表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
24/26

深夜の珍客

神聖国の夜は、まるで昼間だった。 石油と電気によって生み出された「文明の灯」は、窓枠を越えて私の宿泊所まで染み込み、ロウソクの頼りない光を嘲笑っているかのようだ 。


「――陛下、夜分に失礼いたします」


低い、張りのある声が扉の外から響いた。 控えていたアオリバーが無言で剣の柄に手をかける。昼間、俺たちを岸壁で出迎えたあの若手外交官の声だ 。こちらの兵力を値踏みし、猜疑心と敵意を隠そうともしなかった男 。


「ええ。どうぞ」


私が短く応じると、扉がゆっくりと開かれた。 入ってきたのは、やはりあの男――神聖国の外務官、エドワードだった 。昼間の尊大な態度は消え失せ、今は切羽詰まった獣のような緊迫感を漂わせている。


「オリバー、人払いと見張りを。この部屋には誰も近づけるな」

「御意」


オリバーが音もなく室外へ消え、扉が閉まる。室内には俺とエドワード、二人きりになった。


「さて、神聖国で最も強硬と言われるあなたが 、敵国の王である私に何の用かな。昼間の歓迎とは、随分と雰囲気が違うようですが」


皮肉を込めて尋ねると、エドワードは深々と頭を下げた。


「先ほどの非礼、深くお詫び申し上げます。……あれは、大司教グロティウス十世と、あの男の目をごまかすための芝居。どうかご容赦いただきたい」

「あの男……サブロウですか」


俺の口からその名が出た瞬間、エドワードの表情が憎悪に歪んだ。


「左様。陛下、単刀直入に申し上げます。我らが聡明なる大司教グロティウス十世は、誠に残念ながら、あのサブロウなる男に騙されている!」


来たか。昼間の交渉でも薄々感じていたが、思った以上に神聖国の内情は煮詰まっているらしい 。


「詳しく聞きましょう」

「陛下は、この国の繁栄をどう思われますか。夜を照らす電気、馬のいらない馬車 ……我が国の民は、これを『神の御力』と信じ込まされております 」


エドワードは拳を握りしめ、言葉を続ける。


「しかし、あれは神の御力などではない! サブロウが持ち込んだ異国の技術にすぎません。このままでは、神権制たる我が国の根幹が揺らぎます 。民は神ではなく、サブロウが与える『便利さ』を崇拝し始めている。これは国家への裏切りです!」


なるほど。原理主義的な強硬派(保守派)の言い分としては筋が通っている 。


「それだけですか?たとえそうであったとしても、実際に彼は貴国にずいぶんと貢献しているではないですか。」

「いいえ! 問題は技術的従属です。現在の神聖国のインフラは、すべてサブロウ一人の知識に依存している。彼が倒れれば、この光の都は一夜にして闇に沈む。大司教は、国の生命線を一人の男に握らせてしまったのです!」


エドワードは声を怒りに震わせ、一歩こちらへにじり寄る。その目は狂信者のそれだった。


「そして何より許しがたいのは、サブロウが石油の利権を独占し、大司教を傀儡にしようと画策していること。あの男は、この国を乗っ取るつもりです!」


「……で、その話を私にしてどうするのです。内輪揉めはよそでやってもらいたいのですがね」


私が冷ややかに突き放すと、エドワードは意を決したように顔を上げた。


「陛下。あなた様にこのようなことをお願いするべきではないのですが・・・。我々『神聖なる秩序を取り戻す同志』は、貴国にサブロウの身柄確保を依頼したい」


オリバーを下がらせておいて正解だった。もし彼が聞いていれば、驚愕で剣を取り落としていたかもしれない。 大司教グロティウス十世からは「強硬派の突き上げからサブロウを護衛してほしい」と暗に頼まれ 、その強硬派本人からは「サブロウを排除してほしい」と頼まれる。


これほどいびつで、これほど都合の良い状況があるだろうか。 私は内心の興奮を抑え、あくまで冷静に問い返した。


「身柄確保、ね。それは『誘拐』、あるいは『暗殺』と聞こえるのですが」

「……お任せいたします。我々にとって、彼がこの国から消えることが肝要」


「正気ですか? サブロウを排除すれば、あなたたちのその『偽りの繁栄』とやらはおしまいです。文明は後退し、民は混乱する。それでもいいと?」

「構いません」


エドワードは即答した。


「偽りの繁栄より、信仰に基づく真の秩序を取り戻す。その混乱こそが、よどんだ水路を浄化するために必要な儀式。我々はそれを望んでおります」


狂っている。だが、利用価値は絶大だ。 俺は技術も、石油も、そしてパイプラインも欲しい。だが、サブロウという技術のブラックボックスを排除してしまえば、私が手にするのはただのガラクタと、燃やし方も分からない黒い水だけだ。 こいつらの要求を呑むふりをしつつ、サブロウ本人を手に入れる。それしかない。彼ら強硬派に引き渡せば、間違いなくサブロウは刑場の露と消えるだろう。


「見返りは何でしょうか」

「……サブロウが独占する石油利権の半分。そして」


エドワードは、私の目を真っ直ぐに見据えた。


「陛下が望まれる、貴国へのパイプライン建設。それを我々強硬派が全面的に許可し、支援いたします 」


満額回答どころか、お釣りまで来た。 大司教はパイプライン建設に「強硬派が反対する」と難色を示していた 。その障害であるはずの強硬派本人が、建設を請け負うという。


「面白い。その取引、乗りましょう」

「おお……!」

「だが条件があります。私の部隊は、サブロウを『殺さない』。あくまで『保護』する。万が一の混乱から彼を守り、我が国へお連れするだけだ」


エドワードは一瞬、俺の真意を測りかねるように眉をひそめた。だが、サブロウが「この国から消える」という結果は同じだと判断したらしい。


「……承知いたしました。我々が事を起こすのは三日後。その混乱に乗じて、よしなに」

「結構です。密約成立です」


エドワードは再び深々と一礼すると、音もなく闇夜の廊下へと消えていった。


直後、オリバーが室内へ戻ってくる。


「陛下、あまりに危険な賭けです。神聖国の両陣営を同時に敵に回しかねません」


「聞いていたのか。まあ問題ない、オリバー、うまくいくさ。」


私は窓の外に広がる、忌々しいほどの光の海を見つめた。


「大司教には『強硬派の襲撃からサブロウを護衛した』という大義名分を。強硬派には『サブロウが国外に消えた』という結果を。そして我々は、技術者サブロウ石油パイプラインの両方を手に入れる」


まさに二重スパイゲーム。失敗すれば、この神聖国で全滅だ。 だが、この世界に来てから、安全な賭けなど一度もしたことはない。


その時だった。 再び、静かに扉がノックされた。 今度は誰だ。オリバーが今度こそ抜き身の剣を構え、扉の前に立つ。


「どなたですかな」

「――夜分遅くに失礼いたします、国王陛下。サブロウと申します」


私とオリバーに、戦慄が走った。 なぜ、今、このタイミングで。まさか、今の密会を聞かれていたのか?


オリバーが視線で「どうしますか」と問うてくる。 「……入れろ」




ゆっくりと扉が開く。 そこに立っていたのは、昼間、大司教の隣にいたあの男だった 。 俺の知る洋服によく似た、しかし独特の刺繍が施された服を着ている 。



サブロウは、剣を構えるオリバーと、平静を装う私を一瞥し、すべてを見透かしたように、柔和な笑みを浮かべた。


「今宵は来客が多くてお疲れのようですね」


心臓が跳ね上がる。やはり聞かれていた。 サブロウは、警戒するオリバーには目もくれず、まっすぐ私だけを見つめた。 彼は、私が好んで着るこの世界の簡素な服と、自分のネクタイのような装束を値踏みするように見比べ、そして、確信を持った目で言った。



「少し、お時間をいただけませんか。 日本人同士で、『今後』についてお話ししたいことがございます」

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ