第十章 若き緑の鷹たちの飛翔 後編
水上でのガリンの活躍です。
第十章 若き緑の鷹たちの飛翔 後編
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ホスワード帝国歴百二十三年四月二十一日。メルティアナ州の北東部の、ある河川の近くにて陣を敷いているグィド・キュリウス下級大隊指揮官の元に、駆逐船十艘と輸送船一艘が、帝都ウェザールより河川や運河を通って到着した。
南西方向に河川を伝って、ある湖に入る。其の湖に面した箇所が、賊徒の根拠地だ。
但し、既に賊徒の首領は捕え、根拠地には百名も戻っていないだろう。
駆逐船は船尾の操舵手と合わせて十一名が乗船可能で、輸送船は根拠地より賊徒が奪った周辺の村落の貴重品を回収する用途として、凡そ百名が乗船する。
ガリン・ウブチュブク下級中隊指揮官は、この駆逐船に乗って、賊徒の討伐に入りたかったが、駆逐船は水戦に慣れた者が優先され、ガリンは輸送船に乗船して、収奪物の押収を命じられた。
ガリンは、此処より遥か彼方、北西のクミール王国と云う、峻険な山地や砂漠が広がる地域に、点在する緑地都市国家群の出身だが、この王国の近辺には湖が在り、当時の彼は夏とも為れば、水泳をしていたし、漁船に乗り淡水魚を釣っていた。
また、ホスワード軍に入ってから、メルティアナ城での任務時、しばしば輸送船に乗り、護衛業務をしていた。
つまり、彼は水上の任務に関しては、未経験者では無いが、無論専門家では無い。
水軍としての活動もしたい、と思った彼は、部下に軍船の運用に長けた者が欲しいな、と感じる。
翌二十二日の早朝に船団は出発し、午後の三の刻過ぎには賊徒の根拠地が在る湖に入る。
夕に為らない内に、駆逐船が根拠地の水上の要塞と、其処から奥に入った岩盤の洞穴の根拠地を攻撃する。
敵は百にも満たない為、二刻とせず戦闘はホスワード軍の勝利に終わり、輸送船に乗り込んでいたガリンは、降伏した賊徒の捕縛や、根拠地の収奪物の押収を粛々と行った。
一連の戦いで、根拠地に戻らず、各自で逃亡している賊徒も居るらしいが、これは十にも満たないので、彼らの捕縛はメルティアナ州の衛士たちが担当する。
賊徒の捕虜の総数は七百近いが、首領を初め十数名の幹部を帝都へ護送。一般の賊はメルティアナ市へ護送なので、両地から護送車が来るまで、キュリウス率いる部隊は交代制で、捕虜の見張りをする。
地理的に近いメルティアナ城から、五十名は入れる護送車が十四輌と、其れ等を率いる兵と衛士の合計五百が到着したのは、四月二十六日。
三日後の二十九日には帝都から護送車一輌が到着し、其のままキュリウスの部隊が、帝都への帰還も兼ねて、首領たちを送検する。
帝都からの出発時は、即座の賊の鎮圧の為、河川や運河を主に使い三日で到達したが、今回は厳重な護送車の見張りを重視して、陸路を主に使い、五月六日にはキュリウスの部隊は帝都ウェザールを望む位置にまで達した。
ウェザールの西隣の練兵場に部隊は到着する。護送車は既に連絡を受けた刑部省の一行に引き渡し、キュリウスの部隊には、ヨギフ・ガルガミシュ将軍が側近を連れて、労いに来ていた。
昼過ぎとあり、部隊は其のまま輜重車から食事の用意をし、ヨギフは酒を持って来る事を側近に命じ、練兵場内で仮設の祝勝の宴会が始まった。
「ガリン、此度も好く遣ってくれた。昇進は固いと思ってくれ。ティル卿も晴れて高級士官だ」
この年で共に二十四歳になるガリンは中級中隊指揮官に、ティル・ブローメルトは下級大隊指揮官だ。
将軍ヨギフは両者より十歳上の三十四歳に為る。中級大隊指揮官昇進予定のキュリウスは三歳上の二十七歳なのだから、ホスワード軍には着々と若手の有能な指揮官が揃いつつある。
練兵場の一角での、約千名の将兵の宴席は夜遅くまで続いた。
翌朝、ガリンは練兵場内の士官用の兵舎棟の一室で目を覚ました。
ヨギフから、先ずは三週間の休暇をキュリウス部隊は貰っている。
兵舎棟を出て、東に在るウェザールをガリンは望む。
帝都ウェザールは、東西に四里(四キロメートル)、南北に五里にわたる石造りの城壁に囲まれていて、其の城壁の高さは十五尺(十五メートル)を超えているが、ガリンの居る練兵場は其れを一回り上回る規模の広さだ。
又、ウェザールの北東には罪人や捕虜等の収容施設が在り、護送して来た賊徒の首領たちは、今現在この中に居る筈である。
三週間の休暇の後、兵部省の高官でもあるヨギフ・ガルガミシュから、キュリウス部隊に対する次の命が下された。キュリウス部隊は解散と為る。
グィド・キュリウスは中級大隊指揮官として、北方のオグローツ城の幕僚。
ティル・ブローメルトは下級大隊指揮官として、西方のバルカーン城の幕僚。
ガリン・ウブチュブクは中級中隊指揮官として、南方のボーボルム城の勤務。
上級中隊指揮官のエゴール・ルーマンは、このキュリウス部隊の半数を指揮下に置き、中央軍に残る。
ガリンの部隊は百名だが、当地でボーボルム城の将兵を百名追加して、二百名の部隊と為る。
上級小隊指揮官と為ったユースフ・ダリシュメンは、事実上のガリンの部隊の副帥として、南方に行く訳だが、北方のエルキト出身の彼は、南の水上任務に余り気乗りがしない。
「南方は美味い料理や酒が豊富だと云うぞ。水上任務も上手く熟せれば、俺の部隊は何時しか自分たちの意志で任務地の希望が述べる事も出来る…、と思う」
「思うですかい!」
ガリンは水上任務に興味があったので、この決定には歓迎していた。
2
ガリンの百名の部隊は、準備も色々と有ったので、六月五日、奇しくもガリンの二十四歳に為る日に、練兵場を出発して、南方のボーボルム城へ向かう。
前日はティルが自身の側近たちだけで、西のバルカーン城へ出発していた。
又、この六月の初日。ティル・ブローメルトがマリーカとの結婚式を挙げた。
この一月前に、ティルの父親のフィン・ブローメルト将軍が中央軍に転属と為り、後継のオグローツ城司令官は将と為った、スミレツ・バールキスカンが就いたので、フィンとアマーリエも新郎両親として出席した。
結婚式場が帝都内の典礼省に付属した豪奢な建物だったので、式に参加する事をティルに懇請されたガリンは、最初は断っていたが、ヨギフ・ガルガミシュも説得に加わり、渋々参加した。
「自分は場違いでないか」との思いを抱き続けながら、様々な貴人が参列した式だったが、ヨギフ夫妻と息子の八歳に為るウラドが常に傍に居たので、ガリンは如何にかこの堅苦しい式を乗り越える事が出来た。
「壮健でな。次会う時は、君は将かな」
「うむ。次会う時は、君も結婚をしているだろう」
ガリンとティルが二人きりで言葉を交わしたのは、このティルの出発日だった。
ボーボルム城への到着期日は「六月中旬から下旬まで」と明確でない。ガリンの部隊は全員騎兵なので、急げば四日程で到着出来る。
当地では、今現在何か切迫している問題が無いので、ゆっくりとホスワード南部を半ば物見遊山で進むが好い、とのヨギフの声がガリンの頭に聞こえて来る。
南へ向かう毎に、大気は湿気を帯び、日中での炎熱は強い。
時折、豪雨に見舞われる事も有り、軍施設で丸一日過ごした。
こうしてガリンの部隊は十日間掛けて、ホスワード帝国の南方の東寄り、南部にドンロ大河を望むボーボルム城へ到着した。
ボーボルム城司令官はセニョン・スホトロフと云う、この年五十八歳に為る経験豊富な将で、勲士階級からの叩き上げだ。
彼を補佐する主席幕僚のヤリ・ナポヘク上級大隊指揮官も勲士階級の出身で、この年で三十八歳。
ガリンはこのナポヘク直属の部下と為った。
「基本的に卿らには操船を覚えて貰うが、稀に近辺の陸地にて賊が現れるので、其の場合は卿の騎兵での迅速な対応を受け持って欲しい」
ガリンが出会ったホスワードの高級軍人たちの大半がそうだが、このナポヘクも何処か変わっている。
身の丈が百と八十五寸近くの細身で、淡い栗色の髪は短く刈り込み、細面の顔は温厚な学者肌の感じを醸し出し、水色の瞳の輝きは穏やかで飄々としている。
要するに余り軍人らしくないのだ。同種の感じを持つ者も多いらしく、何故彼が官僚や学者の道を選ばず、軍学院から軍に入り、然も着実に実績を積み、四十前で将の手前まで出世している事についてだ。
司令官のスホトロフが如何にも「海の男」の屈強な荒々しさを持っているので、其れが特に際立つ。
ガリンの部下はこのボーボルム城から百名を追加され、彼らは長らく水上任務を熟しているので、ガリンを初め全員はこの百名から実質の指導を受ける立場と為った。
「命に係わる事だ。私を初め全員に遠慮なく指導を頼む」
ガリンは新たに配下に加わった、二名の上級小隊指揮官に、指導を仰いだ。勿論年齢は両者の方がガリンより十歳近く上なのだから、ガリンは素直に新たな部下の教えに従う。
一カ月が経った。この間ガリンたちは週五日、朝の八の刻から、昼の一刻の休憩をはさみ、夕の十八の刻まで、ドンロ大河に出て操船を学んでいた。十一名乗りの駆逐船で、十名が漕ぎ手で、一名が三角の縦帆と船尾の舵を操り進路を変える。
小雨が降る時でも行っていたが、訓練途中に大雨に為った時は、即座に帰投して訓練は中止する。
最終的には大雨が降る中でも操船が出来る様に為る事だが、今は未だ其の段階では無い。
「然し、何とも暑い所ですな。河上で訓練してる時は、風が心地好いですが、地上だと日の当たらない所でも汗が止まりませんよ」
ユースフが升と呼ばれる十合(一リットル)の杯に入った麦酒を、一気に半分も飲み干し言う。
週五日の訓練の最終日の夕食時と、休日の初日の昼食時と夕食時は、飲酒が許されている。
ガリンは米を使って作られた清酒が気に入った。特に魚料理と合う事この上ない。
飲酒は食事毎に麦酒は升一杯、清酒は三合(三百ミリリットル)までと決まっている。
位置的には少し北だが、メルティアナ城の夏場もこれ程暑くは無い。当地はずっと西で内陸であるのも関係しているだろうが、此処ボーボルム城はラニア州の最南東に位置し、東へはクラドエ州、レラーン州が在り、レラーン州はホスワード帝国の最南東の州だ。
そして、レラーン州より東は大海が広がっている。つまり海に近い箇所と云うのも、この炎熱に関係しているのか。
雨が多く、夏は暑いこの辺りの地は、稲作が盛んでもある。
3
九月も半ばを過ぎると、この辺りも涼しく為る。日中は未だ熱いが、日が暮れ始めると、乾いた風は軽く冷気を含み、夜半の哨戒活動に出る者で、寒さに弱い者だと少し厚着をする。
北方で育ったガリンは、軍装は未だ夏用の薄手の生地を着込んでいる。
ガリンたちは中型船の操船を習い始めた。
百人が乗れる軍船で、甲板下の一層目は、矢や石弾を射出する装置が在り、二層目は左右其々に二十の櫂にて進む。帆は三本で前から横帆が二本、一番後方の楼閣上からは縦帆の造りだ。
これより更に大きい大型船だと、二百人乗りで、左右の櫂は三十である。
ガリンの部隊は二百だ。中型船二艘で模擬戦を主に行った。
新たに加わった百名の指導者たちと、長くガリンと共に戦って来た百名の戦いである。
操船や矢や石弾の精度は、当然新たな部下たちの方が上だ。因みに矢は先端を布でくるんだ物。石弾に至っては、人頭大の麻袋に葉っぱをぎっしり詰めた物を飛ばす。
但し、近接して、敵船への移乗と白兵戦と為れば、ガリンの直属の部隊が勝利を収める。
これを続ければ、ガリンたちは操船、新たな部下たちは白兵戦が上達する。
十一月も半ば近くに為ると、日中でもかなりの寒さだ。だが、空が灰色に曇った時に降る物は、冷たい雨。
北方だと、もう降雪がお決まりだが、この地は十二月から翌三月の初めまで、十数日に一度気まぐれに粉雪が降るだけで、一面の雪化粧は数年に一度位しか無いそうだ。
代わりに冷たい雨や霙が多いので、全身が濡れると、より寒さを感じる。
ガリンたちは操船の習得をほぼ終えたので、交代制で日中や夜半の哨戒業務に出ていた。
この年の十一月の初め。帝都ウェザールの皇宮の閣議室で、御前会議が開かれていた。
去年の十二月から本格的に始まった、クラドエ州の大貴族の調査報告である。
参加者は皇帝フラート・ホスワード。帝国宰相のライデュース・ロドピーア侯爵。刑部尚書のデヤン・イェーラルクリチフ。そして典礼尚書と度支尚書だ。
調査内容は、各貴族の邸宅にここ数年間の訪問客と、何の用事で客を受け入れていたかである。
内容はほぼ共通して、旅商人からの買い物が大半だった。
主に西方の商人、又は西方で買い付けたホスワード商人が、彼ら貴族たちに品物を売っていたのだ。
鮮やかな絨毯や、琥珀、瑪瑙、紫水晶等で作られた、指輪や首飾りや置き物等である。
要するに、一般の庶民から手が出ない高級品だ。
「其の商人たちの中には、ヴァトラックス教に関係する物を、売ってはいなかったのだな」
「はっ、ラスペチアで神具等を買い、売った形跡は有りません」
フラート帝の問いにイェーラルクリチフが応える。何しろ十カ月以上も掛けて、各貴族の邸宅内を隅々まで調査したのだ。
「…何れにせよ。商人は怪しいが、本朝に来る商人を一人一人取り調べるのは、通商上好ましくないな」
「左様で御座います。陛下」
今度は度支尚書が応える。
「賊徒の発生も起こっていない様だし、この件は様子見としよう…」
其処へ閣議室の外から、侍従武官が入出を求めて来た。フラート帝は許可する。
「陛下、先程礼部尚書の使いの者より、陛下に報告したき儀が有るとの事。テヌーラ通使館から礼部省に直接連絡が来たそうです」
「判った。余自ら礼部省へ行こう。テヌーラの通使館員も未だ滞在しているのだな」
侍従武官の返答を受けた、フラート帝は会議を打ちきり、礼部省へと向かった。
十一月十四日の早朝。前日の午後八の刻から、ドンロ大河を哨戒をしていたガリン・ウブチュブクを船長とする中型船がボーボルム城に帰投すると、ヤリ・ナポヘク自ら出迎えに来ていて、ガリンを自分の執務室に来る様に命じた。
「済まんな、これから休憩だと云うのに。卿らが出港した後に帝都から連絡兵が来たのだ。手短に話すので、終えたらゆっくり休養せよ」
ナポヘクから聞いた話の内容は、ドンロ大河の南岸。つまりテヌーラ帝国領で、ホスワードとテヌーラの脱走兵で構成された賊が割拠しているので、其れを討伐する為、ホスワード水軍の援助を頼みたい、とのテヌーラ帝国からの援軍要請だった。
「スホトロフ将軍より、私が討伐の主帥の命を受けた。地上戦の可能性も高いので、卿らの出陣も頼む」
出撃日は十六日の早朝で、準備はナポヘクが中心で行うので、哨戒に出たガリンたちは、戦闘員としての英気を養う為に、丸二日間の休憩を命じられた。
4
中型船五艘がドンロ大河を南下する。対岸はテヌーラ帝国領だが、ボーボルム城から直線でも三十里(三十キロメートル)以上は航海しないと到達出来ない。
目標位置が、やや西寄りなので、実際の距離は更に在る。
ガリンは旗艦も兼ねた先頭のナポヘクの船に乗船している。一艘で百名。計五百名のホスワード水軍が航行している。
十年以上も前に停止されたが、ホスワード軍は一時的に徴兵制を敷いていた。
これは単にフラート帝の旧領回復の戦の為の緊急措置で、全土から十の家を一つの単位として、其の中から十八歳以上五十五歳未満の健康に問題無い男子が居れば、一人を強制的に二年間徴集し、半年間の調練後に実戦配置していた。其れを約二十年以上続けていたのだ。一旦徴収された男子が二年間の兵役を終えると、もう次の対象とは為らない。
本来、この様な強制的な事をするのには、当の徴発された者が軍命に背いた場合、其の十の家を連座制で処罰すべきなのだが、フラートは其処まで徹底する事を躊躇ったので、結果として脱走兵の大量、とまではいかなくとも、ある程度出してしまったのだ。
無論、軍功を挙げた者には多い報い、戦死した場合は当の家族に遺族金を渡し、他の単位家族の九の家にも僅かばかりの金銭を渡していた。
こうして旧領回復には成功したが、結果として、今現在はこの脱走兵の流賊に悩まされているのが、ホスワード帝国の現状だった。
ある歴史家は後年述べる。「フラート帝が厳格に連座制を敷き、徴兵制を続けていれば、旧領回復処か、エルキト、バリス、テヌーラを制して、プラーキーナ朝の版図の再興が出来たであろう」と。
又、別の歴史家は述べる。「其の様な強権を発動していたならば、先帝のマゴメート以上に国は混乱し、ホスワード帝国は滅亡したであろう」と。
尤も、中には徴発後に、自発的に軍に残り続ける者も少なからず居て、ガリンに関係する人物だと、エゴール・ルーマンがこれに当たり、実際に彼は高級士官の手前だ。
ガリンたちはドンロ大河を五里以上南下しての水上任務をしていなかった。
ガリンたちの未知の領域に入るも、航行は順調に進み、対岸が見えて来たのは、出港してから三刻後だ。
ホスワード軍船は速度を落とし、南に伸びるあるドンロ大河の支流を目指す。其の川の先に賊徒の根拠地が在るらしい。
テヌーラ軍は歩兵千を出し陸路より攻め立てるので、若し賊徒が川に逃げ出したら、進路を塞ぎ捕えてるのが、事前に話し合わされた作戦案である。
賊徒の規模は五百程。目指す川に入り進むが、川幅が五艘並べてある程度の隙間が無い箇所で、ホスワード軍船は一旦停止した。
「然し、テヌーラ帝国は本朝より、水軍が充実しているのに、何故我々の水軍を援軍と頼んだのでしょう?」
「さあな。テヌーラは代々皇帝を初め、高官共も曲者揃いだ。自慢の水軍を少しでも温存したいのだろう」
ガリンの問いにナポヘクは応えた。和約を使って援軍を頼んだが、其の内、和約を破り一戦に臨むのか。単にホスワード軍を疲弊させたいだけなのか。
現在のテヌーラ皇帝は九代目でカリアムと云う。三十四歳の若き男帝だ。二年前に父帝の崩御により即位したが、皇太子時代には彼が中心と為って、対ホスワードの和約を進めていた。
テヌーラ帝国歴では、この年は百四十九年である。
ホスワードからすると、一面では武断的では無い穏健派。もう一面では油断出来ない文官系の策謀家、と見ている。
既にアヴァーナと云う、この年に七歳に為る長女の皇太子も居る。テヌーラ帝国は男女に関係なく、長子が後継として優先される為、次代は女帝と為る予定だ。
カリアム帝の援軍依頼で、討伐対象の賊徒の半数近くがホスワード脱走兵で構成されているので、「貴国は自国の兵の賞罰や始末も碌に出来ぬのか」と嫌みの様な内容が届いたので、ホスワード軍の出撃が上層部で渋々決まったのだ。
時刻は午後の四の刻を過ぎ。時期的にそろそろ日が沈み始める。空は疎ら雲。大気はやや乾き、時折来る北風は冷たいが、吐く息を白くさせる程の冷気では無い。
「篝火の用意をせよ」
ナポヘクが全船に命じる。一艘に付き十の篝火が船体に灯せる箇所に輝く。
「テヌーラ軍が夜襲で賊を追いたてる可能性が有る。若し此方に逃げて来る者共が居れば、捕縛を優先せよ」
水深は五尺から十尺程。これ以上は喫水の関係から進めない。逃げて来るとしたら小舟だろう。
其処に飛び降りるか、川に入り泳いで小舟に乗り込むかだ。
ガリンたちは武具を外し、格闘戦で取り押さえる準備を始めた。
其処へ遠くからこの川に停泊しているホスワード軍船目掛けて、五騎が現れた。テヌーラの連絡兵だ。
事前に布陣して貰いたい場所をホスワード側に伝えていたので、確認に来たのだろう。
ナポヘクは副官を初めとする側近数名と、中央の旗艦から、渡し板を伝って、最も左側の船から地上に降りた。
「ほぅ、テヌーラ軍にも騎兵が有るのか。単なる連絡兵だけなのかな?」
「少数ながら有るそうですよ。何せエルキトからはホスワードだけで無く、テヌーラにも移住する奴も居ますからね」
ガリンとユースフが遠くの地上のナポヘクの遣り取りを見ながら、言葉を交わし合った。
5
旗艦に戻る前に、ナポヘクは各船に移乗しながら、情報を全軍に共有させる。
「翌二の刻にテヌーラ軍が賊の根拠地を攻囲し、襲撃する予定だ。根拠地はこの川の上流の三里程。小舟を五十艘程所持した者共だから、其れなりの逃げ出す船が来る可能性が高い」
賊徒の数は五百、一艘で十名は乗っている可能性が高い。剣位だろうが、当然武器を所持している。そんな中に徒手空拳で突撃するのだ。
「テヌーラ軍が大半を捕縛して、此方へ逃げて来るのが十艘も無い事を願いたいですな」
ガリンとユースフたちは軍装のみの格好だ。頭の帽子も取り、革の手袋と長靴も脱いでいる。
「真っ先に俺が飛び乗り、武器を次々に奪っていく。其れまでは敵船に乗ろうとするなよ」
ガリンの言葉にユースフたちは軽い惧れを抱く。実際にこの自分たちの上官は其の様な事を平然と遣って退ける男だと、骨身に応えるほど知悉しているからだ。
未だ夕闇の中の六の刻近く。上流から怒声とも恐慌の声とも思える人の声をホスワード軍は聞いたが、これ等が近付くに連れ、一部は呆れる。
「こりゃあ、三十や四十の船が来てますぜ。テヌーラ軍は此方に単に賊を追い回しただけで、完全な始末は俺たちに押しつけやがる心算だ」
ユースフの言葉にガリンは無言で頷いた。ナポヘクとの会話からこの事態は想定していたのだ。
一方、賊たちも逃げる方向に五艘の中型船が進路塞ぐ様に係留しているのを確認した。
「このまま突っ切れ!」
先頭を進む小型船には十名程の賊が乗っているのを確認したガリンは、改めて手袋と長靴を身に付ける。
そして甲板上を三十歩程下がると、彼は前へ勢い好く走りだした。
ダンッダンッダンッ、ダンッ!
ガリンは船首より前方に飛び上がり、見事に先頭の船の中心位置に着地した。
ガリンの体躯は身の丈が二尺を軽く越え、身の重さは百十斤(百十キロ)を越える。この様な巨人が高くから着地して、船が特に損傷しなかったのは、其れなりに頑強に出来ているからだろう。
驚く賊を無視して、ガリンは長い腕を伸ばし、船縁を掴むと、左手を下に右手を上へと回転する様に力を加えた。
「うわあぁぁぁ!」
船は引っ繰り返り、ガリンは素早く上を向いた船底に立ち、部下たちに命じた。
「飛び降りて武器の押収と捕縛だ!」
「全く信じられん事をする人だぜ…」
ユースフを初めガリンの部下たちは次々に川に飛び降り、ナポヘクは流石に唖然としている。
「…これは話には聞いていたが、途轍もない勇者だな」
ドボン!ドボン!と次々にガリン直属の将兵が川に飛び込む。
ガリンが横転させた十名の賊を全て捕え、彼らが腰に差していた剣を取り上げる。
ガリンは一人で横転させた船を元に戻し、次の船に飛び乗った。
賊たちが剣を抜く前に次々に格闘で倒して行く。ガリンの拳の一撃や蹴りで川へ飛ばされる者。彼らも次々に捕縛されて行く。
「我が船団の間を通る船には弓を射よ!」
ナポヘクがそう命じた頃、時刻は七の刻近く、東から日の光が感じ取れ、空が明るみ始めた時間帯だった。
賊の船体に瞬時に十数本の矢が刺さる。賊は弓矢を携帯していない。一方ホスワードの軍船は高所より射ている。一方的な殺戮が可能だ。
「航行を止め、武器を捨て降伏せよ。さもなくば次は人目掛けて射る」
ナポヘクはテヌーラ語とホスワード語で二回同じ事を言い、間を抜けてドンロ大河へ逃げ様とした賊たちは、次々に降伏して行った。
「泳いで敵船に乗り込もうとするな!既に抜刀しているぞ!」
ガリンの注意の声が飛ぶ、五艘目に飛び乗り、全員を水中に落とし込み、敵から奪った剣を持っている。
敵船に手を掛けて乗り込もうとしたら、指や手が斬り落とされるのは確実だ。
ガリンが乗っている船にユースフが乗り込み、他のガリンが無人にした四艘には十名程が乗り込んだ。全員が奪った剣を持っている。
残りの部下たちは賊を捕縛して、川岸に上げている。
奇襲はもう効かない。未だ二十艘程の船には、賊が立ち上がり抜刀して身構えている。
ガリンとユースフは其々近付いて来た船に飛び乗り、一人で十を相手する。
「ウブチュブク隊長は万人を相手に出来るが、俺だって十人は同時に相手に出来るぞ」
実際、ユースフの剣技は傑出し、即座に相手から付き出される剣を叩き落とし、蹴りを入れて水中へ落として行く。
ガリン程の速度では無いが、彼も一人で次々に敵船を落として行く。
四艘の部下たちは擦れ違った賊の船と、互いに船中から剣を打ち合わせ、数名を川に落とす事に成功する。其のまま流れる賊は、中型船五艘から船体に矢を射られ、ナポヘクの降伏勧告を受けざるを得ない。
日が完全に昇りきった、ホスワード帝国歴百二十三年十一月十七日の九の刻までに、テヌーラ帝国領に入ったホスワード水軍は賊徒の完全な鎮圧に成功した。
第十章 若き緑の鷹たちの飛翔 後編 了
ここでこの世界の度量衡の整理です!
・一寸 : 1cm
・一尺 : 1m
・一丈 : 10m
・一里 : 1km
・一斤 : 1kg
・一合 : 100ml
・一升 : 1l
・一刻 : 1hour
・一間 : 1平方メートル
例えば身長185cm、体重70kgの人物は、「身の丈百八十五寸(または一尺と八十五寸)で重さは七十斤」、と表現します。
【読んで下さった方へ】
・レビュー、ブクマされると大変うれしいです。お星さまは一つでも、ないよりかはうれしいです(もちろん「いいね」も)。
・感想もどしどしお願いします(なるべく返信するよう努力はします)。
・誤字脱字や表現のおかしなところの指摘も歓迎です。
・下のリンクには今まで書いたものをシリーズとしてまとめていますので、お時間がある方はご一読よろしくお願いいたします。