第一章 少年時代 前編
そんな訳で、ようやく外伝を出すことにしました。
20周年の「勇気」テーマがなかったら、出さなかったと思います。
これを書きはじめたのは、多分2022年の年末あたりからでしょうか?
一年以上も私のPC内で発酵していた作品です。
では、ご一読よろしくお願い致します。
第一章 少年時代 前編
1
遠目から、若しこの騎乗した人物を見たら、誰もが成人した男の勇者と見えたであろう。
だが、近くで見れば、体付きは大人、と云って好いが、顔付きは十代前半である。
この少年とも、青年とも、判別し難い若者は、両脚で見事に馬を操り、左手に弓を持ち、右手で矢を番え、狙った鹿を見事に射た。
恐るべき事に、場所は平地で無く、道らしい道も無い森林の山中。
若者は、射止めた鹿に近づき、馬を降り、鹿の血抜きを手際よくして、近くの小川で鹿と自身の手を洗い、背負った大きな背嚢に、仕留めた鹿を如何にか納めた。
そして、家路へと帰る。午後の五の刻(五時)近く。未だ日が沈むには、数刻は掛かる時期である。
彼の家は、何とも大きく、百人近くは暮らせる建物だった。
其れも其の筈、彼の住処は宿屋で、彼と母はこの宿屋で住み込みの従業員をしている。
三階建てで、一階部分が受け付けや事務室、大食堂と其の調理場、そして湯あみ場。
二階部分が、四人が泊まれる部屋が、十五部屋ある。
そして、三階部分の半ば以上が宿屋の主人一家の居住場で、残りが住み込みの従業員の部屋だ。
若者は馬を降り、宿屋に併設された厩舎に愛馬を収容すると、前脚と後脚を絞った鹿を片手で軽々と掴み、宿屋へ入り、帰宅を告げ、一階の調理場へと向かった。
「お~い、夕食の一品だぞ」
若者の身の丈は百と八十五寸(百八十五センチ)に近く、体の造りも其れに見合った無駄な肉が無い屈強さに溢れている。
彼より身の丈が十寸(十センチ)以上は低いが、でっぷりとした四十過ぎの男が、鹿を受け取りに出て来た。この宿の料理長だ。
「相変わらず凄いな、ガリン。未だ十二だと云うのにな」
「おいおい、俺は先月に十三に為ったぞ。で、お袋は?」
「今日は余り体調が優れないから、俺から旦那に部屋で休む様に言っといたよ。会うんなら、湯あみをして清潔にした方が好いな。風呂の準備はしてある」
ガリンと呼ばれた若者、いや十三歳なのだから少年は、料理長に礼を言うと、一階の湯あみ場へと向かった。
七月中旬の午後の五の刻過ぎ。日が完全に沈むには、未だ四刻(四時間)近くは掛かる。日のある内は、何もせず佇むだけでも、汗が止まらない時期だ。
ましてや山野を馬で駆け廻ったガリンは、軽い土埃に塗れている。
然し、日が暮れ始めれば、炎熱は引いて行き、身震いする程では無いが、大気は軽い冷気を孕む。
クミール王国。
其れがこの宿屋が在る国の名で、東西貿易路である緑地都市国家の一つだ。
北に丸一日馬を駆ければ、エルキト帝国の勢力圏に入り、東に丸一日馬を駆ければ、ホスワード帝国とバリス帝国の係争地であるラテノグ州に入り、西へ丸一日馬を駆ければ、この辺りの緑地国家で最も栄えているラスペチア王国に到達出来る。
クミール語はラスペチア語に近いが、相互理解はやや難しい。
何故なら、長らくプラーキーナ帝国の一部だったので、プラーキーナ語の影響が強いからだ。
尤も、其のプラーキーナ語もラスペチア語を初めとする、大陸諸国で広く使われている言語群の最東部語群に分類されるのだが。
湯あみを終え、清潔な室内着に着替えたガリンは、自身と母親の部屋へと入った。
「母さん、具合は如何だい?」
二つ在る床の一つに半身を起こしていた母親は、鋭い叱責をした。息子がクミール語を喋ったからだ。
「ガリンや、何時も言ってるでしょう。私たちの間だけはホスワード語で話す事を。其れより勉強の方は終わったのかい」
ガリンの母のソルクタニは四十代半ば、と云った処か。
屈強な息子と違い、どちらかと云えば小柄で華奢である。
特に二年程前から体調を崩し始めてから、華奢に為って行った。
母と息子の姓はウブチュブクと云い、これはソルクタニの母親の姓である。この母親はエルキトの小部族の出身だ。
ソルクタニの父親はホスワード人だが、この父親はホスワードの辺境任務に就いていた兵であり、ソルクタニが幼い頃に、妻子を捨てて、本国に帰還している。
彼女の父親の姓は「ハートラウプ」だが、ソルクタニは息子ガリンに自分の父、つまりガリンの祖父の姓名を教えなかった。
だが、ホスワード人として生きる様に、息子に何とかホスワードから取り寄せた、十二歳まで通う学校の教科書を与え、正しいホスワード語を身に付けさせていた。
ソルクタニは、クミール語、エルキト諸語、ホスワード語を流暢に話す事が出来、更にラスペチア語、バリス語、ファルート語もほぼ問題無い。
ファルートとはラスペチアの更に西に在る帝国で、ラスペチア語と並んで、東西貿易の主要言語だ。
この言語もラスペチア語と同語群とされる。
ガリンの父は、このファルートの更に西に在る小国の出身らしく、自国の言語以外で使用可能だったのは、ファルート語だけだったので、当時ソルクタニがこの遠い西から遣って来たこの商人に、付きっきりで世話を焼き、何時しかお互い情が移ったのか、ソルクタニは懐妊するも、其れを知らずして、商売を終えたこの男は、遠い西方に帰ってしまった。
程無くして生まれたのが、このガリン・ウブチュブクである。
2
未だ日が上がり、空は蒼天に近いが、午後の七の刻を過ぎると、宿屋に次々と宿泊客の商人たちが遣って来る。
クミール王国は、ほぼ東西南北に二里(二キロメートル)の城壁に囲まれた都市国家で、人口は滞在している旅商人以外だと、四万近くだ。
東西南北には大きな門が在り、凡そ午後八の刻には閉められ、朝の七の刻に開かれる。
都市内は元より、都市周辺でも商いがされているので、この地を拠点としている商人たちは、八の刻前には急いで都市内に入る。
ガリンが鹿の狩りをしていた場所は、北門から出ての森林地帯だ。
ガリンが住み、働いている宿屋は、一気に忙しく為って来た。
食堂は百人近くが席に着ける。大体六十名程が席を占め、食事を頼み、談笑している。
一人で来た旅人、数人の商人たち、時には二十名超える隊商も宿泊する。
遣って来る者たちも東のホスワードやバリス、西のラスペチアやファルート、稀に北からエルキトの旅人も来る。
多言語が出来るソルクタニは、こう云った宿泊客の手続きを初めとする事務作業をして来た。
ガリンは既に何年も前から、宿泊客の荷物運びの手伝いや、馬で来た旅人の馬の世話等の力仕事をしていて、近年では夕食の食材をこの様に提供する役割を担っている。
彼方此方から、鹿の肉排や、鹿肉の煮込みに対する称賛の声が上がる。
宿屋の主人が、食堂を回り、客人たちと会話をしていた。
「ご主人、さっき料理長に聞いたが、この鹿肉は何でも十三歳の少年が仕留めたらしいな。料理長の腕も好いが、この美味さは仕留めた後、しっかりと血抜きをしてあるからだろう。大した少年だよ」
「有難う御座います。今、そのガリンは洗い場で仕事をしてますが、此処に呼びましょうか?」
「おお、是非とも頼む」
洗い場から呼び出されたガリンは、宿泊客から称賛を受ける。
特に未だ十三歳だと云うのに、戦士の様な立派な体格を誉められる。
「これは我が隊商の護衛に欲しいな。いやいや勿論冗談ですよ」
宿の主人はご機嫌だが、ガリンはこの主人をやや冷めた目で見ていた。
母のソルクタニから直接聞いた事では無い。
ガリンが物心つく頃、主人が自分を厄介者を見る様な眼差しをいていた事。
其れを例の料理長に話すと、料理長から住み込みで働かしているのに、余計な食い扶持を齎したソルクタニに、長らく辛く当たっていた事も聞いた。
だが、多言語に通じた彼女は貴重だし、この様にガリンが年齢以上に育つと、通常の大人と同等、いや其れ以上の働きをするガリンを認める様に為ったが、ガリンとしては本格的に働き始めた数年前までの主人の邪魔者扱いをしていた目付きは忘れられない。
母が自分をホスワード人として教育しているのも、何時かこの宿屋やクミール王国で居辛く為ったら、ホスワードの地にて生活出来る様にしているからだろう。
3
クミール王国は人口が四万にも達しない。だが、常時旅人が滞在しているので、凡そ五万から時には七万以上の人々が居住している。
国防は五百名程の殆どこの都市国家内を守る、警察権も持った衛士のみで、外敵からは周辺の傭兵団や、バリスやホスワードに謝礼の金額を出し、一部隊を出して貰う。
但し、ラスペチア王国を初め、この緑地国家群は様々な大国の緩衝地帯である為、基本的には金品は掛かるが外交努力で回避するのが主流だ。
エルキト帝国は、その時の権力者に因るが、しばしば緑地国家群に圧力を掛けたり、純粋に兵を向け略奪に来る事もある。
これに対しての軍事援助を主にして来たのはホスワード帝国であった。
何故ならこれら緑地国家群がエルキトの勢力下に入ってしまうと、ホスワードとしては西からの貿易路がほぼ閉ざされる、と云う事情が有る。
直近では、ガリンが十歳にならない数年前に、エルキトの小部族がクミール王国に襲来に来て、其れをクミール王国の要請で、派遣されたホスワード軍との戦いがあった。
どちらも千を越えない小軍団だったが、この戦いはクミール王国の衛士と上手く連携したホスワード軍の勝利に終わり、城壁上で戦闘を見ていたガリンは、ホスワードの緑の軍装と、三本足の鷹が配された緑の軍旗に魅了され、以降ホスワード語の勉強に対して本格的に取り組んでいる。
「俺はホスワード軍の兵に為りたい」
ガリンは誰にも、母にも言わなかったが、月日が経つ毎に、其の思いは強く為り、勉学だけでなく、武芸の稽古にも励む様に為った。
尤も、幼いころから体を動かすのが好きだったガリンは、これに関しては自発的に熱心に行い、狩りも其の一環だ。
現在のホスワード帝国は、第五代皇帝フラートの御世で、この年はホスワード帝国歴だと、百十二年に当たる。
つまり、ガリンはホスワード帝国歴九十九年に生まれている。
フラート帝はこの年で五十二歳。即位したのが丁度三十年前の二十二歳の若さだったが、即位経緯は少し特殊である。
彼の父親は第四代皇帝マゴメートであるが、学問や芸術を愛好するこの四代皇帝は、即位して最初の二・三年程は、主に市民の教育体制を充実させる等、内政に意を注いでいたが、やがて其れが極端に為り、様々な宮殿や大劇場を帝都ウェザールを中心に、帝国中に造らせ、財政を圧迫させた。
更に、外交では失敗を犯し、北のエルキト、西のバリス、南のテヌーラを全て敵に回し、この三カ国からの浸食に因り、国土は狭まった。
諫言する重臣たちに、彼は耳を貸さず、彼が国の指針を仰いでいたのは、怪しげな宗教集団で、ホスワード帝国の命脈は尽きようとしていた。
これを一掃したのが皇太子のフラートである。彼は重臣たちと綿密に計画した宮廷工作を起し、この宗教集団を一網打尽にして、父帝から「譲位」の形で帝位を奪った。
彼は父と異なり、武に秀で、この集団を露骨に嫌い、其の為、宗教集団はフラートを、マゴメート帝を操って、前線の司令官に飛ばしていたのだが、彼は自身の担当戦線での戦闘と、宮中での自派の結成を同時に行い、百程の決死隊を自ら率いて、密かに帝都ウェザールに戻り、宮中の味方と連携して、見事に政権を奪ったのだ。
そして、帝位に就くと、旧領回復の戦と、疲弊した経済の立て直しを、並行して行い、この帝国歴百十二年に於いて、ほぼ領土も国力もマゴメート帝即位前に戻した処か、伸張させている。
ガリンはこう云ったフラート帝の事跡全てを知っている訳では無い。
だが、ホスワードから来る旅人は勿論、其の周辺国からの旅人からも、フラート帝が稀代の名君、特に武に明るい彼は、ホスワード軍の軍制を改革して、実績が有れば、傍流の貴族でも将に、平民でも高級士官に昇進出来る様にしている事を聞いている。
以前は、下級貴族は高級士官、平民は士官が、軍に於ける最終地点だったのだ。
4
ガリンはクミール王国の担当の部署に、「貴重品を運搬する護衛兵」の志願を、十二歳に為ってからしていた。
文字通り、隊商や或いは貴重品を郵送する人員の護衛だ。
だが、年齢の関係で「考えて於こう」、で未だに役目を任せられていない。
これ等の護衛兵は、クミール王国の衛士が行うが、余りにも其れに多くを割くと、国防上問題があるので、この様な志願者を募っていた。
傭兵団に金を払って、護衛任務をさせる場合が多いが、正直傭兵団の大半は信用が置けない。
ある三十名程の隊商がホスワード帝国に向かうので、五十名の衛士をクミール当局は付けたが、途上エルキトの勢力圏を通るので、もう少し護衛の数を増やして欲しい、と頼まれた。
こうして更に五十名の希望者を募ったのだが、ガリンは其の中の一員に遂に選ばれた。
ホスワード帝国歴百十二年の九月に入ってからの事である。
母親のソルクタニは仰天する。この頃は体調が良く為って、宿屋の事務仕事をしていた。
「ガリン、何だってそんな危険な任務を、私に黙って志願していたんだい?」
「母さん、俺はホスワードの利に為る事は、以前から行おう、と思っていた。ホスワード人として、生きるのに必要不可欠な物と思っていたんだ。安心してくれ、途上ではホスワード軍の正規の兵が出迎える、と聞いている」
「…ホスワード軍の正規軍ねぇ」
ソルクタニが其れ以上語らなかったのは、彼女の父親がホスワード軍の正規の兵士だったからだ。
当然、母親の前に宿屋の主人に話しを付けなければ為らない。主人は頷いて了承した。
「うむ。この宿屋からお国の大事に従事する者が出てくるのは、素晴らしい事だ。恐らくお前が最年少者なのだから、周囲の大人たちの言う事を好く聞くのだぞ」
随分と御機嫌だが、これで自分の宿屋が、護衛任務も出来る人材を輩出可能な宿屋だと、御上に表明したいだけなのだろう、とガリンは思った。
この主人は、ガリンの勇敢さを利用しているに過ぎない。
九月中旬。クミール王国の衛士五十騎と、クミールの護衛兵五十騎、そして隊商の四頭立ての馬車十輌は、王国の東門から、東へと出発した。
馬車は四輪で、内部は大人十人以上は重ならず寝られる広さで、高さも二尺近く有る。
五輌は物品を納め、残りの五輌は飲食物や宿営地を築く為の資材が揃っている。
ガリンは自分の愛馬にて、これ等車両群を守る位置に付いている。
革の帽子と、革の胸甲、其の下の服装は旅人風だが、クミール王国の色である、薄い灰色の首巻きを靡かせ、鞍の左右には弓と矢を納める袋があり、腰には長剣を佩いている。
当然、クミール王国の衛士の軍装は、この薄い灰色が基本だ。
ガリンは弓術は独自で身に付けたが、剣術は流石にクミールの衛士に頼み込んで、習っていた。
とは云っても、この衛士は武芸の達人ではなく、ガリンに基本的な剣術を教え、後はクミール王国の武芸書を一時貸しただけだった。
馬上での接近戦では、この様に記されていた。
「馬上での戦いは、剣より、相手を落馬させる、先端に鎚等が付いた長槍が有用である」
ガリンはこの一節を読んで、考え込んだ。
「成程。だが、長槍を馬上で扱うには、両手で持って行い、馬の制御は両脚のみでするのだな」
ガリンは二尺程の木の枝を両手で持ち、馬を両脚で操り、枝を振るう訓練をしていたのだ。
これは騎射とはまた違った馬術と平衡感覚が求められる。
一行はエルキト帝国の勢力圏に入る。
十輌の大きな馬車は、果てし無い草原地帯では、大いに目立つ。
気候は薄曇りが在るだけの晴天。視界を遮るものは無い。
ガリンは馬上で少年とは思えない、鋭い太陽の様な明るい茶色の瞳で、周囲を観察する。
土煙が上がっていないか、つまり遠くで騎馬隊が奔っていないか。
そして、鼻腔を意識して、近辺に人馬の臭いがしないか、耳を立て、動物の嘶きや、人馬の移動音がしないか。
其れ等を行なう為、両耳を覆っている、頭の革の帽子を取った。
短く刈った黒褐色の頭髪が露わに為る。
彼の顔の造りは、大人同然の身体の造りに比べて、少年其の物だが、鋭い眼光が印象的な眉目が整っているので、同世代の少女たちなら見惚れる程だ。
太い眉の直ぐ下の大きな目の瞳は、明るい茶色に輝き、大人に為る事を示そうとしている高い鼻梁、口は大きいが、両の唇はやや薄い。
これ等が夏場は朝から日が暮れるまで、野外を駆け巡る事があるので、日に焼けた少し細面の顔に配置されている。
母のソルクタニは、白磁の肌、薄い茶色の髪、そして灰色がかった薄い茶色の瞳をしている。
若い頃、其れも四十前後までは、美貌を謳われていたが、体調を崩してからは、髪には白い物が目立ち始め、頬は瘦せこけ、常に何処か疲れた表情をしている。
「俺がホスワード軍に入り、士官に出世すれば、母さんに楽な生活をさせて遣れる筈だ」
そう常々母の疲れた顔を見る毎に思う、ガリン・ウブチュブクであった。
5
夕近く為り、ガリンは遠巻きながら異変を感じ始めていた。
恐らく地の利が有る者たちなら、深夜に襲撃に来るかも知れない。
ガリンは衛士の一人に其の意見を述べた。
流石に、衛士の長に直接意見を言える立場では無い。
衛士の長はこの意見を採択し、野営をする場合は、夜の七の刻から翌一の刻までを護衛兵五十人が、一の刻から朝七の刻までを衛士五十人が見張りをする事を決めた。
其れまでは、夜の見張りは五名の交代制で行い、朝を迎えると、五名は馬車の中で眠っていたのだ。
夜の六の刻を過ぎると、一団は野営の準備を始め、炊煙が上がる。
九月も半ばを過ぎると、もう空は半分以上暗く為り始めているし、寒気も覚える。
野営の周辺には、獣の警戒を兼ねて、暖を取る為の篝火が大量に配置されていた。
ガリンは夕食を済ますと、其れ等の篝火の一つの傍にて、見張り役に佇んだ。
「まぁ、突っ立てないで、座ってろや」
二人一組で、篝火の近くで見張りをしているので、三十代半ばの男が、獣皮の敷物を出して、ガリンに座るように促す。
「有難う。では使わせて貰います」
敷物はこの男の私物品だ。この男はこの種の護衛任務が豊富なのだ。
護衛の長に因る、ガリンへの差配である。
翌日と為り、十二の刻を過ぎた。そろそろ見張り役は衛士との交代の時間である。
「さて、交代の準備をしようぜ。俺はもう眠いよ」
欠伸をして、ガリンと共に見張りをしていた男が、立ち上がり、獣皮の敷物を取る。だが、ガリンは半身を起こし、片膝を付き、又も全身の感覚を研ぎ澄ます。
「…何か、気配がする」
「獣か?この火の中では来ないだろう」
「訓練された馬なら、火中の陣を襲うのは、不可能ではありません」
「勘弁してくれ、盗賊団か」
「エルキトの小部隊だと思います。夕近くに遠巻きに此方の跡をつけていました」
「このだだっ広い草原なら、騎馬の軍団など判るだろう?」
「此方が判らない様につけていた。抑々、この辺りは奴等の地。相手に見つからない様に追跡する等、容易でしょ…」
このガリンの言葉が終るか終らない内に、遠くから大音声が鳴り響いた。
人の絶叫音、鐘を鳴らす耳を劈く轟音。
先ずは此方の恐慌を起こそうと云う事か。
野営の隊商三十名と、衛士の五十名は既に起き上がっている。
隊商の長が、衛士の長に契約内容通りの意見をした。
「我々の物品は、我々が責任を持って守ります!襲撃に来る賊の追い払いを御願い致す!」
衛士の長は護衛兵も含めて、全員騎乗する事を命ずる。
馬も略奪の対象だからだ。
ガリンが愛馬に向かった時、矢が数本飛んで来た。
ガリンは瞬時に、手に持っていた獣皮の敷物で防ぐ。
「済みません!傷を付けてしまって!」
「そんなの好いから、急ごう!」
ガリンと男は、其々の愛馬に乗り、護衛兵の長の命により、馬車を守る隊商を、更に守る様に位置した。衛士たちも同様だ。
ガリンは偶々衛士の長の近くに位置して居たので、意見を述べた。
「さっきの大音はあちらからしていました!そして矢はあちらから来ました!敵は二手に分かれいますが、矢の方は数本しか飛んで来ませんでした。大音を鳴らした方が敵本隊と思われます!」
ガリンが大音をした方に指差したのは北西側、矢が飛んで来たのは南側と指差す。
ガリンは襲撃者は最大でも五十騎程と見積もっていた。
何故なら、其れ以上だと、追跡時に目立ち、此方の目視で判明されるからだ。
そして、彼ら五十騎が単の偵察部隊で、本隊に数百、数千の部隊が有るとは思えない。
其れ程の規模の軍団、数千以上ならクミール王国自体を襲うだろうし、数百なら通常に昼の野戦で襲って来る筈だからだ。
更に云えば、この様な隊商を襲うのは、小規模な筈だ。
大規模なら、成功しても、一人当たりの分け前の取り分が少なく為る。
一人当たりで、大いに取り分が得たいのなら、寧ろ五十騎以下だと、ガリンは判断している。
大音量を鳴らしてきた騎馬隊が此方へ、北西から来るのが判る。
ガリンの予測は的中していた。
襲撃の騎馬隊は、大音量こそ鳴らしているが、横に広く展開していて、恰も大軍の様に迫って来ているが、馬蹄の響き、微かに見える土煙。其れ等を感じたガリンは、後続に部隊が居ない事を断じた。
恐らく五十騎も無い。
「このまま相手と正面から突撃するべきです!数では我らの方が多いですから、勝利は容易でしょう!」
ガリンは衛士の長の参軍の様に言葉を発し、其の力強い言に、長は自然に頷き、北西から来る襲撃者への突撃を命じた。
「南の方は十騎程防備に備えよ!全軍突撃!」
こうして九十騎の衛士と護衛の軍は、同じく横陣に展開して突撃した。
この部隊に入っている、ガリンは弓を持ち矢を番える。
ガリンの鋭い目つきの瞳は、宛ら晴天の太陽のように輝き、この暗闇の中で狙った相手を灯火で照らしているかの様だ。
ガリンが矢を放つと、両手で鐘を鳴らしていた襲撃者の胴を革鎧を貫通して、深く突き刺さり、鐘男は馬上より落馬する。
襲撃者たちが驚く中、両軍は近接したので、暗闇の中で接近戦が展開される。
6
襲撃者たちの接近戦用の武器は、先端に鉄製の片刃の斧が付いた、長さ百二十寸(百二十センチメートル)の木製の槍で、柄である木全体と先端の斧が嵌め込まれた処が、革で覆われ強固されている。
一方、ガリンたちは衛士も護衛兵も、刀身が八十寸程の剣だ。
どちらも手綱を取り、片手で操ったり、両手で扱うが、襲撃者たちは巧く先端の斧で、剣を絡め取り、相手を武器の無い状態にしようとしている。
ガリンは両手で振り下ろされた、この先端の斧を剣にて防ぐが、相手は槍を操りガリンの剣を絡め取ろうとする。
「……!?」
馬の嘶く音がして、相手は驚いている。
ガリンは片足を鐙から外し、咄嗟にこの相手の馬を、その長い脚で蹴りつけていたのだ。
この男の馬は狂奔し、平衡を崩した彼は馬上より地に斃れる。
更にガリンは、地に落ちたこの男の先端に斧が付いた槍を、身を屈めて拾い、両の手で剣と槍を持った。
両脚で愛馬を操り、両の手に武器を持ったガリンは、激戦下に突撃する。
仲間の十名程が、剣を絡め取られ、追い回されている。副武器は刀身が三十寸も無い短剣。これでは槍の対処など不可能だ。
仲間を庇う様に、前面に出たガリンは両の手の武器を振り回す。
相手の槍に対しては、左で持った剣で防ぎ、其の瞬間奪った右手の槍を振るい、先端の斧が相手に致命傷を与える。
四半刻(十五分)としない内に、ガリンは十名以上を戦闘不能にさせた。
この様な小規模の戦いは、一人の傑出した戦士の活躍で、全体の趨勢が決まる物だ。
襲撃者たちは、次々に馬首を返して逃げ出して行った。
「おい、やるなあ。少年!いや、こんな活躍だから、少年では無く、立派な戦士だな。えぇと…、ガリン…」
先程まで一緒に見張りをしていた男が近づいて、ガリンの姓名を確認しようとしている。
「ガリン、ガリン・ウブチュブクです。歳は十三だから小僧扱いしても構いませんよ」
興奮する三十半ばの男より、ガリンは落ち着き払って言った。
「ウブチュブクよ、敵襲はこれからも有るかな?」
衛士の長がガリンに意見を求めた。この戦いの殊勲者である彼の意見を聞きたいらしい。
「無いとは言い切れませんが、次来る時は、数百の徒党で来るでしょう。ですが、其れだと一人当たりの分け前が少なく為るので、彼らとしては命を賭けて行う程の事ではありません。又そろそろホスワード軍との合流地点に近いですし、問題無ければ、この夜半を徹して先に進み、一刻も早い合流を目指すべきです」
衛士の長は頷き、このガリンの案を採択した。
「負傷者の手当てが済み次第、陣を片付け出発する!皆の者異存は無いな!」
更なる規模で襲撃が来る可能性が否定できないので、反対者は誰も出なかった。
こうして、ガリン・ウブチュブクは事実上の初陣を飾る。
彼は自身の武功を誇らしげに他者に語る事を、終生しなかったので、この活躍は後にクミール王国に帰還を果たした時に、この衛士の長が正しく報告し、クミールの当局で記録として纏められる。
一代の英傑、ガリン・ウブチュブク記の始まりである。
第一章 少年時代 前編 了
結構色々とやってますが、がっつりハイファンは2作目で、しかも2回目の10万字超え作品(予定)です。
一話で1万文字という、読み手様への苦行を久々にやって、何かウキウキしています。
【読んで下さった方へ】
・レビュー、ブクマされると大変うれしいです。お星さまは一つでも、ないよりかはうれしいです(もちろん「いいね」も)。
・感想もどしどしお願いします(なるべく返信するよう努力はします)。
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・下のリンクには今まで書いたものをシリーズとしてまとめていますので、お時間がある方はご一読よろしくお願いいたします。