42・競争
その日は良く晴れた。
僕はいつも通りの朝を迎える。
「すでに始まっているようでございます」
と、スミスさんが魔道具である地図をテーブルに広げた。
地図の左右の隅からポツポツと赤い点が現れる。
「順調に進んでるみたいだね」
僕は食後のお茶を飲みながら、それを眺めていた。
今朝の新聞も終わり、子供たちから生気をもらったので上機嫌である。
「おはようございます」
デラートス雑貨店の店主がやって来たので、僕の執務室に移動した。
でも、やることは変わらない。
お茶を飲みながら地図を眺めているだけだ。
「どちらが勝ちますかね」
デラートスさんは唇の端を引き上げてニヤリと笑う。
僕はどっちでも構わない。
「そんなことを聞くために来たんじゃないでしょ」
今日は地図で状況を見ながら三人で会議である。
「ええ、勿論です」
「でも」とデラートスさんは地図と僕の顔を見ながら、
「合図があったら助けに行くのではないんですか?」
と、訊く。
先日の会議では、私兵や猟師さんたちの手に負えない場合は僕とスミスさんで救援に向かうことになっていた。
「大丈夫ですよ。 ローズが彼らの周囲を警戒して動いていますから」
危険なものは予め排除するように言ってある。
それに、僕たちが必要になるとしたら、彼らの体力や回復薬が切れ始める夕方頃になるだろう。
だからまだ心配はいらない。
「では、王都の商人の動きですが」
念のため盗聴防止は起動している。
「接触して来たか」
「はい」
この町にあった魔石買取をしていた店の王都本店は、お祖父様がしっかりと潰してくれた。
しかし、その店の同類というか、同じように魔石の高騰で利益を上げていた店はあったのだ。
おそらく店同士で話し合っていたのだろう。
「話し合いに応じない店の妨害工作もしていたようです」
客にとっては迷惑な話である。
デラートス雑貨店は王都に店はない。
直接、公爵家専属の魔石加工の工房に卸していた。
そこから噂が広まって、デラートスさんに直接仕入れを頼む店が現れてきた。
「きちんと契約書を作成して、公爵閣下に確認していただいた上で取引させてもらうことにしています」
お蔭で度々王都に呼ばれて忙しいと笑う。
「他の魔石の産地の物も高騰していましたからね。 しばらくは魔石の価格は落ち着かないでしょう」
デラートスさんは元調査員なので目端が利く。
彼が言うことなら間違いはないだろう。
「そうか、ご苦労」
僕はスミスさんからローズ用の収集袋を受け取る。
「報酬はお祖父様から出ると思うが、僕からも少ないけど個人的に労いたい」
袋からはザラザラと魔石が出てくる。
不揃いだが傷もない上等品だ。
「好きなのを数個、持って行って」
デラートスさんの目が輝く。
「ありがとうございます。 では遠慮なく」
嬉しそうに大きめの魔石を選んでいた。
さて、地図のほうはだいぶ埋まってきた。
「今日中に終わりそうですね」
「魔道具の範囲は思ったより広いな」
デラートスさんが用意してくれた魔道具が良品なので、結界の範囲が広いのだ。
お蔭で設置する個数が少なくて済む。
反面、お高いんですけどね。
猟師たちと私兵でどちらが優勢かといえば、ほぼ互角である。
人数は少ないが土地勘があり山歩きに慣れている猟師たち。
兵士たちのほうは体力と猟師たちの倍の人数で動いている。
一応復帰したばかりだが領兵もいるので、案内に不足はないだろう。
「ん?」
【主!、魔獣の気配だ】
「分かった。 すぐ行く」
残り、あと少しというところでローズから連絡が入る。
陽が傾き始めていた。
「緊急事態のようだ。 スミス、すぐ準備にかかれ」
「はい」
「デラートス、結果が気になるなら後ほどタモンの酒場で会おう」
僕はスミスさんと私室に戻る。
服が詰め込まれた部屋から、今まであまり着たことがなかった戦闘用の騎士服を取り出してある。
マント付きで夏にはちょっと暑いような気もするが、戦闘用はこれしかないので仕方がない。
スミスさんは王宮に護衛でついて来た時とは違う実戦用の騎士服だ。
遮光カーテンで作った暗い部屋で足元に闇の精霊が穴を作り、僕たちはその穴に飛び込む。
ウオォーン
ローズの遠吠えが聞こえる。
闇の精霊が僕たちをその場所へ繋げてくれた。
「ローズ!」
先日、獣の死骸を見つけた場所に近い。
ガサガサガサ
私兵たちと猟師たちの姿も見え始める。
「スミス!、僕が足止めする。 彼らに結界を張らせろ!」
「はい!」
キィエエエエエーッ
姿を見せたのは鳥型の魔獣である。
デカッ。
とにかくデカい。
身体は丸っこいが、大きくて大人二人でも抱え切れないくらいの大きさがある。
その身体に付いている首が長く、その上にちょこんと丸い頭が乗っていた。
脚が長くて結構太い。 蹴られたら即死だな。
僕たちは、その魔獣に大人の倍以上の高さから見下ろされている。
「ダチョウ?」そんな言葉が脳裏に浮かぶ。 人間の記憶から似たものを選んだようだ。
グルルゥゥゥー
ローズの唸り声に反応してこちらを見た。
侮っているのだろう、僕を見ても無視してローズを見ている。
「ローズ、足に気を付けるんだぞ」
嘴より足の爪が恐そうだ。
ガルッ
ローズと離れ、僕はじりじりと近寄る。
耐刃付き魔法マントらしいので一発くらいなら大丈夫だろう。
「イーブリス様!」
誰だ、声出しやがって。
魔鳥の目がそちらを向く。
「スミス!、早く結界を」
「はいっ。 皆さん、早く魔道具を設置してください!」
ガサゴソ動く気配がしているが、魔鳥は待ってくれない。
ローズが一番強いと判断したらしくバサリと羽を広げて威嚇する。
キェェエエエエエ
長い脚でバタバタッとローズに向かって走り出した。
ギィーーーーーーーーーーンッ
「結界、完了!」
よし、間に合った。
僕はすぐに戦闘態勢に入る。
マントをバサッとまくり上げて両手を広げる。
魔力と瘴気を開放して敵意をこっちに向けさせた。
クエッ!
ローズに向かっていた魔鳥がこっちを振り向く。
僕は暴風を起こして枯葉を舞い上げる。
視界を遮ると「ガウッ」とローズが一声吠えて飛びかかり、魔鳥の細い首に牙を立てた。
僕は魔力を上げて脚を狙い、片手を振る。
キィンッ
一番危険な両足を真ん中で切り落とした。
グエェーグエェー
脚を失くした魔鳥がジタバタと暴れるが、既にローズが首を抑えている。
ふぅ、終わったな。
◆ ◆ ◆ ◆ ◆ ◆ ◆ ◆ ◆ ◆ ◆ ◆ ◆ ◆
その日は、町は夜明け前からザワザワと動き出した。
領主館の兵舎から三十名。 町中の猟師頭の店から十五名ほどの猟師が出て来る。
「負けるんじゃねえぞ」
「おうっ」
二組はお互いに牽制し合い、町から森へ向かう。
途中で左右に分かれ、森へと入って行った。
お互いに相手の動きは分からない。
自分たちは順調に進んでいると思っていても、相手の動きが分からないことで不安に駆られる。
「もう少しだ」
そろそろ陽が傾き始めた頃だった。
ウオォーン
「狼か。 いや、あれはたぶん領主様のダイヤーウルフだ」
猟師たちは一斉に声のする方へと走り出す。
「あれは?」
同じ頃、兵士たちもすぐ近くにいた。
猟師たちが走る姿を見て、何かあったのだと察し、
「俺たちも行くぞ」
と駆け出す。
相手がどんなに気に入らない相手であろうと、領民は守らなければならない。
しかし、目に飛び込んできた光景は、領主代理の少年と狼が大型の鳥型魔獣と睨み合っている姿だった。
「イーブリス様!」
思わず声が出た。
不味いと思ったが遅かった。
魔獣がこっちを見ている。
「皆さん、早く魔道具を設置してください!」
スミスから大声で指示が飛ぶ。
あと一つだった結界用魔道具を地面に埋め込み、作動させた。
ギィーーーーーーーーーーンッ
「結界、完了!」
結界の向こうで、大人より大きな魔獣を相手に、病弱で寝てばかりいる少年が戦っていた。
誰も声が出なかった。