66・結婚
いつも通り、隣町まで馬車で移動し、宿に泊まる振りをして精霊の穴で領主館の自室に帰還する。
翌朝、いつものように執務室に入ると秘書のジーンさんが迎えてくれた。
「おはようございます、お帰りなさいませ」
「ああ」
ドサリと自分の机の前に座り、溜まった仕事を片付ける。
王都を出た馬車が領地に到着するまで館から出られないので、黙って仕事をするしかない。
「どうせなら山へ行けば良かった」
ローズたちと隠れていたかった。
「イーブリス様、春までの仕事が溜まってますのでお願いします」
はいはいっと。
てか、普通に接してたけどジーンさんには知られてもいいの?。
チラッと顔を向けるとスミスさんがあの胡散臭い笑顔でニコリと笑う。
「ああ、ご報告が遅れましたが、ジーンと結婚いたしました」
は?。
聞いてないんだが。
ジーンさんを見ると頬を真っ赤に染めて俯いている。
まあ、スミスさんに口説かれたら、そりゃ女性は落ちるわ。
「そういえば、スミスって何歳なの?」
今さらですかという目で見てくるけど、知らんものは知らん。
「十七歳でイーブリス様の担当になりましたので、六年目で二十三歳ですね」
「へっ?」
何故か、ジーンさんと声が重なった。
「知らなかったの?」とジーンさんを見るとコクコクと頷かれる。
自分の歳ぐらい、ちゃんと嫁に教えておけよ。
結婚ってことは教会に婚姻の契約を届けたということだろう。
いつの間に?、と首を傾げたら、
「イーブリス様がパーティーに参加されている間に書類を提出して参りました」
紙を届けるだけでも良いのかと思ったら、既にジーンさんの署名がある契約書を持ち、身代わりの女性を連れて行って提出したらしい。
実に姑息だ。
「彼女を教会に連れて行くわけにはいきませんので」
そういえば、ジーンさんは教会から逃げてこの土地に来た人だ。
じゃあ、僕の正体も知っているのかな。
「イーブリス様に関しては疑問を持たないようにと伝えてあります」
何か不思議なことがあっても「イーブリス様だから」で済まそうってことなのね。
ああ、そう。
「はい、あの、私はスミスさんさえいてくださればいいので」
あれ?、なんかヴィーと同じ様なこと言ってる気がするけど、女性ってそんなものだったっけ。
「私としてはイーブリス様のお子様が産まれた時にお仕えできる子供を望んでのことです」
スミスさん、産まれた時からしっかり英才教育するつもりですか。 こわっ!。
とりあえずは両者の希望が合致した上での婚姻契約だと。
なら別にいいよ、好きにして。
うん、人間って分からん。
◆ ◆ ◆ ◆ ◆ ◆ ◆ ◆ ◆ ◆ ◆ ◆ ◆ ◆
領主館のジーンの部屋に夜分遅くにスミスが入る。
「お疲れ様です」
新妻は優しい笑顔で夫を迎えた。
二人の寝室は未だに別々だ。
仕事上、スミスの寝室はイーブリスの私室との続き部屋になる。
ただ、夫婦になってからはジーンの部屋で、なるべく二人で過ごす時間を作っていた。
夫にお茶を淹れながら妻は気になっていた事を訊ねる。
「イーブリス様にお話しされていなかったのですね」
昼間、突然の報告にイーブリスは驚いていた。
「幼い頃からお世話をしてきたから、何となく気恥ずかしかったので」
主と執事というよりも、魔物と人間という特殊な友人関係に近いのだ。
イーブリス自体、スミスに主従関係を望んでいない。
単に分からないこと、知らない常識をすぐに答えてくれる相手が欲しいだけだ。
公爵家の仕事というより、スミスの方がイーブリスに固執し、勝手に主だと決めて付き纏っているような気がする。
白い湯気を揺らし、二人でお茶を飲みながら静かな時間を過ごす。
ジーンは、こんな日が訪れるなんて夢にも思わなかった。
子供の頃は貧しい孤児仲間と一緒に、詰め込まれた教会の施設で毎日お腹を空かせていた。
つい先日まで似たような生活をしていたはずなのに、今が幸せ過ぎて、まるで遠い過去のようだ。
「あの、スミスさんはどうして私なんかを妻に?」
お茶を飲んでいた夫がカップをテーブルに置くと妻の手を取った。
「私はずっと探していたんだ。 美しくて品があり、逞しくて凛とした女性を。
君は私の理想の女性だよ」
ジーンは驚いて首を横に振る。
「と、とんでもない。 私は臆病な、ただの小娘です」
「ふふふ」
スミスは、イーブリスが胡散臭いと評する笑顔を浮かべる。
「今はそれで良い。
これから君は、私の理想に近い女性になっていくんだ。
私がそうなるように教育してあげる」
熱い目で見つめられるとジーンの身体から力が抜けていく。
抱き寄せられ唇が重なる。
(理想通りですよ。 私の言いなりになるところがね)
◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇
スミスはこの土地に来てすぐに、隅々まで町を調べて歩いた。
浮浪児を集めて世話をしている場所があると聞いて、イーブリスの生気集めにその子供たちを利用出来ないかと見に行く。
覗いて見ると、それなりに整った容姿をした女性がいた。
あれはちゃんと磨けば貴婦人に見える。
領主館で使えそうだと思った。
調べれば教会から逃げていたり、金に困っていたりと、こちらに都合の良い条件が揃っている。
難なく手に入った。
一緒に仕事をするうちに、ジーンが自分を見ていることに気付く。
スミスは若い女性があまり好きではない。
煩いからだ。
おとなしく、まるで年寄りのように穏やかなジーンを見て、スミスは考え始める。
(浮浪児たちの中からイーブリス様の子供のための従者を選ぶつもりだったけど、我が子という手も有りか)
要するに子供を産んでくれる女性がいれば良い。
そして二人っきりになった時、スミスはジーンに声を掛けたのである。
「失礼ですが、私の子供を産んでくれませんか」
「は?、は、はい」
それはイーブリスが王都のダンスパーティーに出掛ける数日前のことだった。
◆ ◆ ◆ ◆ ◆ ◆ ◆ ◆ ◆ ◆ ◆ ◆ ◆ ◆
ブリュッスン男爵家では珍しく家族が揃っている。
先日、マールオがイーブリスから新たな契約を持ちかけられた件で領地から父親が戻り、改めて話し合いが行われることになったのだ。
「娘を差し出せだと!」
父親は怒るが、自分自身が女性問題を妻に知られており、強く出られない状態だ。
「ええ、農作物は前の契約の半分の量で良いというお話で」
既に新しい契約書が届いている。
納得したら署名して公爵家に渡すだけになっていた。
男爵家にとっては悪くない条件であるため、尚さら丸め込まれているのではという不安が拭えなかった。
居間で両親と長兄の三人が頭を抱えていると、小さく扉が開き娘たちが入って来た。
「お母様、お兄様、私たち、決めました」
「は?、何をだ」
無視された父親が声を掛ける。
「私、ラヴィーズン公爵家へ行きます!」
「お姉さま、私が行きますわ」
娘たちはどちらが行くかで揉め出した。
「お前たち、アーリー様のところじゃないと分かっているのか?」
行先は領地であり、しかも相手はアーリーの双子の兄である。
「あれは見かけと違って悪魔のような奴だ」
父親もウンウンと頷く。
それでも娘たちは逞しいというか、平然としていた。
「どうせ私たちは家の都合で婚約者が決められるのでしょう?」
貴族の娘とは政略結婚が当たり前で、それなら、より良い条件のところに嫁ぎたいというのは自然ではある。
しかし、マールオにはこれが婚姻の申し込みだとは思えない。
「お前たち、公爵様の孫には既に伯爵令嬢と言う婚約者がいる。 それがどういうことか、分かっているのか!」
二人の妹は首を傾げる。
「とにかく公爵様のところへ行けばいいのでしょう?」
「何がおかしいの?」
こんな幼い娘たちが家のために自分を差し出そうとしている。
「お母様?!」
心労が重なっていた母親は、子供たちの話を聞いているうちにバタリと倒れてしまった。




