第十三章 ガリン・ウブチュブク 前編
ガリンが主導する初めての戦!
果たしてどうなるか!
第十三章 ガリン・ウブチュブク 前編
1
ホスワード帝国歴百二十九年二月一三日。午前の五の刻を過ぎているが、未だ闇の中で、空は厚い灰色雲に覆われている。
これでは日が昇ったとしても、明るさは殆ど感じないだろう。
場所はホスワード帝国の最も北西部のラテノグ州。
猛吹雪や突風が無いのが幸運に感じられる程の、微かに小雪が落ちる天候。だが、吐く息の白さは途轍も無く大きく、大地は深い雪に覆われている。
そんな中を緑の軍装をした騎馬隊の七百騎程が北へと進んでいる。
明かりと為る松明は最小にしているのにも拘らず、彼らはこの悪条件化に於いて、一糸乱れず進んで行く。
ホスワード軍の正規兵で、ガリン・ウブチュブク上級中隊指揮官が代理主帥として率いている。
ガリンはこの年で三十歳。厚手の耳や首回りまで覆える革の帽子の下に有る顔は、精悍さに漲り、特にその大きな双眸の瞳の色は、明るい茶色で、この時期の正反対の真夏に輝く太陽を思わせる。
緑の軍装の上には厚手の緑の外套を着込み、騎乗しているが、其れでも判る体格の好さ。
手足が長く太く、胴が引き締まり、幅広の肩、厚い胸板を持った見事な偉丈夫である。
全軍の防具は、最小限の革と鉄だけだ。騎乗している馬には防備はされていない。
軍装の上に革の胸甲、革の厚手の手袋、同じく革の厚手の長靴。
鉄具は帽子の額周りに鉢金、手袋の上に籠手、長靴には脛当てが装着されている。
全軍の武装も同じで、鞍の左右の袋に弓と矢を納め、腰に長剣を佩き、外套の上に掛けられた斜革の背に長槍を背負っている。
但し、他の者は百五十寸(百五十センチメートル)の長さの鉄の槍だが、ガリンが背負っているのは、二尺(二メートル)を越える鉄の槍で、然も先端には斧が付いた、重量感溢れる物だ。
唯一この緑の軍団で、異なる処が有れば、其の緑の色だろう。
文字通り緑色は士官と下士官で、やや灰色ががった緑色は一般兵を現わす。
当然、一般兵の灰色ががった緑色の兵が最も多く、彼らは緑の下士官に率いられ、士官は其の数名の下士官を率い、全軍の総指揮官をガリン・ウブチュブクが執る。
前方。つまり北に五十名程が常駐する事が出来る、石と木材で造られた朽ち果てた小さな城塞がうっすらと見えて来た。
ガリンの太陽のように輝く目は、其の城塞の左右を確認する。
高さ二尺程、左右に其々十丈(百メートル)程の雪壁が城塞を中心に伸びていた。
「全騎反転!あの雪壁から矢が来るぞ!」
暗闇の中、先頭のガリンが声と左腕を上げて、其の長い腕を左に向け、左に向かい西へと奔る。
ガリンの直後を奔る将兵も同じ合図をして、ガリンと同方向に進路を変える。
雪壁の背後から矢が飛んで来た。恐らく城塞の最も高い処で、見張り兵が合図をしたのだろう。
だが、ガリンの部隊が回頭をした事と、矢は狙いを付けず、雪壁の後で相手を見ずに射たので、ガリンの部隊には一切当たらなかった。
「このまま西の雪壁の端より、敵陣営を突撃する!」
ガリンは自身の判断が確信に変わった。
あの雪壁は防御用の陣営では無く、傭兵団が自分たちの馬群を収容する施設になのだと。
傭兵団はラテノグ州に潜む際に、自分たちの馬を管理する施設として、あの城塞を使っている。
やや距離が有るとは云え、軽く吹く北風からの微かな匂いで、数百頭の馬の存在を、あの雪壁の背後から感じられたからだ。
つまり馬の収容施設なので、落とし穴を初め、何かの罠をあの城塞一帯に造っているとは思われない。
このまま西から回り、急襲する心算であった。
ガリンは思考を更に巡らす。
若し、俺が敵軍の総指揮官だったら。
そうだ。逆に自部隊を全騎出撃させて、東へ進み雪壁の東端から出て、南から西へ向かい、今自分たちが奔っている後背を襲うだろう、と。
「速度勝負だ!ホスワード軽騎兵の疾風を見せてくれる!」
2
ガリンは近辺を奔る兵士に命じた。
「ダリシュメンの元へ行け。そしてダリシュメンを含めて騎射に自身の有る者を、彼に十騎程選ばせ、最後尾で追って来る筈の敵軍の先頭部隊を射よ、と」
ガリンが命を下した、ユースフ・ダリシュメン下級中隊指揮官は、この年で三十五歳。
ガリンからすると、もう十年も共に戦場を駆け、普段の勤務をしている頼もしい部下だ。
報を受けたユースフはガリンの意図を察し、即座に自身を含め十騎の騎射自慢を部隊の最後尾に移動させた。
「隊長の命は、敵の頭を叩き、敵軍の速度を落とす事だ。そうすれば、隊長が敵の最後尾に到達して、奴らは蹂躙されるって訳だ。おお~、怖いねぇ」
ユースフはおどけた様に言うが、実際にガリンが長槍を閃かし、後背から襲って来る等、真の恐怖其の物だ、と思っている。
ガリンが予想した様に雪壁を回り込んで、内側に入ると、罠らしい物は無かった。
其れ処か、視線の先を向けると、馬蹄を轟かして、東へ走り去る騎馬隊を確認した。
「このまま敵の最後尾を襲え!」
五百頭の馬の収容施設の為、障害物は無く、又地も雪掻きされている。出撃用に広く出入り口を左右に作っているので、ガリンの騎馬隊は一気に東側へ奔り、雪壁の東端から南へ、そして西へと旋回した。
上空から見れば、中心に城塞、其の左右の雪壁、この二十丈を越える長さの周りで、緑の騎馬隊と、赤褐色の首巻きをした騎馬隊が、輪に為って、宛ら蛇の様に互いの尾を喰い千切ろうと、疾走していた。
だが、緑の方の尾は猛然と矢を射て、傭兵団の先頭部隊の速度を落とし、其れが全体に波及して速度が落ち、傭兵団の最後尾には、緑の蛇の頭が近接して来る。
「拙い!このまま後背を襲われる!」
傭兵団は恐慌する。緑の蛇の頭が、傭兵団の蛇の尾に牙を向けつつあった。
傭兵団には馬上より正確な後方射撃が可能な射手は居なかった。
抑々、未だ暗がりの中、精緻な後方射撃が出来る将兵が揃っている、ガリンの率いるこの部隊が特殊なのだ。
傭兵団の蛇の尾まで、緑の蛇の頭は、五尺近くまで近づいた。
背の長槍を閃かし、両脚で巧みに愛馬を操るガリンは、傭兵団の最後尾を襲う。
馬上より敵を倒しては追い抜き、更に馬上から次の敵を叩き落とす。
幸運なのは、地は雪深いので、落馬しても全身の痛みは其れ程でも無い。即座に立ち上がり、逃げれば後続のガリンの部隊に蹴散らされる事は無かっただろうが、大半は馬蹄に踏みにじられ、辛うじて難を逃れた者は数少ない。
「このまま突っ切れ!」
ガリンに続く将兵も傭兵団の中に入り、背後から、並走して左右から、敵兵を馬上より落として行く。
「おのれ…!このままでは全滅だ」
この傭兵団に指示を下す立場の教団の師父が呻く。彼と二十名程の教団員は傭兵団と同種の軍装をして、馬で奔っているが、至近にホスワードの指揮官、つまりガリンが見えて来た。
「バリスが言っていた『無敵戦士』か…。以前に我が師父が亡くなる戦いにも参加していたな」
あの時は如何にか落ち延びたが、前の師父は傷深く死亡してしまった。
現師父は叫んだ。其れはホスワード語でもバリス語でも無く、ヴァトラックス教を国教としているラスペチア語でも無かった。
単語を数語言っただけだが、其れは開祖ヴァトラックス時代の古語で、「全員、下馬、南、逃げる」と判る者なら聞き取れた筈だ。
二十名程が馬から一斉に降り、雪中を南へ走る。
其れを見たガリンは単に戦意が無くなり、逃げ出しているのだろう、とあまり気に留めなかった。
後で、逃げた方向を、周辺の衛士に連絡し、衛士と協力し追跡すれば好い、と判断した。今はこの傭兵団の完全な壊滅が優先である。
緑の蛇が傭兵団の蛇の半ばまで喰い付くと、傭兵団は進路を西へ向けての逃走に移った。ホスワード領を抜け、彼らの根拠地へ帰る心算なのだろう。
ガリンは又もユースフへの連絡兵を飛ばして、この様に命じた。
「俺は敵を完全にホスワード領から駆逐するまで追撃するので、お前は逃げ散った傭兵団の追跡、及び可能なら捕縛を頼む」
ユースフには百騎程を与え、この逃げ散った傭兵団を任せた。この時ガリンは実はホスワード領内へ逃げ散っている方に首領が居る事には、未だ判っていない。
傭兵団は兎に角逃げる事を重視し、少しでも重さと為る、鉄具や武器さえ捨てて逃げて行く。
流石にガリンもこの逃げ様は指導者の居ない、個々人の生き残りを為の逃走と断じた。
「この逃げ方は壊乱した部隊の逃げ方だ。敵首領はホスワード領内に逃げた方か!」
ガリンは追撃を辞めさせ、ユースフとの部隊合流を図った。
師父を初めとする教団員二十名と、落馬したが無事で済んだ傭兵団の三十名程。合流しての五十名程が南へ逃れる。
傭兵団としては、土地勘の無い場所で、雇い主と云う事も有り、師父たちの一旦の部下と為った。
教団側も少しでも人数が多い方が、助かるし、何よりいざと為れば、彼らを突き出すなり、囮にして、更なる逃走を続けるのに使える。
彼らは騎馬で追撃して来るホスワードの一団を確認すると、騎馬隊が入れない森林地帯に入り、其処から道無き山野を目指す。
「この時期に碌な備えも無く、山野を入り込むなんざ、自殺行為だ。逃げた方向のみを報告して、斃れている奴らの捕縛を優先しろ」
ユースフは逃げた五十名は諦め、戦場と為った地で倒れ伏している百五十名を越える傭兵団の生死の確認と、息のある者は捕縛する事を命じた。
3
ガリンとユースフの部隊が合流する。既に払暁だったが、空は厚い灰色雲に覆われていて、相変わらず小雪がちらついている。
「逃げた奴らに首領が居たのですかい!?申し訳ありません!何としてでも追うべきでした!」
慌ててユースフがガリンに謝辞するが、ガリンは落ち着いていた。
「いや、お前の判断は正しい。今はこの捕縛者の護送と、逃げた奴らの規模と方向を正確に報告出来れば問題無い。五十名程なのは確かだな」
ユースフから逃げた方向の確認も取ると、ガリンは数騎を選び、逃げた方向の村落に注意喚起する事を命じた。
「方向からすると、ラテノグ市に向かうのが好いだろう。其処でブローメルト将軍の指示を仰ごう」
ラテノグ州都である、ラテノグ市は州の南部のほぼ中央から東寄りに位置している。
其処へ向かったのだが、先ず賊徒の遺体をこの地に埋め、更に後方に待機させた輜重車数輌を、エゴール以下の味方の遺体の収容用と、捕虜の護送車用にして、出発したので、昼が過ぎ早くも夕闇が迫る時間帯だった。
三日掛かって、ラテノグ市に到着した。ラテノグ市の衛士たちも周辺地域を捜索しているが、逃げた賊徒の発見には至っていないそうだ。
近辺の村落が襲われたとの報告は入ってこなかったので、ガリンは一先ず安堵する。
エゴールたちの遺体の棺の用意と安置場所への搬送、そして捕虜の収容もラテノグ市の衛士と役人たちが遣ってくれた。州都だけに衛士や役人は多く、そう云った収容施設にも困らない。
「そうだ。ルーマン指揮官は何処の出身だ?御家族は?」
ガリンは自分の上司の素性を知らなかった事に困惑した。これは帝都のヨギフ・ガルガミシュ将軍宛てに書を認めなければ為らない。
まったく、自分にはまだまだ知らない事。地位に応じた役目が十分に果たせず、上位者の命を仰ぐだけの半人前だと気付かされる。
高級士官、そして将とは、この様な事にまで手を回せる能力が必要なのだ。
ガリンが帝都のヨギフ宛てに手紙を出してから一週間後、ヨギフからの返信が届いた。届けたのは戦闘前に帝都に連絡に飛ばしていた、アレン・ヌヴェル中級小隊指揮官の五十騎だ。
戦死者については追ってヨギフが選抜した部隊が来るので、この部隊が棺を其々の故郷に運ぶ。
捕虜も同じく護送車を送るので、ウェザール州への収容施設行き。
又、軍事行動に出たバリスには、ティル・ブローメルト将軍が一軍を率い、恐らく示威行動に終わるだろうが、この様な手出しを再びさせない為に、バリス領を侵犯する。
ガリンに対しては次の様な命が下っていた。
「ラテノグ州内に関しては、ティル卿に一軍を割き捜査に当たらせる。卿らは更に南へ行き、ムヒル州へと迎え」
ガリンは自身に宛がわれた衛士用の部屋でホスワード帝国の地図を広げる。
ムヒル州はラテノグ州の南東に位置する小さな州で、曾てラテノグ州の大半がバリス領だった時期に、幾つかの見張り塔が造られたが、現在これ等は遺棄されている。南へ逃げたのなら、賊がこれ等に潜んでいる可能性が高い、とのヨギフの推測である。
二月二十四日。ガリンが率いる八百五十騎はラテノグ市を出発して、ムヒル州への進路を取った。ムヒル市を拠点として、ムヒル州の遺棄された塔群の偵騎を行なう。
ムヒル州も雪深い。山地が多く、林業や木工品が盛んな州だが、ホスワード帝国でも領域や人口が最も少ない州だ。
州都ムヒル市は人口約三万。ガリンの故郷のクミール王国の方が大きい。
「随分と小さな処ですね。俺たちが滞在出来る軍施設は有るんですかねぇ」
ユースフの言葉にガリンも頷く。八百を越える人馬の収容は可能なのか。
ムヒルの州知事にはガリンたちが赴く事が、既にヨギフから知らされていて、如何にか人馬の収容は可能だった。
二月二十七日。到着したガリンは早速ムヒル州の塔群の位置についての詳細な説明を、担当の部署の役人から受けた。
「…ふむ。このカリーフ村の近くに在る見張り塔は、ラテノグ州から南東に進めば、到達出来るな。この塔は使用されていないのですか?」
「はい、もう何十年と人の出入りは有りません」
「では、此処を俺が直接偵騎に赴こう。アレンを含め二十騎程だ。ユースフは残りの部隊の統括を頼む」
ガリンは僅か二十騎で自らカリーフ村への出発を決した。翌日の二十八日だ。
朝日を浴びて、二十騎がさして急ぐでも無く、雪に覆われた草原の中にある整備された道を堂々と進む。この日の天候は極めて好かった。
アレンが声をかける。その目線は未だ全体が深く雪化粧された山脈をさしている。
「ウブチュブク指揮官。そろそろカリーフ村に到着します」
カリーフ村は人口約五百だが、人家は大きく、林業を主とした村なので、作業場も在り、其れなりに広い村である。
門前でガリンたちは馬を降り、当日の村番をしている人物に訪問の目的を告げた。
「賊が近くの塔に潜んでいる可能性が高いと。判りました。村長のお宅へ」
ガリンたちは徒歩で村内を歩く。軍装姿の二十名が現れたのだから、村人たちは作業を止め、何が起こったんだ、と訝しる。そして先頭を歩く二尺を越える責任者らしき大男に目を奪われる。
カリーフ村の村長はミセームと云い、五十歳前後の男だった。
「ミセーム村長。小官はガリン・ウブチュブク上級中隊指揮官です。北方のラテノグ州にて賊徒を討ったのですが、五十名程が南へ逃げました。このムヒル州まで逃げ込んだ可能性があるので、見張り塔を初め、色々とこの地域の情報を知りたいのですが、ご協力願えませんでしょうか?」
ミセーム邸の広い居間に通され、机を挟んで、ガリンとミセーム夫妻は正対し椅子に座り、アレンたち部下は周囲で立っている。
「其れって、貴方たち軍人さんたちが逃したって事ですか?失態でこの村が襲われるなんて、いい迷惑ですよ」
居間の扉が開き、若い女性が入出して来る。
ミセーム夫妻の一人娘のマイエだ。
「こらっ!マイエ。失礼だぞっ!」
「いや、村長。娘さんの言う通りです。小官たちの過失です。決して人々や村落に被害を出さぬ様に始末をつけます」
ガリンは立ち上がり、入出して来たマイエに一礼する。
「…うわっ、でかっ」
マイエは驚く。そして巨大な体に似合わない、どこか優しげな顔は三十前に見える。この年で士官なのは貴族が大半だろうが、そうで無いのなら純粋に戦士として優れているのか。
一方のガリンは、はっきりと意見を言うマイエには好感触を持った。
彼女の背丈は百と六十五寸近く。栗色の髪は長く、後ろで束ねている。村内で仕事をしているのだろう。一見細身だが、健康的な美に溢れていて、黄みがかった灰褐色の瞳は好奇心に輝いている。
年齢はこの年でガリンの九つ下の二十一歳だそうだ。
4
カリーフ村の奥には、使われていない一際巨大な邸宅と、其れに併設された厩舎が在る。
ミセーム村長の縁類が此処で馬牧場を経営していたのだが、其の人物には後継者が無く、十年程前に没してしまった為、今では邸宅も牧場も空いていて、村長が管理している。
ガリンたち二十騎は、この邸宅で一夜を過ごす事と為った。明日に問題の塔への探索を行う。
翌朝。この邸宅に来た案内人にガリンは驚く。
マイエ・ミセームが件の見張り塔への案内をすると云うのだ。
「御両親から了解は取って来たのですか?えぇと…、ミセームさん」
「マイエと名で構いませんよ、士官さん。両親の許可は取ってあります。あと士官さんの姓は呼び難いので、ガリン殿で宜しいでしょうか?」
「はぁ…」
ガリンは一行にユースフを連れて来なくて好かった、と思った。
当地までは馬で行けず、徒歩にて進む。故にマイエの服装も丈夫そうな厚手の作業着だ。
吐く息は白く、山道は深い雪に覆われているが、天候は雲一つない晴天。空に輝く太陽は冬の弱々しい光だったが、森林と大地に積もった雪に反射して、眩しさを感じる。
そして、見張り塔に着いた。石造りの当然高さを重視した造りで、四十尺は有るだろう。ほぼ正四角形の幅は六尺位で、内部の広さは石壁の厚さを五十寸とすれば、二十五間(二十五平方メートル)以上か。
入り口は一つ。縦二尺横八十寸の厚い木製の戸で、所々鉄で補強されている。
鍵はムヒル市で管理しているので、開ける事は出来ないし、外から見る限り人の気配は無かった。
「ですが、緊急の為に塔内の地下から、外に出る事が可能な通路と出入り口が有るそうです」
「其の出入り口の場所は判りますか、マイエさん」
ガリンの問いにマイエは首を振った。もうずっと使われていないので、土に埋もれ、然も今では其の上に雪が積もっている。
「其処まで離れた場所では無いと思いますが」
ガリンは考え込んだ。あのカリーフ村の馬も収容出来る邸宅を根拠地として、二十名を常駐させ、ムヒル市を拠点に捜査部隊を百名として、月一の交代制で残りは帝都ウェザールに帰還すべきと判断した。
ガリンたちはカリーフ村に戻り、ミセーム村長に例の邸宅を自分たちが使用する事の許可を得て、ムヒル市に向かい、ムヒル州に於ける賊徒の捜索は、カリーフ村の二十名、ムヒル市での百名と説明し、交代制の業務とし、これを帝都のガルガミシュ将軍の了承を得る早馬を出す。
数日後、このガリンの案は了承され、ガリンは百騎を率い、ムヒル市を拠点とする他の見張り塔群の捜索へと出る。
ムヒル市としても、八百の騎兵を長期に亘って常駐させるのは無理なので、このガリンの決定には安堵した。
ガリンはムヒル市を拠点に他のムヒル州の見張り塔の探索。カリーフ村の二十名はアレンが中心に為り常駐し、ユースフが残りの大半の将兵を率いて帝都の練兵場へと帰還して行く。
一カ月交代の移行だが、ガリンはムヒル市とカリーフ村の常駐を交互に行ったので、ずっとムヒル州に居る。
5
時が経ち、六月。既にバリス軍に対する軍事行動は終わり、ティルは信頼する部下を二百名を選抜してラテノグ州の捜査に当たらせている。
ガリンのこの月はカリーフ村での滞在で、アレンを含め二十名が揃っている。
アレンは三月の終りに一旦故郷に帰る事をガリンから命じられ、この六月の初頭にカリーフ村に一騎で戻って来た。
ムヒル市の百名はユースフがこの月初めから統括している。
既にガリンはカリーフ村近くの見張り塔の入り口の戸の鍵を、ムヒル市の担当者から得て、更に塔へ入れる地下通路の入り口も見つけている。
塔内に入らないのは、賊徒に塔内に入って貰って、塔内での戦闘にて殲滅すべき、と考えていたからだ。
其の際には、ガリンが一人塔内に入り口から潜入し、逃げ出す者は残りの十九名で外部の脱出口で迎え撃つ。
この案を知った時、アレンは驚愕した。
「ウブチュブク指揮官が御一人で賊徒を相手にするのですか?せめて小官だけでも付き従う事を」
「不可だ。内部は狭い。俺の戦いで巻き添えを喰らう恐れがある。其れよりアレンは例の脱出口に逃げ出す賊徒を一人たりとも逃すな」
六月十日。ガリンが三十歳に為っての五日後。遂に動きが起こった。
この数日前より、五名程の得体の知れぬ旅人風の男たちが、カリーフ村の例の見張り塔に、外の出入り口から侵入し、其れが数日間続き、合計で五十名程が根拠地としている様だ。
恐らく、あの二月の戦いに敗れてから、一旦は一塊で逃走していたが、五名単位で十に分かれ、其々別路で追跡を躱しながら、この塔に改めて集結する手段を取ったのだろう。
「ミセーム村長。今より小官たちは賊徒の殲滅に赴きます。村の人々を絶対に外出させない様にお願い致します」
出発の前にガリンはミセーム邸に寄り、一人の部下をムヒル市に飛ばし、二十騎程の村の警護を遣す事をユースフへの連絡に飛ばしている。
「ガリン殿!気を付けて下さい!」
「マイエさん、決して事が終わるまで外に出ぬ様に!」
一騎を連絡に飛ばしたので、ガリンたちは十九名で見張り塔へと走って行く。
季節は初夏。疎ら雲が有るだけの晴天。太陽は暖かく輝き、吹く風は爽やかだが、山道に入り、周囲の視界が森林に覆われると、軽くひんやりする。
塔まで三十丈程近づくと、ガリンは一行に歩きで進む事を命じ、更にアレンを初め十八名が例の脱出口へ付近へ。ガリンは一人で塔の入口へと分かれて進む。
ザシュッ!
ガリンが進む目の前に矢が突き刺さる。
塔の中部からの見張りが射た様だ。ガリンは不意打ちでは無く、一人正面から戦う心算なので、この様な事は想定内である。
ガリンは巨体からは信じられ無い速度で走り、塔の入り口まで到達した。
其の間、数本の矢が射込まれたが、彼には掠りもしない。
入り口に鍵にて開錠をする。分厚い戸は開いた。裏で物を置いたりして、塞ぐ事はしていなかったのは幸いだった。
ガリンは内側からの施錠をすると、この施錠装置を詰まった様に破壊した。この戸で中からも外からも、誰も出入り出来無くする為だ。
内部は矢張り狭い。ガリンは長剣を左手に、短剣を右手に同時に持って構える。
長剣を盾替わりに使用し、短剣を振るい相手を仕留めるのだ。
一階部分は物資の集積場所で、賊はいなく、歩廊から上へ登る螺旋階段をガリンは昇って行く。
十階建てで、二階に上がる直前でガリンは三名の賊と対峙した。
左手の長剣で、相手三人の攻撃を防ぎ、右の長い腕の先の短剣は、確実に一人一人の致命傷と為る箇所を斬り付ける。
既にホスワード軍人が一人で入り込んで来た事が、塔全体に伝わり、この侵入者を討つべく次々に賊たちは殺到して来た。
「此処に我らが結集するのを見計らっていたか。其れより既に彼奴はスーアへの連絡に飛ばしたな」
首領の師父が側近に確かめる。場所は最上階だ。
「あの我が師を死に追いやり、度々邪魔をするホスワードの『無敵戦士』!此処で例え我が身が斃れ様とも、道連れに殺してくれる!」
この師父は死を覚悟して、戦いに挑もうと決意した。後継と決めた三代目の師父は、彼の師の息子で、スーア市で役人をしている。
其のスーア市に信頼する連絡員を飛ばしていた。これからの活動は、必ずやあの我が師の息子が別方向から引き継いでくれるだろう。
螺旋階段は狭いが、各階の部屋は一室のみなので、かなりの広さだ。
部屋に入るとガリンは即座に短剣を腰の鞘に納め、両手で長剣を握り、自在に振るい賊たちを斃して行く。
「…十三人」
ガリンは斃した相手を数えていく。自慢の為では無い。若しかして、何人かが外に出ていて食料を狩りに行ってるかも知れない。
五十人前後を斃せば、先ず問題は無いが、四十人前後の場合は未だ十名程を探しての始末が必要と為る。
其の為に数を数えている。
だが、この塔にほぼ全ての賊徒が結集していたのだ。
たった一人、スーア市へ連絡に向かった教団員を除いて。
十数人がガリンに恐れを為して、外へ出ようとガリンを無視して、一階の入り口に向かう。
だが、鍵が壊され、頑強な戸は如何しても開かない。
彼らは教団員では無く、傭兵団で教団員に付き従った者たちだ。彼らと心中なんてまっぴらである。
一階の物置の部屋には、外へ出られる事が出来る地下の秘密通路が在り、其処へ向った様だ。
「あいつ等はアレンが必ず仕留める事を信じよう」
ガリンは外に逃げる者は無視して、上階へと上がって行く。
其の間、敵の姿は無い。
ガリンは最上階での決戦を覚悟した。
第十三章 ガリン・ウブチュブク 前編 了
徐々に本伝の話に近づいて行ってます。
次で最終話となります。
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