東の帝国
「王様、王様。起きてください。会議中です。」
しわがれた声に耳を撫でられる。なんだか祖父に似ている気がするのは気のせいか。これが走馬灯か、それとも三途の川なのかは分からないが、あの資料室よりも騒がしいことは分かる。
「いいじゃん。どうせ時間は無限なんだからさ。」
そういって瞼を無理やりこじ開けると、私は文字通り硬直してしまった。
目の前に何十人もの妙にきらきらと眩しい装束を着た集団がおり、私の席は彼らを見下ろす様になっており、足元には見たこともない黄金の玉座の基部が見える。肘は黒檀にべっ甲と宝石を散りばめたひじ掛けの上にあり、着ている服も上品に輝いており、明らかに目の前の集団よりも自分が高貴な身分であることが推察できた。どうやら三途の川の待合室ではないようだ。が、ならばここは一体どこだというのか。
「王様!しっかりしてください!我が帝国の一大事ですぞ!」
がっしりとしたいかにも武官といったいで立ちの大男に呆れた様子で喝を入れられ、ようやくここが死者の世界でも夢の世界でもなく、自分がなぜか知らないが、この「帝国」なる場所に転生させられたということを私は理解した。
「ごめんごめん。なんて国だっけ?ここ。」
簡単な質問だが、ここに私の望みはかかっていた。もし知っている国名が出てくれば、この家臣の服装から判断して、恐らく中世ヨーロッパのどこかにいることは明らかであるから、私の歴史教師としての本領を発揮してしまえば少なくともいきなり暗殺されたり、はやり病で死ぬ危険性は限りなく減らせる。いわば私は未来人なのだから。
「王様・・・ここはエルスタシア大陸の東帝国でございます。お疲れでしたら、散歩などされてはどうですかな。」
終わりだ。東ゴートならまだしも、エルスタシア大陸の東帝国。完全に私のいた世界の歴史の縦軸には入らない。そう思うと、自然と涙がこみ上げてくる。自分はこんな、名前も知らないような国で死ななければならないのか。そう考えると友人や家族に対して口惜しさと申し訳なさで心が満たされてしまう。
「やはりお疲れのようですから、少しお休みになって下さいませ。」
先ほど起こしてきた老人と共に、なかば強制的に宮殿のような場所の庭を歩かされることになった。
「ねえ、名前、なんていうの?」
とりあえず一番に浮かんだ疑問を口にする。
「私めの名前をお忘れになられるとは。悲しいですぞ。私の名前はジュペール。あなたの侍従長です。そして貴方は我が東帝国の第十七代国王、レイ十七世です。二日酔いからは目覚めましたか?」
「ああ。ありがとう。ちょっと色々忘れてしまってね。地図とかを見ながらこの国のこと、教えてほしいな。」
「もちろんでございます。ささ、こちらへ。」
侍従長に連れられて先ほどまでいた建物の向いにある、資料室にやってきた。重厚なオーク材の柱が、帝国の歴史の重みを表している。入り口をくぐると、巨大な地図が正面の壁に貼ってあり、周辺国家との関係や天然資源の状況を事細かに説明している。
「西帝国?」
まず目に留まるのは自国と大河川を挟んで西側に位置する国家。人口は二十万で、我が国の二倍程度。天然資源としては石炭が産出され、我が国はその石炭を輸入しているため、関係はそこまで悪くないが、度々国境の大河川、「王の河」の漁業権で小競り合いがあるらしい。他の国家としてはわが国の友好国で東に位置する「東主権国」と、西帝国の更に西にある「神聖国」などがあるが、目下の問題は西帝国であるという。
「やつらは我々が軍事的に弱体であるのをよいことに、年々石炭の価格を吊り上げ、その出費は莫大です。」
ジュペールの話に耳を傾けながら、私は胸をなでおろしていた。石炭があるなら火薬や鉄製の兵器もある。つまり、ある程度は近代軍隊が整っているはずだ。私の専攻は近現代史だが、戦史にもたしょうの造詣はある。そう思うと少し、気持ちも落ち着いてきた。
「ありがとうジュペール。我が国の軍隊はどんな感じなのかな?」
「まあ、平均程度です。基本は歩兵のマスケット銃で、運が良ければ大砲の支援が受けられることもあります。」
平均程度という言葉を彼は使ったが、それが見栄なのか謙遜なのかは分からなかった。
「あとで軍隊を視察させてもらえるかな。どんなものか見てみたい。」
ジュペールの顔に驚きが広がり、感激で頬が紅潮している。
「私が王様に仕えて十年。こんなに嬉しいことはありませぬ。喜んでお見せしましょう。」
どうやらこの王様は随分とのんびりした方だったようで、群臣たちの居眠りへの反応もさもありなん、といったところか。
「王様がこの国を鑑みて下さるなんて。本当にうれしゅうございます。国民群臣十万人、あなた様にこの命を預ける所存です。どうか、その聡明な心の目でもって、我々を導いて下され。」
とりあえず、状況は把握できた。もう元の世界などとあり得ない望みに希望を持つのはやめ、この東帝国の国王として、十万人の命を預かり、私は生きていく他に道はないのだ。覚悟を決めるしかない。