第10話 エレナの決断
アルティスディア国立魔法学校。多くの者は10歳から入学し基本教育から始め14歳までこれを受ける。裕福な貴族などの子は6歳から初等教育から入学する。エレナはこの幼等教育から始めており、常に学年1位を保っていた。そして今、高等教育の2年の途中であり18歳までこの教育を受ける予定であった。
カルディア歴334年3月。
エレナはあの日の決断を胸に秘め、学校へと赴いていた。学園を辞め、軍に所属する為にある人物を頼る為に。
エレナは学校の理事長室を訪れていた。先日の一件で協力を仰いだ男子生徒に対しエレナが医務室に運ばれた際の一件で聴き取りが行われたらしい。街の外で問題行動を起こしては見過ごせないという事だろうが、エレナとしても都合が良かった。
「エレナ君、君の行いは常々耳に入っている。だが今回の一件は看過できない。どういった経緯だったか説明してもらおう」
理事長の顔は険しい。だが怯む事無くエレナは自分の気持ちと考えを正直に吐露する。
「私は今まで驕っていました。学校でも街中でも彩無しや才のない者を蔑み、優秀な自分が正しいとさえ考えておりました。そんな折、ある人物に出会い理事長の仰る問題行動、彩無しに対する加害行為を行っているところを咎められ、その男に魔法を放ちましたが全て相殺されたのです」
「それで仕返しの為に街の外で襲ったと?」
「はい。そしてその男に私は斬られました。幸いその者の側にいた女性が高度な治療魔法を施してくれたおかげで命拾いしましたが、気を失った私を友人が医務室間で運んでくれたのです。男子生徒には事情を話さず許せない者が居るので協力して欲しいとだけ伝えて協力を仰ぎました。彼らが私に対して向けていた気持ちを利用しようと考えての事です」
理事長はため息をつく。そして思案した後に語り出す。
「エレナ君。君の行動はこの学校で定められた規則に違反する行為だと理解はしているかい?」
「はい。理解しております。あの時の私はただただ己のプライドを維持する為だけに動いておりました」
「なるほど。君は髪を長くのばしていたと思ったが、その髪は反省の証といった所か」
「もちろん反省はしております。ですがこれは私がこれから変わるための決意の証として自ら切りました」
理事長はその言葉を聞いてエレナの心境の変化があった事を悟り、尋ねた。
「何を決意したというのかね?」
「私はこの学校をやめ、軍に所属したいと考えております」
「ほう、しかしなぜまた急に?」
「理由は後ほどお話させて頂きますが、理事長から国へ推薦状を書いて頂きたいと思っております。もちろん待遇など一切考慮せず、一兵卒としてです」
「退学の意思と軍への志願、確かに私ならどちらも可能だ」
エレナは一呼吸をし、話す内容を頭で整理してから理事長に説明し始める。
「先日の一件、私が害していた彩無しの女性は彩のない恩恵を持った者でした。私を含めその場にいる重軽傷者をただ一度の魔法で癒すほどの高度な治療魔法の使い手だったそうです」
「だった?君はそれを見ていないのかね?」
「私はその女性を助けた男、私が3歳の時に冬山に捨てられた生き別れの兄に剣で切られ、致命傷になるほどの傷を負って意識を失っていました」
「治療魔法のおかげで助かったと。しかし君のお兄様は随分と容赦がないようだ。軍への志願は力を付けての復讐か?」
これまでのエレナの行いからそう判断されても仕方ないだろう。だが理事長の言葉はそうではない事を確認する為の物だ。
「いいえ。私は彩無しの兄に殺され、彩無しと蔑んだ者が隠していた力によって命を救われました。神の恩恵について改めて考え、今までの自分がその恩恵に頼り切り甘えていた事を自覚した次第です」
理事長はこの言葉からエレナは変わり始めようとしている意思を感じ取る。
「その事件は君にとって大きな転機になったようだね」
「はい。私はもう一度兄に会う為、その資格を得る為に変わらねばならない。そう考えたのです。その為には学校で安穏と暮らす生活を捨て、兄に及ばないまでも過酷な環境に身を置き自らを変革させる必要性を感じております」
「それが軍への志望動機だという事か」
「仰る通りです。父は貴族の権威しか頭にない者ですが、母はずっと兄を捨てるという父の決断を止められなかった事を悔やんでいます。母の為にも兄ともう一度会って話がしたい、ですが今の私のままではまた問答無用で殺されるでしょう。今度こそ確実に首を撥ねるとまで言っていたそうですから」
「お兄様は随分と君たちを恨んでいるようだね」
エレナは目指すべき存在として認めた兄の名誉を守る為に言葉を紡ぐ。
「それは違います、理事長。兄はあくまでこれまでの私の行いを見て彩無しと蔑み虐めを行うようなものが許せないのです。彼は黒髪に黒目の本物の彩無しです。しかし恩恵に頼らずとも私を軽くあしらえるほどの力を手に入れたのです。私たち家族の事は他人だとハッキリ言っていました」
恩恵を得ていない者がこの才能に溢れる少女を軽くあしらうほどの力を、ただ己の努力により手に入れられるだろうか?少なくとも自分が教え導いてもその領域に達する者は居ないだろう。少なからず恩恵は必要なはずだ。理事長はその話を聞いて初めてこの話の本質を理解した。
「お兄様は捨てられたと言っていたね。その彼は何歳だね?」
「記憶が確かなら18歳です」
2歳差、つまり5歳で天涯孤独になりそこから生きる為に努力をした結果の力だという事かと理事長合半断する。それを知っているが為に自らもまた過酷な環境をこの少女も求めているのだと理解した。
「概ね事情は把握した。今日は何らかの処分を言い渡すつもりでいたのだが、どうやら事情が変わったようだ」
「私の事は退学処分にしていただければ問題ありません。それが学校の今後の為にもなると思っています」
「自分が汚名を背負い、同じようなものが現れない様にしたいという事か?」
「どんなに神に愛されていようが、その恩恵に驕った者の末路として良いケースになると思っています」
変わった。この少女が経験した事は断片的にしかわからないが、立った数日でここまで変わるとは余程のショックだったのだろう。だがこの年齢であればまだ十分やり直せるはずだ。理事長は決心した。
「よろしい。君の決断と意見を全面的に受け入れよう。私から軍に対しての紹介状を書く。退学処分を言い渡す通知も併せて自宅へ送ろう。それで構わないかね?」
「はい。父もそれで退学ついては諦めると思います。ご迷惑をお掛けして申し訳ありません」
理事長は首を横に振り、エレナに語り掛ける。
「君は確かに成績だけは優秀な生徒だった。それだけに先が不安だったが、経験に勝るものはないな。教育者としては不甲斐ない気持ちになるが、私は君の決断と選択を応援している」
「学校の先生方も学友の一部も何度も私を咎めてくれていました。これは私が招いた結果です。理事長も含め学校の教育の問題ではないと思います。ありがたいお言葉を頂き感謝しております。これまでお世話になりました」
「本当に…いや、敢えて今は何も言うまい。これからは厳しい世界が待っているだろう。頑張りたまえ」
「お心遣い、感謝いたします」
理事長との話を終え、エレナは自宅へと帰っていった。これで準備は整った。あとの問題は母だ。
「ママ、少しお話をしてもいい?」
「エレナ、学校はどうしたの?」
「さっき理事長と話してきたの。学校は退学処分になるわ、私からそうしてもらうようにお願いしたの」
「まさか本当に軍に志願するつもり?」
「これまでの事を振り返って、私はもう今のままでは前に進めないと思ったの。私にはもっと過酷で濃密な経験が必要なの。ママ、私と一緒に王都に行かない?」
「どういうことなのエレナ?」
困惑をするイザベラに、エレナは自分が悩んで出した結論を伝える。
「パパはもう貴族としての立場しか考えていないわ。ママは私が幸せにする。お兄ちゃんとも和解できる機会をきっと作ってみせる。だから一緒にこの家を出よう?」
「私がこの家を出てもあなたの邪魔になるだけよ。それに軍に所属して王都で私を養うつもり?それは無謀だわ。あなただけで行きなさい、私はここでずっとあなたを待っているわ」
「パパの側にいても辛いだけよ。それは解るでしょう?」
エレナの言うとおりだった。エレナが出ていけばヴィクターはきっと荒れるだろう。自分もどんな扱いを受けるかわからない。まず楽な人生を送れることは無いだろう。しかし娘の邪魔になる様な事をしたくはない。イザベラは迷っていた。
「ママ、王都で働き口を探してパパから離れましょう。パパだって王都には顔を出せないはず。辛い道になるけど、すぐに楽に暮らせるように私は頑張るから」
「エレナ…少し考えさせて。すぐには決められないわ」
「わかった。でもそんなに時間はないと思うの。学園からの退学処分の通知と一緒に軍への推薦状が届く手筈になってるからそれまでに決めて欲しい」
「分かったわ」
イザベラの表情は硬い。それはそうだろう、イザベラもまた元は貴族の令嬢だったのだ。王都で平民として暮らす事が出来るか不安なのだろう。
それから退学処分の通知と推薦状が届く迄、なるべく父との接触を避けて生活をした。父は夜以外は家にいる事は少ないのでそれほど難しい事でもなかった。そして一週間後、通知と推薦状が届くと母を連れ出しエレナは王都へと向かった。父には手紙と退学処分の通知だけを残して。




