第三章 ホスワード軍での日々 前編
国を出奔したガリン。
果たして彼の願いはかなうのか?
第三章 ホスワード軍での日々 前編
1
騎行する旅人がいる。
一人旅等、この辺りの地では左程珍しくないが、人馬共に巨大で、特に騎乗者の堂々さは衆に際立っていた。
馬上でも判る、身の丈が高い屈強な体格。衣服は上質では無いが、動き易さを重視した厚手の上下と縁無し帽は灰褐色で統一され、革の手袋と帯と長靴を身に付け、薄い灰色の首巻きを靡かせている。
鞍の左右に付けられた袋には弓と矢が数本。腰には長剣。先端に斧が付いた長大な槍を、革の斜革の背の留め具で、斜めに納め背負っている。
ホスワード帝国歴百十六年九月二十一日。場所はホスワード帝国で一番の北西部のラテノグ州の、最も北西端の箇所だ。
時刻は午後の一の刻を過ぎ、旅人は遅い昼食を取る事にした。
付近に小川が流れている箇所を見つけたからだ。
馬を降り、自身と愛馬が先ず水を飲む。
帽子を取ると、短く刈った黒褐色の頭が露わに為るが、寧ろ頭部よりも顔付きに人々の眼は向くだろう。
この様な巨大、且つ屈強な体格なのに、表情は十代後半の少年其の物だからだ。
少年は背の背嚢から、持ち物を確認する。
干し肉が数切れ有るだけで、食料と為る物はこれで最後だ。
愛馬は川の水を飲むと、近くの草を食んでいる。
「まいったなぁ。今日中には宿屋が在る村落を見つけないとな」
少年はそう言って、全ての干し肉を食べ尽くした。
少年は馬に乗り、南東を目指した。
空は薄曇りだが、ほぼ蒼く、遠い北には山野が連なっている。小川が流れている様に、近くに大河が在るのだろうが、草地が続き、人の気配の無い地だが、所々に明らかに戦場の跡と思わしき傷痕が残っている。
人が居ないのは、この辺りがしばしば戦場に為っているからだろう。
そう少年が思っていたら、遠くから二十騎程の騎馬隊が自身に向かって来るのを感じた。
偵騎らしく、武装は最小限。其の軍装の色は赤褐色だ。
若し、彼らが偵騎で無く、戦闘部隊なら、双頭の鷲が配された赤褐色の軍旗を掲げていたであろう。
バリス帝国軍だ。
少年は逃げるでも無く、バリス兵に囲まれた。
「この様な処で何をしている。何処から来て、何処へ行こうとしている」
長と思われる人物に問われた。
「クミール王国から来た、ガリン・ウブチュブクと申します。知り合いからホスワードのメルティアナに住む親戚に手紙を渡すよう頼まれました」
ガリンと呼ばれた少年は、背嚢から手紙を出した。
実はこの様な事が起こった場合に備え、自身で認めた手紙だ。
メルティアナとは此処より、ずっと南部に在る、曾てのプラーキーナ帝国の首都である。
手紙は改められ無かったが、ガリンの過剰な武装が問い質された。
「エルキトの地や、野盗の多い地を通りますので、この様な武装をして居ります。安全な都市圏に入ったら、これ等は預ける心算です」
ガリンは初めクミール語で応答していたが、囲うバリス兵でクミール語が解せる者は、二・三人しか居なかったので、中途でホスワード語に切り替えている。
ホスワード語が出来るから、この様にホスワードの使いが頼まれている、とも述べた。
因みにホスワード語とバリス語は互いに言って、九割は互いに通ずる。
又も遠くから騎馬隊の姿が見えた。
今度は二百騎程だ。
地の草地と溶け合う様な緑の軍装。此方は中央に三本足の鷹が配された緑の軍旗を四つ靡かせている。
「ホスワードへの使いなら、奴等に頼み込め。行くぞ!」
バリスの長はそう言って、数の不利から自部隊のガリンへの攻囲を解き、西へと逃げる様に進んで行った。
バリス兵が点の様に見える頃、其のまま位置を移動しなかったガリンを、今度は緑の騎馬隊が囲んだ。
2
今度はホスワードの一行の長が、ガリンを問い質そうとしたが、吃驚する。
二年程前に、自分が武芸書を与えた少年だったからだ。
「確か、ガリン・ウブチュブクと云ったな。如何したんだ?この辺りは先の様にバリス兵が散見される。使いの会合の場所には不適切な地だぞ」
ガリンは全ての武装を解き、下馬して、この二百騎の長。つまり中級中隊指揮官に言った。
「先日、母が亡く為り、クミール王国に居ても、無聊を託つだけです。不肖、このガリン・ウブチュブクをホスワードの兵として雇ってくれないでしょうか」
更に事情をガリンとこの中級中隊指揮官は話し合ったが、中級中隊指揮官はやや渋い顔でこう言った。
「残念ながら、私の身分では勝手に配下を付ける権が無い。私の直属の上司に頼んでみるが、余り期待はするなよ」
ガリンは「お手数を掛けて申し訳ありません」、と恭順に礼を述べるだけである。
そうだ。そんな簡単に異国人がホスワードの正規兵に為れる等と、ガリンも思っては居ない。
この中級中隊指揮官は、エゴール・ルーマンと云い、年齢はこの年で三十六歳に為る。
以前ガリンと会った時は士官に為りたてだったので、三十四歳で士官昇進であった。当然、平民の生まれである。
一行は彼らが拠点としている、この辺りでは一番の軍事要塞へと向かった。
この要塞は、現在建造中で、「バルカーン城」と名前だけは決まっている。
西方のバリス帝国に対する拠点で、此処を中心に南北に、狼煙が上げられる小規模な兵の駐屯地も並行して造られている。
東へ向かい、ボーンゼン河の西岸に達する。人馬が二十以上収容出来る輸送船団が係留されていて、一行は其れ等に乗り、幅二十丈(二百メートル)以上はある流れを横断し、東岸に達して下船した。
輸送船団は、ボーンゼン河に繋がった運河へ入り、更に東の水路基地へ向かう。
エゴールの一行は、南下してラテノグ州からメノスター州に入る。
草地の多いラテノグ州から、林の多いメノスター州に入り、一行は縦に長い隊列で、左右の森の間の道を進む。
やがてほぼ八割がた出来上がった、堅牢な石造りの城塞が遠くに見えた。
エゴールはガリンの私物の武器を全て返そうとしたが、ガリンは生真面目に答えた。
「仮にホスワードの兵として採用されれば、一兵卒なので、陣を構築したり、荷物を運搬する任務が主なので、其れ等の武器は不要でしょう」
ふむ、とエゴール・ルーマンは頷く。自分の上司はこの種の若者に好意的な筈だ、と。だが、エゴールは念を押した。
「見ての通り、未だ城塞は建築途中だ。其の体なら、資材を運ぶ人夫としてなら、採用は有り得るかもな」
二十三日の昼前に、一行はバルカーン城の裏門。つまり、真西側から入城した。
エゴールは部下たちを解散させると、城内の司令棟の上司の執務室へガリンを伴って、報告とガリンの入隊の事情を話す為に赴く。
ガリンは圧倒される。先の輸送船団もそうだったが、其れ以上だ。
バルカーン城は周囲四里(四キロメートル)のほぼ正四角形の石造りの城で、城壁の高さは三十尺を超え、その幅も五尺を超える。
クミール王国は周囲八里だから、彼の故郷の半分の面積が一城塞なのだ。
そして、内部に居住する者は全て軍事に関係する者のみ。
途上、ガリンが忙しなく、周囲を見渡すのも致し方無いであろう。
司令棟のある一室に着いた。
エゴールは戸を叩き、中から上司の部下から、入室の許可が出た。
ガリンより少し年齢が上の程度の若者が戸を開け、エゴールは直立不動で右拳を左胸に当てる敬礼をする。
後ろで其れを見ていたガリンは慌てて同じ動作をした。
「エゴール・ルーマン。報告と別件の依頼で参りました」
奥の机に座っていた、濃い緑の軍装をしたエゴールの上司が立ち上がり、エゴールの背後の大男を見て微笑む。
「ほう、久しいな。ガリン・ウブチュブクよ。また随分とデカく為ったな」
「ガ、…ガルガミシュ指揮官!」
エゴールの上司は名門軍人貴族のヨギフ・ガルガミシュ下級大隊指揮官。当年で二十七歳である。
「二人とも、長椅子に座るが好い。すまんが水と軽食を頼む」
ガリンは机の前の長椅子に二人が座る事を指示し、若者に飲食物を持って来る事を命じた。
この若者はガリンの従卒だ。
3
事情をエゴールから聴いたヨギフは、「フーッ」、と溜息をついた。
内容が問題なのでは無い。実は彼はつい数カ月前に高級士官に出世し、従卒を付けた。
この従卒の若者はザンビエと云い、好く出来る者なので、若しガリンがもう少し前に自身の元に訪れていたら、ガリンを自分の従卒にしただろうに、と残念に思ったのだ。
「うむ…。まぁ色々縁と云う物が有る。我が部隊への入隊は認めるが、申し訳ないがガリンよ、私の傍では無く、我が部隊の後方の輜重兵として、先ずはこの城塞の完成への作業へと入ってくれないか?」
ガリンは立ち上がって、右拳を左胸に当てる敬礼を施した。
「どの様な御役目でも、全身を尽くして励む所存です!」
ガリンの元気な返事を聞いて、ヨギフは従卒に彼を被服部署に連れて行き、採寸をさせる様に命じた。
ホスワードの一般兵や輜重兵は、軍装が灰色がかった緑だが、予備にガリンの体格に見合った軍装は無いであろう。
ホスワード人でも大柄な者は居る。
凡そ、ホスワード人の成人男性の平均の身の丈は、百と八十寸近くだ。
なので、予備の軍装から、簡易に手直しすれば、ガリンに見合う物は直ぐに出来る、と部署から言われた。
この日はバルカーン城で、ガリンの部隊登録を済ませた。
ガリンは、自身のクミール王国で処理された出生証明書を持って来ていたので、登録は手際好く行われた。
そして、エゴールとガリンの従卒に連れられ、ガリンが所属する部隊への顔合わせと、当面のガリンの居住場所を案内された。
ヨギフ・ガルガミシュは、バルカーン城の三名居る次席幕僚の一人だが、当然年齢と席次が一番下なので、三番手だ。
又、彼が直属で率いる兵は、千の騎兵隊だが、通常は二百騎がエゴール率いる国内の視察部隊。もう二百騎が交代制で、バリス帝国への偵察部隊。ヨギフが直接に率いる五百程が近接戦闘も出来る様に、日々調練に明け暮れている。
残りの百程は輜重部隊だ。ガリンは此処に配属される事に為った。
ヨギフの従卒を務めている、ガリンより少し年長のザンビエなる男はこう説明し、ガリンは一般兵の居住棟でこの日は就寝した。
この居住棟は四階建てで、千人が居住する処なのだが、床は二段で、巨躯のガリンには、其の体が収まり切らないので、下で寝る事を強要された。
翌日よりガリンが命じられた任務は、石材の余りで石弾をを作っているのだが、これ等を所定の武器庫等に運ぶ事だった。
大体、成人男性の頭部程に丸く成型し、作業場所では、其れ等が何十個と有った。
城内に幾つか設置してある投石機にて、飛ばすのだ。
この任務は、ガリン以外にも担当している兵たちが居たが、ガリンが加わると、即座に当日の予定分を納める作業は終わる。
「お前、凄いな。あんな重い物を持って、何度も作業場と武器庫を往復するなんて」
ある兵が、息も絶え絶えにガリンに言ったが、ガリンは殆ど息を乱していない。ガリンは大量の小石を見て質問した。
「これ等の石材は如何するのですか?」
ガリンは作業場の職人に尋ねた。
「これ等も一カ所に集めて、石礫に使うんだよ」
「これ等を納める場所は、何処でしょう?」
「おいおい、これ等は後で全て纏めて納めるから、今はこのままで好いんだよ」
大きい物で赤子の頭部位。小さい物だと握り拳位。球状に作った石弾の余りのなので、形は其々不揃いだ。
其の次の日にガリンの正式な軍装が出来、ガリンは其れを着込み、バルカーン城内であらゆる雑事に従事した。
城内の将兵が、この若者の話をせずには於けない。
「あの体の大きい少年は、ヨギフ卿が見出したのか」
「何とも力仕事は出来るが、肝心の武芸は如何なんだ?」
「何でもエルキトの出身らしい、騎射も近接戦闘も凄まじい、と云う噂だぞ」
「いや、エルキトでは無く、出身はクミールだそうな。色々事情を持った若者らしい」
バルカーン城司令官の伯爵ラグナール・ホーゲルヴァイデ将軍が、ある時に幕僚のヨギフを呼び出し、ガリンに関して話の場を設けた程である。
ラグナール・ホーゲルヴァイデ伯爵は、ヨギフの十二歳上の三十九歳。
次期の大将軍や、兵部尚書の地位を噂され、彼の十三歳の息子ヴァルテマーは現在、軍学院にて学んでいる。またヴァルテマーは、兵部省人事長のクレーメンス・ワロン伯爵の九歳の娘との婚約が成立している。
ガリンの与り知らぬ処で、軍部の重鎮たちに、彼の存在は知れ渡り始めた。
因みに、クレーメンス・ワロン伯爵にはエドガイスと云う、五歳に為る息子も居て、ヨギフにもウラドと云う一歳の息子が居る。
4
十月の後半に入ると、バルカーン城内は騒然とする。
ヨギフ・ガルガミシュのバリス領偵騎部隊に因って、国境地帯に歩騎五万を超える軍勢が結集しつつある、と報告して来たのだ。
狙いは完成直前のバルカーン城か、其れとも北のラテノグ州に対する軍事行動か。
バルカーン城内は二万人近くが、駐屯して居る。だが、内三千人程が建築士や、武具の補修士、そして城内の事務的な作業をする役人たちだ。
完全な戦闘員は一万五千にも達しない。
「偵騎を徹底させて、敵軍の編成を調べよ」
ホーゲルヴァイデ将軍は、ヨギフの偵騎部隊に、次の事を強く命じた。
其れは投石機や衝車や梯車等の攻城兵器の有無と、これ等を運搬する輸送船団が在るかだ。
これ等は秘匿するには、巨大過ぎるので、発見は容易だし、何よりバリス領からバルカーン城へ向かうには、ボーンゼン河を渡らなければ為らない。
そして、これ等が在れば、バルカーン城の攻略。通常の兵馬の輸送船団だけなら、ラテノグ州に入り、このバルカーン城の軍団を釣り出し、野戦を企図している。
これがホーゲルヴァイデ将軍の判断だった。
無論、帝都へ状況を報告する、早馬も奔らせている。
エゴールから、一連の流れを聞いたガリンは、頭がくらくらする。
先ず、万を超える将兵。城塞を攻撃する為の攻城兵器。万を超える将兵と攻城兵器を輸送する大船団。
想像するだけでも、其の規模の大きさに圧倒される。
優れた武人とは、戦場で武勇を振るえる能力を持つ事は、必須条件では無いが、これ等の準備と其れを問題無く運用出来る能力を持つ事は、必須条件である。
そうで無ければ、大規模な会戦の将や高級士官には為れない。
又、時期も加味される。この辺りは夏の終わりから、秋の終わりまでは降雨は殆ど無い。
十二月に入ると、雪が降り出し、山地は白化粧される。
春に為ると暖かさと、降雨が発生し、ボーンゼン河は元より、周辺の大小様々な河川は、雪解けで増水し、大地は泥濘と化す。
夏には気まぐれに豪雨が発生するので、大体に於いて、ホスワードの北西部で戦が発生するのは、この時期だ。
或いは、相手の虚を狙い、周到な準備で以って、悪天候の中で軍事行動に出る事も有るが。
「先にお前を囲んでいたバリス兵は、渡河地点の調査部隊だろうな」
エゴールはガリンにそう話した。
「では、あの辺りで渡河して、本朝に来寇するのでしょうか?」
本朝と、ガリンも自然に使ったが、抑々彼はホスワード軍に入って、左程経って居ない。
エゴール率いる部隊は、ガリンと会った例の場所への偵騎へと赴いた。
自身が城塞内の雑事しか未だ任されない事に、ガリンは半ば悔しさと、実直に雑事に励むべしとの板挟みと為る。
判明したのは、バリス領内の諜報員の報告も含めて、かなりの輸送船団がボーンゼン河のバリス側の基地に集結しているので、バルカーン城の攻略の可能性が高い、と判断された。
ホスワード軍の中央軍を動かすのだが、北方のエルキトに備えと、南方のテヌーラとは和約したとは云え、未だ予断を許さない。
バルカーン城への援軍は五千と決まり、若し其れで持ち堪えられ無ければ、フラート帝自ら精鋭を率い、更なる援軍に出るとの事だった。
「陛下は、今現在、内政の充実に意を注いでおられる。此処で陛下の御手を煩わせるにはいかぬ。諸卿ら、援軍の五千で合わせて、この城を打って出て、渡河地点で迎撃するか、籠城をして援軍を遊撃部隊とすべきか、どちらの策が好いか検討したい」
バルカーン城の司令官棟の大会議室で、ホーゲルヴァイデ将軍は、主だった幹部を参集させ、対応の会議を開いた。
ヨギフ・ガルガミシュが意見を具申する。
「これ程の大規模な軍団ですと、一カ月も物資は持たないでしょう。又、バルカーン城はほぼ完成。これを一カ月以内で陥落させるのは敵側として考えれば、かなりの難事。籠城戦が上策かと」
他の高級士官が反駁する。
「だが、其れでも強行する、と云うのは何か別の策を持っているのでは無いか?」
「そう、一カ月すれば、更に北方のラテノグ州のボーンゼン河は凍結して行く」
ヨギフは自身がバリス軍の総司令官なら、と仮定して述べた。
先ず、大軍で以ってボーンゼン河を渡り、バルカーン城を攻囲する。
糧秣や物資は一カ月程しか持たないが、其の後は北の凍結したボーンゼン河から輸送して貰い、戦闘の継続をする。
「一カ月如何にか持ち堪え、五千の援軍は一カ月後の北方からのバリス軍の輸送部隊を襲わせるのが宜しいかと」
5
他に様々な意見が交わされたが、ホーゲルヴァイデ将軍は、ヨギフが予想したバリス軍の戦略が、至極尤もだと、自身も思った。
「ガルガミシュ指揮官が述べた通り、籠城戦、とする。五千の援軍には一カ月後のバリスの輸送部隊の撃滅を命じる様に」
其の日の内に、ホーゲルヴァイデ将軍が認めた軍令を持った連絡兵の早馬が、バルカーン城に近づきつつある、援軍の五千に奔った。
ガリンはこの頃、バルカーン城近辺での狩りをしていた。
主に猪等で、これ等は塩漬けされ保存食とされるが、当の塩がバリス帝国から交易で入手した岩塩だ。
東部が海に面しているホスワード帝国は、塩業は盛んだが、其れでもバリスとの塩貿易は、長らく重要であった。
長年対峙し、敵対国であり、今全面的な戦に臨もうとしているが、交易の利は其れ等を上回る様だ。
程無くして、ガリンはバルカーン城周辺に造られた、家畜小屋や畑から、家畜や収穫物を搬入する事を命じられる。
バルカーン城を囲む、バリス軍にこれ等を奪われない為だ。
バルカーン城の地下食料貯蔵施設は、一万を超える人間が数カ月は持ち堪える、様々な穀物、燻製の肉と魚で溢れかえった。
水に関しては、地下水が豊富なので問題無い。
抑々、此処に大規模な城塞を造る決定の一因だ。
籠城戦が決まり、ガリンが任されたのは、投石機の石弾の運搬だ。
ついこの間まで、石弾を武器庫に納めていたが、今度は其処から城塞の各所に備えられた投石機に運び出す。
直接の戦闘には就かないが、何とも重労働である。
これが一般兵でも無い、最下級の兵が行なう事なのだ。
十一月三日。バリス軍は重装歩兵五千をボーンゼン河より逐次渡河させて、ホスワード領に橋頭保を築く。
位置としては、バルカーン城の北十里(十キロメートル)で、ラテノグ州の南端辺り。
この辺りより、北に流れるボーンゼン河は十二月に入れば、凍結して行く。
微かだが、吐く息も既に白く、空は厚い灰色雲に覆われ、降雪の気配が漂っている。
そして、次々に投石機や衝車や梯車、と云った攻城用の兵器を輸送するが、ホスワード側から、これ等の輸送に対する襲撃は無い。
五日には、これ等攻城兵器を合わせ、バリス軍歩騎五万は南下し、バルカーン城へと進出した。
ラテノグ州とバルカーン城が在るメノスター州を分けるのは、山地や森林だが、バリス軍が進撃路に使ったボーンゼン河付近は、左程の丘陵も森林も無い。
歩騎五万は中央に梯車や衝車を守る様に囲み、バルカーン城の北側、其の城壁が肉眼で視認できる処で、陣を敷く。五日の昼近くだ。
石弾を北の城壁の投石機に運搬していたガリンにも、バリス軍の様子が見て取れる。
特に高さが二十五尺程の梯車が十輌は在る事に驚く。
「あんなのが城壁に近づいたら、梯子を掛けて、城内に進出するのは容易ではないのか?」
其処へヨギフ・ガルガミシュが北の城壁上に現れた。
「我が部隊は交代制に因り、この北の城壁を防備する。四六時中に二百五十の兵が、詰める様に調整せよ」
ヨギフはガリンを見た。
「卿も戦闘員として参加して貰う。見張りが主体だが、場合に因っては石礫を投擲するか、弓兵として活動してくれ」
ガリンの直属の部隊は約千。単純計算で一日に六刻は城壁上に張り付く事に為る。
初日でガリンが配されたのは、最も西の箇所であった。
この最も西の箇所と、南へ一里の端の箇所、つまり城壁の西側の両端には、更に見張り塔が造られている。
だが、未だ建築途中で、予定では三十尺の高さに為るらしいが、ガリンが見た処、五尺にも達して居ない低さだった。
ガリンの役目は、この建設途中の見張り塔内に納めた石弾を、直ぐ傍の城壁上に設置された投石機に運搬する事だった。
又、この塔内には石礫用の石も多く納められている。
翌六日。バリス軍はバルカーン城の北側と西側に衝車と歩兵を回り込ませ、其の背後に梯車を進める。
衝車は城壁に体当たりし、背後の歩兵は、ある部隊は長い梯子を掲げ様とし、ある部隊は頑強だが、木製で出来た非常進入路を壊そうとし、ある部隊は極めて高いが城壁上のホスワード兵に向かって矢を放つ。
各所で少しでも綻びが有れば、梯車を突入させ、城壁内に突入しようとする算段だ。
布陣としては、バルカーン城の北西端を中心に、北側と西側を囲う様な配置である。
6
ガリンは輜重兵の軍装の上に、如何にか彼に合う革の防具を身に付け、自身の携帯して来た弓を所持する事を認められた。
但し、矢は十本のみ。下士官以上は其れ以上の矢を渡されているが、ガリンは慎重に考えながら矢を射なければ為らない。
「戦が何日続くか分からない。今日は先ず一矢射て、暫くは様子見で、石礫を投擲しよう」
石礫は地位に因らず、と云うより、ガリンの様な一般兵以下が使用する武器だ。
士官等が扱う物では無い。
バリス軍は弓に自信の有る者たちを、この北壁攻略部隊に揃えている様だ。
前を進む衝車の背後から、距離六十尺以上、高さ三十尺の城壁上のホスワード兵に矢を射る。
「危ない!」
ガリンは傍の身を乗り出した一般兵の軍装を引っ張って、同胞を引き倒した。
其の直後、彼が身を乗り出した部分に、矢が空を切り飛び、城内へと落ちて行く。
「すみません!怪我は無いですか!?」
ガリンは引き倒した兵に声を掛けた。
「いいや、有難うよ。然し、配置換えでこの城塞に来たが、又も最前線とはなぁ」
ガリンより十歳程上のこの兵はブートと云い、六年前の南の大国テヌーラ帝国の首都オデュオス攻囲戦に、輜重兵として加わっていた。
テヌーラとの和約が為ってから、彼はこのバルカーン城の配属と為り、主に城塞建築の手伝いをしていたのだ。
「然し、随分とデカいな。お前さんの方が的に為り易いから、お互い注意しようぜ」
ガリンより三十寸は背の低いブートは、こうガリンと互いに励まし合った。
この様に北面は先頭に十輌を超える衝車、其の背後に一万の歩兵で、先頭に弓に自信の有る者が揃っている。更に背後には五輌の梯車がゆっくりと動き、最後尾には数千の騎兵が確認された。
三十尺の城壁上だから、判る訳だが、ガリンは建築途中の左端の見張り塔を見た。
これが完成すれば、更に敵軍の布陣が好く判るだろう。
ガリンは城壁内に其の巨大な身体を納め、迫って来るバリス軍を見る。
騎兵を最後尾に揃えているが、前面の歩兵を指揮する将校は馬に乗っている。少なくとも士官以上の指揮官だろう。
ガリンは赤褐色の軍装が一際鮮やかな将校に気付く。
「あれがこの全面部隊の総指揮官か…」
ガリンは弓と矢を手に取った。
天候はほぼ灰色雲に覆われているが、日光が全く感じられない、と云う程では無い。
寧ろ、前進するバリス軍の土埃の方が気に為る位だ。
瞬時、ガリンは立ち上がり直立不動と為る。
城壁上の歩廊は幅五尺近く、高さが一尺と五十寸なので、二尺を超えるガリンが直立すると、頭部は元より、上半身の大半が露わに為る。
通常、矢を射るには、城壁上に等間隔で設置された、幅と高さが共に窪んだ三十寸の狭間にて行う。
狙いを定め、矢を番え射る。このガリンの一連の動作は早く正確で、射た後に彼は即座に身を屈める。
迫るバリス軍内で恐慌の叫び声が彼方此方で上がる。
彼らの指揮官が射殺されたのだ。
この指揮官は、鉄兜と薄い鉄具を身に付けていたが、落馬した彼の額には深々と矢が突き刺さっていた。
飛んで来たのは三十尺高い城壁からだが、距離にして十丈以上は有る。
「うおおおっ!」
バルカーン城の北の城壁上の歩廊に居た兵たちは、歓呼と驚きの叫び声を上げた。
「すごいな!あれは敵の指揮官だぜ!」
近くのブートから、ガリンは其の弓術を讃えられ、近くの将兵たちも射たのが、この巨躯の若者だと、即座に知った。
ホスワード帝国歴百十六年十一月六日の午後三の刻。
ガリン・ウブチュブクのホスワード軍としての初陣は、この様に見事な軍功で始まった。
第三章 ホスワード軍での日々 前編 了
本伝を読んで下さった方は、このように本伝の主要登場人物たちがチラホラ出てきます。
そんな彼らの若き日々もよろしくです。
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