No.01 「夢は教師になる」こと
小学生の担任の先生に憧れ、「自分もそんな素敵で輝く 熱い思いを抱く教員になりたい」と心に決めてから 日々 勉学に取り組む 俺は "寺毛 亘"
まずは 教師への夢を持つきっかけから話そう。
【三年生の話】
憧れの担任の先生の名は「大杉 正也」先生 音楽が専門で教科書以外にも歌を教わったのだ。
クラス全員に平等で、真面目 真剣 熱心を誰よりも感じさせる持ち主 一所に泣き、笑い、学び成長した一年間だった。
特に印象に残ったのは「人の善いところを見つけ真似してみよう・人のやりたくない係の仕事を率先して動こう・一人はみんなのために・みんなはひとりのために」この3点は、心の中に生き続けることになる。
各教科の単元テストではなかなか良い点数とは言えなかった そしてある日先生に俺は告げる。
亘「教員になりたい だからずっと応援してほしい」
先生は少し困った顔をしたのだが その後 にっこりして
先生「そうか 嬉しいよ。もちろん応援する 絶対教員になるんだぞ」
と・・・・・
こうして 「教員になる夢」を持つことになったのがきっかけになった。
四年生に進級しても 大杉先生のことが忘れられなくて・・・学校生活に落ち着けず 悲しくなったり 寂しくなったり しょんぼりすることもあったが、日常生活は楽しくしていた。先生にもらった言葉を支えに四年生・五年生勉学を試みた。100点には届かなくも、目標は崩さず学校生活を送ったのだ。六年生は 苦手な教科につまづき、社会・英語、難しく感じてしまい、数えきれないほど挫折を目の前にした。特に歴史や地理はやりたくない気持ちが支配するほどだったのだ。
そのやれない気持ちをどう突破してきたのかと言うと・・・
大杉先生に、その時々の気持ち書いて送っていた。毎回返事が届くわけではなかったが やっぱり大きな支えであり、"ゆめ(目標)の栄養補給"と表現しようか。中学時代 ほんとに真剣に勉学する。
数学で 理解が出来ていない方程式は 先生を捕まえて、職員室の応接室を借りマンツーマンで、教えてもらい思い出の1ページになった。歴史・地理は色んな社会科の先生に 覚え方やなど、工夫を凝らし三年間を過ごし 高校受験で お陰で志望校合格に至った。
もちろん、感謝の気持ちを書いて送ることは 続けていた。
「高校合格おめでとう。ここまでよくがんばったな。すごいぞ。目標はまだ先に思えるかもしれないが、すぐだぞ。これからも、ずっと応援する。また、手紙まってる。毎回、楽しみが生まれて ありがりがたい」
こんなあたたかな返事も宝物だ。中学までの義務教育とは、違い 教科ごとの少し専門的な語句や知識、レベルアップした学びがあり、勤勉にたいしての強い挫折感を味わうことは、なく過ごせた。
勤勉は大きく問題なく過ごせたのに対して ルールやマナー秩序、規則敬い感謝、弁えについて、多々疑問を膨らませてきた。もちろん考え方が共通ではないことは確かであり、10人いたら、10人の思考があるわけで、それは当然の上の事で、疑問を増してきたのである。
各学校、専門学校 などは 小さな社会であり、団体生活の場であると置づける考えの持ち主なのだ。
そして 大学受験には 2度浪人し 三度目でやっと合格を得た。21歳。
その背景にも、大杉先生の存在価値は壮大で、感謝しきれない。
公民館や、大杉先生宅を通い 教えていただき またとない 大杉先生の親友との繋がり環境も与えていただいた結果の証ゆえの大学合格なのだ。
そしていよいよ大学生活 開始する。