才能ジュース
もうちょっと捻った題名でもよかったかなと思っています。
『このクラスで1番人気者なのは誰だと思いますか』
『将来の自分はどうなっていると思いますか』
『10年後の自分に何かメッセージを送ってください』
中学校の卒業論文のアンケートだ。確か、成人式の日に開けたんだったか。
質問の内容は覚えていて、肝心の答えを覚えていない。捨ててはいないので恐らく実家の、学習机のどこかの引き出しの中に入っているのだろうと思う。
式の日に最後の質問だけは先生が考えたものだと教えてくれた。
『もしも神様が、夢を叶えると言ったらどうしますか』
「なんだか伝えたいことが弱いなぁ…」
首を傾げて、半笑いの口をした編集者が言う。「今どき持ち込みなんて」と前置きをした割にはちゃんと読んでいたように思ったが、それでも評価は芳しくなかった。
「どれくらいで完結するつもりなのこれ」
「ええっと、200話くらいです」
「う〜ん」
今がどう言った状況かと言えば、僕がアシスタントのバイトをしている先生の紹介で新人を探しているという人に、描いたマンガを持ち込んでいる。
だが、僕はその新人に当たらなさそうだ。
「ごめん、これじゃダメだ。載せられない」
しばらくページを行ったり来たりメモを書いたりしていたが原稿を封筒に戻し、スッとこちら側に返された。零点では無いのだろう。何点かはあって、ここから助言と添削と推敲でどこまで持ち上げられるかを考えて、
そして百点にはならならないという結論に着地した。
彼はメモした内容の中のいくつかを付箋に書いて封筒に貼った。
「今いくつ」
「32です」
それを聞いて、彼は貼った付箋を剥がした。
「悪いことは言わないけど」
×××××
若さは武器である。時間の話では無い。どれだけ伸びるかの話だ。立派な幹には多くの枝が生え花が咲き実がなる。貧相な幹では支えられる量に限りがある。要するに、今から幹を育てる時間がないのだった。あのセリフから継がれた言葉を分かりやすくまとめるとそんな感じであった。
それでもと強請って付箋を貰った。哀れんだ目をしていた。まさかその見た目とこの薄さで俺より年上なのかよという目をしていた。題材は良いが内容が軽いため1年経験を積めば化けるかもしれないと書かれていた。
そしてそれを渡そうとしなかったということは、この歳で1年積んでも何も変わらないだろうという諦観だった。それらしい助言を書いたはいいが無意味なものになってしまったというわけだ。
己の幼い見た目が仇となった。先生の紹介という色も、作品という実力も、年齢という現状も、何もかも否定されたようなものだった。価値とは他人が自分に対し勝手につけるものであり、自分自身の値付けと異なっていれば過剰な自信になってしまう。
『将来の自分はどうなっていると思いますか』
「どうなっているんだろうな、今の僕は。」
きっと、何でもない。色づいていないのに落葉したようなもの。僕が自信をもって送り出したそれは、過剰なもので溢れていたのだろう。無価値。そういう値札が貼られている。
一度ため息にもならないような息を吐いて、嘆いていても始まらないとスマートフォンを取り出した。義理だけは通さなければならない。不貞腐れるのは簡単だが、それでは腐食が進むだけである。今日の編集者にお礼のメールを送り、紹介をくれた先生にも結果の電話をする。
「そうか」
2秒ほど黙ってからそう言った。持ち込むにあたって添削は頼まなかった。そうしたらそれは先生の作品になってしまうと思ったからだ。事実そうなってしまっただろうと思う。
「体冷やす前に帰れよ」
「はい」
出版界は第二の先生を求めている。紙をめくる指が止まらなくて、焦点の定まらない目がセリフとコマとをフラフラ彷徨って、夢中で夢中で最後の何の意味もない出版情報の書かれたページまでたどり着いてから思い出したように一ページ目へと戻る。そんな作品を求めている。
僕のを読んだあの人の目の流れ、指の動き…。
「そりゃあ、ダメだよな」
コツン、と靴の先に大きなアスファルトの欠片が当たった。
僕はそれを避けて帰った。
×××××
「変わらんなぁお前は」
なぜか翌日、僕は父親とファミレスの対面に座っていた。余計なことを考えないようにと帰ってすぐに横になった僕を起こしたのは母親からの大量のメッセージの通知音で、それは父親がそっちへ行くと言い出したという内容から始まり、既に新幹線を予約したという内容が続き、それを寝起きの回り切っていない頭で読んでいるうちに父親から駅近くのファミレスの所在地が送られてくるという顛末であった。
「何頼む?昔はここに来るとハンバーグしか頼んでなかったけど、今もそうなのか?」
「今でもおいしいと思うけど、ドリアとかピザとかも食べるよ」
「うおードリアか、ドリアもいいな…」
もう六十を越えたあたりだがやたらに元気である。数年前に食べ物の名前だったような、なんとかいう山に登ってきたあたりから登山が趣味になったらしく今でも登り続けている。恐らく僕三人分くらいの体力があるだろう。何か秘密があるのなら教えてほしい。
「最近どうだ、連載はできそうか」
「父さんこそ、急にどうしたんだよ」
別に問いに答えたくなかったわけではないが、どちらかと言えば先に話すのはそちらの方ではないかと思った。だって急だったし。今までは必ず二週間前までには連絡が入っていた。
急に訪れた理由が知りたかった。問いに問いを返すと、父親は二度三度口を開いては閉じてを繰り返した後に、やがて一息で済ませたいかのように言葉を繰り出した。
「…漫画家には成れてないんだろ。お前のペンネームで検索をかけてもしょぼい賞しかヒットしない。二年前にアプリに二つ読み切りが載って、それきりだ」
「しょぼいって…なんでそんなの知ってんだよ」
「親ってのはそういう生き物なんだよ。便りがないのは無事な証って言うけどな、同時に大成功もしてないってことなんだ」
「だから戻って来いって?」
噛みつくようにそう言うと、彼は黙って首を横に振った。それから僕と目を合わせず、鞄の中へ視線を落とした。少し言い過ぎたと思ったのかもしれない。
「バイトはどうなんだ、そっちで社員に上がれる仕組みとかも今はあるんだろ」
「もう働き始めて十年だから、いつでもいいとは言われてるけど。シフト制じゃないとアシスタントに入れないから」
高校生や大学生がバイトに入って、卒業と共に出ていく。ずっと残っているのは僕だけ。店長よりも古株で、社員やSVにはそれなりに頼りにされて、陰で馬鹿にされている。それくらいには上手くやっている。
それを聞いて、
「今日はこれを渡しに来たんだ」
鞄の中を暫く逡巡するように見つめてから、余計な話を一つ挟んでから、ゴトリと緑色の液体が八分ほどに満ちたやけに分厚いガラスの寸胴瓶をテーブルの上へと置いた。
僕は目で「なんだこれ」と問いかける。怪しい健康ジュースとかだったらさっさと会計して帰ってしまおう。
「才能ジュースだ」
「は?」
は?
気でも触れ…頭がおかしくなってしまったのか。僕の懐疑的な感情を見て取ったのかそれとも顔に出ていたのかは分からないが、父親は至極まっとうな顔で語りだした。
「俺はこれで山登りに目覚めた。五十を過ぎてから急に五千メートル近い山が登れるわけないだろう。こいつを飲んで、俺は新しい才能に目覚めた」
こちらをまっすぐに見ている。これで嘘なら詐欺師の才能に目覚めていたはずだ。
「自分の中にある隠れた才能が芽生えることもあれば、今ある一番いい才能が爆発することもある。どういう結果になるかは分からない。俺みたいにやったことない登山ができるようになることもあれば、もしかしたら仕事が急にできるようになったのかもしれん」
そしてずい、とその瓶をこちら側へと更に押し出した。瓶の表面には僕の間抜けな顔が映っていた。恐ろしいほどに深い緑、森をそのまま詰め込んだような深緑の液体。押し出された時の水面の揺れから粘性はそれほど高くない。青汁だと言われたら信じて飲んでしまいそうな見た目である。
「…どうして今なんだよ、もらったのが昔ならその時にくれればいい。飲んでほしいなら青汁とか野菜ジュースとか言って渡すべきだったろ」
矢継ぎ早に出た反論だが、それもただこちらを真っ直ぐに射貫く目線に破壊される。
「無理を言ってこの前二本目をもらったんだ。勝手に才能に目覚めさせたりなんて、そんなのは親のエゴが過ぎるだろう。飲むなら、自分の意志で飲んでほしい」
目を合わせているのに耐えられなくなって堪らず父親の顔から視線を外した。そしてもう一度ジュースを見た。毒々しい色をしている。手を伸ばして蓋に触れた。ひやりとした感触が指を撫でる。
才能に目覚めるジュース。青い猫がポッケから取り出しそうなものだ。ああいや、彼はもっと大それた電話ボックスを持っているのだった。
これを飲めば何かの才能に目覚める。もしかしたら漫画の才が花開くかもしれない。それとも他の何かかもしれない。登山であったり、何かの学問であったり、もしかしたらダンスの才だとか全然興味もなかったものになるのかもしれない。
少なくとも飲めば何者かに成れる。幹が育ってそこに葉や花、もっと言えば実だってつくだろう。父は、登山を始めてから友達が増えて、母と笑い合うことが多くなって、つまらない瞬間なんて一度もないかのように、老いなんてまるで感じないように日々を過ごしている。
そんな風に、僕も成れる。
目を閉じた。週刊誌に僕の作品が載っている。先生と並んで巻頭を飾っている。アニメ化が決まって、アシスタントがついて、僕の作風を真似たものが現れる。何かツイートをする度に、それが意味のないようなことでも沢山のハートが点いて色んなコメントにあふれる。
息を吸った。
目の前にあの時のアンケートがある。
『もしも神様が、夢を叶えると言ったらどうしますか』
×
「要らないよ」
唖然としていた。信じられないようなものを見る目をしていた。僕の手が瓶を掴んでいたから、きっとそのまま蓋を開けて飲むんだと思ったのだろう。僕の返答に対して父親は固まっていた。
「僕はこれを飲まない」
アンケートの返答は、大きなバツ印だった。
「例えば僕が夢を叶えて漫画家になったとして、とんでもなく有名で父さんも鼻高々で、母さんも近所中に触れ回って息子の自慢話しか喋らないね、って近所で疎まれたりして…。もしかしたらバイトから社員になって出世して、贅沢な暮らしができるようになって…もしかしたらもしかしたら、今まで見たことない世界が広がるのを目にできるかもしれない」
もしも、もしも…僕に才能があったら。
ねぇ、途轍もなく要らない笑い飛ばせそうな才能でも何か一つあったなら。
これを飲まなかったら、ずっと何にも成れなかったら。
「もしかしたら漫画家もダメでバイトから正社員になってもずっと平のままで、父さんと母さんは東京に行っただけのドラ息子を持ったって近所で馬鹿にされて、僕はこのままひっそりとワンルームの中でやせ細っていくだけだとして」
早口で聞き取れないかもしれないけれど、必死に次から次へと心臓から言葉を送り出した。今までこんな風に考えずに喋ったことはないかもしれない。
相手の次の言葉を考えて、それに対してなんて返すかを思いついてから言葉を紡いでいた。それは本心とは少し離れていて、僕の夢を話した時だって逃げ道を用意していたくらいだった。そんなクズの背中を押してくれた両親にさえ割った腹の中身を見せたことが無かった。
だけど、だけどね、これが僕なんだ。何の価値もないただ年を経ただけのおっさんなんだけど、不格好でもこのジュースを飲むわけにはいかないんだ。
「全部僕のせいじゃなきゃいけないんだ。」
何かのせいにし続ける人生は嫌だ。誰かに責任を押し付け続ける人生は嫌だ。秘密道具みたいなよく分からないジュースなんかにこれからの全部を委ねるなんて、そんなのは嫌だ。駄々をこねる子供みたいに、首を振りながら最後まで。
「これはプライドなんだ」
本当にくだらないけれど、僕ってのは下らないけれど。
「僕のせいが良いんだ」
机に乗り出して瓶を押しのけて、それが父親の手のひらへと沈み込んだ。
〇〇〇〇〇
「じゃ、最近寒いから体冷やすなよ」
「父さんこそ、体力あっても倒れたらまずいんだから気を付けてよ」
「雪山で慣れてる」
そうしてにやりと笑った。駅で東京バナナとごまたまごとラスクを買ってから改札へと消えて行く。毎回あれを買っているから、お土産を選ぶ才はないらしい。
ジュースはその辺に流すとまずいらしいので父親が持って帰った。もっと誰か必要な人にあげたらいいと思う。惜しいことをしたかな、と今更後ろ髪を引かれながらコートのポケットへと手を突っ込んで、アパートまでの道を歩く。
風が吹いて、震わす葉のない寂しい木々がそれでも揺れることなく堂々としているのを眺めながら進む。
ゴツ、と靴の先に大きなアスファルトの欠片が当たる。
僕はそれを勢い良く蹴り上げた。
「いてえ」
そいつは、ごろりと転がっただけだった。
「…大きくなったなぁ」




