。だからこうして釘を刺しているんだ」
「じゃあ、やっぱりノエルさんは良い人です」
「あのな…良い人でも悪い考えを持ってしまう事もあるんだぞ。人をそう簡単に信用するな。特に俺たちのような彩無しは人の悪意に対して敏感でなければならない」
「分かりました。でも私はノエルさんを信用しています」
ノエルは繰り返されるこの問答で、ソフィアの危機意識の低さについて説明する事を諦めた。時間を掛けてゆっくり改善していけばいいと。
「それはありがたい事だが…まぁいい。出発するにあたって済ませておきたい事はあるか?」
「いえ、特にはありませんが荷物などはどうしましょう?私は着替えも何も持ってませんし、食料とかも必要ですよね?ノエルさんも荷物が無いように見えますが」
「ああ、それはこのポーチに全部入れてるんだ」
そうやってマジックポーチを手に取り、中から物を出して見せる。
「それは何ですか!?そのポーチにそんな大きなものが入るなんて、驚きました」
出して見せたのはポーチよりサイズの大きい野営用の鍋だ。他にも大きいものがあるが部屋の中で出すには少し面倒だったので手頃なものを選んだつもりが、思ったよりも良い反応をしてくれた。
「これはマジックポーチ、ダンジョンのボスから奪った物だ。ダンジョンは良い稼ぎになるし、こういった戦利品も有用な物が多い。自分に必要が無ければ高値で売れるしな」
「凄いですね、ダンジョンって!」
ソフィアの反応はこれまでとは違う、始めてみるものへの好奇心で満ち溢れていた。
「そういえば君は幾つなんだ?俺は18歳だ」
「16歳です」
「じゃあもう成人しているしギルドにも問題なく登録できるが、それはしばらく考えた方が良いと俺は思うぞ」
「分かりました」
ソフィアは本当に素直過ぎるほど素直だ。自分の忠告も聞いているのかどうか心配になる、そうノエルは頭を悩ませながらソフィアの旅支度の買い物に出かけるのであった。