元教師、教育改革をする
神聖国との交渉に向かうチャーリーを船上まで見送った後、私はアルベルトやオリバーら、軍の幕僚とある会議を控えていた。
議題は、“教育”である。まさに私の面目躍如だが、とはいえこの世界と私がいた世界では教育の意味も、やり方も、果ては目的すらも異なる。ここに無理やり私のやり方を押し付けても意味はない。
会議は、教育大臣のギルバートが進行を務め、軍学校や各種の職業学校からも代表者が揃う大規模なものとなった。小国とは言え、十万の人口のうち、多くは若者であり、自然と教育には力が入る。年季の入った樫の大テーブルを囲み、会議は帝国の教育政策の現状の報告から始まった。
「まず、現在我が国には初等教育校が10、職業学校が8つございます。その内訳としましては、商学校が2、鉱業学校が3、農業学校が2、そして軍学校が1となっております。初等学校はだいたい一校で千人前後を教育しており、そのうち上級の学校、つまりは職業学校と軍学校に行く者はおおよそ二割程度となっています」
「報告ありがとう。国王として聞きたいのだが、目下、我が国の教育政策において必要としているリソースは何がある。できる限り努力しよう」
「ありがとうございます。幸い、我が国は小国ゆえにシンプルな教育システムを実現しておりますが、目下の課題として、初等教育の達成率が低いことが挙げられます。特に農村や職人の場合、途中で退学して家業を継ぐことも多くございます」
「ありがとう」
やはりか。まるで明治時代の日本である。とはいえ、家業を一刻も早く継がせたい気持ちも、働き手として家に貢献したい気持ちも国王としてないがしろにはできない。実地で学べることもあるであろう。しかし、初等教育はしっかりと終えてもらわないと、国としては先細る一方である。
「ヴィッテ」
「はい、陛下。何でしょうか」
「まだ西帝国からの賠償金には手を付けていないな?」
もしや、という顔でヴィッテがこちらに視線を投げかける
「察しが良くて助かるよ。賠償金のうち、三割に当たる千五百万ルストはギルバート君、君に預けよう。ただし、使途は私が指定する」
会議室を照らす天井のロウソクがふわりと揺れる。会議に出席していた面々が私の次の言葉を待っている。
「国王として、わが国民が初等教育すら終えられないというのは実に危機的な事態であると考える。しかし、家業を手伝うということも立派な教育である。私はそのどちらかが不要などとは決して思わない」
「陛下。それでは私はお預かりした予算をどう使えばよいのでしょうか。私はてっきり、学校を新たに増やすのかと」
柔和な物腰でギルバートが尋ねる。その立ち振る舞いはまさに教育者であり、この人物ならば私の意図することをしっかり理解してくれるはずだ。
「そこだよ、ギルバート君。私は学生というのは決して若者だけを指すのではなく、学校とは教室のみを指すのではないと思っている。」
つまりだな、と私は目の前に置かれた帝国のガラス職人が作ったグラスに入った水を飲み干して見せる。
「このガラスの細工、とても見事だが、もしこの価値を商人が正しく理解できなかったり、職人が適正な価格や利益率を計算できなかったら、それは社会全体にとって不公平を招く。私はこれより、教師を教室のみに留まらせず、街の酒場や農場、ガラス職人の工房の外、あらゆる場所に派遣し、教育を行うように教育改革を行う。無論、これまで通りの教育方式も維持するが、ギルバート君、そのお金を使ってこの国の全ての国民が教育をあらゆる場所で受けられるようにして欲しい」
この世界にはインターネットも電話も存在しない。しかし、無いなら工夫をするまでである。インターネットが無くとも、教師は足を運んで直接授業を行えるし、教育とは全ての人に等しく提供されてしかるべきなのである。私は世界の為であるとか、そんな大それたことはできないが、少なくともこの国、東帝国の国民だけでも、かつて教師だった私からのせめてもの願いとして、等しく教育を受けて欲しいのだ。
私が語り終えると、まず最初に口を開いたのはヴィッテであった。
「陛下のご提案、財務大臣として、支持いたします。どうせ元々我々の民が勝ち取ったもの。民に還元することが筋でしょう。それに、国民が賢くなれば経済も回り、税収も増えますからな」
たぶん、本音は後半部だろうが、ありがたい。しかしここで、職業学校の面々から懸念が表明された。
「陛下。確かに我々としてももっと教育を行うべきだというのは納得できます。しかし、それでは我々のような専門的な教育機関はどうなるのでしょうか。我々の教育内容は、どこでもできるようなものではありません」
不安は当然である。鉱業を酒場で学ぶことはできないし、商学を畑で学ぶことも難しい。しかしこれにも、私にはあるアイデアがあった。
「そのことなんだが、専門教育を実施できる君たちのような存在は非常に貴重だ。だから、これからは鉱山や農村を巡回して、移動式の職業学校の役割を君たちには担って欲しい。鉱山の中には前世紀のやり方を引きずっている所も多い。君たちは帝国の教育改革の最前線として、実践的な教育を施すとともに、帝国の各地の技術水準を等しく高める役割を担うのだ」
なるほど、と彼らも理解してくれたようである。彼らとて元は職人。現場で学んだ知見を元に教育を施してきた。そんな彼らにとっては、実践的な教育など朝飯前だろう。いわば、かつての中世ヨーロッパにあった親方制度を、教育システムに組み込むのである。
*
そうして決定された教育改革は、善は急げと言うことですぐに実行に移された。私がお忍びで王都の酒場を訪れると、早速店の端っこで計算の授業を行っている。
「では、ジョッキ一杯に小ジョッキ三倍分のビールがあるとして、20人がジョッキ一杯にビールを楽しむには小ジョッキは何杯必要か、この砂時計が落ち切る前に正解したら小ジョッキ一杯ですよ!」
「50!」
「55!」
「いや、60杯だ!」
「素晴らしい!ジェームスさん、約束のビールです!」
まあ、これが教育的かはともかくとして、あんな飲んだくれでも計算が出来て損はないだろう。
次に足を運んだのは少し郊外の農村地帯。がっしりとした体格の農業学校の教師が生徒たちを集めて講義をしている。
「いいですか、鍬を手入れする時は、こうやって柄の部分もしっかり補強してあげると、長持ちします。さあ皆さんも、お手元の農具を長持ちさせましょう!」
「「「はーい」」」
なかなか見事なものである。考えてみれば、教室で一時間座って学ぶことも、こうして畑の片隅で十分かけて学ぶことも、教育には違いないのだ。
最後に訪れたのは鉄鉱山。ツルハシを持った男たちが熱心に授業に聞き入っている。
「いいですか、落盤を防ぐにはしっかりと支柱を確保することが重要ですが、万が一の時に備えて、100mごとに避難所を作るようにーー」
なるほど命が関わることとあっては彼らも熱心に聞くわけである。総じて、教育改革はうまくいっているとギルバートから報告を受けている。成果が出始めるのは年単位の長期的な話になるが、それでも一歩ずつ、前に進んでいこう。それが教育なのだから。
そうして王宮のバルコニーで椅子に腰掛けていると、遠くから早馬の音が聞こえてくる。チャーリーからだろう。王都の夜は、今日も賑やかに、そして確実に更けていく。




