第1話 彩無しの忌み子と色彩に祝福された子
この世界は四つ柱の神によって作られた、とされている。大地の神『デマース』が大地を形成し、水の神『ヒュダロス』は海を作り、火の神『ピュロス 』は熱と変革をもたらし、風の神『アネモス』がそれをこの世界の全てに行き渡らせた。
そしてこの四つ柱の神は人類に恩恵を与える。人間・亜人・霊人に等しくそれらは与えられ、その特徴は髪と目の色に現れる。かつて中央大陸から世界の大陸全てへと覇権を握りかけた「カルディウス・アルティスディア」は『四色の王』と呼ばれ、4つの髪色を持ち虹色の瞳を持っていたという。
その祝福に満ちた風貌に違わぬ力を持ったカルディウスは瞬く間に中央大陸を征服。海を渡った他の大陸迄その侵略の手を伸ばし、彼の建てた王国「アルティスディア」は世界を統べるかのように思われていた。しかしどんなに恩恵を受けていようと所詮は人間、老いには勝てず齢65歳にしてこの世を去った。
以降アルティスディアはその影響力を失い、領土を次々と失う事となる。現在は中央大陸の西部を支配地域に収める一国に過ぎないが、そのカルディウス伝説の影響は根強く今なお色彩の恩恵を重要視する「フォルディ教」を国教とし、王の直系の血族がこの国を治めている。
当時カルディア歴316年。この国で男爵としての地位を持ちながらも失脚し放逐された貴族の子の話である。
アルティスディアの王都北東に存在する「エバーシール」という町にブルーヴェイン男爵夫妻は住んでいた。夫ヴィクターと妻イザベラ、共に水の神と火の神からの強い寵愛を受けた証とされる鮮やかな青い髪と美しい赤毛を持っていた。
カルディア歴316年、そんな夫妻に待望の第一子が生まれた。しかしその子は漆黒の髪と目を持っており、それは恩恵を受けていない『彩無し』である事を意味していた。ヴィクターは早々に見切りを付けたが、イザベラの強い要望もあり『ナサニエル』と名付けられたこの男児は周囲に隠されるように、それでいて母からは愛情をもって育てられていた。
カルディア歴318年、そんな夫妻に第二子が生まれる。ナサニエルと対照的に鮮やかな紫色の髪に緑と琥珀色のオッドアイという、この色彩が全ての世界で貴重とされる存在だった。『エリナ』と名付けられたその女児は父から期待と共に愛情を注がれる。
神の恩恵は稀に髪を伸ばした際、毛先の色が変化する事がある。それは隠れた恩恵として認知されており、イザベラはこれに賭けナサニエルの髪を伸ばし続けた。しかしどんなに愛情を注いでも、どんなに神に祈ろうとも、遂にはナサニエルには恩恵の兆しすら現れなかった。
一方、ナサニエル5歳の時にエリナの毛先が青に変化する。それは4つ柱の神の全ての恩恵を強く受けている事を現していた。そしてこの事が切っ掛けでヴィクターはナサニエルを『忌み子』として処理する事を決意する。イザベラの懇願も虚しく、またイザベラ自身もヴィクターからの圧力に疲れていた為、とうとうこの決断を受け入れざるを得なくなってしまう。
エバーシールの北方、冬の雪が積もるその山にナサニエルを連れてヴィクターとイザベラは大地の神を祀る祠へと向かっていた。
「パパ、どこに行くの?」
「黙ってついてこい」
ナサニエルの不安な様子を意にも留めず冷たく言い放つ父。大地の神を祀る祠の前に着くとヴィクターはナサニエルに厳命した。
「大地の神に祈りその恩恵を受けるまで帰ってくることは許さん。この祠で三日三晩も祈り続ければ寛大な神は恩恵を授けてくれるだろう」
冬の雪山で5歳の男児にそのような命を下すという事は死を意味していた。もちろん食料なども渡されていない。そしてイザベラは最後にナサニエルを抱きしめてこう言った。
「ナティ、ごめんね。私が恩恵を授けてあげられなくて、ごめんね…」
「イザベラ!祈祷の邪魔だ。行くぞ」
ヴィクターの一言にビクリと身体を震わせたイザベラはナサニエルを離すとその場を去っていった。
ナサニエルは祈った。
「大地の神様、恩恵を僕に与えてください」
ナサニエルは願った。
「大地の神様、僕に帰る場所をください」
ナサニエルは縋った。
「大地の神様、僕は生きてちゃいけないの?」
「僕はもう、誰からも必要とされないんだね」
ナサニエルは願う事を辞めた。
聡い彼には分かっていたのだ、自分が捨てられるためにここに連れて来られたと。そして全てを諦めて天を仰いだ。天から雪が降り始める。ナサニエルはここで大地の神の御許に召されるのだ。
その数分後、ある壮年の男が現れナサニエルを抱えて去っていった。ナサニエルは薄れゆく意識の中で「ああ、大地の神様が迎えに来てくれたんだ」そう感じた。
ナサニエルが目を覚ますとそこは見た事のない木の天井、周りを見渡すと小屋のようだった。側には少し白髪の混ざった長髪を後ろで束ねた男が座っている。
「大地の神様ですか?」
「違う。俺は人間だ。お前が両親に置いていかれるのを見てな。ここに連れてきた」
「僕は生きているんですね」
「ああ。生きている。彩無しか…それにしても酷い仕打ちをするものだ」
「僕は必要ない子ですから、妹が居ればそれで良いんです」
男はナサニエルに問う。
「両親がそう思っててもお前は良くないだろう。お前は死にたいのか?」
「死にたく…ないよ」
男はナサニエルに再び問う。
「この世界に居場所があるなら、生きる事を諦めないか?」
「僕にも居場所があるの?」
「それはお前次第だ。その為には力と知恵が要る。居場所は力を付けたら自分で作れ」
「居場所を作れるの?」
「ああ。作れる。お前が強くなれば必ずな」
「強くなれば…」
男はナサニエルを鼓舞する様に、より力強く問う。
「もう一度聞くぞ。お前は死にたいのか?生きたいのか?」
「僕は…生きたい!」
「良い答えだ。ならば俺がお前を強く育ててやる。その代わりに俺の全てをお前が受け継げ」
「うん!」
ナサニエルは「受け継ぐ」という言葉の意味も分からないまま、生きる場所を自分で作れるという希望に縋った。それは彼にとっての天啓のようなものだっただろう。
「お前、名は何という?」
「ナサニエル。ママはナティって呼んでる」
男は少し考えた。これまでとは違うニックネームで呼んでやろう、それがこの子の為になると。
「ふむ。ならば俺はこれからお前を『ニール』と呼ぼう」
「うん!おじさんはなんて言うの?」
「俺はカイウス・エルドリッチ。カイウスでいい」
「わかった!カイウス、僕はどうすればいいの?」
「俺はこの生涯…今までを全て武に費やしてきた。武とは誰かと戦う術だ。分かるか?」
「うん」
実はナサニエルはあまり理解できてなかったのだが、肯定した。生きる希望がそこにあるからだ。
「俺の培ってきた武、そして生きる為の知識をお前に教える。それを全力で学べ。それがお前の力になる」
「ぶ…。分かった!頑張る!」
こうしてナサニエルは生涯の師となるカイウスと出会う事になった。それは奇跡のような出会いであり、恩恵の与えられなかったナサニエルにとって唯一無二の『人から与えられた恩恵』であった。
――――――――――――――― 7年後 ―――――――――――――――
ナサニエルはカイウスから多くの事を学んでいた。剣術や体術、狩猟の仕方と獲物の捌き方から読み書き計算に至るまで、ありとあらゆる知識を叩き込まれ、それをグングンと吸収していく。剣術や体術もみるみるうちに上達している。しかし未だカイウスが期待する成果は出ていない。
カイウスがナサニエルを拾った理由、それはただの同情だけではない。カイウスがこれまで鍛え練り上げてきた武の極地『操気法』、それを誰にも伝えずこの世を去っていいのか?と悩んでいた時、あの非情な親子がこの子を捨てて山を下って行く所をたまたま見かけたのだ。
カイウスはこの子に自らの武の極地である操気法を伝授し、その剣技と体術と組みあわせる事でどんな魔法にも屈しない究極の武を後世に伝えたいと考えたのだ。
万物には『気』が宿る。それは魔法とて例外ではなく、その源には気が存在する。操気法は魔力の源たる気をも切り裂く。それだけに止まらず、絡めとり方向すら操る事すら可能としていた。故に操気法の前には魔法は無力、ただ武のみが勝敗を決する絶対的有利を押し付けることが出来る。
接近戦で戦うものも恩恵に頼りその力を行使するのが一般的なこの色彩の世界では、この操気法は極めて特異な物である。故に会得した者は戦いにおいて大きなアドバンテージを持てるのだ。
「師匠、手合わせをお願いします!」
「いいだろう、構えろ」
カイウスがナサニエルに対して行う操気法の訓練は、気を使った剣術と体術の実戦訓練が主だ。しかしこれを感じ取る事から操るまでには相当な時間を有する。カイウス自身の経験がそう告げていた。しかしナサニエルはカイウスが考えているよりも一層努力を続け、工夫を重ねた。
そして今日この日、初めてカイウスの気の流れを読み取ったナサニエルは、その攻撃の初動から発する気を読みカイウスの剣を弾き、初めて師から一本を取ってみせたのだ。カイウスは驚きながらも自分の期待以上に成長してくれるナサニエルを見て内心、歓喜した。
その日からさらに操気法について学び修行に明け暮れる日々。そして師程とまではいかないが15歳にして遂にナサニエルは操気法を自らの物としたのである。
それはカルディア歴331年の出来事であった。