深夜の珍客
神聖国の夜は、まるで昼間だった。 石油と電気によって生み出された「文明の灯」は、窓枠を越えて私の宿泊所まで染み込み、ロウソクの頼りない光を嘲笑っているかのようだ 。
「――陛下、夜分に失礼いたします」
低い、張りのある声が扉の外から響いた。 控えていたアオリバーが無言で剣の柄に手をかける。昼間、俺たちを岸壁で出迎えたあの若手外交官の声だ 。こちらの兵力を値踏みし、猜疑心と敵意を隠そうともしなかった男 。
「ええ。どうぞ」
私が短く応じると、扉がゆっくりと開かれた。 入ってきたのは、やはりあの男――神聖国の外務官、エドワードだった 。昼間の尊大な態度は消え失せ、今は切羽詰まった獣のような緊迫感を漂わせている。
「オリバー、人払いと見張りを。この部屋には誰も近づけるな」
「御意」
オリバーが音もなく室外へ消え、扉が閉まる。室内には俺とエドワード、二人きりになった。
「さて、神聖国で最も強硬と言われるあなたが 、敵国の王である私に何の用かな。昼間の歓迎とは、随分と雰囲気が違うようですが」
皮肉を込めて尋ねると、エドワードは深々と頭を下げた。
「先ほどの非礼、深くお詫び申し上げます。……あれは、大司教グロティウス十世と、あの男の目をごまかすための芝居。どうかご容赦いただきたい」
「あの男……サブロウですか」
俺の口からその名が出た瞬間、エドワードの表情が憎悪に歪んだ。
「左様。陛下、単刀直入に申し上げます。我らが聡明なる大司教グロティウス十世は、誠に残念ながら、あのサブロウなる男に騙されている!」
来たか。昼間の交渉でも薄々感じていたが、思った以上に神聖国の内情は煮詰まっているらしい 。
「詳しく聞きましょう」
「陛下は、この国の繁栄をどう思われますか。夜を照らす電気、馬のいらない馬車 ……我が国の民は、これを『神の御力』と信じ込まされております 」
エドワードは拳を握りしめ、言葉を続ける。
「しかし、あれは神の御力などではない! サブロウが持ち込んだ異国の技術にすぎません。このままでは、神権制たる我が国の根幹が揺らぎます 。民は神ではなく、サブロウが与える『便利さ』を崇拝し始めている。これは国家への裏切りです!」
なるほど。原理主義的な強硬派(保守派)の言い分としては筋が通っている 。
「それだけですか?たとえそうであったとしても、実際に彼は貴国にずいぶんと貢献しているではないですか。」
「いいえ! 問題は技術的従属です。現在の神聖国のインフラは、すべてサブロウ一人の知識に依存している。彼が倒れれば、この光の都は一夜にして闇に沈む。大司教は、国の生命線を一人の男に握らせてしまったのです!」
エドワードは声を怒りに震わせ、一歩こちらへにじり寄る。その目は狂信者のそれだった。
「そして何より許しがたいのは、サブロウが石油の利権を独占し、大司教を傀儡にしようと画策していること。あの男は、この国を乗っ取るつもりです!」
「……で、その話を私にしてどうするのです。内輪揉めはよそでやってもらいたいのですがね」
私が冷ややかに突き放すと、エドワードは意を決したように顔を上げた。
「陛下。あなた様にこのようなことをお願いするべきではないのですが・・・。我々『神聖なる秩序を取り戻す同志』は、貴国にサブロウの身柄確保を依頼したい」
オリバーを下がらせておいて正解だった。もし彼が聞いていれば、驚愕で剣を取り落としていたかもしれない。 大司教グロティウス十世からは「強硬派の突き上げからサブロウを護衛してほしい」と暗に頼まれ 、その強硬派本人からは「サブロウを排除してほしい」と頼まれる。
これほど歪で、これほど都合の良い状況があるだろうか。 私は内心の興奮を抑え、あくまで冷静に問い返した。
「身柄確保、ね。それは『誘拐』、あるいは『暗殺』と聞こえるのですが」
「……お任せいたします。我々にとって、彼がこの国から消えることが肝要」
「正気ですか? サブロウを排除すれば、あなたたちのその『偽りの繁栄』とやらはおしまいです。文明は後退し、民は混乱する。それでもいいと?」
「構いません」
エドワードは即答した。
「偽りの繁栄より、信仰に基づく真の秩序を取り戻す。その混乱こそが、澱んだ水路を浄化するために必要な儀式。我々はそれを望んでおります」
狂っている。だが、利用価値は絶大だ。 俺は技術も、石油も、そしてパイプラインも欲しい。だが、サブロウという技術のブラックボックスを排除してしまえば、私が手にするのはただのガラクタと、燃やし方も分からない黒い水だけだ。 こいつらの要求を呑むふりをしつつ、サブロウ本人を手に入れる。それしかない。彼ら強硬派に引き渡せば、間違いなくサブロウは刑場の露と消えるだろう。
「見返りは何でしょうか」
「……サブロウが独占する石油利権の半分。そして」
エドワードは、私の目を真っ直ぐに見据えた。
「陛下が望まれる、貴国へのパイプライン建設。それを我々強硬派が全面的に許可し、支援いたします 」
満額回答どころか、お釣りまで来た。 大司教はパイプライン建設に「強硬派が反対する」と難色を示していた 。その障害であるはずの強硬派本人が、建設を請け負うという。
「面白い。その取引、乗りましょう」
「おお……!」
「だが条件があります。私の部隊は、サブロウを『殺さない』。あくまで『保護』する。万が一の混乱から彼を守り、我が国へお連れするだけだ」
エドワードは一瞬、俺の真意を測りかねるように眉をひそめた。だが、サブロウが「この国から消える」という結果は同じだと判断したらしい。
「……承知いたしました。我々が事を起こすのは三日後。その混乱に乗じて、よしなに」
「結構です。密約成立です」
エドワードは再び深々と一礼すると、音もなく闇夜の廊下へと消えていった。
直後、オリバーが室内へ戻ってくる。
「陛下、あまりに危険な賭けです。神聖国の両陣営を同時に敵に回しかねません」
「聞いていたのか。まあ問題ない、オリバー、うまくいくさ。」
私は窓の外に広がる、忌々しいほどの光の海を見つめた。
「大司教には『強硬派の襲撃からサブロウを護衛した』という大義名分を。強硬派には『サブロウが国外に消えた』という結果を。そして我々は、技術者と石油の両方を手に入れる」
まさに二重スパイゲーム。失敗すれば、この神聖国で全滅だ。 だが、この世界に来てから、安全な賭けなど一度もしたことはない。
その時だった。 再び、静かに扉がノックされた。 今度は誰だ。オリバーが今度こそ抜き身の剣を構え、扉の前に立つ。
「どなたですかな」
「――夜分遅くに失礼いたします、国王陛下。サブロウと申します」
私とオリバーに、戦慄が走った。 なぜ、今、このタイミングで。まさか、今の密会を聞かれていたのか?
オリバーが視線で「どうしますか」と問うてくる。 「……入れろ」
ゆっくりと扉が開く。 そこに立っていたのは、昼間、大司教の隣にいたあの男だった 。 俺の知る洋服によく似た、しかし独特の刺繍が施された服を着ている 。
サブロウは、剣を構えるオリバーと、平静を装う私を一瞥し、すべてを見透かしたように、柔和な笑みを浮かべた。
「今宵は来客が多くてお疲れのようですね」
心臓が跳ね上がる。やはり聞かれていた。 サブロウは、警戒するオリバーには目もくれず、まっすぐ私だけを見つめた。 彼は、私が好んで着るこの世界の簡素な服と、自分のネクタイのような装束を値踏みするように見比べ、そして、確信を持った目で言った。
「少し、お時間をいただけませんか。 日本人同士で、『今後』についてお話ししたいことがございます」




