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第六章 各地での任務 後編

 早くも部下を持つ身となったガリンです。

第六章 各地での任務 後編



 ホスワード帝国歴百十九年四月の中頃。この年の六月で二十歳を迎えるガリン・ウブチュブクは、緑の下士官の軍装に身を包み、灰緑色の十名の部下が付き従う。

 場所は帝都ウェザールの西の練兵場。ガリンを含め十一名は全員騎乗している。

 馬を駆けて、ガリンの号令の元に、一糸乱れぬ進路変更等をする軽い訓練だ。


 この前日にガリンの新たな軍装と、十名の部下が決まったのだが、十名とも全員二十代。最年長でも今年で二十七歳、と聞いているので、何とも若い小部隊だ。

 この小部隊の編制には、上級大隊指揮官で、兵部省の人事部の高官と為った、ヨギフ・ガルガミシュが関わっている。

 半数はガリンとヨギフと共に来たメルティアナからの兵でなので、彼らはガリンの力量を知っている。

 もう半数は北方のエルキトに出自を持つ亡命者や、或いは其の子弟なので、騎射の腕前に自身が有り、自分たちの上位のこの年少の大男に対して、何処か挑発的、とまでは行かなくとも、完全にガリンの力量を認めている訳では無かった。

 ガリンも薄々其れは感じているが、力ずくで彼らを屈服させる発想は彼には無い。

 正しい軍令と、自身が隊長として、一番の働きをすれば、全員が認めてくれる筈だ、と問題視しなかった。


 四月も終わる頃、練兵場では北に向かう二千騎が揃い、この部隊を統括する中級大隊指揮官が部下たちに連絡を発した。

「明日、陛下が我が部隊をご視察為される。諸卿らは通常通りの振る舞いをせよ、との陛下からのお言葉だ」

 皇帝は普段の兵の状態を見たいのだろう。

 この中級大隊指揮官は、スミレツ・バールキスカンと云い、彼もエルキトの部族の血を濃厚に持ったホスワード軍人だ。更に彼の妻はエルキトから亡命したとある有力者の娘で、この年に八歳に為るマグヌスなる息子がいる。当のスミレツはこの年で三十四歳。地位は勲士階級だ。


 将兵には軽い緊張が走る。普段の振る舞いをせよ、と言われても皇帝陛下の前で其れが可能な訳が無い。

 流石のガリンも緊張を覚えた。

 翌二十七日。午後三の刻に皇帝が来るので、バールキスカンの部隊は皆昼食を終えると、集合時間まで自由時間とされたが、何とも全員そわそわしていた。

 集合時間とされた午後三の刻の四半刻(十五分)前に、バールキスカンの部隊は全員騎乗して、其のまま全体演習を始めた。


 程無くして、数騎が練兵場に現れる。其れを確認したバールキスカンは演習を止め、一騎でこの騎乗の一行を迎える。

 フラート・ホスワード第五代皇帝を初めとする一行だった。

 皇帝一行は騎乗したままのバールキスカン部隊に向かう。

「未だ下馬せずとも好い。其のまま陣列を崩さぬ様に」

 静かだが、好く通る声にてフラート帝は命じた。二千の騎兵隊が微動だにせず、待機状態が出来る事を確認したいらしい。ある意味、生粋の軍人の様だ。


 フラート帝に付き従うのは、先ず左右に二名。二人とも白を基調とした軍装で、一人は近衛隊隊長、一人は侍従武官兼皇帝副官だ。

 背後には濃い緑の高級士官以上の面々が見える。一人はバールキスカンだが、ガリンは其の中にヨギフが居る事を確認し、更にヨギフを三十歳程年を取らせた人物も居る。ヨギフの父親だろうか。

 フラートは帝冠も被らず、軍装も高級士官や将が身に纏う濃い緑だが、上に羽織った肩掛け(ケープ)だけが白で、この肩掛けには背後の三本足の鷹を初め、各所が金銀で豪奢に刺繍されている。

 フラートはこの年で五十九歳。端正な細面の顔付きは、寧ろ剛直な文官を思わせ、やや白い物が目立つが、明るい茶色のふさふさとした髪、静かに輝く瞳は少し青緑がかった明るい灰褐色だ。


 フラートが下馬すると、バールキスカンが「全員下馬して、陛下に敬礼!」、と鋭く命じたので、ガリンたちは下馬し、直立不動で右拳を左胸に当てて敬礼を施す。

 フラートは将兵の敬礼姿よりも、馬がこの状況下に一頭として狂奔せず、大人しくして居る事に満足げな表情を浮かべる。

 フラートは侍従武官に自身の愛馬を預け、近衛隊隊長も下馬して其の後に続き、ヨギフを初めとする軍の重鎮たちも下馬して続く。彼らの馬は三名の近衛隊員が預かる。

 六十近いがフラートの姿勢や歩みは青年の様で、身の丈は百と八十五寸を少し超える。

 若干細身ながらも、長年戦場を駆けて来ただけあって、力感も感じる身体付きである事が軍装ごしでも判る。



 皇帝が歩きながら、言葉を発した。

「スミレツ・バールキスカン。この短期間に見事な部隊を揃えたな。…いや、ヨギフ・ガルガミシュ。卿が選抜した勇士たちが元々見事なのかな?」

 バールキスカンとヨギフは恭順に首を垂れるだけである。

「陛下。バールキスカン指揮官の功でしょう。余り我が息子をお褒めに為らぬ様」

 そう言った人物は、皇帝より若干背が低く、其の分体の厚みがある。年齢も少し上の様だ。

 兵部次官で将のラドゥ・ガルガミシュ子爵。ヨギフの父親だ。

 フラートより四つ上のラドゥは、若き日にフラートが帝位を事実上簒奪したウェザールでの決死隊の百人の内の一人で、腹心として其の役割を果たした。以降もフラートの信が高い武将で軍官僚である。

 三年前の六十に為る年に、ラドゥは武衛長から兵部次官に出世している。


 皇帝の静かな青緑がかった明るい灰褐色の瞳をした眼が、一人の人物に留まった。

 当然であろう。其の者は身の丈が二尺を越え、がっしりとした体躯、だが顔付きは少年期を脱するかと云う造りで、更に身に付けているのが下士官の軍装だ。

「卿は軍学院を出たばかりかな?軍学院には、余は度々視察しているので、大抵の卒院した者は覚えているのだが…」

 皇帝がガリンの目の前に進み出て、彼に問うている。其の様子を見たヨギフは説明が必要だと、小走りで皇帝の傍へ近づく。

「臣は軍学院は出ておりません、皇帝陛下。ガリン・ウブチュブク下級小隊指揮官であります」

「…陛下、説明したき儀が」

 進み出たヨギフがガリンの氏素性と、ホスワード軍に入隊した経緯、そして自分が彼を下士官に任命した事を述べた。

「異国の地より入隊した若者ですが、其の勇敢さ、誠実さ、忠義さ、どれもホスワードの兵として相応しい物を持っております。将来は彼がホスワード軍将兵の軌範と為る逸材だ、と臣は確信しております」


 ヨギフの説明中に、ガリンは拝跪しようとしたが、フラートは其れを押し止める。

「うむ。本朝(わがくに)はクミール王国とは友好を保っている。卿が更に上級の指揮官と為ったら、クミール王国の使節団長を任せよう。ガリン・ウブチュブクだな、憶えたぞ。尤も卿の様な者を忘れる方が難しいがな」

 皇帝は軽く笑うと、ガリンの広い肩を軽く叩いた。

「ご、…御聖恩、感謝致します」

 果たしてこの返答方法は合っているのだろうか、とガリンは思いながら、拝跪が止められたので、恭順に首を垂れた。

 皇帝は笑顔のままで、安堵したヨギフもガリンに首を上げる様に指示し、笑顔で彼も皇帝が叩いた逆の肩を軽く叩いた。


 フラートの視察は二刻にも及んだ。だが、二千の兵全てにガリンの様な対応は不可能な時間だ。皇帝は最後にこう言って、供回りと騎乗し、帝都へと去って行った。

「貴重な時間を取らせて済まぬな。本来なら全員と話し合いたかったが、余は宮中での政務を行なわねば為らぬ。諸卿らの武勲と息災に期待する!」

「全員、騎乗して敬礼!」

 バールキスカンが指示すると、二千の兵は一斉に騎乗して馬上で右拳を左胸に当てる敬礼を施した。


「隊長、貴方も異国よりの出身者だったのか。其れも母親が我らと同じエルキトの部族の血を引いているとは」

 ガリンの部下の半分に当たる五名のエルキト系の代表者が述べた。

「そうだ。先程ガルガミシュ指揮官が仰った様に、貴方たちよりも、俺の方がよっぽど怪しい出自だ」

「…今までの無礼、失礼致しました。ウブチュブク隊長に我ら五名の忠誠を捧げます。いいな、お前たち!」

 後半は残りの四人のエルキト系の兵に言った。彼が代表者の様だ。四名も素直に恭順の意志を示した。

 この兵の名は、ユースフ・ダリシュメンと云い、この年でガリンの五つ上の二十五歳だ。

 彼とガリンが並ぶと、彼の頭頂部はガリンの眉の辺りに位置するので、かなりの長身だ。


 五月三日。スミレツ・バールキスカン中級大隊指揮官率いる騎兵二千は、北方のエルキト帝国との国境地帯へと出発した。

 目的地は北方の城塞のオグローツ城だ。この城塞は兵馬一万を収容出来る城塞なのだが、曾ての西のバルカーン城と同じく未だ建造途中である。

 この様な軍事要塞の完成を、エルキト帝国が大人しく見物している訳等無く、彼らはしばしば建築の邪魔をする様に襲撃を繰り返していた。

 バールキスカン部隊は、このエルキトの襲撃部隊を迎撃する部隊として編成されたのだ。

 つまりガリンの役目は、先のバルカーン城の様な建築の手伝いはせず、純粋な戦闘員としてのみの活動が主と為る。



 バールキスカン部隊は練兵場より北へ向かう。

 ガリンはふと右側。つまり帝都ウェザールを見る。城壁に囲われた都市なので、内部は判らないが、最も北面に塔群が聳え立っている。北に対する見張り塔で、一番高い塔は九十尺を越える。国境は大きく北に広がっているが、フラート帝の登極直後はしばしばエルキト軍が、この辺りまで劫掠に来ていたのだ。往時は四六時中あの塔群に、見張り兵が常駐していたらしい。


 二千の騎馬隊と、四輪の二頭立ての輜重車二十輌は、西から東へ流れるボーンゼン河の南岸に到達する。

 これ程の規模の騎馬隊と輜重車でも、余裕を持って渡れる、石造りの堅牢な橋を渡る。

 この橋はエルキト勢力を北へ追い払ってから、造られ始められた。つまり以前は、ボーンゼン河を渡河するには、大量の輸送船を必要としていたのだ。

 実は当時、この橋の建設には反対意見も多く、其れは騎兵で構成されるエルキト兵に対する天然の防壁として、ボーンゼン河に渡河地点を築かせない為だったが、即座に軍団を北へ移動させるのと、平時は商業活動を活発にさせる為、北から来る商人たちをウェザールに容易に来て貰うのが目的で、結局造られた。

 因みにフラート帝は在位中に、この種の土木建築を大いに行っているが、其の元と為った石材等の大半は、彼が帝位を奪った父帝マゴメートの時代に造られた、意味のない宮殿群を解体した物からである。


 歩行者が居ないが、輜重車に合わせての速度の異動なので、ガリンたちは愛馬をゆっくりと駆けさせている。行軍中の私語は禁止だが、この速度だと軽い会話は如何しても発生してしまう。

「ダリシュメンたちは皆同じ部族の出なのか?」

「ユースフで好いですよ、隊長。俺たちはシェラルブク族か、シェラルブク族の影響の強い諸部族の出身です」

 ガリンはシェラルブク族に関しては知識を持っている。クミール王国で宿屋の商人たちの話題にしばしば出ていた部族だ。

 シェラルブク族の居住地は、ホスワード帝国の最北地で境を接し、其の部族民は交易活動を積極的に行い、エルキト帝国を構成する部族でも、かなり富裕な部族で、周辺の部族にも影響力が高い。

 だが、エルキトの中核部族は彼らが自分たちに取って代わるのではないか、と疑念を抱き、戦闘では彼らを常に最前線に配置し、献上品の要求も厳しく、一部のシェラルブク族は「自立すべきでは」との意見も有るそうだが、ホスワードとエルキトの中間にて立ち回る自信が無いので、渋々エルキト帝国の構成国として甘んじているらしい。


「戦闘と為れば、彼らが駆り出されるだろう。ユースフたちは同胞と戦うのだから、心中辛いだろうな…」

 ガリンは考え込む。事情を知ってしまうと、今回の任務は純粋な戦闘だけに、遣り難さを感じてしまう。

「督戦の様に、中核部族や、彼らに近しい部族が後方に配置されると聞きます。寧ろ此奴らを撃退すれば、シェラルブクの兵は自然と引いて行くでしょう」

 ガリンの渋い顔を見て、ユースフは付け加えた。この一言でガリンは改めて気を引き締めた。


 部隊が出発して六日目。目的地のオグローツ城が見えて来た。

 高さ二十尺、一辺が一里の石壁に囲われた城塞…、に為る予定の建築途上の状態だ。外部から城内部が見え、内部の居住棟や厩舎も建築途上だ。当然、この城塞内に寝泊まりする事は不可能だ。

 バールキスカン部隊は付近に(ゲル)を設置して、周辺偵騎とエルキト軍の襲撃が来たら、撃退するのが役目だ。


 当地では、建築関係者が千名。純粋な戦闘員が五千名で、彼らの内三千は歩兵で、普段は建築を手伝っている。残りの二千が騎兵の防衛部隊で、バールキスカン部隊は其の増員部隊と云う訳だ。

 建築関係者を含め、全軍を統括しているのが、フィン・ブローメルト将軍。子爵の位を持つ貴族で、当年で四十八歳。

 更に元々この地に配属された騎兵には、彼の息子のティル・ブローメルト下級小隊指揮官が居る。

 父のフィンが望んだ事では無く、軍学院を卒院した彼が、単に馬上での才を見込まれ、この地に配属されたのだ。


 スミレツ・バールキスカンは上司と為る、フィン・ブローメルト将軍に側近と共に着任の報告に向かう。

 ガリンたちには、元々配属されていた騎兵二千との暫しの交流をせよ、との命がバールキスカンから下った。

 襲撃に来るエルキト兵は多くても五千だそうだが、九割程は無理矢理に押し付けられている、シェラルブク族等で、後方に一割程の中核部族のルアンティ・エルキト族が、督戦部隊として、怯懦したり逃げ出すシェラルブク族を殺害するそうだ。

 ガリンは偶々階級が同じで、同じ年頃の人物を見つけたので、其の者から話を聞いた。

「ここを統括している司令官は、フィン・ブローメルト将軍閣下と聞いたが、貴官の姓もブローメルトですな。縁類でしょうか?」

「いやいや、私の実父ですよ。ウブチュブク指揮官」

 互いに名乗ってガリンは驚いた。歳も今年で同じ二十歳だ。

「これは失礼致した。ティル卿。御指導の程宜しくお願い致します」


 ティルは笑った。身の丈は百と九十寸近くの細身ながらがっしりした体躯。

 蒼みがかった薄灰色の瞳が輝く整った目鼻立ちは、流石に貴族の貴公子然としているが、薄茶色の髪は綺麗に後ろに撫で付けられ、首筋で編まれて垂れ下がり、両側頭部は綺麗に剃り上げられている。

 ブローメルト家もエルキトの血筋の濃い家系、と謳われているが、歴代の当主は自由恋愛で妻を迎える等、かなり自由な家風なので、髪型だけは始祖を忘れない様に、との印なのかも知れない。

「父は父。私は私。ティルで結構だよ。私も貴官の事をガリンと呼ぶが、好いかな?」

「判ったティル。其れと戦闘だが、後方の督戦部隊に回り込んで、奴等を殲滅したいな。俺の部下にはシェラルブク族が多いんだ」

「其の件については、私も父上…、ブローメルト将軍に具申してある。戦闘に関しては詳細な指示が出るだろう。だが成功させるには、この辺りの地形を徹底して調べるのが必要だ、と言われた」



 早くも翌日の早朝にガリンが所属する五十名の隊長である、上級小隊指揮官が現れ、ガリンの部隊とティルの部隊の二十二騎にて、周辺偵騎を命じられた。

 ガリンがユースフたち部下たちと、集合場所に向かうと、丁度ティルの部隊も遣って来た処だった。

「ガリン、貴官の部下にはこの辺りの地形に詳しい者が居るのだろう。是非とも案内を頼みたい」

「了解した。ユースフ、頼んだぞ」

「承知致しました、両隊長!」

 ユースフも憎き中核部族を叩く策の為だと聞いているので、自分の知る知識を与えるのと地形案内は大歓迎だ。


 二十二騎は全員、馬は鞍と鐙だけ、騎乗者は軍装の上に首回りを保護する長く垂れた革の帽子、胴部に革の胸甲、鉄具は帽子の額周りに鉢金、手袋の上に籠手と長靴の脛当てを付けているだけだ。

 武器は弓と矢、腰に帯剣をしているだけで、ホスワード軍に於ける典型的な軽騎兵の姿だ。

 但しティルは、鞍に付けた矢袋の中に、この辺り一帯の地図と、台帳(ノート)鉛の筆(えんぴつ)を納めている。


 天候はやや雲が多いが、降雨の気配は無い。微風がするだけで、つまり視界を遮るものは無い。

 逆に云えば、自分たちが敵軍に見付かり易い事だが、出発前の確認時に敵軍との戦闘は極力避け、只管逃げ回る方針が取られた。

 こうしてユースフを先頭に、其の後ろにガリンとティルが並び、二十二騎は偵騎へと出発した。


 基本的になだらかな平原が何処までも続くが、小高い丘が在ったり、森林が群生している箇所が在ったり、十分馬で渡れるが小川が流れ、湖も在る。更に峻険な崖も在り、仰ぎ見ると、鷹が巣を作っている様だ。

「鷹狩用の鷹をシェラルブクの男は捕まえ、可寒(カガン)に献上する事がしばしば命じられます。大抵は滑落し、命を落とす者が多いです」

 ユースフから説明を聞いたガリンは、只心中で唸るのみであった。可寒とはエルキトに於ける帝王を現わす称号である。


 時折、一行は騎行を止め、其の都度ティルが持って来た地図や台帳を広げ、馬上にて書き込みをする。「器用な男だな」、とガリンは妙な感心をしながら、再び進む。

 出発してから六刻程。一行に緊張が走った。

「…ユースフ。彼奴らは明らかにシェラルブクの人たちではないだろう」

「えぇ、装束から中核部族、ルアンティ・エルキト族と見て好いかと」

 遠目に見える十騎程の一行。狩りでもしているのだろうか。手には弓矢を持っているが、服装は戦闘用では無く、動きやすい物だが、豪奢な作りだ。そして黒貂の帽子や首巻き(マフラー)を身に付けている。

「皆の者、私を隠す様にゆっくり騎行してくれ」

 ティルがそう言うと、全騎がティルを隠す様に動き、ティルは其の隙を付いて、少し遠くへ駆け物陰に隠れ、程無くして戻って来た。

「例の地図や台帳を隠したのか?」

 ガリンが確認に小声でティルに言う。

「うむ。このままゆっくり騎行し、彼らから何か問われても、『騎乗の訓練だ』、で言い通すぞ」


 ガリンとティルの部隊に、エルキトの狩りをしている十騎が近づいて来た。

「何をしている!ホスワードの兵ども、直ちに立ち去らねば、近くの武装した者共を此処に呼ぶぞ!」

「騎行の訓練をしているだけだ。別にこの地やこの地の物を奪う心算は無い。直ちに引き返す」

 ガリンもエルキト語は出来るが、ティルの方がより完璧に出来るので、交渉は彼に任せた。

「では、貴様らを全員検めるが、構わぬな。怪しい物が出たら、皆殺しだぞ」

 ガリンたちは身辺を検められた。何も出て来なかったので、一行の長が退く事を命ずる。彼らとしても自分たち方の数が少ないのだから、瞬時に鏖殺される危険性も感じたのだろう。

「戦場で遭ったら、この様な待遇を受けると思うな」

 エルキトの狩人たちの長の言葉を背に受けながら、ガリンたちはゆっくりと去って行った。

 完全に彼らの気配が消えてから、ティルは一騎で、先程隠した地図と台帳の回収に戻り、再度全騎合流すると、即座にオグローツ城付近の陣営に猛速度で戻った。

 これを彼らエルキトの狩りをしていた者たちが見れば、騎乗の訓練など必要ない者たちに見えただろう。


 偵騎から戻ったガリンとティルの部隊は、ティルが直接所属している上級小隊指揮官に、地図と台帳を渡し、内容の説明をしている。傍のガリンがティルに問う。

「直接、御父君の将軍にお渡ししないのか?」

「息子だからと云って、其の様な越権行為は出来ない。あの隊長がブローメルト将軍の副官に私の資料を渡し、其れを将軍以下の高級士官たちが精査するのだ」

 ガリンはティルの姿勢に感心した。軍紀と軍律。将軍の息子だからと、彼はこの地で好き勝手をしていないのだ。

 恐らく、先にティルが提言した督戦部隊の殲滅の件や、其の為の周辺地域の偵騎の件も、直接父親に言ったのでは無く、この様に直属の上司に意見を具申して、上から了承されたのだろう。



 五月二十日。ガリンたちが偵騎を終えてから十日後、別の偵騎十数騎がオグローツ城へと、猛速度で戻って来た。「敵襲です!」とこの偵騎の長は言い、即座にフィン・ブローメルト将軍が普段執務している、城内の司令官棟へ馬上のまま向かう。

 緊急時には、この様に下馬せず、直接自身に報告する様にブローメルト将軍は全軍に徹底させていた。


「建築関係者たちは即座に作業を中止して、後方へ避難!歩兵は前面の中央に盾と馬防柵を設置し、其の後方に待機!騎兵は二千ずつ歩兵の左右に展開!」

 ブローメルト将軍の指示が飛ぶ。ガリンはバールキスカンが率いる歩兵の左側。ティルはもう一人の中級大隊指揮官の配下として、歩兵の右側に配置された。

「私は敵の配置を確認する。追って指示を出す。其れまで防備に徹せよ」

 ブローメルト将軍は建築途中のバルカーン城で一番高い建物へと、側近と共に向かった。

 後方に督戦部隊が居たら、これ等を撃滅する予定だ。


 連絡では五千騎近くの軽騎兵、とブローメルト将軍は聞いていたが、高所にて確認すると、約五百程の騎兵が、オグローツ城へ向かって来る四千騎程の騎兵の後方に位置している。

 あれがエルキト帝国直属の軍で、前面に出した騎兵が攻撃を躊躇すれば、後方から矢を射たり、切り捨てたりするのだろう。

 ブローメルト将軍は後方の騎兵の位置を二つ書き示し、其れ等を副官と従卒に渡して、あるこの地に詳しい上級中隊指揮官の名を挙げ、次の様に指示した。

「彼に五百騎を統括させよ。一旦南へ向かい、別路より北に位置するこの本営を叩け。この五百騎には私の息子のティルと、ガリン・ウブチュブクの部隊も含めよ」

 副官と従卒は其々、両側に位置する騎兵の指揮官たちに連絡に飛び、この五百騎の編成場所をオグローツ城の後方とする事を伝えた。


 オグローツ城の北面の西側に陣取った、バールキスカン騎兵隊二千は、旗下から二百騎程を選抜し、其の長にこう言った。

「先ず城の南部に移動し、其処で右軍からの騎兵と合流せよ。目的は敵の本営の奇襲だ」

 この二百騎にはガリンと彼の部下十名も入っている。


 ガリンたちは城の南へと奔る。一里を少し超える程の距離なので、即座に到着すると、東側から同じく三百程の騎兵が現れた。

 合流し、この部隊の総指揮官はティルを呼び、彼を自身の傍らに就け、臨時の副官として、襲撃路の補佐をさせる。

「総指揮官。ガリン・ウブチュブクと彼の部隊も傍らに置きたいのですが」

 ティルはそう言って、了承した総指揮官はガリンたちも先鋒の位置に置く。

「では、進むぞ!」

 この五百の騎兵は南へと向かった。空高くからオグローツ城を見たら、五百騎が北から来るエルキト騎兵に恐れを為して、南へ逃亡する様な動きに見えただろう。


「有らん限りの声を出し、鼓や鐘を鳴らし、歩兵は地を踏み鳴らし、騎兵は馬を嘶かせよ!」

 ブローメルト将軍はオグローツ城の前面の軍に命ずる。敵兵への威嚇も有るが、其れ以上に五百の別動隊が馬蹄を響かし、敵本営に回り込んでいる事を悟られない為だ。

 幸運な事に、北風が強く吹き荒れ、土煙は直ぐに南の空へ消え、周辺に在る微かな森林はがさがさと大音を発する。


 ガリンとティルが所属する五百騎は南から東へ、そして北へと猛速度で進むと、今度は南西へ進路を取った。

 南西へ進路を取り、百と数えぬ内に敵本隊の五百騎が揃っているのが、視界に入ってくる。距離にして半里も無い。

 先頭を奔る総指揮官が右腕を挙げると、後続を奔るガリンたちが次々に右腕を挙げ、其れが最後尾まで数十秒で伝わる。

 全軍矢の一斉斉射の合図だ。


 エルキト軍の本営は眼前で大音量を鳴らし、引き気味に為っている味方に後方から矢を射て、督戦を促そうとしていた。

 其の時である。自分たちの左後方からホスワード軍の騎兵が出現し、矢を一斉斉射して来た。

 其のままの勢いで、ホスワード軍のこの別働隊は、エルキト軍の本営に突撃する。

「……!」

 ガリンは敵軍中に見覚えのある顔を発見する。偵騎に出た時に出くわしたエルキトの狩りをしていた長だ。

 エルキト兵も人馬共に鉄具は殆ど付けておらず、ガリンは腰の剣を抜くと、一刀の元にこの狩りの長を切り捨て、長は血飛沫と絶叫を挙げ、馬上より斃れた。

 実は彼がこの全軍の総指揮官だったのだが、其れを知ったのは近くを奔るティルだった。敵兵たちの恐慌状態から察した。

「貴様らの総指揮官を討ち取ったぞ!」

 ティルがエルキト語で叫ぶと、彼も周辺のエルキト兵を切り捨てる事夥しい。

 ユースフたちもガリンの後に続き、剣にて慌てるエルキト兵を討ち取って行く。


 後方の本営が壊滅した事を知った、前面の約四千程の騎兵は、各自の判断で逃げ出して行く。シェラルブク族領内や其の他の自分たちの部族領内へとだ。

 ブローメルト将軍はこの四千のエルキト兵の追撃をしない事を通達させる。

 

 ホスワード帝国歴百十九年五月二十日。時刻は午後六の刻に近い。空には雲が多いが、未だ太陽は空に居座り、完全な暗闇までは暫し掛かる。

 ガリン・ウブチュブクは、こうして北方の地でも大功を立てた。


第六章 各地での任務 後編 了

 ガリンとティルはこんな若くから交流してたんですね。



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