41・温室
あれから毎朝、子供たちと握手をするお蔭で僕は体調がすこぶる良い。
今日は庭で始まった温室の建設作業を見に来た。
「イーブリス様、はしゃぎ過ぎでは?」
うろうろと見て回っていたらスミスさんが心配して止めに来る。
「大丈夫だよ。 もし倒れても、ほら、あそこに子供たちがいるから」
新しい温室は中庭の畑だった場所にある。
気付けば窓から子供たちが顔を覗かせているし、きっとすぐに僕を助けてくれるだろう。
それくらい、今は仲良くなっている。
「だといいですけどね」
何となくスミスさんの機嫌が悪い。
しかし、温室の基礎部分を見ていて気になった。
「ねえ」
そこら辺にいた暇そうな若い男性に声を掛ける。
「何でしょう?、坊ちゃん」
あ、この人見たことある。
「本邸じゃないんだから『坊ちゃん』は止めてね。
で、この基礎だけど、かなり広くない?」
下手すると民家三、四軒分ほどの大きさがある。
「ああ、これは半分ほど温度調節用の施設です」
なるほど、そうか。
地下熱というか、温泉を利用していると聞いた。
それを調整するための設備が必要になるんだろう。
それでもこの広さは十分過ぎる気がするけどな。
あー、思い出した。
この人、本邸の薔薇園の担当者じゃないか。
「本邸と同じにするつもりなの?」
僕は青年を見上げる。
「それは無理でしょうね。 でも一年中薔薇は咲かせて見せますよ」
自信満々に言われてしまう。
どうやらこの庭師の青年は、自分から志願してこっちの領に移って来たらしい。
子供たちが建物から出て来て、僕の近くで作業を見学し始める。
「あの、一つお願いしていいかな?」
僕は隣に立つ青年に小さく声を掛ける。
「はい?」
「温室にブランコを設置してもらえないか」
本邸の庭師なら知ってるよな。
「ああ、アーリー様のブランコですね。 良いですとも」
そう言って庭師の青年は笑ってくれた。
「ありがとう」
生気をくれる子供たちへのお礼代わりになるだろう。
それより雑貨店からの知らせはまだかな。
「数が数ですからね」
スミスさんが呆れたようにため息を吐く。
「魔道具だしね」
僕が発注したのは森に設置する結界用魔道具である。
森の中で住民たちが入れる場所と、魔獣たちが棲む地域を明確に分けたいと思う。
それが双方ともに良い方法だと思い付き、やってみることにした。
森の奥から一つの山全体が魔獣の領域だ。
山の頂上から向こうは他国である。
「だいたいの範囲を教えて、それで必要な数をお任せで頼んだからね。
魔道具の影響範囲が狭いと数が多くなるし、影響範囲が広い物だと魔道具自体が大きくなる」
自分でも無茶な依頼だと思うよ。
それでもデラートス雑貨店ならやってくれそうな気がする。
夏が終わりに近付いた頃、ようやく魔道具が揃ったと連絡が来た。
僕は会議を招集する。
顔ぶれは私兵団からソルキート隊長と副隊長、町からは猟師頭タモンさんと助手。
そしてデラートスさんである。
今回はスミスさんも席についているので、お茶を淹れてくれるのはメイドさんたちで、子供たちもお茶を運ぶのを手伝ってくれていた。
少しハラハラするけど、問題なさそう。
子供たちを連れてメイドが下がると、僕は立ち上がって礼を取る。
「集まってくれてありがとう。 早速だけどデラートスから魔道具の説明を」
「はい」
今日は黒服じゃなくて普通の商人風の衣装だ。
すごいなー、大店の旦那様みたいだなー。
性能の説明が終わるとタモンさんが質問する。
「地図で見りゃその数で足りるだろうが、実際に森に入ると木の根っこや大岩なんかでかなり制限される。
もう少し多く必要だと思うが」
「もちろんです。 この数はご注文いただいた仕様通りになってまして。
追加分に関しましては用意はありますが、何せ別料金となりますので」
そう言ってデラートスさんは僕を見る。
「分かった。 不足分はあとで精算してくれ。 必ず払う」
お祖父様への報告書に書き足すか。
小遣い減らされそうだな。
ラヴィーズン公爵私兵団のソルキート分隊長は地図を見ながら発言した。
「我々は当日の護衛ということでよろしいでしょうか」
私兵の中には王都から来た者が多いので、土地勘がない。
「猟師と兵士が組んでやるんですよね?。
それ必要ありますか」
タモンさんの助手のアーキスが煽るようにニヤリと笑う。
「 俺たち猟師は自衛出来ますけど」
私兵の副隊長の顔色が変わる。
「なんだと?、若造。 俺たちの方が弱いって言ってるのか」
あれ?、仲悪いのか、こいつら。
「隊長、領兵から復帰した者もいたはずだが」
「はい、イーブリス様。 半数ほどが復帰しております」
王都から来た私兵二十名に対し、領兵は三十名ほどだったか?。
半数でも十五名いるはずだな。
「そいつらは使えるのか?」
牢から出たばかりの者は、生気を抜かれてるのでしばらく使えないかな。
「今、鍛え直しております」
ふむ。
「デラートス、ソルキート隊長と狩猟頭のタモンさんに予備分も含め、同じ量を渡してくれ。
北の山の左右から同時に始め、どちらが早いかやってみればいい」
「は?」
隊長と猟師頭の声が重なる。
「危険を知らせる煙の魔道具は持っているな。
自分たちの手に負えない場合は、それを使って知らせてくれれば僕とスミスが駆け付ける」
僕はそう言って微笑む。
設置場所を書いた地図二枚に、中央に縦線を引き二人に渡す。
「何時間でも何日かかっても構わない。
自分たちの担当地区が終わったら知らせに来てくれ」
僕の手元には、山の稜線に沿って引かれた横線と真ん中に縦に引かれた線の入った地図。
魔道具を設置すると魔力を感知して点が浮かび上がる特別製だ。
僕が森に入らなくても二組の仕事は分かるようになっている。
「決行は三日後。 夜明けとともに始めてくれ」
「はっ」
会議はそれで終了である。
兵士たちと猟師たちが部屋を出て行った。
僕の満足そうな笑顔に、スミスさんとデラートスさんが大きなため息を吐いた。
◆ ◆ ◆ ◆ ◆ ◆ ◆ ◆ ◆ ◆ ◆ ◆ ◆ ◆
春の初め、ラヴィーズン公爵家ではイーブリスの婚約式が行われた。
「イーブリス坊ちゃんはまだ寝込んでるんですかね」
翌日、庭師の青年は親方に何気なく話し掛けた。
「昨日、婚約したばっかりだっていうのに」
そう続けた青年に親方はポカッと拳骨を落とした。
「もう薔薇は増やさねえぞ」
「え、酷い!。 親方あ、薔薇は坊ちゃんの唯一の楽しみなのにー」
「バカヤロウ。 そのイーブリス坊ちゃんはもう本邸にはいねえ」
親方の顔色が悪い。
「どういうことで?」
嫌な予感に青年は顔を歪める。
「イーブリス坊ちゃんは北にある公爵領に転地療養に行かれた」
青年はあの日、王子殿下が騒いでいたことは知っていたが、それがイーブリスの出発だとは知らなかった。
「そ、そんなっ」
青年は呆然と立ち尽くす。
青年が親方に仕事を認められたのは、イーブリスが薔薇を好きだったお蔭だ。
毎日、青年が育てた薔薇を部屋に飾り、その髪にまで薔薇の香りがする少年。
メイドや使用人たちの間では密かに「薔薇の王子様」だの「薔薇の精霊」だのと言われている。
そのイーブリスが薔薇があるとは思えない田舎の領地に行ってしまったのだ。
それから青年は時折、イーブリスが薔薇を見ていた姿を思い出す。
「痛っ」
薔薇の棘を取り忘れて指を怪我する。
「おい、何ぼけてやがる」
親方にどやされた。
「すみません」
頭を下げた青年の肩を親方が叩く。
「てめぇ、そんなんじゃ役にたたん。 他の屋敷に出張してくれんか」
とうとうクビになるのだと思った。
「北の領地で薔薇用の温室を作るらしいぞ」
「えっ」
顔を上げた青年に親方が苦笑を浮かべる。
北の領地の温室計画の打ち合わせに参加するように言われた。
「これでまた坊ちゃんに薔薇を届けられる」
領地に行く決心をした青年は親方に深く感謝した。