第八章 出世と家族 後編
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第八章 出世と家族 後編
1
ホスワード帝国歴百二十年三月。漸く北方の城塞オグローツ城は完成した。
前年六月の戦いで、上級小隊指揮官に昇進したガリン・ウブチュブクは、建築の手伝いや、周辺偵騎を主任務としていた。
この戦いでエルキト帝国を完膚無きまでに叩きのめしたので、偵騎でのエルキト帝国の動向は、離反や反乱する部族の討伐が主で、とてもホスワード帝国に手が出せる状況では無い事が判った。
年が明けた一月には、ガリンと同じくあの戦いで、上級小隊指揮官に昇進したティル・ブローメルトは、下級中隊指揮官、つまり士官への昇進が決まり、中央軍へと転属する。
ティルはガリンと同じく、この百二十年で二十一歳に為る。だが彼は名門軍人貴族のブローメルト家の出なので、少しの功でも出世対象とされる。
又、オグローツ城を統括しているのは、彼の父である将のフィン・ブローメルト子爵。
異国からホスワード軍に入ったガリンが士官に為るには、もう単純な武功だけで無く、人物像も精査の対象とされるだろう。
一月の別れ際、ガリンとティルは寒風吹きすさぶ中、互いの息災を誓い合った。
「ブローメルト指揮官。若し将と為られましたら、是非とも小官を旗下に加えて下さい」
「ガリンよ。其の話は覚えて於こう。其れと今後とも二人きりの時は、地位に因らない言葉使いをしたい」
「判った。新しい任務でも君が成功する事を祈る」
「こっちもだガリン。君だって将に為る可能性は高い、と私を思っているからな」
こうしてティルは部下たちを率い、帝都へと発った。
こうして完成したオグローツ城だが、オグローツ城を中心に東西に続く見張り塔の整理もしなくては為らない。
オグローツ城に近い塔は撤去。其の代わり離れた箇所は、最大で百名の兵が住み込みが出来る塔や小規模な城塞へと増築。
これ等の塔には、滞在していた将兵たちの記録も残っているので、全ての塔からオグローツ城内の資料棟に、この種の人事録等の書類を収容し、北方防備の記録はバルカーン城で一括管理する。
ガリンも部下たちを率いて、これ等資料の運搬の任務に就く。
「…そう云えば、母さんの父親のホスワード兵は、これ等塔群での駐在任務が主だった筈だ。調べればこの人物について少しは判るのかな?」
ガリンの母ソルクタニの父。つまり彼の祖父はホスワード帝国の北西地区の守備兵だった。
だが、ガリンが調べ様にも、この祖父の姓名を知らないし、何より下士官には其の様な資料閲覧の権は無い。
ガリンがホスワード軍に入って、万を越える兵が参加する戦が発生したが、この百二十年から暫く、この様な大戦は発生せず、北のエルキト帝国とも西のバリス帝国とも、多くとも互いに五千を越える兵による、散発的な戦しか起こらなかった。
時にはお互い数日睨み合って、合わせた様に互いに退却する事もしばしばであった。
又、和平を結んだ南のテヌーラ帝国とも、ドンロ大河上で小規模な武力衝突も起こしている。
然し、この頃からホスワード軍が最も力を入れていた討伐相手は国内の流賊であった。
フラート帝即位後の負の面、とも云うべきか。
失陥した領土回復や城塞建築に多くの兵や職人を投入したが、大軍に為れば、如何しても軍紀を行き渡らせるのが困難だ。
其れでも破綻せず運用し、旧領を回復し、更に勢力範囲拡大を納めたのだが、以前より一部の脱走兵が野盗と為り、国内の人里離れた箇所を根城にして、近辺の村落を襲っていたのだ。
ホスワード帝国軍の任務も、国内の流賊の討伐が主と為って行く。
討伐を行なって判って来た事だが、これ等流賊たちは、北ではエルキトの脱走兵と手を組み、西ではバリスの脱走兵と合流し、南ではテヌーラの脱走兵と結託している様だ。
和約したテヌーラとの小競り合いが続いているのも、この様なホスワードとテヌーラの賊が、ホスワードとテヌーラを問わず、暴れ回っているからである。
未だ推定の段階だが、国力を伸張させたホスワード帝国に対し、これ等のホスワード国内の流賊をエルキト帝国、バリス帝国、そしてテヌーラ帝国が密かに援助しているとの話も出ている。
五十騎を率いるガリンは、主にホスワード帝国北方の数十人から百人以下規模の流賊の討伐を命じられた。
先ず被害に遭った村落から、襲撃者の規模と去った方向を聞き出し、偵騎が其の近辺を捜索し、根拠地が判明したら出撃だ。
又、ガリンたちの偵騎もこう云った流賊の根拠地を捜索する事が主と為り、発見次第ガリンを先頭に制圧に乗り出す。
百二十二年が終わる頃。ホスワードの北方の流賊に対しては、ほぼ壊滅に成功する。
ガリン・ウブチュブクの部隊が過半を制圧していた。
2
此処まで来ると、ガリンの士官昇進の話も出て来た。ガリンを昇進させて、西方や南方の流賊の討伐に当たらせるべき、との主張が出れば、士官昇進は当然だが、オグローツ城に滞在させて対エルキトの戦力に使うべきだ、との主張も出た。
オグローツ城司令官ブローメルト将軍は、ガリンの功績を正確に纏めた物を、帝都の兵部省に提出して、判断は中央に任せた。
ブローメルト将軍は、ガリンの活躍をこの様に正確に帝都に報告していたが、ある賊をガリンの部隊が討伐した時に、奇妙な報告を受けた。
「司令官閣下。討伐した賊から、奪われた貴重品を村落に戻していたのですが、これ等の書や器具は、村の人々から、『自分たちの物では無い』、と言われました。これ等は如何処分致しましょうか?」
当然、ガリンは賊討伐後、金品や物資を奪われた人たちに確認を取って、返却していたのだが、賊たちの私物なのだろうか、不思議な書物と、祭祀用の様な器物だけは押収したままである。
将か、獄に繋がれている賊たちに返却すべきなのか?
この顛末を直属の上司に告げると、彼はブローメルト将軍に取り次ぎ、将軍に直接報告する事を命じたので、ガリンは司令官棟のブローメルト将軍の執務室にて、これ等を提示した次第である。
暫く険しい顔を続けていたブローメルト将軍だったが、ガリンに向き直り、労いの言葉を掛けると、当該物は「私が預かる」、と言い、退出と休息を告げた。
「…これ等はヴァトラックス教徒の経典や神具?流賊を裏から操っているのは奴らなのか?」
ブローメルト将軍はこれ等を纏めて、この賊たちと共に、帝都へ護送する事を部下たちに命じた。
フラート帝が即位して先ず行ったのは、大規模なヴァトラックス教の弾圧だ。
特に彼の父帝のマゴメートを操っていた悪辣な指導者たちは全て処刑した。
当時少年だったフィン・ブローメルトも、この時のホスワード帝国の混乱を直に体験していた一人である。
帝都ウェザールの皇宮の閣議室で、御前会議が開かれたのは、帝国歴百二十二年十一月の半ば。この数日前にオグローツ城のブローメルト将軍から、十数人の賊徒が護送され、一連の器物も届いていた。
参加者は皇帝フラート・ホスワード。武官からは兵部尚書のラドゥ・ガルガミシュ子爵、兵部次官のラグナール・ホーゲルヴァイデ伯爵、大将軍のクレーメンス・ワロン伯爵。
文官からは刑部尚書のデヤン・イェーラルクリチフ、帝国宰相のライデュース・ロドピーア侯爵である。
この年でフラート帝は六十二歳。二年前に兵部尚書に昇進したガルガミシュ子爵は六十六歳。後任として、西のバルカーン城司令官から、兵部次官に就いたホーゲルヴァイデ伯爵は四十五歳。そして同じく矢張り二年前に大将軍に抜擢されたワロン伯爵は四十二歳。
刑部尚書のイェーラルクリチフは三十五歳の若さだが、この年に閣僚に抜擢された。然も彼は爵位の無い勲士階級なので、尚書就任後に一代限りの男爵に叙されている。
帝国宰相のロドピーア侯爵は、この年で六十三歳。フラート帝の治世で高位に就いている、数少ないプラーキーナ系貴族と呼ばれる貴人で、彼は若い頃から、法を初めとする実利的な分野の学問に励み、フラートが帝位に就く前から、彼を支持をしていた人物である。
フラート帝の前の第四代皇帝マゴメート時代。彼の治世は怪しげな秘儀集団ヴァトラックス教徒の意のままに為っていた。
更に彼らをマゴメート帝に紹介したのは、プラーキーナ系貴族と呼ばれる、公爵や侯爵と云った高位の貴族たちだが、ホスワード朝成立以来、彼らは実権無く冷遇されていた。
処が、このマゴメート帝時代は、この内政や外交や政略に疎いプラーキーナ系貴族が重職を担い、国の指針はヴァトラックス教徒の高位の指導者たちが、マゴメート帝を操り動かし混乱を極めた。
其れを一掃したのが、事実上帝位を父帝から奪ったフラートだが、ヴァトラックス教徒と繋がりの強い貴族たちは帝都から追放。末端の教徒たちも辺境地域へ追放されている。
処刑を最小限にしたのは、これはホスワード帝国と友好的な遥か西に在る、ラスペチア王国の心証を悪くさせない措置である。
ラスペチア王国はヴァトラックス教を国教としており、彼らとの通商関係を悪化させない為だ。
尤も、ラスペチア王国はもうかなり前から、信仰形態は俗化していて、特にこのホスワード帝国のヴァトラックス教徒の弾圧については関心を払わなかったが。
先ず、刑部尚書のイェーラルクリチフが、帝都に護送された賊の供述を纏め語った。
「彼らの大半は末端の教徒の生き残りの様です。ですが教本や神具は追放時に取り上げてあります。其れ等を彼らに渡したのは、三人組の正体不明の人物たちだったと」
「正体不明、とは如何云う事だ?刑部尚書」
宰相ライデュース・ロドピーアが問う。
「全身を灰白色の外套に身を包み、顔も判然としなかったとの事。但し一人は壮年の男。一人は四十近くの女性。残る一人は明らかに十代前半の少年、との供述を得ています」
「三人は家族と見て間違いないな。年齢的な事を考えると、中心人物の其の父親が教団の指導者の生き残った息子の可能性が高い」
フラート帝は処刑したある指導者の息子を捕えていたのだが、数年後に彼は脱走したとの経緯を想い出した。
「金銭的な援助は追放した貴族共かと。彼らの捜索をすべきと愚考致します」
兵部次官のホーゲルヴァイデが皇帝に奏上し、大将軍のワロンも同意する。
追放した貴族たちは、ホスワード帝国の南西部のクラドエ州に集中している。
当州の北の静かな保養地だが、彼らは半ば当地で軟禁されている状態だ。
「確か定期的な調査はしているのだろう」
「大貴族故、其処まで踏み込んだ調査はしておりませぬ。陛下の勅命とあらば、詳細な捜索が出来ますが」
ガルガミシュの返答を聞くと、フラート帝は了承し、クラドエ州に居を構える大貴族の捜索の勅命を下した。
3
捜査の対象が大貴族たちなので、皇帝の勅許状を該当貴族毎に用意し、人員も刑部省の高官だけで無く、典礼省の高官も選抜され、彼らを護る将兵も高級士官が指揮する。
十二月に入って、これ等のクラドエ州貴族捜査集団は、帝都ウェザールより出発した。
同じく帝都より、オグローツ城のフィン・ブローメルト司令官に兵部省から書状が届いた。
其れは来年一月中にガリン・ウブチュブクを士官昇進とし、中央軍に彼を所属させる、と云う物だった。
ガリンはブローメルト司令官から直接説明を受けた。
「卿の場合、士官昇進は帝都の兵部省で詳細な手続きが必要だ。部下に関しては引き続き卿が今まで率いていた五十名と、中央から五十名が追加配属と為るが、正式な士官昇進まで、卿の部下たちは、私が預かるが異存は無いな」
つまりガリン一人で帝都の兵部省へ行く訳だ。不安そうなガリンの顔を見てブローメルト将軍は、こう付け加えた。
「息子、ティル・ブローメルト上級中隊指揮官に案内する様に頼んである。ウェザールでは我が邸宅で過ごすが好い」
「閣下のお宅でお世話に為るのですか?小官の様な者に対してこの待遇、大変嬉しく思います!」
久しぶりにティルに会える事も有り、ガリンは力強く敬礼をした。
年が明け、帝国歴百二十三年一月四日。ガリンのウェザールへの出発日である。
ガリンの部隊は前年の二十九日から完全休暇だったので、三日までガリンは部下たちと飲食をして年越しとガリンの士官昇進祝いを楽しんだ。
「ウブチュブク隊長!あんたなら高級士官、いや!将にだって為れる!俺は其の姿を見届けるまで、あんたに付いて行くぜ!」
そう酔っぱらってガリンに絡んだのは、部下のユースフ・ダリシュメン。年齢はガリンの五歳上なので、この年で二十九歳だ。席次は中級小隊指揮官である。
ガリンたちがオグローツ城内の炉の在る暖かい宴席用の棟で、年越しの祝宴を行なっていた時、城外では猛吹雪が延々と続いていたが、出発日の四日はほぼ晴れ渡り、北風も微風だった。
但し、地は一面の雪。吐く息は視界を遮る様な白。だが、北の生活に慣れたガリンには、何ら不都合は無い。愛馬に跨り、雪中を物ともせずに、ガリンは最小限の荷物で、オグローツ城の南門から出発した。
ユースフを初めとする部下たちが、南門で何時までも手を振り、大声でガリンへ挨拶を続けるので、ガリンはゆっくりと後を向きながら騎行し、彼らに手を振り続けた。
ガリンの騎行は順調で、途上の宿泊は軍施設と呼ばれる、軍関係者なら無料で宿泊可能な施設だったが、ある夜、近辺に軍施設が無かったので、近くの村落の宿屋に泊ることにした。当然金銭は発生する。
「宿屋か、将か俺が利用する側に回るとはな」
そう、ガリンは出身国のクミール王国では、住み込みで宿屋の従業員をしていた。
この寒さの中でも、旅商人らしき人たちがちらほら見られる。ガリンが目を奪われたのはある三人組である。
五十過ぎの男性と四十位の女性、そして十代前半の少年だ。この様に家族で旅商人を遣っているのは、随分珍しいな、とガリンは思った。
たまたま食事時に近くの席だったので、「エレク」と息子の名を呼ぶ母親の声をガリンは聞いた。
翌朝、ガリンがこの宿を出立した後の事である。例の親子三人が宿前で話し込んでいた。
「如何やら、各地の流賊に資金援助をしていたのが、我ら教団員と気付かれたらしい。私は一人で大規模な流賊の結集に動くので、お前たちはスーア市に逃れろ」
「父上!私にも其のお役目の手伝いを!」
「不可だ。エレク、妻を…母親を頼んだぞ」
そう言って男は妻と息子に今後は妻の姓の「フーダッヒ」でスーア市で生活する事を命じた。
士官手続きの日が十三日。雪道を奔るので、ガリンは余裕を持って出発した。周囲の風景は雪景色が続くが、主要な道路は、馬車や歩行者やガリンの様な騎行者の往来が、ウェザールに近付くに連れ多いので、雪は自然と道の左右に分けられ、踏み固められていたので、ほぼ通常の速度で進み、予定していた十一日到着の前日の正午前に帝都に着いてしまった。
ウェザールの正門である南門からガリンは入城し、愛馬を近辺の厩舎に預けた。
「…さて、如何するか?」
だが、ガリンはウェザールの規模に圧倒される。
正門から真っ直ぐに幅二十尺の道が、五里近くは奥の皇宮まで伸び、左右は様々な商店街で賑わっている。
「凄いなぁ…。そりゃあラスペチアやクミールの人たちも此処で商いをしたい訳だ」
少年時代。宿屋でウェザールから帰って来た商人の話を想い出すガリンであった。
北へ歩くと左右には小道が等間隔で伸びていて、店舗や工房が見えない程並んでいる。
暫し進んだガリンは、五歳にも為らない小さな子供から、勢い好く声を掛けられた。
「其処の大きい兵士さん!宿をお探しですか?其れともお食事で?どうぞ我が『ニャセル亭』へ!」
「『ニャセル亭』?随分変わった宿名だな?」
「はい、僕はレムン・ディリブラント。『ニャセル』とは僕のお爺ちゃんで、宿の創業者の名です!」
「こらっ、レムン!お前はまたそんな事をしているのか!大人しく部屋に居ろ!」
怒鳴って現れたのは、主人のニャセル・ディリブラント。初老の如何にも商売人らしい愛想の好い顔をして、ガリンに孫のレムンについて謝る。
「ガリン!久しぶりだな!」
声を掛けられた方向を見ると、ティル・ブローメルトの姿が在った。軍装で緑の縁無し帽子には三本の鷹の羽がついている。これからガリンも同種の軍装で羽根が一本に為る予定だ。
「ブローメルト指揮…、いや、ティル。如何して此処へ?」
「何となく君が到着する頃だと思ってな。昨日もこの辺りを昼から日が暮れ始めるまで居たんだ」
「其れは手間を掛けさせて済まないな」
「さて、我が家に行くが、ずっと北だ。馬車を使うか?」
「いや、歩きで充分だよ」
「母上には大飯ぐらいで大酒呑みの大男が、暫く厄介に為ると伝えてある。遠慮せず我が家で寛いで構わんぞ」
北へ進むに連れて喧騒は静かに為り、大きな家々が立ち並んでいる。そんな邸宅が並ぶ一角にティルはガリンを連れて帰宅した。時刻は午後四の刻近くで、空の半ば以上は闇に包まれつつある。
「お帰りなさい、ティル。この方がウブチュブク様ですね」
二十歳位の若い女性が玄関で出迎えた。
「紹介しよう。マリーカだ。実は私は今年中に彼女と結婚する予定でね」
ガリンは姿勢を正し、マリーカに丁寧に挨拶をしたが、ティルもマリーカも笑っている。
「将か子爵家の息子の許嫁だから、私を良家の令嬢かと思ったのですか?私の父は勲士階級で、母に至っては平民ですよ」
「因みに我が母も似た様な出自だ。余り畏まらずとも好いぞ」
住人は住み込みの使用人も含めて十名。二名の男性使用人たちは主に邸宅内外の力仕事をしている。
客室も幾つも在り、改めてガリンはホスワード帝国の貴族の規模に驚いた。
十名以上は席に着ける広い食堂の卓には、様々な料理が並び、湯あみを終え事前に用意された室内着を着たガリンは卓に座る。
ティルとマリーカ。そしてこの邸宅の主人のフィンの妻のアマーリエの四名が揃って、夕食が始まった。
五合(五百ミリリットル)の麦酒をガリンが飲み干すと、杯が置かれ、赤葡萄酒が使用人から注がれる。
食事中の会話は、アマーリエとマリーカが西方のクミール王国等の話に興味を持ったので、ガリンが色々と話しては、彼女たちは感心したり、驚いたりして、和やかな雰囲気で終始した。
十三日の午前に、ガリンはティルに案内されて、兵部省へと士官昇進の登録へと赴く。
ブローメルト邸等の貴族の邸宅地を更に北に進むと、官公庁の建物が並んでいる。其の内の一つ、兵部省の建物にガリンたちは入った。
一階の手続き場で、ティルが職員に登庁の目的を話すと、控室での待機を命じられた。
「四階の人事次長の部屋へ来る様に、との事です」
そう言われたガリンはティルの案内で、人事次長の部屋に入る。部屋の中の者はティルも同席して好い、と言葉を発する。
人事次長はヨギフ・ガルガミシュ将軍であった。ヨギフはこの年で三十四歳。三年前に将に任ぜられた。
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「久しいな、ガリンよ。卿の事は好く知っているが、まぁ決まりでな。この書類に卿の生誕地や生年月日、知ってる限りの家族構成を記載して欲しい」
右拳を左胸に当てて敬礼したガリンとティルに、ヨギフは「座って楽にするが好い」と長椅子に座る事を命じ、職員に人数分の茶を出す事を命じた。
ガリンが書類に記載して、ヨギフに提出する。父親を書く欄は「不明」だ。
ヨギフは了承の署名をして、これも職員に渡す。これで手続きは終わりだが、ヨギフは三人で歓談したい様だ。
「これは我が父、ガルガミシュ尚書から聞いた話だが、卿ら二人は近い内に大規模な流賊の討伐を命じられるかも知れん」
「我が部隊の規模はどれ程と為りましょうか。次長閣下」
「うむ。ティル卿。先ず卿の部隊の五百と、ガリンが所属する五百の部隊。両部隊を統括する下級大隊指揮官による千の兵と為る。其の総指揮官はグィド・キュリウスだ」
グィド・キュリウスは、今ホスワード帝国でティルと並んで、若手軍人貴族の英才として知られている。男爵家の生まれで、年齢はこの年でガリンたちの三つ上の二十七歳だ。
「小官の直属の上司はティル卿では無く、別の方なのでしょうか?」
ガリンが疑問を呈すると、ヨギフは悪戯っぽい笑みで、室内に居た自身の副官に、或る人物を呼ぶ様に命じた。
暫く経って人事次長の部屋に入室した人物を見てガリンは驚く。
「ルーマン指揮官…!」
エゴール・ルーマン。曾てガリンが少年の頃にホスワードの武芸書を与え、ガリンがホスワード軍に入隊した便宜を図った人物である。
平民出身の彼はこの年で四十三歳。経験豊富な彼が若いキュリウスを補佐する。
「ガリンが見習い兵に為った時、俺は中級中隊指揮官。そして今貴官は下級中隊指揮官で、俺は上級中隊指揮官か。以前にも言ったが、あと数年の内には追い抜かれ、部下と為るだろうな」
二月に入ると、ユースフたち五十騎もウェザールに集まり、追加配属された五十騎も決まった。
百騎の部隊の指揮官と為ったガリンは、流石に以降は練兵場の兵舎で過ごす。
エゴールの部隊は全軍騎兵で、ティルの部隊は士官は騎乗しているが、全軍歩兵だ。
用兵としてなら、平地ではティルの歩兵部隊が敵軍を迎え撃ち、左右のエゴールの騎兵が回り込み包囲殲滅。或いは、複雑な地形なら、騎兵が突撃反転し敵軍を釣り出し、伏兵としてティルの歩兵部隊が急襲、と云った事が行なわれるだろう。
実際に、キュリウス指揮官は、この二つの用兵運用を調練で実行していた。
「騎兵を左右に二分して分けた場合だが、一方を私が担当し、もう一方をウブチュブク指揮官が担当する。其れに伴い、非公式ながら我が部隊の副帥をウブチュブクとする」
エゴールは説明した。左右に二百五十騎ずつ展開する場合、一方は自分で、もう一方はガリンだ。其の際に、ガリンの百の部隊の半分はエゴールの部隊に入るが、ガリンは自身直属の五十騎と他の下級中隊指揮官の二名の兵二百騎を率いる。
ティルとエゴールの直下には、五名の下級中隊指揮官が居る編成の為、ガリンは事実上のエゴール部隊の副隊長だ。
当然、自部隊を分けた場合のガリン直下の五十騎は、ユースフたちオグローツ城から来た古株たちである。
ある日の調練の休憩時、ガリンはティルと二人きりで話し合っていた。
「ガリン、君は結婚する気はないのか?」
「結婚?仮に今していて、子供が生まれていたら、俺の任務上、敵兵へ先陣を切っての突撃だ。戦死の可能性が高い。家族を持っていたら、迷惑を掛けるだけだよ」
「そうか。君が家族を持つのは、大軍を率いる高位の指揮官と為ってからかな?」
「さて、其れは何時の事やら」
四月に入り、帝都ウェザールに急報が届いた。
其れはバリス軍がメルティアナ州に迫っている事と、同じメルティアナ州で千を越える流賊の決起が発生した事だ。
「同時期とは、これ等は繋がっている、と見るべきか」
「即座の鎮圧が必須だが、どの軍を使う?」
更なる情報をウェザールの中枢部が得ると、バリス軍の侵攻はメルティアナ州の北西部のスーア市に対してで、規模は歩騎五千。賊はメルティアナ州の東側で、やや北寄りの中部を拠点としている事が判った。
メルティアナ州はホスワード帝国で一番の領域を誇る州である。
北西のスーア市には、直ぐ北のメノスター州のバルカーン城から、一軍の出撃。
賊には、規模からグィド・キュリウスの軍が派遣させる事が決まった。
現在のバルカーン城司令官は、ラグナール・ホーゲルヴァイデの元で主席幕僚を務めていた、トゥムスン・ラスウェイで、ホーゲルヴァイデの異動後に後任の司令官と将と為っている。
経験豊富な四十八歳の人物だ。彼の息子はムラトと云いこの年十八歳。帝都の軍学院で学んでいて、来年の一月で卒業し軍務に就く。
「スーア市はラスウェイ将軍が必ずやバリス軍を駆逐する。我が軍は賊の討伐に傾注するのだ」
キュリウスが旗下の軍を鼓舞し、出陣の合図をした。
既に、兵の迅速な展開の為に、ウェザールからメルティアナ方面の河川や運河や主要道路は、宰相府の通達で、民間による使用時間の制限が出されている。
ホスワード帝国歴百二十三年四月七日。ガリン・ウブチュブクは士官と為って、初めての戦いに挑む。
キュリウス率いる歩騎千の軍は、先ずウェザールの西隣の練兵場から、南西に進路を取り、事前に準備された輸送船団に乗り込み、河川や運河を主とした水路にて、メルティアナ州へ進む。
賊の拠点近辺への到着予定は三日後だ。既に近隣住民には避難要請が出ていて、彼らはメルティアナ城へ向かっているとの情報も得ている。
戦いの場は恐らく民間人は居ないだろうが、彼らが跡にした村落の居住区や田畑は其のままだ。
民間人の生活の場を荒らす事無く、敵を討つ。
単純な武勇よりも、戦い方が問われる戦に対して、ガリンは身が引き締まった。
第八章 出世と家族 後編 了
本伝で出てくる登場人物の若き姿や、全くの新規登場人物が出てきたりして、書いててこの辺りからプロットを書いたメモ帳を見ながら、確認しながら書いていた記憶があります。
外伝の作成は難しいです!
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