和平交渉
「東帝国軍、西帝国軍を撃破!大勝利!」翌朝の新聞の一面は前日の戦闘にて、誇張された大戦果を伝え、社説では、「今こそ敵の首都に凱旋しよう」などと無責任なことをのたまっている。そのニュースを握りしめながら、アルベルトは顔を紅潮させていた。
「何だこの記事は!血を流すのは我々だというのに、何たる放言だ。」
「まあまあ。アルベルト殿。お気持ちは推察しますが、ここ数年間、こういった紛争では国力にて劣る我が国が屈服して譲歩、というのが恒例でしたから。彼らが興奮するのも無理はありませんよ。」
外務卿のチャーリーは顎髭を撫でながらアルベルトをなだめている。先ほどの新聞で初めて知ったのだが、アルベルトはただの軍人ではなく、我が国の国軍最高司令官なのだった。本人いわく、本当は本部に居たかったが、すぐ出動できる指揮官がおらず、やむをえずに指揮を引き受けたらしい。
「とはいえ、和平交渉の席につかないことには何も進まないですな。陛下は何か良い案がございますかな?」
「今まではずっと譲歩してきたと外務卿は言うが、今回も譲歩することになると思うか?」
「そうですな。恐らく今回もいつものごとく、西帝国の軍事力をちらつかせて脅してくるでしょうな。いくら局地的に勝利したとはいえ、結局のところ我々は劣勢でありますゆえ。」
大体分かってはいたが、新聞の報道を見るに、どうも民たちは我々が何かしらの有利な条件を交渉で得られると思っているようだ。しかし、彼らの期待に添おうとすれば、今度はもっと大規模な戦闘になるだろうし、そうなれば我々の敗北は明白だ。もし何も得られなければ、国民の感情は危険水域まで高ぶるだろう。だがそれは西の国民も同じである。東という弱小な相手から何も得られなければ、それこそ我が国の比ではないくらい面倒なことになりうる。
「困ったな。最低ラインとして、漁業権は維持したいが、それを向こうが呑むかどうか。」
講和というのが戦争の終着点であるなら、それは新たな紛争のスタートのもなりうる。実際に第一次世界大戦では、ヴェルサイユのあまりに過酷な講和条件にドイツ国民は憤慨し、そのうねりが新たな独裁者を生み出すことに繋がったのだ。日本でも、日露戦争の際の講和会議に国民が憤慨して暴動になった。こんな漁師同士の小競り合いでそのようなことが起こる可能性もゼロではない。何とかお互いが納得できる条件を見つけなければならない。いや、待てよ。ヴェルサイユ条約。あれの中に使えそうな条項があったような。
「非武装地帯・・・」
「はい?陛下、どうされましたか。」
「河の両岸に非武装地帯を設定するのはどうだろうか。」
「なかなか面白い案ですが、それで西が満足してくれるかは分かりませんぞ。」
「だがやってみるしかないんじゃないか。私は賛成です。漁業権さえ守れれば国民も分かってくれるはずです。」
「決まりだな。全員、明日の交渉に備えて今日は解散し、明日の早朝にまたこの宮殿に集合せよ。」
外務卿だけはそこに残り、私とアルベルトは各々の邸宅と部屋に戻った。
翌朝の早朝。三人の姿は馬車の中にあった。
「一昨日に壊された馬車の代わりですか。中々乗り心地はいいですな。」
「そうだろう。予備が倉庫に眠ってて助かったよ。」
「軍人の私としては、少し薄っぺらい壁が不安です。」
「まあ、昨日の交渉もうまくいったことだし、のんびり景色でも見ようか。」
他愛のない会話と共に馬車はどんどん東へ向かい、遂には今回の交渉が行われる場所、東主権国の国境に到着した。東主権国。人口は四十万人で、東西両国と良好な関係だ。特産品は木材だが、東西両帝国とも、木材については自給できており、あまり貿易相手としては両国とも重視していない。が、その分こういった交渉ではよく仲介役を担う。
そのうちに馬車はどんどん減速し、東主権国の首都、リズビーに到着した。交渉の会場は迎賓館のホールにセッティングされており、シャンデリアの下に東西それぞれ三人づつ、国王、外務卿、軍の司令官が相対していた。重苦しい空気の中、最初に口火を切ったのは西帝国の軍事大臣、アレクサンドルだった。
「最初に申し上げますが、我が国は局所的に敗れたかもしれませんが、私の背後には貴国の倍の軍がいることをお忘れなく。そちらの提案をお聞かせください。」
初っ端から想定以上の強気だが、ここで引くわけにはいかない。外務卿のチャーリーが、東帝国首都、ハレの特産品のワインを差し出しながらにこやかに提案する。
「我々としては、漁業権の共用の維持と、川の両岸五十メートルへの、所属国を問わず、兵士の立ち入り禁止と軍事建造物の撤去を提案します。」
漁業権の現状維持はともかく、このような提案は西にとっても意外だったようで、しばしのざわめきの後、西の国王、ジョセフ三世はこういった。
「その条件なら飲めないことは無いが、こちらに利益がないなら交渉の意味はない。」
すかさず私もそれに応じ、一気に畳みかける。
「勿論そちらにも利益はあります。我が国が貴国から輸入している石炭ですが、来月から買い取り価格を五割増しにさせていただきます。これで両国とも、兵は死なず、西帝国も貿易収入が急増して良い事づくめではありませんか。」
この提案に、西帝国の面々は驚きと優越感の入り混じった笑みを浮かべながら、ひそひそと話していたが、すぐに
「いいでしょう。では、こちらに私とチャーリー殿のサインを。」
と西帝国外相、ミラーが書類を差し出した。
我々の代表としてチャーリー外務卿がサインすると、ミラーは満面の笑みで、
「それでは両国の和平は相成りましたな。ちゃんとお金、支払ってくださいね」
と言い放ち、西の代表団は退席した。
帰りの馬車の中では、皆お互いを見合わせて黙っていたが、リズビーの門を潜ると、みな笑い出した。
「陛下、先ほどの卑屈な演技、さすがですな」
「名演技だったどろう?やつら、大儲けした顔だったぞ。」
「外務卿の私がわざわざ東主権国と交渉した甲斐がありました。」
「ああ、あの木材の高額買い取りの件ですかな。」
「アルベルトの部下が木炭の改良法を発明してくれていたお陰だよ。」
「数年前の発明でしたかな。西からの石炭輸入があり、放っておいたのですが、思わぬ掘り出し物ですな。」
からくりはこうだ。まず、石炭の輸出が西にとって重要なのはジュペールが言っていた、西が毎年石炭を高値で売り付けてくるという話からも確証があったので、石炭買取価格を吊り上げ、それを交渉材料にしつつ、裏では高額な石炭の代わりに、燃料としては劣るものの、木材を加工してできる木炭の利用に切り替える。もちろん全く石炭を買わないわけにはいかないので、必要な分は西から買うが、残りの転換可能なところは東主権国から輸入した木材を加工して作る木炭に切り替え、経済的損失を抑える計算だ。東主権国には仲介依頼の礼として、多少木材の買取価格を上げる交渉だったので安くはないが、西の五割増しの石炭よりはましだろう。
東帝国首都に着くころには三人とも旅の疲れで眠っていたが、翌日の会議には全員晴れやかな顔で出仕し、その手に握られた新聞にはこうあった。
「西帝国軍、河川の周囲から全面撤退!我が国は漁業権を西に認めさせた!我々の勝利だ!」