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開戦

国境を流れる大河は、まるで嵐の前の海のように、不気味なほど静まり返っていた。以前、西帝国と小競り合いを演じた時とは訳が違う。川霧の向こう、河原から一歩引いた森林の奥深くから、無数の殺気と鋼の匂いが此岸まで届いてくる。


「随分と大層なお出迎えだな、アルベルト」

「はっ。陛下が先の会戦で連中の鼻をへし折って以来、西帝国はその有り余る人口と経済力を背景に、軍備を狂気的に拡張したようです。新兵器たる小銃を増産し、予備役の数も五倍にしたとか」


対岸には、野営用のテントが地平線の先までひしめき合っている。事前の偵察ではおよそ一万五千。しかも、敵の首都では更なる兵力の動員が進められているという。このまま手をこまねいていては、彼我の戦略的な戦力差は指数関数的に拡大し、我らの戦術上の優位など、大河の一滴にも等しいものになってしまう。


「まるでマンシュタインがアルデンヌの森林を前にした時のような心境だな」


作戦には絶対の自信があるとはいえ、この圧倒的な物量の差には、思わず独り言も漏らしたくなる。


「陛下」

馬車の戸が、音もなく叩かれた。隙間から、山賊の頭目がその武骨な顔をひょいと覗かせる。

「おお、首尾はどうか?」

「錬金術師ギルドの特製爆薬の調達に少々手間取りましたが、先ほど、全部隊が所定の位置に着いたとの連絡がありました。後は陛下のご命令一つで、西帝国の背骨――主要補給路を最低一週間は麻痺させられます」

「結構だ。今夜、月が最も高く昇る刻、盛大な花火を打ち上げろ」

「御意」

短く返事をすると、頭目はいつの間にか馬車の影に溶け込むように消えていた。


「ふふ。相変わらず、霧のように捉えどころのない男だ」

「陛下、では開戦は明朝、ということでよろしいのですね」


覚悟を決めた表情で、外務卿のチャーリーが尋ねる。


「ああ。西帝国への宣戦布告の準備は?」

「はい。既に西帝国の首都には使者が待機しております。明朝、陽が昇る直前に通告するよう、厳命しております。もっとも、彼らにとって我らは対等の交渉相手ですらないようですが」

「それでいい。よろしく頼む」


馬車は砂利道を滑るように進み、我らの本陣へと向かう。河原から一歩引いた丘陵地帯には、百両の戦車が巨獣のように息を潜め、その傍らにはロケット、もといミサイルが、不格好な姿で空を睨んでいる。


やがて砂利道は石畳へと変わり、帝都の喧騒が馬車を包み込む。広場には子供たちの声が響き、商人の売り口上と酒飲みの陽気な笑い声が聞こえる。


「陛下。宮殿までお送りいたしますが」

「いや、いい。ここで降ろしてくれ。少し、歩いて帰る」


私は馬車を降り、人々の雑踏に紛れる。この屈託のない笑顔、この穏やかな日常を守るためならば、私は悪魔にでもなろう。この戦争は、絶対に負けられない。



その日の深夜、私は戦車隊に囲まれた司令部の天幕で、静かに森の闇を見つめていた。対岸では、西帝国の兵士たちが立てる甲冑の音が、不気味な金属音となって響いてくる。

暫くの静寂の後、遥か後方、敵の支配域の奥深くで、夜空が赤く染まった。爆炎と、遅れて届く地響き。奇襲は成功したようだ。途端に静まり返っていた敵陣はにわかに騒がしくなり、伝令の馬が慌ただしく行き交い始めた。


翌朝、西帝国首都にて、我が国の宣戦布告の文書が敵国の外務卿に手渡された。その際の反応は、平静を通り越して侮りに満ちたものだったという。使者の報告によれば、外務卿は文書に目を通すなり、それを破り捨ててこう吐き捨てたそうだ。


「無条件降伏以外、我が帝国が貴様ら小国の猿に与えるものはない。失せろ」


西帝国以外、いや西帝国の民も、誰もがこの宣戦布告を狂気の沙汰と考えた。実際、私もそう思う。テルモピュレーの隘路に立つスパルタ王のような心境だ。しかし、万に一つの勝機があるならば、それに全てを賭けるのが王というものだ。


「ミサイル、発射準備!」


宣戦布告の確認と同時に、私の号令が飛んだ。


「準備完了!いつでも撃てます!」

「よろしい。――発射せよ!」


導火線が燃え上がり、不気味な燃焼音が明け方の林にこだまする。次の瞬間、大地が揺れるほどの轟音と共に火焔が吹き出し、ミサイルは咆哮を上げて空へと舞い上がった。敵兵はまだ事態を把握できず、テントの周囲から呆然と空を見上げている。


ミサイルは彼らの頭上で次々と炸裂し、無数の釘と鉄球を地獄の雨のようにまき散らした。爆発の閃光に照らされ、敵兵のシルエットが、まるで操り糸の切れた人形のように、ばたばたと積み重なっていくのが影絵のように見えた。阿鼻叫喚の屠殺場だ。


「よし、全戦車隊、突撃!」


待ってましたとばかりに、百両の鉄の巨獣たちが咆哮を上げて駆け出した。林をなぎ倒し、河原に飛び出す。混乱の坩堝と化した敵陣からは、もはや組織的な抵抗はない。我が方の戦車隊は猛然と渡河を敢行し、敵陣へと突入。縦横無尽に駆け回り、蹄鉄が指揮所を粉砕し、マスケット銃が逃げ惑う兵士たちを刈り取っていく。

その日の正午には残敵掃討も完了した。緒戦において、敵兵は死傷六千、捕虜二千という壊滅的な損害を受け、我らは多数の物資を鹵獲することに成功した。


しかし、勝利の美酒に浸る暇はなかった。潰走の報は、敵首都の軍部に凄まじい怒りと憎しみをもたらしたらしい。密偵からの緊急報告が届いたのは、その日の夕刻だった。


「申し上げます! 敵軍主力、およそ二万が重装備を整え、続々と敵首都に集結中との報!」


アルベルトをはじめ、天幕に詰めていた幕僚たちに激しい動揺が広がる。


「二万ですと!? 我が方の総兵力を軽く上回る数では!」

「奴ら、若者を根こそぎ動員して、我が国を地図から消し去るつもりか!」

「東主権国に、和平の仲介を頼むべきでは…」


「落ち着け!」


私は一喝し、騒然とする幕僚たちを落ち着かせる。


「緒戦の勝利に浮かれるな。かといって、敵の数に怯むな。我が作戦は、まだ始まったばかりだ。全員、作戦会議を行う! 地図を広げろ!」


さて、しかしどうしたものか。私の脳裏で、次なる一手のための駒が、目まぐるしく動き始めていた。

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