夢の箱庭
「つまりは失われた秘術を取り戻すための場であったと。」
「はい殿下。
大聖堂が主導し『聖女の座』という秘術の研究を行うと同時に、聖女としての適格者を探し出すために魔導学園という学術機関を設けたようです。
王家も後押ししていることから、夢物語の類いというものではなさそうですね。」
「戦場で確認された飛んでくる火の玉や光の矢も、悪霊の技ではなかったというわけだ。」
報告書を最後まで読み終えた殿下は、眉間をほぐすように揉みながら溜め息をついた。
王都陥落直後からの占領行政と平行しての調査指示。
さすがの殿下であっても疲れが隠せないようだ。
魔導学園占領後から開始された調査は、学園の在り方を探るものから国家ぐるみの「国策事業」へと辿り着いた。
荒唐無稽な内容にしか読めぬものの、戦場で目撃された人ならざる技は、報告書に信憑性を持たせるには十分すぎるものだった。
王都陥落時にいち早く大聖堂を押さえたのも、情報の散逸を防ぐことを重要視したためだ。
「学園については分かった。
この『聖女の座』についての調査は、どこまで進んでいる?」
「調査報告は、前回の学園関係者からのものが最新です。
資料に関しては、大聖堂の書庫も押さえることに成功しています。
大聖堂の関係者に関しては、身柄の安全と報酬を餌に聴取中です。
書庫の警備に当たる人員の編成は完了していますが、調査班の手が足りません。
本国からの増員が必要ですが、他国に感づかれる可能性が高いかと。」
「さすがに資料を根こそぎ持ち帰るわけにもいかぬ。
治安維持を名目に駐留を延ばせるように図ってみよう。
調査班に関しては、少し手を考えてみるか。
後、王家が関わっているのなら、そちらも押さえておく必要がある。
最低でも関連資料は押収したいが、人が足らぬな。」
「はい。王城内にも協力者は作り始めていますが、いま少し時間が必要です。」
「わかった。
今は監視の目を強めるに留める。
他の調査班の進捗を見つつ調整だな。
私はしばらく占領行政のほうに時間をとられる。
指揮を任せるので、調査と協力者作りを進めておいてほしい。」
「御意。
緊急を除き、調査内容と進捗は定期に報告いたします。
現状はこんなところでしょうか。」
「・・・そうだな。
少し疲れた。切りもいいし休憩としよう。
つきあえ。」
執務机からソファへと移動した殿下の向かいに腰を下ろし、当番兵により運ばれてきたお茶に一息をつく。
久方ぶりの緩やかな時間が静かに過ぎていく。
「まるで揺りかごだな。」
ぽつりと殿下の呟かれた言葉が耳に届く。
「聖女の御技により護られた揺りかご。
ずいぶんと心地の良いものであったのだろうな。」
「聖女様の揺らす揺りかごですか。
さぞや良い夢が見れたことでしょう。
ですが、もう夢から覚めてもらわないといけません。
国家の舵を握るものが居眠りしたままだと、今回のような大惨事にしかなりません。」
「国家戦略の一つとしては間違っていないのだろうが、これは捨て去ってもらう。
調査が進んでいけばわかっていくだろうが、どうせろくでもないシステムだ。」
「では実態がわかり次第、資料の焼却と設備の破壊ですか?」
「反発は十分に予想される。慎重に進めてくれ、」
「大聖堂と学園はどうなさいますか?」
「大聖堂に関しては調略を進める。
派閥と勢力図を把握してもらいたい。
場合によっては絵図を書き換える必要も考慮する。
学園については存続させたほうが良いだろう。
教師も研究生も学生も、第一線で研究や学習していた者たちだ。
一纏めにしておいた方が監視も管理もしやすい。
研究や教育内容に関しては、方向性を変えさせる必要があるがな。」
「宗教に基づく学問と研究というところが、厄介さを増していますね。」
「本当に厄介な問題しか抱えてないな、この国は。
問題は山積みだが、一つ一つこなしていくことにしよう。」
明かりを落とした室内を照らす月の光。
夜の喧騒も遠く、虫の鳴き声が耳に届く。
終わらぬ執務に目処をつけ、ようやくベッドに倒れこむ。
これほど疲れていれば、寝つけの酒も必要ないだろう。
このまま泥のように眠れれば、あの夢も見なくてすむだろう。
「まだ時間はかかる。だが必ず。
それでよいのだろう?」
静寂を破るように、月明かりの中の人影へと声を紡ぐ。
『聖女』について調査を開始してから、視界の端に映りだした人影。
言葉はなく、けれど何かを訴えるようにこちらを見つめる、私にしか見えぬ幻。
『聖女の座』を破棄する方針が決まった時、初めて笑顔を見せた。
おそらく殿下の仰る通り、ろくでもないシステムだったのだろう。
けして彼女たちのためではない、
だが結果として、彼女たちの目的も達せられる。
そしてやっと揺りかごから手を離し、彼女たちも眠ることができるのだろう。
押し寄せる睡魔に思考も途切れ始めてきた。
月明かりに薄れていく視界の中、花のような微笑みが瞼に映る。
微かに聞こえた気がした声を耳に残しながら、眠りの縁へと意識を手放した。