第13話 『エクリプス』の二人
カルディア歴334年6月。
ソフィアが冒険者登録をして3か月が経過した。ノエルはソフィアにある程度の力量がつくまでイーストセーブルアズルの冒険者ギルドを拠点にする。
そのソフィアはというと、薬剤の偽造品密売組織を検挙するきっかけとなった依頼の報酬として光魔法に関する魔法書を読む権利を貰い、日々その力を磨くための努力を欠かさなかった。
イーストセーブルアズルでの生活はそれほど苦ではなかった。ノエルとソフィアはこの3か月の間に数々の依頼を受けながら暇を見ては魔法の練習や基礎的な戦闘訓練、夜間には知識面の補填として旅で注意を払うべき事とその対処方法について、ノエルの知る限りの知識をソフィアに教えていた。
ソフィアはそれら全てに対し真剣に取り組み力を付けていく。そんな彼女にノエルは自身が師から学んだ『操気法』までも教えていた。もっとも、操気法は知識として知っても実戦が難しい事はノエルも良く解っていた。
自分が躓いたポイントや実際に『気』を感じさせる事、師から教わった言葉をそのまま伝えるなど様々なアプローチを試み、いずれソフィアにも操気法が扱えるようにと準備をしているのだ。
「万物には多かれ少なかれ気が存在し、人もまた同様だ。これを無意識に我々は使っている。魔法が最も分かりやすい例で、恩恵によって与えられた力を外に発現する為には必ず気が元になる。操気法はこの根源たる気を自在に操る事により、己のみならず周囲や相手に対してあらゆるものに干渉するのだ」
かつて師が言った言葉だ。この言葉を繰り返し反芻し、師との訓練の中でひたすらに気を感じ取る事を実践した。それがノエルの操気法の訓練方法だった。
「ノエルさん、『気』という物は難しいですね。魔法は簡単に使えるのに、その元となっている力は全然操れません」
「そう簡単に習得できる物でもない。俺も7年かかったからな」
ノエルは初めて人にものを教えるという事の難しさを実感していた。ソフィアの真剣な姿勢に応えるべく、考え得るあらゆるアプローチを試みていた。師からはそういった事はされた記憶が無いが、それがソフィアが操気法を身に着ける近道になるかもしれないと考えたのだ。
「でもノエルさんが気を使う事で感じるものはあります。特に殺気に関しては敏感になりました」
ノエルは最も感じ取りやすい殺気をソフィアに向けて放つことで感覚を覚えさせる訓練もしていた。ノエルの脅しが相手にとって効きやすいのは、この殺気を自由に放てるという事が大きい。どんな人間もノエルに目の前で武器をかざされた状態で殺気を当てられたら生存本能がそれを察知する。
「殺気に敏感になる事は良い事だ。それだけで生存率が上がるからな。背後からの奇襲にも対応できるようになるぞ」
「それには時間が掛かりそうです…」
「大丈夫、俺が付いているんだ。そうそう危ない目には合わさないさ」
「でもいつまでも頼ってばかりではいられません!私ももっとしっかりしないと」
本当にソフィアという子は実直だとノエルは感心する。現にこの3か月で彼女が会得した物は多い。
魔法に関しては複数の攻撃魔法までも会得しており、援護役としても充分に期待できる戦力になりつつある。特に光属性の攻撃魔法は速度が速く回避が難しいように見えた。ノエル自身がもし放たれたら予兆を感じて避けるのが精一杯と感じるほどだ。
もしソフィアが操気法をある程度まで使えるようになれば、魔法にまで応用が効くかもしれない。それはノエルにとって未知の領域で推測に過ぎないが、攻撃魔法の予兆によるフェイントなど入れられた日には恐らく回避は無理だろう。もっとも、そんな事が必要な相手は気を感じ取れる者くらいなのだが。
そうして色々と教え実践し、当初はウェスティアに移動するかどうかを検討する為に立ち寄ったこの街での活動も日常となり、周りからも顔を覚えられていた。外見的に良い意味で目立つソフィアに絡む男をノエルが散らしたり、ケガをした冒険者をソフィアが癒したり、練兵場で片や魔法を試し打ち、一方はひたすら剣の型の稽古をしていたりと、この二人が取っている行動が他とは少し違うという事も理由の一つだ。
そんなソフィアを『白光の聖女』と称えるものも現れ始め、周りからは二人を纏めて『エクリプス』と呼ぶ声も出て来た。さしずめ太陽のようなソフィアとそれを隠すノエル、といった所だろう。
しかしソフィアはこの名称を気に入っているらしく、パーティー名もいつしか『エクリプス』と認知されるようになった。
『白光の聖女』と『黒の踏破者』、彩のない自分達を『太陽と月になぞらえた素敵な名前ですね!』と本人が気に入ってしまったのだ。ソフィアがこうなると意見を曲げないのは、もうここに来た時から嫌というほど理解しているのでノエルは諦めていた。
ノエル本人も自覚していない事だが、ノエルはどうもソフィアには甘くなる。もし、エレナとまともな関係のまま育っていたらきっとこのような関係になっていたであろう。ノエルは生粋のお兄ちゃんであり、年下の女の子に甘いのだ。ただし認めた相手に限った話だが。
気付けばソフィアも緑等級になっており、それなりの冒険者としてやっていけるレベルにはなっている。そこで、今後の事を改めて考えようとノエルはソフィアと話をする事にした。このままイーストセーブルアズルで活動を続けるか、他国へ渡るかだ。
「ソフィア、当初の目的はウィズダムアイルから出て他国へ渡るかどうかを検討するだったことは覚えているか?」
「もちろん覚えています。私の為にこの街で活動を続けてくれているんですよね」
「まぁ、そうだな。今やソフィアも等級が緑に上がって立派な冒険者だ。そろそろ身の振り方を考えたいと思ってな」
「他国へ行くのってそんなに簡単に行けるんですか?」
ソフィアの素朴な疑問にノエルが現実的な手段を答える。
「手段はいくつかあると思うが、俺達の立場だと依頼ついでに渡るのが一番いいだろうな」
「護衛依頼などでしょうか。確かギルドでそんな依頼を見たような…」
「どこまでの護衛だったか覚えているか?」
「確かシルバーピークタウンって名前でした」
「聞いた事があるな、セリアディスの鉱山都市だったか。その依頼を受ければセリアディスに渡る事が可能だ」
「セリアディス…どんな国なんですか?」
ノエルは地図を出し、広げて見せながらセリアディスについて説明する。
「アルティスディアの南、山を挟んだところに位置する国で同じフォルディ教でも解釈が違うらしい。大きな違いは『個人の努力によって恩恵も決まる』という解釈だ」
「生まれながらの恩恵だけじゃなくて、生きている内に恩恵を授かる事もあるという意味ですか?」
「そこまで詳しくはないんだが、概ねそういう意味であっていると思うぞ」
「少なくともアルティスディアよりは私たち向きな国ですね」
「ああ、俺たちの最大の不幸はこの国で生まれたって事くらいだろうな」
ノエルは自虐的に笑って見せた。
「ノエルさん、その依頼を受けて一度他国に渡ってみませんか?私は他の国にも行ってみたいです!」
「他国というならここからならウェスティアの方がよほど近いが…」
「その…この街が気になって」
ソフィアが指さしたのはセリアディスの南端にある『マーメイドコープ』という街だ。アルティスディアが全盛期だった頃にはセリアディスもアルティスディアの領土になっており、このマーメイドコープから船で南に行ったところに亜人の住む大陸ヴェルグラドがあった。カルディア暦162年にセリアディスが独立しているので、ヴェルグラドは今セリアディスの属国となっているらしい。
「人魚の入り江なんて素敵な名前じゃないですか」
ソフィアはどうやら何かの伝説などを思い出してその街が気になっているようだ。そしてこの空気は危険だ。早く修正をしないと行き先が妙な理由で決定してしまう。
「昔、本で人魚と人間の悲しい恋物語を読んだことがあるんです。ここにもきっとそういった逸話があると思うんです!」
ノエルは操気法とは違う『圧』を感じた。いけない、何か言葉を発せねば。
「ここのように海沿いの街も素敵じゃないですか!」
ダメだ、このままでは流される。ノエルの経験が物語っている。しかしソフィアは止まらない。
「きっと奇麗な街には素敵な伝説があって、それでいて切ない物語だったりするんでしょうね…」
うっとり顔でそう語るソフィアの顔を見て、ノエルは考える事を辞めた。
「明日その依頼を確認しに行きましょう!」
ソフィアはウィズダムアイルで会った時よりずっと明るくなった。感情も豊かになったように思える。それは素晴らしい事だ。ソフィアの顔を見ながらそんな事を考え始めていた。
「ノエルさん?聴いてますか?」
「あ、ああ!聴いているぞ。明日ギルドだな。うん」
「はい!じゃあ今後の事も決まったという事で今日は休みますね。おやすみなさい!」
「ああ…おやすみ」
結局、ノエルはまたソフィアに流されてしまった。やはりソフィア相手になると調子が狂う、ノエルはそうため息をつくと、寝支度を始めた。




